ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

初夏らしい日の始まり

2010年04月30日 | 生活・暮らし・家事など


ようやく初夏らしい季節が廻って来たようです。
降り注ぐ太陽の光と揺らぐやわらかな風、このふたつは何よりの季節からのプレゼントですね。家仕事もはかどります。

遅い朝と早めのお昼を兼ねたご飯。
玄米のおにぎりに海苔を巻き、いりこと実山椒のつくだ煮とこちらも手作りの梅干しを添えると美味しいごはんに早変わり。

冷凍庫の片隅に眠っていた山椒の実と、水俣の「すぎもと水産」の小さな片口いわしを干した「いりこ」を合わせてつくだ煮を作りました。
「いりこ」は先日有楽町ホールで行われた「水俣病記念講演会・逆照射される私たち」の会場ロビーで売られていたものを買い求めたものです。
お醤油とお酒で味付けしただけのつくだ煮は素材の力を借りてとても美味しく出来上がりました。



リビングの窓には、先日求めた白いインドの綿サリーに水をくぐらせ窓の幅にカットしたものをカーテン代わりに重ねました。
元々の窓の高さに合わせた対丈のカーテンと白いサリーとの二枚重ねは光を通しながら外を遮る効果もあります。

ストーブや椅子の上の膝掛けなどの最後の「冬もの」もそろそろしまう準備に入ろうと思います。

しぐさの中に

2010年04月29日 | お洒落


「ほんとにエレガントな人だったのよ。決して美人ではなかったけれどね。独特のセンスを持った素敵な人で、周りの男性は彼女に夢中になるのよ、みんな」
そんな60代で逝った人を偲んでの生前のその人のうわさ話しを聞きました。
面識のなかった私はその女性の写真を見せていただいたけれど、取り立てての感想も無いくらい静かで普通な女性に見えましたが。

しぐさの中にあらわれるその人らしさというのがあるのでしょうね。
声の質だったり、話しの間の取り方だったり、笑顔の出し方だったり、立ち居振る舞いの優雅さだったり、目の光の深さだったりが人の魅力となって触れ合った人たちに独特の雰囲気を醸し出して行くのかもしれません。

先日訪ねたお宅で、紅茶を入れて下さった女性。
その手さばきはうっとりするほど美しかったです。
茶葉をポットに入れ、お湯をそそぎ、ティーコゼーの代わりにきれいな長方形に折り畳んだ麻の布巾をまるでふくさを扱うようにていねいにポットに包むさりげない手つきはその人を顕しているようでした。
おしゃべりをしながらその動作に優雅さを持って集中する身のこなし方にうっとりしてしまいました。

布に触れると

2010年04月28日 | 美しいもの

~前の記事「おいしい食卓」の続き~

美しい布に触れると目がない私。



(左:薄手綿シルクのストール。オフホワイトの薄くて柔らかくてしなやかな布に刺しゅうされたドット柄が可愛い。
右:薄手綿ローンのサリー。サリーなので位置によって刺繍の挿し方に大きな違いが楽しめます。ゴージャスな個所とシンプルな個所の取り合わせがいい。)



(左:手紬ぎ手織りのゴールドムガシルクのストールはとてもしっかりとした重厚感があります。
右:薄手綿ローンのエコバック。ゴールドの柄とひもの取り合わせが華やかだけど清々しい。)

あちこちの画廊で展開しているユキコさんの「インドの布の展示」の合間を縫ってのユキコさん宅のひとときでしたが、ストックしてある美しいインドの手仕事のサリーやストールなども見せていただき、生活の中に使う布使いの見事さがそのまま凝縮されているようなお部屋の窓辺のカーテンの設えにもたくさんの刺激を受けました。
インドの綿ローンの白いサリー。サリーに施された細かい手刺繍ももちろん白い糸。独特の薄い透け感のあるサリーを窓辺にカーテンのようにユキコさんは下げていました。
さらに同じ窓にもう一枚重ねられた布は手織りのざっくりとした生成りタッサーシルク。洗って洗ってクタッとした質感にもうっとり。その色合いの美しさと光沢は使い込んだものならではのものでした。

