
舗装されている道路はここまでです。
ここからは右折して住宅に挟まれた方へ行くか、左折して国道に出るしかありません。
線路はこの先の砂利道へと伸びていました。
が、ここで、現在の様子と鉄道現役時代の大きな違いを踏まえておかなければなりません。
この交差点は踏切になっていました。
現在では、交差点から約60mほどで「ある場所」つまり川内川の堤防にぶつかります。
左隣りに写っている国道の橋は同じ辺りから橋として、宙に浮いているのですが、1974年頃の航空写真を見ると、この橋はまだ存在せず、もう少し西側にありました。まだ橋脚が立ったばかりだったようです。
では、線路はどうなっていたかというと、現在堤防のある辺りから先にも田んぼが広がり、川の流れのすぐそばまでありました。
ですから、1974年頃、現在の堤防から川にさしかかるまでの区間が築堤だったのか、橋脚の短い鉄橋だったのか判然としません。
航空写真では線路の横に濃い影が写っているので、鉄橋になっていたものと推察されますが・・・
ここからは右折して住宅に挟まれた方へ行くか、左折して国道に出るしかありません。
線路はこの先の砂利道へと伸びていました。
が、ここで、現在の様子と鉄道現役時代の大きな違いを踏まえておかなければなりません。
この交差点は踏切になっていました。
現在では、交差点から約60mほどで「ある場所」つまり川内川の堤防にぶつかります。
左隣りに写っている国道の橋は同じ辺りから橋として、宙に浮いているのですが、1974年頃の航空写真を見ると、この橋はまだ存在せず、もう少し西側にありました。まだ橋脚が立ったばかりだったようです。
では、線路はどうなっていたかというと、現在堤防のある辺りから先にも田んぼが広がり、川の流れのすぐそばまでありました。
ですから、1974年頃、現在の堤防から川にさしかかるまでの区間が築堤だったのか、橋脚の短い鉄橋だったのか判然としません。
航空写真では線路の横に濃い影が写っているので、鉄橋になっていたものと推察されますが・・・
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