ハーモニィベルによるサウンドセラピィを友人宅で受けました。
(写真は、リビングのライトの下に吊り下げられた筒(KOSHIチャイム)を鳴らす友人。とってもいい音が鳴ります)
セラピィルームでのセラピィは驚くばかりのことがたくさん。
セラピストの友人が鳴らしてくれる様々な音が静かに静かに響き合い、身体に触れることなく音で各チャクラが開かれて行くのが体感できました。
音霊を通して導かれて行く深い瞑想の世界に驚き、こんな世界があったんだと私のこころに刻まれゆく体験。
月に一度はサロンに通いたいな……私の身体が渇望していた世界に巡り合えた思いです。
ヒロミさん、ありがとう!!!!!
久しぶりに乗り継ぎのための乗降で使った錦糸町駅。スカイツリーがよく見えました。
雨が降ったり、雷が鳴ったり、地震があったりのめまぐるしい一日でした。
いつもこんなに暑かったかしら……?
まだ6月が終わらないのに、気温35度とかの猛暑日が続いています。
私は、汗アレルギーのせいか、何もしていないのに流れ出る汗で、顔にピリピリと沁みるような痛さがあります。
クーラーを入れないで涼しく過ごす方法……考えないといけませんね。
山にこもるとか、避暑地に行くとか、できればいいな。
まずは、バックの中に扇子を忘れずに入れて。
この扇子、かなり使い込んでいるけれど、今年いっぱい使えそう。
ビルの壁面に酉の市で売られる縁起ものの大熊手のような飾り物が!!!!!
ああ、七夕さまが近づいてきたんだ!!と思わせた七夕飾り。笹竹ではないけれど、ね。
写真は、いずれも昨日見た銀座の一角のビルに設えられた七夕飾りです。
ささの葉 サラサラ
のきばに ゆれる
お星さま キラキラ
金銀砂子
五色の たんざく
わたしが 書いた
お星さま キラキラ
空から 見てる
もともとは神事からきているといわれる七夕飾り。
(五色とは五行説をもとにされた色とされ、「七夕」を「棚機(たなばた)」や棚幡と表記した。これは、そもそも七夕とはお盆行事の一環でもあり、精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方であることから7日の夕で「七夕」と書いて「たなばた」と発音するようになったともいう。織姫、彦星の物語は元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた言葉である。)とWikipediaにあります。
棚機→棚幡→七夕と移る語源もなるほどと思うし、棚幡は精霊棚のことであり、笹は精霊が宿る依り代というのもいまさら聞くがごとくロマンチックで面白い。
そして写真の七夕飾り。さすが銀座のモノガタリ。日々物事が変化~進化しているのですねぇ、何事も。
大好きな「小屋」。うっそうとした草木に覆われ、今は使われているとは思えないシロモノながら、その佇まい、いいですね。
ところで、閑話休題。
出せば入るということば、使い古されているけれど、徐々に実感できることが多くなりました。
たとえば、人さまのためにまたは使命を感じたものに関して何かを使う。時間だったり、労力だったり、お金だったり、そのすべてだったり。
その「使った分だけは入るのよね、不思議と」と、こんな会話も友人たちの間で交わす頻度が多くなりました。
数日前、新潟の旗野氏からの呼びかけで、福島・郡山の子供たちを放射線下から守るため、「放射線被ばくから子どもを守る『ハーメルン・プロジェクト』」へのカンパ協力の依頼が届きました。
金額は身の丈分しか送れないけれど、私は自分の決めたその金額を毎月送ることを旗野氏にメールで知らせました。月々は少額でも1年ではそれなりの金額になります。誰かに知らせることで、安易な方に逃げ込むのを防ぐためにもと決意表明し、第1回分を昨日振り込みました。
ところが、不思議なことに今日急きょ「書く仕事」が舞い込み、何とかこのカンパの年間分の収支を合わせることができることに。
使う分だけの収支が合うという不思議は、日々多くなっています。
書く仕事は私がこれからやりたい5つのことのひとつで、大変だけれど大好きなことのひとつです。
今を一生懸命生きる、やると決めた私。大変なことでも一生懸命向かえばそれなりの成果が得られることを信じています。今まであまり積極的にやろうとしていなかったこれらの事々も厳しい方に向き合って、と思います。
かくして今日から数日は資料を読みながらパソコンの前で格闘することになりそうです。
いつもありがとうございます!!!
