実は,韓国語の単語についても,毎日コツコツと用例を収集し,単語カードを作っていた人がいた。
韓国文学者の長璋吉(チョウ・ショウキチ)氏です。
彼は,「辞典」の名を冠した二冊のエッセイを残しています。
『私の朝鮮語小辞典ソウル遊学記』(河出書房新社 1985)
『私の朝鮮語小辞典〈2〉普段着の朝鮮語』(河出書房新社1988)
どちらもウィットあふれる名エッセイです。特に,その中にある「韓国罵倒語辞典」は傑作。
ただ,氏は,47歳という若さで才能を惜しまれつつ早逝。
その遺稿集『朝鮮・言葉・人間』には,いくつかの追悼文が収録されている。
次は田中明(→リンク)の「私の朝鮮語小辞典」に対する評。
「それまでの日本の韓国談義は、いずれもイデオロギーに乗っかったラフでひ弱なものだった。ところが彼の文章はそんな一般的な風潮など歯牙にもかけず、ひたすら言葉というチャンネルをたどりながら、裸の目で韓国を見据えていた。編集(同人誌)を担当していた私は驚喜した。
現実の長君は、口が重くボソボソと小声でしかしゃべらない、色白で小柄な20代の青年だった。だが、彼は触れば切れるような鋭い言語感覚をもっていた」
次は尹学準。
「それまで韓国についての読み物といえば、どれもこれも観念のみが先走っていて、「ファッショ独裁を糾弾する」ボルテージの高いものばかりだったから、私はいい加減ウンザリしていた。そうしたところに長璋吉の「遊学記」が現れたのである。つけたりも、差し引きもない裸眼で見たソウルの風景――まぶしいほど新鮮だったし、驚きだった」
死後、彼の書庫には、彼が20年間こつこつと集めた膨大な韓国語用例カードが残されていたそうです。
「朝鮮語も勉強をしたことのある人なら誰しもが感じることだが、言語感覚のかけらもない既存の「朝日辞典」に対して、彼の不満ははかりしれぬものがあったはずである。そして、自分の手で「韓日辞典」をものするためにこのカードを根気良く集めたに違いない。
それをそっくり残したまま彼は逝ってしまった。痛恨のきわみである」
なお、小学館『朝鮮語辞典』まえがきを見れば、彼が初期の段階で編集に参加していたことがうかがわれます。
「…また,初期の段階で編集に参加されながら,我々と一緒に仕事をする機会がないままに編集から手を引かれ,病のために幽明界を異にされた長璋吉に慎んで哀悼の意を表したい。ご存命ならば貴重な助言をいただけたことであろう」(小学館『朝鮮語辞典』まえがき1992年8月)
残念ながら,彼の用例カードは生かされることがなかったようです。
韓国文学者の長璋吉(チョウ・ショウキチ)氏です。
彼は,「辞典」の名を冠した二冊のエッセイを残しています。
『私の朝鮮語小辞典ソウル遊学記』(河出書房新社 1985)
『私の朝鮮語小辞典〈2〉普段着の朝鮮語』(河出書房新社1988)
どちらもウィットあふれる名エッセイです。特に,その中にある「韓国罵倒語辞典」は傑作。
ただ,氏は,47歳という若さで才能を惜しまれつつ早逝。
その遺稿集『朝鮮・言葉・人間』には,いくつかの追悼文が収録されている。
次は田中明(→リンク)の「私の朝鮮語小辞典」に対する評。
「それまでの日本の韓国談義は、いずれもイデオロギーに乗っかったラフでひ弱なものだった。ところが彼の文章はそんな一般的な風潮など歯牙にもかけず、ひたすら言葉というチャンネルをたどりながら、裸の目で韓国を見据えていた。編集(同人誌)を担当していた私は驚喜した。
現実の長君は、口が重くボソボソと小声でしかしゃべらない、色白で小柄な20代の青年だった。だが、彼は触れば切れるような鋭い言語感覚をもっていた」
次は尹学準。
「それまで韓国についての読み物といえば、どれもこれも観念のみが先走っていて、「ファッショ独裁を糾弾する」ボルテージの高いものばかりだったから、私はいい加減ウンザリしていた。そうしたところに長璋吉の「遊学記」が現れたのである。つけたりも、差し引きもない裸眼で見たソウルの風景――まぶしいほど新鮮だったし、驚きだった」
死後、彼の書庫には、彼が20年間こつこつと集めた膨大な韓国語用例カードが残されていたそうです。
「朝鮮語も勉強をしたことのある人なら誰しもが感じることだが、言語感覚のかけらもない既存の「朝日辞典」に対して、彼の不満ははかりしれぬものがあったはずである。そして、自分の手で「韓日辞典」をものするためにこのカードを根気良く集めたに違いない。
それをそっくり残したまま彼は逝ってしまった。痛恨のきわみである」
なお、小学館『朝鮮語辞典』まえがきを見れば、彼が初期の段階で編集に参加していたことがうかがわれます。
「…また,初期の段階で編集に参加されながら,我々と一緒に仕事をする機会がないままに編集から手を引かれ,病のために幽明界を異にされた長璋吉に慎んで哀悼の意を表したい。ご存命ならば貴重な助言をいただけたことであろう」(小学館『朝鮮語辞典』まえがき1992年8月)
残念ながら,彼の用例カードは生かされることがなかったようです。
日本人にとって,地理的名称(半島)や言語名は「朝鮮」がふさわしいという感覚をもっていたと思いますが,いまになってあらためて考えると,少なくとも言語名は「韓国語」のほうがしっくりくるような気がしますね。
某延世大留学生先輩
朝鮮語辞典・・・・
このタイトルを見る度に、電子辞書の冒頭の表示であっても、目に入った瞬間に、眉間にしわを寄せて、
『ん!んん~ この辞書はおかしいですね~』
と反応する主に韓国人の方の表情を思い出します。
この表情を見る度に、この国の、、、この大韓、朝鮮という言葉のフィーリングの難しさを感じます。
長さんの仕事は無駄にならなかったのですね。
朝鮮語辞典も,そろそろ改訂してほしいなあ。