私も真似したい!!と、上の写真の3枚の布とそれを包んで下さったエコバックが我が家へお嫁入り。エコバックも本当に素敵です!!
「最初ザブザブと洗ってね。ネットに入れれば洗濯機でも大丈夫よ」とのユキコさんの言葉に従って、晴れた日に水をくぐらせてあげようと思います。
シルクや綿、麻、ウールなど天然素材の使い込むほどに増す味わいの深さのもとは水を通したり風を含ませたりが大切です。何より使うことが一番ですね。

モノを減らしながらモノを増やしていくという矛盾と闘いながら、しかし生活に彩りは必要といくつかの言い訳をしながら……布を眺めてワクワク。


おいしい食卓

2010年04月28日 | おいしいもの


長野から出て来た友人エツコさんと青山で待ち合わせ、エツコさんがピックアップしたスポットをふたりで訪ねました。
そしてそこから小田急線沿線に移動して訪ねた先がエツコさんの友人ユキコさんのお家。
私も何度かお会いしたことのある人ですので懐かしかった。



同世代のおんな3人のパーティが始まりました。
「布」の仕事の関係でインドに年数回20年にわたって行っているというユキコさんの作るお料理はシンプルでスパイシィで心がこもっていてほんとうに美味しかった!!!
食後のミルクティやお茶も心に響きました。
楽しいおしゃべりがはずみ、私もエツコさんといっしょにお家に泊めていただくことに。
「インドでは民泊は当たり前なのよ」というユキコさんの言葉に甘えて。

人のご縁はほんとうに不思議で、親しさはお付き合いの年数ではなくお互いがお互いを思いやり心の垣根を取り払ってどこまで自分を開けるかということではかられるのかもしれません。
楽しかった!!ありがとう!!!



ルイさんの手作りポーチと読書会

2010年04月27日 | 本など



月に1度高田馬場で開いている松下竜一氏の著作を読む読書会が4月で6回目を数えました。
4月の課題図書は「ルイズ父に貰いし名は」で3月の「久さん伝」からの続きです。
大杉栄と伊藤野枝の4女として生まれたルイさんの名はパリコミュンの女闘士ルイズミシェルから名づけられたことで知られています。

今回の読書会の参加者は11名でした。
集った人たちとの3時間にわたるディスカッションの奥深さはそのまま本を読み解く悦びにつながります。
本と私、私を取り巻く環境や社会などと照らし合わせながらの討論は今の自分の生きざまをもあぶり出して行く作業とも重なります。

そんな中で、今回のサプライズはルイさんとの出会いからルイさんが病床で息をひきとるまでを見守ったルイさんの著作の中にも度々登場される方がふたり那須から参加して下さったことです。
他にも前日の東京での集まりのあと立ち寄って下さった札幌のNさん、現代社会派の美術評論を各紙に書いていらっしゃるAさんなども加わっていただきました。
上の写真は、その中のお一人那須のIさんが生前のルイさんからいただいたというルイさん作の小さなポーチです。
ポーチの布選びや布使いの見事さに加え縫製の美しさに息を呑みました。

他にもIさんが持ちこんで下さった分厚い資料の山やルイさん自身の肉筆の手紙や写真などに触れながら、ルイさんを通して松下竜一氏を、松下竜一氏を通してルイさんを語り合い、「ルイズ父に貰いし名は」は、現代に生きる私たちに何を示唆し何を遺しているのかなどその思想のしん酌など興味の尽きない話題が行き交いました。

関東大震災にかこつけて大杉と野枝が甘粕大尉に虐殺された時、ルイさんは1歳3カ月、そこから想像を絶する人生が始まります。
ルイさんの生の軌跡をたどる旅でもある「松下ルイズ」の重いテーマを語り合う中で、ルイさんの遺した手作りポーチの清やかな美しさ。
(「ルイズ父に貰いし名は」を上梓したとき、ルイさんがそれを読み松下氏に『これは松下ルイズですね』と語ったそうです)
ポーチの中にはお香がひとつ。急きょ場は香りを聞く会へと入れ替わり、ルイさんの凛として自立した生き方やその先にあった死生観も含めた生き様を偲びました。

