最近よく交わす言葉……美味しいものを少しだけ……。
養生や節制には「腹八分目」という言葉があるが、最近の栄養過多と巷にあふれる食材の豊富さから「腹六分目」という言葉も定着しつつある。
“過ぎたるは及ばざるが如し”、美味しいものも少しだけ味わうからこそ、その旨さが五臓六腑に染み渡る。
今日もお昼時、白いごはんにかつおの塩辛をほんの少々乗せていただいたが、この塩辛の美味にごはんの味も冴え渡った。
先日のぎんなんも手の平に乗る位を拾って、旬の味を堪能した。
宵越しの金は持たぬ…ならぬ、宵越しの旨いものは持たぬ精神で、美味しいものをほんの少々いただくことの愉悦は大きい。
旨すぎるものは体にも毒である。
牛肉のステーキ、大トロの刺身、いくらの醤油漬け、くさや、赤ナマコなどは、食べ過ぎてはいけない。口に含んだとたんに生き返るように「ああ、美味しい!」と叫んだ後は、もうちょっと食べたいなと思うところで箸を置く。勇気が要るし、誘惑にも負けそう。
けれど、それで矜持を正し、バランスをとらねばならない。
平松洋子著「買えない味」(筑摩書房)には、食と、食の道具の含蓄があふれている。
本の帯には、本文を引用して「果てようとしている、その瞬間にも おいしさというものは、ある。最後の最後、深くくぐもる臭いもまた、おしまいだからこそ、開く味わいだ。旬がいいのはあたりまえ。勝負は旬が過ぎてから。 ただし、熟れるか、腐るか。明日はどっちだ。」とある。
腐る寸前の熟れ加減に勝負をかける喰い道楽の楽しみが書かれている。
反面、「冷やごはん」という章もあって、もくもくもごもごと釜に残った冷やご飯を食べていたら卒然と美味しさに気付く。
「米は冷えてから味がわかる。貯金は減ってからありがたみがわかる。冷えびえと鈍重なごはんには、しかし噛みしめるうち芯から厚みのある甘さが滲む。……。」とある。
食べることは、いのちをつなぐことの他に、豊かなニッポンでは、欲の極致のひとつでもある。
慎ましく慎ましく「いただきます」の精神を忘れないで、本当に美味しいものを少しだけいただく。
ところで、本当に美味しいものはなかなか手に入らない。
人づてに見つけるしかないホンモノの味。少し骨が折れる。
わたしの場合は、よき人たちに恵まれておすそ分けにありつけることが多い。何もお返しの出来ない心苦しさを感じつつ、感謝!!!
(今日の写真は、イエルカ ワイン氏のマグカップ。持ち手の所がイエルカ流)