ジメジメとした梅雨の日々、洗濯ものが乾かない、部屋の中はどことなく湿っぽい。
こんな日々こそ、掃除を丹念にし、拭き清めようと思います。
ところで洗濯機、最近あまり調子がよろしくない。もう20年くらい使っているので、消費電力も高いかしら?
買い替え時なのかなぁ……。今の二層式を全自動に変えるかも知れないけれど迷うところです。しかし乾燥機付きは買わないつもり。
このところの新聞では、各家中の照明をLEDにすると、試算では原発13基分の節電ができるとか。
我が家もかなりLED化しているけれど、さらなるチェックをしてみようと思います。
蒸し暑く気温もあがり、被災地では大量のイエバエが発生しているとか。
都会暮らしではめっきりハエを見かけなくなったけれど、被災された方々は不自由な生活環境の中にさらに不快なこれらのことが押し寄せて来ているのですね。
政治は混迷を極め、迷走中。原発事故の後処理も進んでいるようには見えなくて、どことなく気持ちの晴れない日々が続いています。
梅の季節です。
浄水器を通しただけで、「発酵する水」に変わるという不思議な水です。
いただいた梅を100円ショップで買い置いていたビン容器に入れました。
さあ、どうなるか……楽しみです。
「市原市民の森」の岩タバコが見ごろを迎えていると友人から連絡があり、出かけました。
葉っぱがタバコの葉に似ていて岩壁に根を生やし、茎を出しているから「岩タバコ」だそうです。
湿ってうす暗い岩壁に群生しているため、咲いてる!咲いてる!と案内されても、目をこらさないと見つけられないほどでしたが、目が慣れてくると、青紫色の可憐な花が咲いているのがわかりました。
初めて見た岩タバコの花。
それぞれの場所にそれぞれに咲く花たちのことを改めて思いました。
夕方からは「飯給小屋」に集まり、食卓を囲み、談笑し、2台の車に分乗して「ホタルスポット」へ。
今日の同行者は案内をして下さる松本ご夫妻のほか小学5年生の男の子とそのご両親をはじめ、総勢9名。
ホタルの乱舞はもう終わりにかかっていましたが、それでも初めて見るお客様は大歓声を上げていました。
ホタルの飛び交う様子はどんなカメラにも収めることが出来なくて、手の平に乗せた一匹のホタルを撮るのがやっとです。人の写真も漆黒の闇の中、人の気配を感じてカメラを向け、フラッシュを焚くといった有様です。
真っ暗闇の中、川を流れる水音を聴きながらホタルを眺めていると幻想と幽玄の世界へと誘われます。
ホタルシーズンも終わりを示すように見学者も少なく、私も今年最後のホタル狩りをさせていただきました。
今夜のホタルも全盛期に比べると少なかったけれど、それでも十分に満足しました。
松本ご夫妻、タケチャン、いつもありがとうございます。
皆さま、ありがとうございます!!!!!
ホタルが終わり、6月もそろそろ終わりです。
同じ一本の紫陽花の木なのに花の色は様々、七変化です。
人もモノも植物も生老病死と変化して行くのですね。そのどのときも美しいです。
使い込むことによってすり減って行くモノたち、愛おしいです。
長年使った掛け布団カバーがいつのまにか擦り切れて破れてしまいました。
横になった時に、首から顔が当たるところ……がついに破れました。摩擦による摩耗です。
昔の人は、こんな程度のことは繕って使い続けたのかもしれません。
布おむつの材料にするには、肌触りも極上品です。
襤褸が大好きな私。しかし、そのまま何かのときのためにとっておくことは断捨離精神に違反します。
簡単に捨てるわけには行かなくて、ハサミで解体開始。
「わたしのぞうきん」の材料になりました。
ぞうきんという“作品作り”には願っても無い材です。
昔、『暮らしの手帖』でみた使い古しのおむつを使ったパッチワーク作品、忘れられません。
最近ご無沙汰気味の「ちくちく」、また始めようと思います。
夏ミカンの皮をむき、ひとつひとつの袋から実を取り出しました。
およそ10個の夏ミカンをむいていると、その美しさに心を奪われました。
ゴツゴツの皮、表面に見える汚れてキメの粗い夏ミカンがこんな美しい実を内包していたのかという驚きです。
あたりまえのことのなかにある感動。
ジューシーで美味しいことは語るに及ばずです。
今日はよい日です。