6月に中津で行われる「竜一忌」に向けて、いままでの読書会の記録をブックレットにする予定です。
そろそろその準備にかからなければなりません。


喫茶店の椅子

2010年04月26日 | 生活・暮らし・家事など


喫茶店を利用することが多い私。
最近ではインテリアやスイーツなどに趣向を凝らしたオーガニックカフェなどお洒落なお店も増えています。
「カフェ特集」の雑誌が出て、それを追っかけるほどにカフェは今や人気です。

昨日も喫茶店をはしご。
ときどき本題とはそれて「喫茶店の椅子」のことが話題になります。
ふかふかで座り心地のいい椅子のある喫茶店は、少々珈琲がまずくても少々お値段が高くてもそれはそれでいいという、そんな結論に至ります。
今流行りの、センスがよくて珈琲が美味しくてややマニアックな若者好みのカフェも行ったけれど、たいていは「椅子の座り心地がよくなくてゆっくり話しができないよね」と。
都内にある老舗カフェの中にも、燻し出されたたばこの煙が沁みついて底光りし、サイフォン珈琲の薫りがくゆるような落ち着きのある重厚な喫茶店もあるけれど、大きな木のテーブルを囲んだこちらも木のベンチの堅さが気になるようになり足が遠のいています。長居の客を嫌う喫茶店の戦略かもしれないけれど。

柔らかくて座り心地のいい椅子があり、さらに珈琲の美味しいお店となると、あるようでなかなかないものですね。
椅子と言えば、トップを極めたある人が吐いた名言。
「どんな椅子に座ろうと、どうせその上にあるのは人のケツの穴じゃ」。
大差ないとその人は言いたかったのでしょうか。


久しぶりの銀座

2010年04月25日 | おいしいもの

「有楽町ホール」で行われた講演会に行き、銀座にも足を伸ばしました。
久しぶりの銀座はお天気も良かった週末のせいか賑わっていました。しかし半面「人が少ないなあ……」と思わせる個所も各所にあり、総じてはやはり少ない人出といえるのかもしれません。

いつもランチをしていた美味しくてお手頃価格のおそば&天ぷらのお店がのれんを下ろしていました。少し歩くと、代わりに見慣れない看板のお店がたくさんあり行列が出来ているなど街の世相を反映しているようでした。



そんな中で立ち寄ったお店が上の写真。
「野の花・司」の「茶房・野の花」のランチ「野山のごちそう」です。たけのこの木の芽田楽やお煮しめなど旬のものひとつひとつが丁寧に味付けされていて、ここにしてよかったと満足。
お膳に季節の野草が一枝添えられてくる演出は、それだけでほっと一息。ふだんの生活の中に加えるちょっとした彩りの大切さをあらためて気づかされます。

最近耳にしたニュースの特集で、今、若い人はひとりでお店ののれんをくぐれないということを話題にしていました。
私はいつも基本的には「おひとりさま」で動きますので、その話に「なぜ??」と驚きました。
独り歩きだからこそ、誰と相談することの気兼ねなく好奇心という自分の羅針盤を働かせ、自由気ままにあちこちと動き回れるのに。

銀座ではすっかりごぶさたしていた知人のお店を訪ね、お元気で頑張っているご夫妻にもお会いでき懐かしさを共有したり励まし合ったり、思い切って訪ねてよかったと思いました。
日々年々時や景色が移ろうなかで、変わらないものへの共感、大切にしたいと思います。


ちょっとご紹介

2010年04月24日 | 生活・暮らし・家事など
私のブログのブックマークにも登録しているかなちゃんのブログ「フェアトレード大地のブログ」。
かなちゃんのお母さんと私は同じ年ですので娘のような年齢です。

そのかなちゃんが中津で「アースディ中津」の実行委員長をやり無事に終わった報告が載っています。
「フェアトレード大地」のブログ。
去年もやり今年もやった!!かなちゃん、成功おめでとう!!

