とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

お笑いについて

2012-06-09 16:32:47 | 哲学・社会
昨今のお笑いについてだが、今一つ理解できない。
職場の若い方に勧められたのだが、世の中のお笑いの中で「キリンスマッシュ・キリンレシーブ」なるコントが面白いのだという。
早速見てみたが、シュールすぎてどこで笑うべきか分からない。
(その方にはちゃんと「よく分かりませんでした」と回答した。)

だが、お笑いの形態がなぜこのようになったのかを考えてみるのは大変面白いので、ここに考察を書く事にする。

その昔、ビートたけし氏が「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というような社会モラルに反するギャグをやっていた時は、世の中のスタンダードな見解と180度異なる方向のものがギャグになっていた。

それが、ダウンタウン松本人志氏が「冷蔵庫の上に妖精が~」とやっている時期になって、ギャグの方向が転換し始めた。180度異なった反体制ではなく、スタンダードとも、反体制や皮肉、日常的な認識のズレとも取れない、90度くらいの方向でのギャグをやりだした。そしてそうした既存のお笑いとは違う角度の「微妙な点をつく」というギャグに、ダウンタウンを先頭として、その価値が置かれた。そしてそれらの芸人を先導として、視聴者側にもその価値が置かれた。そこからだと思う。段々そのお笑いの取る角度が先鋭化していき、次第に45度違う点をついてみました、30度違う点をついてみました、とエスカレートして行ったのは。そして最近は、上述の「キリンスマッシュ・キリンレシーブ」のように、微に入り細を穿つ角度に到達したのではないか、と私は考える。視聴者側はその先鋭性を認めながらも、その笑わせる技巧が余りに細かすぎて素直に笑えないのだ。
これは私個人の意見だけでなく、その時コントをやっていた芸人が「僕らも何でこれがウケているのかよう分からんです」と言い、ダウンタウン松本人志氏は「それは言うな!」とコメントを入れていたので、技巧的にはよくぞそこをついたという事なのだろうが、観客や試聴者だけでなく、芸人にとっても分かりにくい、素直に笑えないというのがこのコントに関する一般論なのであろう。

と自己分析は入れたものの、これをして現在のお笑いについてどうこう言うつもりはない。元々私はお笑いのプロでなんかないし、見ている方としては、面白い/面白くないを単純に判定するだけだ。お笑いや(あるいはお笑いだけでなく、人の生きる道というものには、)こうすべきだ、というルールは無い。もし有るか無いかを選択する場合には、社会には極力そうしたものは無い方が良い。トップダウンでルールを縛るケースよりも、必要最低限のレールのみを用意し、ボトムアップで個人個人にそうした活動を任せるのが良い社会が構築される、と私は考えている。

苗の植え方から、食糧の保存方法までを全て金正日の指導の元によりトップダウンで行っていた北朝鮮体制と、経済活動を個人に任せ、自由に切磋琢磨させているアメリカなどの自由主義国を見れば良いだろう。

あるいはトップダウンでやっている「K-POP」と、ボトムアップでやっている「初音ミク」を比較しても良い。

本当に活気が出て、本質的に文化や社会産業へ根付くのはどちらの方であるか。
それを考えた場合、これは否定して淘汰するではなく、どのようなものでも肯定して残しておいた方が良い。多様性の確保は文化の醸成に必須である。私はこの「キリンスマッシュ・キリンレシーブ」には笑う事はできなかったが、私の感覚など絶対ではない。むしろ私の感覚は普遍的でない、突飛で得意な方向に、先鋭的に向かっている。そして別の方向へ向かうある種の先鋭が認められるこの方向性を、面白いと思う人達によってより進化させた方が、社会にとってより良いものを作り出せるのではないだろうか。
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日常:

2012-06-09 15:04:26 | 最近の出来事
先日木曜日は非常に運が良かった。
バスを掴まえられ、電車も座れた。ぷらっと寄った駅前のCDの即席売り場で、よさげなJAZZ関係のCDがあったのでこれを三枚買った。


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