先日、青森県の金木町を訪れる機会があった。
金木は太宰治の生家、斜陽館がある街。
駅に降り立ち、所用を済ませて、また戻ると
次に戻る電車は、一時間以上、後しかない。
そこで駅の周辺をウロウロする。
結局、駅の待合室に戻るわけだが、そこに展示ケースがあり、
「白戸栄之助」に関する模型飛行機や解説のパネルが置かれていた。
白戸栄之助の名前は、
頭のどこかにかすかに記憶にとどめられて残っていたが、
詳しくはすぐには思い出せなかった。
そこでじっくりと解説を読んでみた。
明治から大正にかけての航空家で、陸軍気球隊を退役後,
奈良原三次に学んだとされる。
奈良原は日本航空界の先駆者。
自費で独自の飛行機を研究、
所沢で高度4m、距離60mの国産機初の飛行に成功した人。
白戸は千葉に飛行練習所を開き、民間の飛行士を養成した。
明治45年には、初の公開飛行を行い、民間操縦士の第一号となった人。
民間航空の発展に尽くした功績がある。
この白戸が生まれたのが金木町というわけだ。
小さなコーナーではあるが、こうして白戸のかつての姿を
彷彿とさせる展示があることはとっても大切なことだと思った。
一時間後にようやく来た電車、いやディーゼル車に乗った。
しかし、この一時間は白戸を知る貴重な時間だった。
金木は太宰治の生家、斜陽館がある街。
駅に降り立ち、所用を済ませて、また戻ると
次に戻る電車は、一時間以上、後しかない。
そこで駅の周辺をウロウロする。
結局、駅の待合室に戻るわけだが、そこに展示ケースがあり、
「白戸栄之助」に関する模型飛行機や解説のパネルが置かれていた。
白戸栄之助の名前は、
頭のどこかにかすかに記憶にとどめられて残っていたが、
詳しくはすぐには思い出せなかった。
そこでじっくりと解説を読んでみた。
明治から大正にかけての航空家で、陸軍気球隊を退役後,
奈良原三次に学んだとされる。
奈良原は日本航空界の先駆者。
自費で独自の飛行機を研究、
所沢で高度4m、距離60mの国産機初の飛行に成功した人。
白戸は千葉に飛行練習所を開き、民間の飛行士を養成した。
明治45年には、初の公開飛行を行い、民間操縦士の第一号となった人。
民間航空の発展に尽くした功績がある。
この白戸が生まれたのが金木町というわけだ。
小さなコーナーではあるが、こうして白戸のかつての姿を
彷彿とさせる展示があることはとっても大切なことだと思った。
一時間後にようやく来た電車、いやディーゼル車に乗った。
しかし、この一時間は白戸を知る貴重な時間だった。