今日、原子力委員会は「06年版原子力白書」を公表した。その中で「(電力会社は)安全を最優先し法令を順守することが必要」との見解を白書に添えて配布するらしい。それはそれでけっこうなことだ。
ただ、「安全性の確保」をうたうことで、原子力政策には少し変更もなされず、むしろ地球温暖化問題解決のための重要な手段であるとすることに対しては異議を唱えたい。また安全確保と並んで「放射性廃棄物の適切な管理」が盛り込まれたことによって廃棄物処分場の建設が強権的に進められる根拠とされかねないことも懸念材料の一つだ。
どんなに美辞麗句を並べようと、法的に整備がなされたとしても、最終的には「人間の問題」であることは、この間の事故隠蔽を見ればよく分かる。鹿児島県においても、原発のある選挙区から選出されている原発反対の県議が厳しい指摘を続けることによって、県当局も電力会社も管理を厳しくせざるをえなかったと、県の関係部局の方が話したと聞いた。
むしろ、「安全を最優先」と異例の扱いで言うこと自体、「安全が最優先されていない」実態の裏返しでしかなく、むしろ地元の電力会社は・・・と疑いたくなるのである。「当たり前」のことが「当たり前でない」企業風土、それにべったりの政権与党の方々、そこらの「人間」の問題なのだと思う。
ただ、「安全性の確保」をうたうことで、原子力政策には少し変更もなされず、むしろ地球温暖化問題解決のための重要な手段であるとすることに対しては異議を唱えたい。また安全確保と並んで「放射性廃棄物の適切な管理」が盛り込まれたことによって廃棄物処分場の建設が強権的に進められる根拠とされかねないことも懸念材料の一つだ。
どんなに美辞麗句を並べようと、法的に整備がなされたとしても、最終的には「人間の問題」であることは、この間の事故隠蔽を見ればよく分かる。鹿児島県においても、原発のある選挙区から選出されている原発反対の県議が厳しい指摘を続けることによって、県当局も電力会社も管理を厳しくせざるをえなかったと、県の関係部局の方が話したと聞いた。
むしろ、「安全を最優先」と異例の扱いで言うこと自体、「安全が最優先されていない」実態の裏返しでしかなく、むしろ地元の電力会社は・・・と疑いたくなるのである。「当たり前」のことが「当たり前でない」企業風土、それにべったりの政権与党の方々、そこらの「人間」の問題なのだと思う。