「フェアトレード大地」の店長でもありふたりの女の子のお母さんでもあるかなちゃんの書くブログはこれがとっても面白いのです。正直でまっすぐでしっかりした社会への目を持っていて、その若さと実行力をいつもまぶしく眺めています。
ブログの写真、これがまたユニークで温かくて、芸術写真論などぶっ飛ばしそうにほほえましくていいなあ、私もこんな写真を載せたいなあといつもいつも思うほどです。

“使い切る”にチャレンジ

2010年04月24日 | 生活・暮らし・家事など



(写真はちらしで折った箱を畳んでストック。台所で様々に使えて便利です)

雑誌をぱらぱらとめくっていたら、「不買週間」という言葉をみつけました。若い主婦ライターさんが1週間モノを買わない“不買”に挑戦した生活日記が数ページ特集されていました。

経済の成長が見込めない日本のいま。
さらに巷にモノがあふれ、モノ離れ現象に歯止めがかからない日本経済のゆくえ。
そんな中でさらに不買を決め込んでいる人たちが私の周りにも増えています。

不買と言っても日々の食事は必要なわけで、そこに当然時間を使った知恵や工夫が要求されます。
買い置いた乾物などを使い、冷蔵庫の整理も兼ねての不買へのチャレンジ。
若いママは子供のおやつなどの工夫も必要になり、年配者の私などとはまた違ったやりくりも必要です。

考えてみればお金さえ出せば何でも手に入る時代に入って久しいけれど、一昔前までは自給自足が当たり前で、昔の人の「おばあちゃんの知恵」まで失くしてしまったような今の暮らし方を顧みるにはいいことかもしれません。
私もこの雑誌の記事を読んで、もう一度台所周りを中心に身の回りをチェックしました。
食材や生活用品に予備のストックを持つことも大切だけれど、今は使い切る生活にチャレンジです。在庫の把握や無くなってから買い足して行くその時間が時間持ちの私にはたっぷり与えられているのですから。
完全にそのモノが無くなってから買う……そうすると、いざ無いとなると他のあるもので代用する知恵も湧き、モノ減らしが徐々に身に付いてきますね。
我が家の食品庫に無かったことのない乾物のしいたけを先日使い切りましたが補充はまだ。

昨日は……、
以前仕事をしていたときの縦長定形の名入り封筒がたくさん余っていたので、封筒下部に印刷されている住所や名前の部分をカットして新しい封筒づくりをしました。
封筒をたくさん使いたいことがあって新しく買うこともためらわれての思い付きですが、縦が短くなった角封筒に近い新品の封筒に生まれ変わり、在庫も減ってやれやれ。
少しずつ少しずつモノ減らしが進み、棚や引き出しの各所に新たな空間を作ることで清々しい気持ちになり、ほっと一息つきました。

買い物は楽しいことでもあり、それをすべて排除してストイックな生活をする気にはなれませんが、しっかりと要不要を見極めて愛着を持てるモノを選別し身の周りに置きたいものですね。


寒い春

2010年04月23日 | 自然 花や風景など



地球温暖化を憂うる人たちに揺れ戻しでバランスをとるかのような季節外れの寒波。
八重桜が満開になりましたが、葉桜になったソメイヨシノの咲き残りもちらほら。
山吹も散り始めているというのに。
ケヤキの芽吹きも始まり、交々入り混じっての、季節は「春」。
今日、駅までのバスに乗り込んだ人たちの3分の1は冬のコートをそのまま羽織っていました。

「あと一缶 灯油買おうか 迷ってる」
(毎日新聞4月22日・仲畑流万能川柳・鴻巣 雷作)

我が家もこれで終わりと決めてから何缶の灯油を買い足したことでしょう。
コートを脱いで身軽に歩きたいのに寒さの足踏みに冬ものが離せません。うっかり暦を1か月前と取り間違えるほどです。
そろそろゴールデンウィークが視野に入ってきたというのに。

しかしこれもそれもすべて天の配剤と考えれば、それに従うしかありませんね。
人の力なんてたかが知れていると気づかせてくれているのかも知れません。
自然を見つめると、謙虚にならざるを得ません。
ベランダの花たちを見ていても、それぞれの花が自分の花を季節に感応して咲かせているに過ぎず、隣りの鉢の花を見比べて喜怒哀楽を表すことなど決してないことを思えば、それだけで十分に深い学びが得られます。

ご縁のあった方々に感謝しながら足元の生活を愛で丁寧に暮らしたいなと思います。