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『四国八十八ヶ所巡りへ』 第24番札所から第34番札所まで<第一弾>

2014-11-15 13:44:23 | 四国八十八か所巡り

 

 

 

 

 室戸岬の朝

 日の出を期待しながら、灯台へ向かいましたが、残念ながらまだ雲が広がっていました

室戸市は太平洋に突き出た地形から、東にだるま朝日・西にだるま夕日を臨むことができる珍しい場所だそうです

だるま朝日・西にだるま夕日秋は分の日ごろから春分の日ごろにかけて海面の海水温と大気の温度差により

水蒸気に光が屈折して太陽がだるまのように見える現象です

こんなのだそうです ↑ 昨日もお天気が悪かったので、夕日も朝日も拝むことはできなかった   残念

 

室戸岬灯台

室戸岬のシンボルは、青い空と海のはざまに立つ白亜の灯台。
明治32年以来、 航海者たちの安全を照らす水先案内人として活躍しています。

レンズの大きさは直径2m60cmと日本最大級。

 

 

第24番札所 最御崎寺(東寺)

 

      

最御崎寺の歴史・由来

「修行の道場」とされる土佐最初の霊場。太平洋の白い波涛が吠えたてる室戸岬の突端にある。黒潮のしぶきにあらわれて鋭角になった黒い岩礁。そのすさまじい響き、空と海が一体となり襲いかかる洞窟の樹下で、藤衣を被って風雨を凌ぎ、虚空蔵求聞持法の修法に励む青年・空海がいた。延暦11年(792)、弘法大師19歳のころとされている。この詳細は、大師が24歳のときの撰述『三教指帰』に次のように記されている。
「…土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す…」

大同2年、唐から帰朝した翌年に大師は、勅命をうけてふたたび室戸岬を訪ねている。虚空蔵求聞持法を成就したこの地に、本尊とする虚空蔵菩薩像を彫造して本堂を建立、創した。嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の尊信が厚く、また、足利幕府の時代には土佐の安国寺となり、戦国・江戸時代には武将、藩主などの寄進により、寺運は隆盛した。
当時は、真言密教の道場とされ女人禁制の寺であった。往時、女性の遍路は遙か室戸岬の先端から拝んだといわれるが、明治5年に解禁されている。室戸岬では東西に対峙している二十六番・金剛頂寺が「西寺」と呼ばれ、最御崎寺は「東寺」とも呼ばれており、納経帳等の寺名には東寺と記されている。南国情緒を味わう室戸阿南国定公園の中心にあり、大師が悟りの起源の地でもある。

早朝なので、ほとんど人もいません。静かな、静かな空気が流れていました 

 

鐘楼堂

NHKの「行く年来る年」で除夜の鐘の中継もあったようです 

 

 

空海の七不思議   いくつか見かけるものがありました

<くわずいも>

 

 昔土地の者がいもを洗っていると、一人の遍路(弘法大師の事)が通りがかり、そのいもを 乞うたけれど、その者はこれを惜しんで「これは食えない芋だ」と言って遍路に与えなかった 所、それが本当に食べられなくなったと伝えられている。(最御崎寺本堂右に自生)

 

<鐘石>

 

石質安山岩で叩くと鐘のように音を発し、この響きは冥土まで届くと言われ、俗に鐘石を呼ばれ 現在、最御崎寺境内にあります。   「仮初のいしにてあれど且つ打てば、金かとまがふ音の高くも」        国沢新兵衛

 

奥に見えるのは、霊宝 殿。国指定重要文化財の薬師如来坐像、月光菩薩立像、如意輪観音半枷 像が安置され、中でも如意輪観音半枷像は日本で唯一大理石で作られていることで有名となっています

昨晩、特別拝観の時に当たっていたので、拝んできましたよ

 

この後、朝ごはんをしっかり食べて、出発

お世話になりました

  

番外札所 最御崎寺

 

 

 御厨人窟は平安時代初期、当時青年であった弘法大師がこの洞窟に居住したと伝えられている。

この洞窟から見える風景は空と海のみで、ここから「空海」の法名を得たとされる

 

 

 

向かって左が 「御厨人窟」  右が 「神明窟

 

空海は、神明窟で難行を積んだと伝えられ、

難行の最中に明星が口に飛び込み、この時に悟りが開けたと伝えられている。

<神明窟は2012年秋より、落石のため立入禁止となっているそうです>

 

 

 

御厨人窟の中に入ってみました

中は思ったよりも広いのですが、怖いくらいの真っ暗闇です

聞こえるのは、風と波の音だけ   見えるのは洞窟の入り口の大きさだけの空と海

 

この風景を空海も見ていたのかな????  

