一昨年10/05にアップした連載記事の012号で、川内川へ流れ込む三堂川にかかっていた鉄橋跡の場所について触れました。
国土交通省の三堂川排水機場の前です。
私がよく通る場所なのですが、鉄道の路盤だった場所は柵に囲まれたままになっています。
違法駐車をさせないためなのか、それとも近々何らかの工事が行われるのか分かりませんが、去年からずっと囲まれたままです。
とりあえず、ご報告まで。
さて、天辰町は川内の中心部・平佐の北側にあるのどかな田園地帯でしたが、再開発で区画が整理され、昔ながらの景色がどんどん変化しています。
私の元同僚や知人も転居・新築をしました。
この工事が進んでいけば、この先にある藪に埋もれた切り通しの区間、皿山川鉄橋や踏切の信号器のボックスも将来的には姿を消すことになるのかなと思います。
ここの切り通しには、境界標はもとより、距離標もですが、宮之城線跡地で唯一の勾配標が残っています。もちろん倒れていますが・・・
ちなみに、下の写真の信号器のボックスのある踏切跡は、工事用の車両の出入り口になっており、私が訪れる時にはいつも交通整理の方が立っています。写真を撮る私の姿を怪訝な表情で見ていました。
この先、薩摩白浜・楠元駅辺りまでは特に去年と変化のない景色でした。
国土交通省の三堂川排水機場の前です。
私がよく通る場所なのですが、鉄道の路盤だった場所は柵に囲まれたままになっています。
違法駐車をさせないためなのか、それとも近々何らかの工事が行われるのか分かりませんが、去年からずっと囲まれたままです。
とりあえず、ご報告まで。
さて、天辰町は川内の中心部・平佐の北側にあるのどかな田園地帯でしたが、再開発で区画が整理され、昔ながらの景色がどんどん変化しています。
私の元同僚や知人も転居・新築をしました。
この工事が進んでいけば、この先にある藪に埋もれた切り通しの区間、皿山川鉄橋や踏切の信号器のボックスも将来的には姿を消すことになるのかなと思います。
ここの切り通しには、境界標はもとより、距離標もですが、宮之城線跡地で唯一の勾配標が残っています。もちろん倒れていますが・・・
ちなみに、下の写真の信号器のボックスのある踏切跡は、工事用の車両の出入り口になっており、私が訪れる時にはいつも交通整理の方が立っています。写真を撮る私の姿を怪訝な表情で見ていました。
この先、薩摩白浜・楠元駅辺りまでは特に去年と変化のない景色でした。