ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

映画『うつし世の静寂(しじま)に』

2010年11月11日 | 映画・芝居・芸術など

平日朝10時の「渋谷ユーロスペース」。映画開始時の観客は5名、終わるころには10数名。
これがドキュメンタリー映画の実態なのでしょうか……。
「ユーロスペース」で『うつし世の静寂(しじま)に』が上映されています。(11月19日まで10:00~の上映)。

『うつし世の静寂に』(由井英監督作品)は「念仏講」が描かれ、「巡り地蔵」や「初山獅子舞」が描かれ、「谷戸田のお百姓」が描かれ、庶民の自然を敬い祈る姿が描かれています。
川崎市の一角に残る現在の風土と暮らしを記録した映画です。
背景には巨大な団地群が間近に迫りながら、まるでその一角だけが昔をそのまま残しています。そこに住む人たちの日々の暮らしの和やかさに映画の中で触れた私は、思わず忘れ去ってしまっていた何かを思い出したのか、懐かしさにふるえ自分でも不思議な涙があふれ続けました。

そして映画の中での小さな告発。
ときには祈りの伝統が戦争により断ち切られた初山獅子舞の歴史が1枚の記録写真を基に画面に示されます。
また明治政府の命じた「神社合祀」により村人の祈りの場であったお社は失われ、今はその鎮守の森だけが密やかに残っているという現実、さらにそこで100年ぶりの獅子舞が老若の村人たちにより奉納されます。
私たちが近代化の中で失ってきたものは、自らの意思に添うように微妙に糾われた国の仕掛けがあったのかと、そんな思いが静かに広がって行きます。

風土を生かし、風土に添い、田を作り、畑を耕し農作物を収穫するという少し前までは当たり前に在った日本の原風景、そこには自然への畏敬があり、神仏への感謝と祈りがあり、祭りがありました。これら生活の風景はいつまで保たれて行くのであろうかと、そんな危惧を残しながらどの場面も私の乾いた心に深く沁み込んで行きました。
子供の頃は私の田舎にも講があり、大人たちから講の様子を聞いたことがあります。村のてっぺんにある天神さまでは奉能神楽が行われていたかすかな記憶。映画の中に観た田の畔のクロの作り方などどれも懐かしく琴線を揺さぶるものでした。
畔が出来上がると祖母はそこに棒を刺し、等間隔に大豆を植えていました。その祖母の後を付いて歩いた幼子の私が周辺の里山風景とともに鮮やかによみがえってきました。

環境問題や自然保護を声高に語ることなく淡々と映し出されて行くごく日常の世界。周辺に迫る環境汚染を口にはしないけれど、祖先を敬い土地を守り風土を見つめる人々の無言の実践の姿に心を揺さぶられ続けた私。現在においては過酷ともいえる谷戸田を作る百姓という労働が日々の年月の中で継承され、そこには知識を超えた実践の中で培われてきた知恵が生き、身体に確かな要素として沁み込んでいることも。

由井監督の前回作『オオカミの護符―里びとと山びとのあわいに―』も観てみたくなりました。