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『四国八十八ヶ所巡りへ』 第24番札所から第34番札所まで<第二弾>

2014-11-15 14:35:21 | 四国八十八か所巡り

<第一弾> 第26番札所 金剛頂寺(西寺)から続く 

 

 

第27番札所 神峯寺

 

 

神峯寺の歴史・由来

神峯山中腹の標高450メートルに山門、境内が広がる。
縁起による歴史の古さは屈指で、神功皇后(在位201〜69)の世に勅命で天照大神などを祀る神社が起源とされる。聖武天皇(在位724〜49)の勅をうけた行基菩薩が天平2年に十一面観音像を彫造して本尊とし、神仏合祀を行った。その後、弘法大師が伽藍を建立し、「観音堂」と名付けたのが大同4年(809)のころとされている 

 

        

  

 

神峯の水

鐘楼の裏手に湧く石清水は急坂で疲れた参拝者の喉を潤してくれます。

この水は病気平癒に霊験あらたかであるという言い伝えがあり、数多くの伝説が残されており、

土佐の名水に選定されています   もちろん、一口ゴクリ

 

 

 

 

 

 

第28番札所 大日寺

 

        

大日寺の歴史・由来

縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が大日如来の尊像を彫造し、堂宇に安置して開創されたと伝えられる。その後、寺は荒廃したが弘法大師が四国を巡教された弘仁6年(815)、末世の人々の安泰を祈り、楠の大木に爪で薬師如来像を彫られ、これを祀って復興されたという。
以後、隆盛を誇り、七堂伽藍や末寺、脇坊も備わり、17世紀初頭の慶長年間(1596〜1615)からは土佐藩の祈願寺となって、堂塔も整備された。しかし、明治新政府の神仏分離令によって一時は廃寺となったが、本尊は「大日堂」と改称した本堂に安置していたので救われ、明治17年に再興されて現在にいたっている。

  

 

  

第29番札所 国分寺

  

 国分寺の歴史・由来

土佐の国分寺といえば、平安中期の歌人、紀貫之(868〜945頃)が浮かんでくる。とくに貫之が著した『土佐日記』は、女性の筆に託して書かれた仮名日記であることはあまりにも有名であるし、貫之が国司として4年間滞在した国府は、国分寺から北東1kmほどの近くで「土佐のまほろば」と呼ばれ、土佐の政治・文化の中心であった。
聖武天皇(在位724〜49)が『金光明最勝王経』を書写して納め、全国68ヶ所に国分寺を建立したのは天平13年のころ。土佐では行基菩薩が開山し、天下の泰平と五穀の豊穣、万民の豊楽をねがう祈願所として開創された。歴代天皇からの尊信が厚く、加護をうけてきた。
縁起によると、弘法大師がこの地を巡錫したのは弘仁6年(815)のころで、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置された。その際に本堂で真言八祖に相承される厄除けの「星供の秘法」を修められた。以来、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている

         

  

こんな地蔵尊もありました

   

酒断(さけだち)地蔵尊

もとは国分寺の末寺、香美市穴内地区の佐比谷寺に祀られ、篤く地元の人々の信仰を集めていたお地蔵様。

参勤交代の道中は、藩主が必ず立ち寄り安全祈願をしたという。

昭和35年頃国分寺へ移され一言地蔵として親しまれていたが、

断酒を願いご利益を得たという話が広がり、酒好きな県民性も手伝ってか今も多くの参拝者が訪れているそうです

誰の事を思い出したかは秘密です(自分の事では無いよ!!!)

 

第30番札所 善楽寺

       

善楽寺の歴史・由来

高知城へは約6km、JR高知駅まで約4kmというこの辺り一帯は、往時「神辺郷」といわれ、土佐では最も古くから栄えた地方である。 縁起によると、桓武天皇が在位(781〜806)されていたあとの大同年間に弘法大師がこの地を訪れ、土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として、善楽寺を開創され霊場と定められた。
以来、神仏習合の寺院として法灯の護持につとめ、神仏の信仰を啓蒙して栄えている。とくに土佐2代藩主・山内忠義公のころには武門の庇護をうけて寺は興隆し、繁栄をきわめた。だが、明治新政府による廃仏毀釈の難を受けて寺運は一変し、昭和4年に再興されるまで苦難の日々が続いた。その後、2ヶ寺で納経ができるなど混迷の時期を経て、平成6年1月1日を以って「善楽寺」は第三十番霊場として現在にいたっている。