洞窟の中で聞こえる豪快な波の音は「室戸岬・御厨人窟の波音」として環境省の残したい

「日本の音風景100選」に選定されているそうです

 

 

<室戸岬> 

 海岸周辺は遊歩道になっていました

 

  

 

 

中岡慎太郎銅像

中岡慎太郎は、海援隊長の坂本龍馬とともに活躍した明治維新の勤王の志士。
慶応3年11月15日(1867年)京都河原町の近江屋で刺客に襲われ龍馬とともに落命。この時慎太郎は30才。

 

 

 

第25番札所 津照寺

 

津照寺の歴史・由来

室津港を見下ろす小山の上にたたずむ「津照寺」(しんしょうじ)は、通称「津寺」(つでら)と呼ばれています。弘法大師空海上人が四国御修行の砌、山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠(ほうしゅ)に似ているところから霊地とし地蔵菩薩を自ら刻まれ本尊とし、宝珠山真言院津照寺と号されました。 

高台にある本堂まで、長い長い階段を登りました

 

本堂に向う石段は真直ぐと天に続くかのような趣、かなりの急勾配で皆、真ん中の手摺りを利用して上がります。そして石段の途中には竜宮城を思わせるような鐘楼門兼仁王門。

石段を昇りつめた所、本堂の正面には太平洋が広がります

  

 

降りるときも、階段を伝わってゆっくり降りて行かないと、転げそうです!!!

 

 大師堂 

 

 

 

 

第26番札所 金剛頂寺(西寺)

金剛頂寺の歴史・由来

室戸岬から海岸沿いに西北に向かうと、土佐湾につき出した小さな岬がある。硯が産出するので硯が浦ともいわれる「行当岬」である。その岬の頂上、原始林の椎に覆われて静寂さがただよう境内が金剛頂寺であり、室戸三山の一寺院として「西寺」の通称でも親しまれている。朱印も「西寺」と捺される。当寺から4kmのところに女人堂と呼ばれる不動堂がある。若き弘法大師はこの間を毎日行き来し修行した霊地であり、行道したことから、「行当」はその名残かもしれない。縁起によると、大師が平城天皇(在位806〜9)の勅願により、本尊の薬師如来像を彫造して寺を創建したのは大同2年と伝えられている。創建のころは「金剛定寺」といわれ、女人禁制とされて、婦女子は行当岬の不動堂から遙拝していたという

 ここも、長い階段を上ります

  

向かいに、 室戸岬・最御崎寺「東寺」が見えるのです

 

 

 

 

             一粒万倍の釜    

 大師が焚いたお米が1万倍に増え、人々を飢えから救ったという言い伝えがあるそうです 

 

ここでは、ひとやすみ  アイスクリームで休憩 

 

 

次の 第27番札所 神峯寺へ  約31キロ先になります

歩き遍路だと、この間だけで一日かかりますよね

☆ 続く ☆


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kakkun)
2014-11-20 20:08:49
こんばんは
空海の修行の場所だけに、その逸話が沢山ありますね。 なまの由来はそこから来たのか~!
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kakkunさんへ (ぼくちゃん & 相棒)
2014-11-21 17:20:03
土佐は「修行の道場」と云われています 
ご想像の通りに、空海の名は、この御厨人窟で修行をした時に「空と海」しか見えなかったことからついたそうです。
NHKの番組でしり、ここだけは絶対に立ち寄りたかったところなんですよ 
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Unknown (ポン)
2014-12-02 16:25:16
御厨人窟からの光景って・・・ここで修業空海はしたのですね。凡人はこの中にいると恐怖が襲って来て30分も一人で居られない気がします。


室戸岬=台風中継、中岡慎太郎、龍馬もみんな若い!

NHKの除夜の鐘が放送されるっていうのはとても光栄なことなのでしょうかね、碑があるなんてビックリ。

最後のアイスは文句なく美味しそう。
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ポンさんへ (ぼくちゃん 相棒)
2014-12-06 17:43:09
こんばんわ!
NHKのお遍路の番組で紹介されたのをみて、これはぜひ立ち寄らないとと思っていました
朝早かったので、だれもおらず、中に一人でいると・・・・本当に孤独と言うものを感じる空間でした
私はやはり煩悩も多いので、アイスは最高でした  修行の道は遠い
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