ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今 2011冬  ②川内・天辰町

2011年02月07日 21時44分49秒 | Weblog
 一昨年10/05にアップした連載記事の012号で、川内川へ流れ込む三堂川にかかっていた鉄橋跡の場所について触れました。
 
  

 国土交通省の三堂川排水機場の前です。

 私がよく通る場所なのですが、鉄道の路盤だった場所は柵に囲まれたままになっています。

 違法駐車をさせないためなのか、それとも近々何らかの工事が行われるのか分かりませんが、去年からずっと囲まれたままです。


 とりあえず、ご報告まで。


 さて、天辰町は川内の中心部・平佐の北側にあるのどかな田園地帯でしたが、再開発で区画が整理され、昔ながらの景色がどんどん変化しています。
 私の元同僚や知人も転居・新築をしました。

 この工事が進んでいけば、この先にある藪に埋もれた切り通しの区間、皿山川鉄橋や踏切の信号器のボックスも将来的には姿を消すことになるのかなと思います。
 ここの切り通しには、境界標はもとより、距離標もですが、宮之城線跡地で唯一の勾配標が残っています。もちろん倒れていますが・・・

 ちなみに、下の写真の信号器のボックスのある踏切跡は、工事用の車両の出入り口になっており、私が訪れる時にはいつも交通整理の方が立っています。写真を撮る私の姿を怪訝な表情で見ていました。

  

 この先、薩摩白浜・楠元駅辺りまでは特に去年と変化のない景色でした。



 

 

 
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国鉄・宮之城線の今 2011冬  ①川内駅

2011年02月06日 21時55分13秒 | Weblog
 先週日曜日にkuo-taさんと椿越トンネルまでの路盤跡の探検に行ってきましたが、その途中見えた宮之城線跡の変化はかなり激しいものでした。

 そもそも、「国鉄・宮之城線の今」の連載を始めたのは、旧船木駅の山崎側の路盤を2車線の車道とする拡幅工事に気づいたことからでした。

 仕事の関係で川内に住んで以来17年。
 意識して線路跡を見てきたわけではありませんが、興味は持ってたまには家族で探検に出かけたものでした。

 ただ、現在の変化はかなり激しいレベルに達しているのではないかと思われます。

 そこで、各地で工事が進められている現状を、お知らせしたいと思います。
 題して「国鉄・宮之城線の今 2011冬」

 今回は、駅の区間ごとにまとめていくので、連載回数としては少ないと思います。

 というのも、kuo-taさん曰く、さつま町方面の工事がこの3月には終わるからとのこと。工事が完了したら、それはそれで再び取材したいと思います。

 今日、川内から伊佐まで一気に取材しました。



 
 まず、川内です。
 川内は九州新幹線開業以来、駅の東側の平佐地区の区画整理・再開発がかなり急ピッチで進められています。
 かつて駅の東側は、住宅地ではありこそすれ、やはり「駅裏」というイメージはぬぐえず、駅の西側に商店街が集中していました。
 そこに、東横インや高層マンションが並び立ちました。それだけでも雰囲気はすっかり変わりました。
 工事はあちこちで進められています。

   

 写真には、そのビルを背景にして、手前にある工事現場が写っています。

 これが、この連載のスタートになります。

 ここは川内駅構内ですが、路盤の下を春田川が流れ、その横がガードになって車道になっていました。川内駅の東と西を結ぶ貴重な道路でした。
 ただ、ガードの高さが低い、幅が狭くて離合ができないという難点がありました。そこで、地面を掘り下げて、拡幅も行い、立派な立体交差にしようという工事です。

 今日現在、東側は下の写真のようにかなり進んでいました。

  


 西側はこれからという感じです。

  

 工期は3月25日までなので、これからこの西側も急ピッチで工事が進むものと思われます。

 さあ、気になるのは、宮之城線がらみの場所です。

  

 上の白い構造物は新幹線の高架です。重機がどんどん地面を掘り下げています。

 宮之城線は重機の奥に写っている赤茶けた部分・ガードです。
 石積みの橋脚がちらっと見えていますがお分かりでしょうか。

 緑色のアームの下に写っているのが旧道ですが、この旧道にどういう処置を施すのでしょうか。
 もちろん、市役所かJR九州に問い合わせれば教えてくれるとは思いますが、聞いたからと言って、何事かが変わるわけでもないでしょうから、工事の完了を待つしかありません。

 春田川沿いの橋脚部分は新しい道路には直接はかからないし、橋脚の上にガードが乗っかっているわけでも、その先に線路跡があるわけでもありませんから、この橋脚は残されるのではないかと私は思っています。

 ただし、橋脚の先にあった築堤は既に削り取られていました。

  

 
 少しずつですが、宮之城線の跡をたどる物証がここでも消えるんだなと思いました。

 
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再び、痛風が・・・・・

2011年02月06日 21時44分34秒 | Weblog
 先週日曜日の寒さ・積雪からすれば、この一週間、実に暖かくなりました。
 
 この冬の寒波もこれでオシマイとみんな言い始め、本当にそうであればいいなと期待をしていた矢先、1年ちょっとぶりに痛風が再発してしまいました。

 原因はもつ鍋です。久々に食べたのですが、ぱくぱくと食べてしまいました。

 翌日から右足の親指の付け根の辺りがじくじくしだし、それは次第に痛みになりました。
 前回の経験があったので、とにかく水分摂取を心がけてきました。

 もちろん、ランは中止せざるをえません。

 
 やっと少し落ち着いてきました。

 
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4本の橋脚の今 ~新人テッドさんのリクエストにお応えします~

2011年02月04日 23時47分58秒 | Weblog
 去年、取材しこねた鉄橋の4本の橋脚の姿を紹介します。
 前後の姿は去年の5月の連休あたりで触れていますから、ぜひ参照なさってください。

 まずは、鉄橋の手前から・・・・・

   

 ここまでは、現在なら一般車両でも入ることができます。
 ただし、路面のでこぼこには十分ご注意くださいね。

 まずは1本目です。急な傾斜の途中にありました。先の写真のガードレールから10m程度の場所です。

   

 2本目以降もそうなのですが、土台近くの1mまでを残し、上部はハツられています。


 これは2本目。

   

 土台全体がしっかりと見えます。


 そして、谷間の小川を渡河してすぐの竹藪の中に3本目がありました。

   


 1本目と似たような状態です。

 さらに、4本目です。

   

 kuo-taさんの足が写っているので、その大きさが分かると思います。
 ここからは、すぐ上には橋台が見えました。

   

 けっこうハードな区間ですが、季節が動植物に苦しめられることも少なくクリアできました。


 
 ところが、この探検の後、現役時代の写真を見てみると、どうも5本の橋脚があったのではないかと思わざるをえないのです。
 それも見落としたのは、ど真ん中の最もごつい橋脚です。

 この時の探検の時には、そのような遺構は全くありませんでした。
 見落とすというには、前後の橋脚の保存状態と比較して、明らかにおかしいのです。

 再確認しなければなりません。
 
 もう一つ言えば、椿越トンネルの南側出口近くの広い場所の謎。「国鉄・宮之城線の今」連載中には保線車両用の引き込み車線があったのではないかと推測したポイントについても新たな発見をしました。

 再度、この区間を訪問して調査したいと思います。
 
 

 


 
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