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『四国八十八ヶ所巡りへ』 第84番札所から第86番札所まで(第1弾)

2015-04-25 18:15:56 | 四国八十八か所巡り

 

今回は、夜行バス の往復で、北九州⇔高松へ  84番 屋島寺 ・ 85番 八栗寺 ・ 86番 志度寺 を一日で回りました

しかし、行く時から若干トラブル有り  夜行バスが途中で故障の為 広島県三原市の高坂(たかさか)パーキングエリアで、2時間ばかり停車

一旦、修理して走行開始しましたが、結局は 瀬戸大橋手前の与島PAで後続車に乗換。坂出には、予定より約1時間ばかり遅れての到着でした

色々な所に旅行にも行きましたが、こんなトラブルは初めてでした    まあ、色々な事が有るものです

 

でも、7時半前の坂出発の快速マリンライナーで無事に乗ることが出来、高松に到着

あんまり遅くならなかった。良かったと一安心

 

高松駅では、坂出駅で見かけた「サンライズ瀬戸」が停車中でした   

これも、一度は乗って見たい列車ですね    記念撮影です (到着が遅れたねぇと言いつつ、結構余裕

  

高松駅で、朝食を食べていざ出発です    まずは、腹ごしらえからね

 

 

 

高松駅からコトデンに乗り換えて 潟元駅へ 

    

ここから屋島へ登ります(下の地図の赤いところが登ったルートです)

 

  

登山口手前で見かけた≪ブタ≫  まだ住宅地の中ですが、まるで飼い犬の様に敷地をウロウロ  これにもビックリ 

 

そして、いよいよ上りが始まる  舗装はしてありましたが、なかなか急な坂道で、上り始めてすぐ、汗ダクダクに



☆屋島御加持水☆


弘法大師が屋島寺に向かう途中の上り坂で休憩したが、喉の渇きを潤す水が辺りになく、不便をかこつ衆生のためにと加持祈祷したところ、岩の間から清水が湧き出たという
伝説がある。干ばつで各地の池や井戸が枯れても、この水は枯れることがないそうです。また、路傍の石碑の「加持水」の文字は大師の筆跡と伝えられています。

  

 ぼくちゃん ポーズ  

 

 坂道をゆっくり登ります  ハイキングコースなのか、お遍路さん以外にも 沢山の方が登られてます

 

     出会いを通して自分に出会う   登ってる時は無心かな 

 

☆喰わずの梨☆ 

この屋島寺へ行こうと弘法大師は,屋島の山麓までたどり着かれた。破れた衣のみすぼらしいお坊さまは,喉がかわいてしょうがない。どこかに水でもないかとさがしてみるのだが,見あたらない。ふと,むこうを見ると一本の梨の木がある。たわわに実った梨を,おばあさんがもいでいる。

 「もし,おばあさんや。その梨,ひとついただけんもんかいの。喉が乾いてからからじゃ。」喉ばかりか,朝から何も食べてないお坊さんは腹もペコペコ。

このみすぼらしいお坊さんを,じろりと見たおばあさんは, 「この梨はのう,水気がのうて食えたしろものではないのじゃ。どこぞ他所でもろうてくだされや。」 と,梨一つ恵むのをものおしみした。

「食えんのならしょうがないわ。じゃましたのう。」 お坊さまは,余計に疲れが増したようにひょろひょろと山を登りはじめた。

山を降りたおばあさんは,町へ梨を売りに行った。ところが,どの梨もこの梨も固くて食べることができない。思い切り歯を入れてみても水気もなく,食べることができない。

屋島寺の方へ行かれた破れ衣のお坊さまは,弘法大師だったのだ。それから,この梨の木は,どんなに実がなっても食べることのできない,食わずの梨になってしまった

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここには、「やすみところ」の石柱もあり、ほっと一息つきます 

 

随分登って来ました 

 

☆畳石☆

畳を何枚も重ねたような形をした奇岩。讃岐岩質安山岩が水平方向に発達したものです。

名前の由来は、西行法師の「宿りしてここにかりねの畳石、月は今宵の主ならん」という歌からと伝えられています。

 

 

 

    

        しばし、休憩    登山道にはこんな休憩場所もあります

 

 

  あと 200メートル  頑張るよ

 

