とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

人間の根幹活動の政治・社会的制御と抑制

2023-05-06 01:47:37 | 雑感
私の作業メモ。

人間には根幹活動と、その政治・社会的制御による抑制がある。

どういうことかというと、ごく簡単に言えば、死刑が存在する国では、皆それを分かった上で死刑にならないように行動する。誰も死にたくないからだ。
なので、自分の生命を保全するために自身はそう行動するし、政治での支配体制側においてはその行動原理を利用して、人々の行動を国家がよりよく運営・統治できるようにそのように刑を配置し、そしてその制御を行う。
人が〇〇になりたくないから、と言う行動原理を利用して統治をしているのだ。

こうした制御であると仮定をした上で、「じゃあ、行動原理への抑制として死刑が一番強いと言うことは分かったが、2番めに強いものは何か? 」と言うことになる。

これは伝統的社会などだと「〇〇をすると呪われる」だとか、あるいは権威主義がはびこっていれば王・領主・地頭などの命に逆らえないと言う感じになるだろう。
それに逆らえば最悪死刑、ほどほどに悪くて流罪や追放、収監などになる。

私はこれらの一般に考えられてきた「強い力」の他、「ほどほどに強いが弱くもない、中間の力」と言うものを考えていき、そしてメモを残したいと思っている。

それは何かと言うと、「自己利益を稼ぐ力」である。
日本限定で言えば、多くのサラリーマンはこの中間の力に束縛され、その行動原理を規定されている。
この「自己利益を稼ぐ力」がサラリーマン諸氏には存在しないため、人々は企業に就職しようとし、かつ、「自己利益を稼ぐ力」が組織に入ればほどほどにあるため、企業は募集公知はほどほどであっても人を収集する能力を持つ。これが束縛するがゆえ、企業の規模が大きくなるほど、自身の人生と家族の人生を養うがため、そのレールを外れないようにするために失敗を避け、チャレンジをしないような人間に形成される。

自己利益を稼ぐ力が個人にあれば、これが突破される。
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