 

 

ここでは、別府からの歩きお遍路の男性と、しばしおしゃべり

今回は高知を公共の交通機関も使いながら歩かれているそうです

「前は全部歩いていたんだけどね」・・・・との事

でも、お年を訪ねると「80才以上」  驚き!驚き!でした

 

おまけ  土佐神社

   善楽寺とお隣さんでした 

 

 

第31番札所 竹林寺

 竹林寺の歴史・由来

♪土佐の高知の播磨屋橋で坊さんかんざし買うを見た…で有名な「よさこい節」の舞台であるほか、学僧・名僧があつまる「南海第一道場」とされた学問寺院としても知られる。鎌倉から南北朝時代の高名な臨済宗の学僧、夢窓国師(1275〜1351)が山麓に「吸江庵」を建てて修行、2年余も後進の育成に努めた。また、門前横には高知が生んだ世界的な植物学者、牧野富太郎博士(1862〜1957)の記念館と県立牧野植物園があるように、土佐の信仰や文化の中心地とも、土佐随一の名刹ともいわれた。
縁起では、神亀元年ころ、聖武天皇(在位724〜49)が中国・五台山に登り、文殊菩薩に拝した夢を見た。天皇は、行基菩薩に五台山の霊地に似た山容を見つけるよう命じた。行基菩薩はこの地が天皇の霊夢にふさわしいと感得、自ら栴檀の木に文殊菩薩像を彫り、山上に本堂を建てて安置した。その後、大同年間(806〜10)に弘法大師がここに滞在して瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復、霊場にされたという。

 

この時は、特別の拝観があり、この竹林寺はほかのお寺に比べても人手がすごかった気がしました 

 

      

 

五重塔

昭和55年の建立。高さ31.2mメートル、総檜造り、鎌倉時代初期の様式。県内唯一の五重塔。

 紅葉はまだまだ先でした。でもこのもみじが赤く染まると、さぞかし美しい風景なんだろうなぁ

庭園を見るだけでも、訪れる価値が有るところでした

 

第32番札所 禅師峰寺

 

禅師峰寺の歴史・由来

縁起によると、行基菩薩が聖武天皇(在位724〜49)から勅命をうけて、土佐沖を航行する船舶の安全を願って、堂宇を建てたのが起源とされている。のち、大同2年、奇岩霊石が立ち並ぶ境内を訪れた弘法大師は、その姿を観音の浄土、仏道の理想の山とされる天竺・補陀落山さながらの霊域であると感得し、ここで虚空蔵求聞持法の護摩を修法された。このとき自ら十一面観世音菩薩像を彫造して本尊とされ、「禅師峰寺」と名付け、また、峰山の山容が八葉の蓮台に似ていたことから「八葉山」と号した。

ここのお寺は、何よりも本堂に向かう階段の横にあった「奇岩」が印象的でした 

 

 

 

 境内からの眺め・・・土佐湾の爽快な景色が一望できます。東に手結岬、西に桂浜になります

 

ここも、階段を良く歩いたなぁ~~~ (と思いながら、立ってたかも 笑)

 

 

第33番札所 雪蹊寺

 

雪蹊寺の歴史・由来

土佐湾の桂浜は、白砂の美しい月の名所として知られる。幕末の志士、坂本龍馬の銅像が立っていることでも名高い。雪蹊寺はそこから西へ約4キロほどである。雪蹊寺の縁起は、まず3つの特色から挙げておく。
1つ目は、四国八十八ヶ所霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院であること。弘法大師によって弘仁6年に開創されたころは真言宗で、「高福寺」と称した。その後、寺名を「慶運寺」と改めているが、廃寺となっていた寺を再興したのは戦国時代の土佐領主・長宗我部元親公で、元親の宗派である臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招き、中興の祖とした。元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改め、今日にいたっている

 

 

 

もう、徳島市の街中に入ってきています

お寺の境内の中は静かですが、一歩外に出ると車の通りも多いのです

そして、今日の最後のお寺へ、向かいました 

 

 第34番札所 種間寺

   