屋島登山の番付表が掲示されていました。

遍路道を歩く人を登録、何回登ったかを自己申告してもらって 番付表にし、心身の健康づくりをしているそうです。千回以上の大横綱が、五百回以上の横綱等々・・・・

ここまでフウフウ言いながら私たちは登って来ましたが、みなさんすごいなぁ~~と思いながらこの看板を見ていましたけどね(笑)

 

 

そして、ようやく ようやく   屋島寺の仁王門前に到着    やったぁ~~~(まだ、予定の1つ目何だけどね)

 

  

 

 

<仁王門> 

   

 

 

内門をくぐると、本堂にお参りする事が出来ますが、せっかく屋島まで来たので周辺を散策して見ました

 

屋島寺周辺には色々な見どころがあります。源平の屋島の古戦場であるので、その遺跡も色々な所で見る事が出来ました

 

 

☆源平屋島合戦800年祭供養碑☆

寿永4年(1185年)、早春の屋島に繰り広げられた源氏・平家の合戦は滅びるものの哀れと、追うものの雄々しさを描く一巻の絵巻物として現代も語り伝えられ数多くの史跡が点在しています。源平屋島合戦800年にあたり寿永の昔を偲び、合戦戦没者の供養を弔う碑である。

 

お土産店の通りの先には、「獅子の霊巌」というとても見晴しの良い展望台です

  

☆獅子の霊巌☆


屋島寺の西150米の所、高松港に面した断崖に大きい岩が突き出ている。その形が獅子の頭に似ているので、こう呼ばれている。弘法大師が屋島寺を建てたとき、未だ完成しない内に日が没りかかったので大師はここに立って日を招いた所、日が高く舞い上がったので一日の内に完成することができたという伝説がある。

 目の前には、高松の街、瀬戸内海、桃太郎伝説のある高松市の沖合わずか約4㎞の距離にある女木島(桃太郎伝説の鬼が住んでいたとの言い伝えから、別名「鬼ヶ島」と呼ばれる小さな島) 前回登った五色台、瀬戸大橋などが広がっていました

こんな風景が見えます

 

☆かわらけ投げ☆


合戦に勝った源氏の将兵が陣笠を山上から投げて勝どきをあげた古事にならい、小さな素焼きのカワラケを投げ飛距離を競うもので、屋島名物の一つ。一見、せんべいのような小さい皿状の土器を投げて開運や厄除けを祈願するします

 

ということで、私も挑戦しました!

 遠投力ではなく風にうまく乗せるのがコツ。戦勝にちなみ、受験の合格祈願にも霊験があるとか。 

 

 結果・・・・・ 見事、すべて穴から外れました     まあ、良いとしましょう 

 

記念写真  ピース 

 

 

☆可正桜 (かしょうざくら)☆


可正桜は、高松藩士松平半左衛門可正が老後の楽しみとして寛文5年(1665)に、屋島寺石段の左右に7株を植えました。 そのうち6株は枯れ、残った1株を現在の地に移植したものです。 可正は次のような歌も残しています。   「花の時 人きてもしも問うならば 可正桜と名を知らせてよ」

 

 

散策も終わり、今度こそ、屋島寺へお参りです

 

 

第84番札所 屋島寺

屋島寺の歴史・由来

屋島寺は、天平勝宝のころ鑑真和上によって開創されたと伝えられる。鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。翌年、東大寺に船で向かう途次、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたという。のち和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立して精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職になった。

弘仁6年(815)、弘法大師は嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願を受けて屋島寺を訪ね、北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に移し、また十一面千手観音像を彫造し、本尊として安置した。以後、大師は屋島寺の中興開山の祖として仰がれている

 

<本堂>

 

 

 

<大師堂>

 

 

 <蓑山大明神(屋島太三郎狸)>

日本各地の民話に登場する化け狸の中でも、特に有名な三匹の狸。佐渡・淡路そして屋島に住むと言われる日本三名狸です。ジブリ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」でも大活躍をしたのを覚えて見える方もあるのではないでしょうか?

