定年後の伊豆高原 バラと酒と音楽と

伊豆高原に終の棲家を建築し永住。カミサン、愛猫ジローとの伊豆での老後は如何に。薔薇・酒・音楽・日々の徒然。

大阪行きは何番ホーム

2008年03月15日 | 定年後の徒然日記
大阪行き・ブルトレ「銀河」の最後の出発を見送ろうと、東京駅10番ホームには、2000人を超えるファンが詰めかけたとNHKから放映された。「銀河」は、高度成長期に、東京ー大阪間を行き来する寝台夜行列車としてビジネスマンらに親しまれてきたが、最近は新幹線や格安の高速バスなどに押され乗車率が4割程度にまで落ち込んでいたようだ。「富士」や「はやぶさ」など残るブルトレも廃止が検討されているそうだ。


(写真はJR西日本のサイトからお借りしました)

大阪行きは何番ホーム? そう、10番ホームなんだね。
でも、大阪行きは何番ホーム?というフレーズは聞かなくなってしまった。新大阪行きは何番ホーム?になってしまったから。大阪という駅は、新大阪から乗り換えていく駅になってしまった。

「大阪行き」と聞けば、拓郎の「大阪行きは何番ホーム」に思いが直結してしまう。拓郎はジローと同い年だから、拓郎の詩は全部共感してしまう。


19の時だったと思うけど 家を出ることに夢を託して
一人きりで暮らしてみようと 希望に満ちていた時があった
たとえ都会の片隅であろうとも 何かが起こりそうな気がして
後ろ髪をひかれる想いを 明日のために振りきってしまった

恋に破れるむなしさで 酒に溺れてしまった事もある
人を信じるはかなさが 心の形を少し変えてしまった

愛をむさぼる気持ちのままに 一人の女との生活が始まり
幸福という仮の住まいに 子供の泣き声まで加わっていた

外の景色が変わっていく中で 人とのかかわりが煩わしくなり
一人の男であったはずだと 真実を隠したまま旅に出た

(中略)

家を捨てたんじゃなかったのか
家を捨てたんじゃなかったのか

今 東京駅に立ち尽くす僕は 長すぎる人生の繰り返しと同じ
大阪行きの電車は何番ホーム
繰り返し 繰り返し 旅に出ている


詩の前半部分はジローの19の頃と全く同じ。ジローに限らず、団塊の世代のその頃って誰でもが多かれ少なかれ旅に出ていたのではないか。
詩の後半では、男は流されるままにたどり着き、新しい女と生活を始めるのだが、幸いジローは最初の人(つまり今のカミサン)との生活をずっと続けている。だが、長すぎる人生の終わりが見えてくると、男はまた性懲りもなく旅に出たくなる。出たくはなるが夢のまた夢。せいぜい拓郎を聞きながらシングルモルトを口に含み夢でも追うか。

その点、相変わらず旅を繰り返しているたけちゃんが羨ましい。旅人といえば、いつぞや、たけちゃんとの酒の席で一緒になった「セイネン」も旅人だったなぁ。今頃、また旅を繰り返しているのだろうか。