種間寺の歴史・由来

種間寺も、土佐湾の航海に結びついた興味深い縁起が伝えられている。
6世紀のころである。敏達天皇の6年(577)百済の皇子から多くの経論とともに、仏師や造寺工を贈る旨の勅書がとどいた。彼らが渡来したのは用明天皇(在位585〜87)の時代、大阪・四天王寺の造営にあたった。ようやく落慶し、その帰途の航海中であった。土佐沖で強烈な暴風雨におそわれて、種間寺が建つ本尾山にほど近い秋山の港に難を逃れて寄港した。彼らは、海上の安全を祈って約145cmの薬師如来坐像を彫造し、本尾山の山頂に祀った。これが寺の起源とされている。

その後、200年以上が経過して、唐から帰朝した弘法大師がこの地を訪ねたのは弘仁年間である。大師はその薬師如来像を本尊として安置し、諸堂を建てて開創された。その折に唐からもち帰った種子の米、麦、あわ、きび、豆またはひえの五穀を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けたといわれる。

 

 

高知の弘法大使の像は、どれも結構恰幅が良かった気が

これも、若々しい雰囲気を漂わせてるように思いました

 

えびすさまにしっかりと抱き付いて、なでなでしてきたよ

 

 

これで、徳島の札所は打ち終える事ができました

高知は車での巡礼で、あわただしくも有りましたが、

そんな中でもお会いした方とお話したりなど、楽しい時間を過ごせた気がしています

 

自分達、家族、ウォーキングで知り合った友人、周りの方々の健康を祈願しての

二人のお遍路珍道中はまだまだ続きます

 

 

そして、この夜は徳島市内に宿泊

ホテルの宿泊サービスのウェルカムドリンク  美味しい~~~♪

 

夜も街中へ・・・・・ 

 

  

 

 

ひろめ市場を覗いてから(人が多くて座れなかった  残念)

居酒屋で夕ご飯

   鰹のタタキサラダ

鰹キョウザ  

 金目鯛の煮つけ

 

どれも美味しく頂きました

 

 

明日は、再び愛媛の八幡浜へ。途中で、愛媛県のお寺をお参りします

 

 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
資料整理が大変ですね (小太郎)
2014-11-17 14:24:20
こんにちは。
之だけのお寺を廻ると資料整理が大変ですね。
詳しく説明されていますのでわかりやすいです。有難うございます。
私、前回西国道歩きで「門戸厄神」に行ったとき、「男坂」「女坂」「厄坂」があり、ここと同じだなと思いながら読みました。
「ひろめ市場」は人が多かったでしょう。
たくさんのお店があり、何を食べていいか迷うくらいです。高知の人の話では、カツオタタキのお店に言えば、席を予約してくれるそうです。
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写真整理、大変でした(笑) (ぼくちゃん 相棒)
2014-11-17 17:59:52
こんばんわ
そうでした 結構大変でした(笑)
ぼくちゃんが沢山写真を撮ってくれていたので、どれを載せたらいいかなぁと随分迷いましたよ
ようやく整理がついたのですが、今度の土日はまた新たなお遍路です  
嬉しい悩みですね・・・・ 

ひろめ市場、大変な混雑でした
二人で何周かグルグルしたのですが、とても座れそうになかったのであきらめました
でも、居酒屋さんも高知名物が色々とあって美味しい時間を過ごせました
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ブログとDB (ひろし爺1840)
2014-12-14 07:21:52
 ぼくちゃん&相棒さん、お早うございます。
今朝は此方も雪がチラホラ舞ってます。
四国遍路を判り易く纏められ素敵ですね。
見落とした所も登場し懐かしいショットでした。
また今回のDBを見せて頂ました。
阿蘇の山々も白くなり美しい姿を見せてくれてますね。
阿蘇神社と共に居ながらにして、一緒にドライブさせてもらった気持ちになりました。
またのご招待をお待ちしていま~す!
ひろし爺1840
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ひろし爺さまへ (ぼくちゃん 相棒)
2014-12-14 21:30:21
こんばんわ
寒い・寒い日が続きますね
昨日は霙交じりの一日でしたが今日は薄日も射していました
いつもコメント&ご訪問ありがとうございます
阿蘇も雪化粧して、夏の風景とは違う姿を見せてくれました
少し早いですが、良いお年をお迎えください
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