その三匹の中でも屋島に住む太三郎(たさぶろう)狸は一夫一妻で知られ、家庭円満・夫婦円満・子宝授けの神として信仰されています。

                

鳥居の入り口に立つ夫婦の狸は本当に幸せそうな様子! これぞ夫婦円満そして家庭円満の姿を現わしているそうです。

◎四国新聞の記事から   

 http://www.shikoku-np.co.jp/feature/nokoshitai/densetsu/3/

前に立って是非その狸パワーを頂いて来ました。素敵な笑顔を持ち帰る事の出来るお勧めのパワースポットだそうです

 

 

 

 

 

 屋島寺のお参りを終わり、八栗寺へのお遍路道に足を進めます

 

 

   

 

屋島寺の入り口の所で、ボランティアガイドさんが途中まで観光案内をして下さいながら、同行して下さいました

色々な興味深いお話を聞く事が出来ました   有難うございました 

 

☆血の池 別名 「瑠璃宝池」☆

弘法大師が屋島寺伽藍を南嶺に移す際、「遍照金剛、三密行所、当都率天、内院管門」とお経を書き、宝珠とともに納めて池にした、との伝説が残るスポット。竜神が宝珠を奪いに来るという言い伝えもあります。源平合戦のとき、檀ノ浦で戦った武士たちが血刀を洗ったため、「血の池」と呼ばれるようになりました

 

 

 

☆源平古戦場展望台から☆

 

 標高375mの五剣山が目の前に見えます  その8合目あたりに 次の札所 八栗寺があります

 山上に5つの大きな峰が存在するため「五剣山」名前がついたそうですが、(地元では八栗山(やくりさん)とも呼ばれる)、5つの峰のうち1つは1707年(宝永4年)の宝永地震で割れてしまったそうです。なので、ガイドさん曰く、「4.5剣山なんだよ」と・・・・・    今で言う、南海トラフ地震だそうです。その時に、富士山の大噴火も有ったと話されていました

 

 

下りのお遍路道に入ります。ガイドさんとは、ここでお別れ 

歩きにくい、石ゴロゴロの急な下り坂が続きます

 

 

後から、来られたお遍路さんお二人   抜かされますが、マイペースで

 

  

 

 

  

 

 

 檻の中に入ったわけでは有りません  

 

 いのしし侵入防止柵が設置して有り、お遍路さんはこの扉を開け閉めして進んでいくのです  

 

舗装して有る坂にようやく到着したけれども、急な下り坂  張ってあるロープを持って慎重に下ります

 

ようやく、平な道に出て来ました   ここから、八栗寺を目指してまだまだしばらく歩き続けます   

 

 奮闘ぶり、デジブックにしてみました   大変だったなぁ  

デジブック 『弘法大師も歩いた道』

 

第二弾に続く  


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お疲れ様でした (みきてぃ)
2015-04-26 14:37:56
今回はお天気良くてよかったけど、暑かっただろうなぁ
今回のお遍路は疲れたよ・・・とぼくちゃんさんからメールが来ておりましたが、確かに今回も!すごいルートですね(笑)
この豚さん…大きくなったら(なってるけど)食べられちゃったり…するのかな
変なことが心配なみきてぃでした(笑)
かわらけ投げ楽しそう
宮崎の鵜戸神宮で運玉って小さい素焼きの玉を(ミルキーみたいな大きさで『運』と書いてある)崖下の枡形石に投げるやつも楽しかったけど(笑)
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みきてぃさんへ (ぼくちゃん 相棒)
2015-04-26 23:12:22
こんばんわ
坂道はやっぱり、汗ダクダクになりました
大変だった(まあ、いつもだけど 笑)
次、もしも屋島に行った時、このぶたさんの姿が無かったら・・・・手を合わせることにしよう
鵜戸神宮、行った時に試したら、1個入った記憶が
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お疲れ様でした (ちゅうさん)
2015-04-28 23:48:28
屋島寺から転げ落ちそうになりながら下った道を思い出します。
なぜか山の上のお寺が多いですよね。この先いったん下って八栗寺はまたまた山の上のお寺ですよね。
続きの記事も楽しみにしています。
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ちゅうさんへ (ぼくちゃん 相棒)
2015-04-29 21:43:21
こんばんわ
屋島の下りには注意とは聞いていましたが、本当に大変だったです
雨では無かったから、色々な所に手を着きながら下りました
そうですね・・・・言われるように何故か山の上にお寺が有りますね
麓に有ったら随分楽なのですが
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