京都二日目
午後の新幹線で帰るので、午前中を有効に使う為に、「観光バス」に乗りました
観光場所 金閣寺、銀閣寺、清水寺
京都の名所三ヶ所をめぐる人気のコースで、ここさえ行けば間違いなし!と
京都駅前郵便局の前で・・・・牛若丸のオブジェと茶色のPOST
なんとなく、京都らしいかな(笑)
観光バスのイラスト これも ザ・京都!って思えます
市内を走り、もうすぐ「金閣寺」に到着 京都五山送り火 の「左大文字」が車窓から見えました
金閣寺の駐車場からも、左大文字が見えます
金閣寺 HP ⇒ http://www.shokoku-ji.jp/k_about.html
正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。
元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。(HPから抜粋)
そして、金閣寺観光出発!
<金閣(舎利殿)>
「金閣」(左の写真)にはお釈迦様の骨が祀られているといわれ、舎利殿とも呼ばれている。
金閣の二層と三層には金箔が貼ってあり屋根の上には金張りの鳳凰が置かれている。一層は寝殿造り、二層は武家造り、三層は禅宗仏殿造りで、それぞれの様式がよく調和しており、これが華やかさを醸し出しているようである。
以前の国宝に指定されていた金閣は昭和25年(1950年)に若い寺僧の放火により全焼、5年後に再建された。更に、昭和62年(1987年)には金箔を厚いものに張り替える修復工事がなされている。再建された金閣は国宝に指定されていない。
金閣の傍の鏡湖池を中心として、大小の島々、諸国から集めた岩、石を配し、背景の衣笠山を借景とした室町時代の「池泉回遊式庭園」が造られている(直上の写真)。 この「庭園」は国の特別史跡、特別名勝に指定されている。
綺麗な庭園と金閣をバックに、まずは、記念撮影ですよね (#^.^#)
時間まで、寺内を参拝します
<方丈>
<陸舟の松>
鏡湖池の東側、方丈の北側に建てられている書院の庭に京都三松の一つに数えられている松の木で、船の形をしています。 この五葉松は義満の盆栽から移植され、帆掛け船の形に仕立てられたものとされており、舳先は西の方角を向いている。これは、この船に乗って西方浄土に向かうという発想からこの形に仕立てられたものという。
樹齢は約600年といわれているが、一見した感じではそんなに年月を重ねた樹には見えないなぁ・・・・・
<銀河泉>
義満公がお茶の水に使ったといわれている
<巌下水>
義満公が手を清めたとされている
<金閣寺垣>
石段の横に低い竹垣があり、これが金閣寺垣と称され小竹垣の代表とされています。
<龍門滝と鯉魚岩>
鯉が滝を登ると龍になるという中国の故事「登竜門」に因んだ「鯉魚石」が置かれている。鯉魚石は水飛沫のかかっている尖った石です
<白蛇の塚>
西園寺家の守り神といわれる
少し高い所から、金閣寺の屋根が見えました。
屋根の上で「鳳凰」は羽ばたいていました
<貴人榻>
<夕佳亭(せっかてい)>
金森宗和が造営したといわれる茶室。この名称は、「夕日に映える金閣が佳い」ということに由来しているという。
夕佳亭内正面の「南天の床柱」、その横にある「萩の違い棚」が有名である。
現存の夕佳亭は明治時代中期に再建されたものといわれており、平成9年に解体修理が行われたようである
集合時間があるので、まあ、見どころをざっと見て、バスへ向かいます
遅れるわけにはいかないですもんね!
車窓から ① 「紫式部の墓所」
車窓から ② 同志社大学
車窓から ③ 右側 高野川 左側 賀茂川 この二つが合流して 鴨川になります
次は、銀閣寺にお参り
銀閣寺 HP ⇒ http://www.shokoku-ji.jp/g_about.html
正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれています。室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。
九歳にして家督を、十五歳にして将軍職を継いだ義政は、生涯をかけ自らの美意識のすべてを投影し、東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を映す一大山荘を作り上げました。銀閣寺は美の求道者ともいえる義政の精神のドラマを五百年後の現代にも脈々と伝えています。(HPより抜粋)
<観音殿 銀閣>
銀閣寺の俗称のとおり、慈照寺の象徴というべきものがこの観音殿(銀閣・国宝)です。義政公は自らの宗教観を託し、一層を心空殿(シンクウデン)、二層を潮音閣(チョウオンカク)と命名しました。鹿苑寺(ロクオンジ)の舎利殿(シャリデン)(金閣)、西芳寺(サイホウジ)の瑠璃殿(ルリデン)を踏襲、唯一現存する室町期の楼閣庭園建築の代表的建造物として有名です。
白砂の砂盛り向月台(コウゲツダイ)と、波紋を表現した銀沙灘(ギンシャダン)とのコントラストは、訪れる人々を立ち去り難い世界に誘います。
<銀 沙 灘>
方丈前には白砂を段形に盛り上げた銀沙灘や円錐台形の向月台があります。銀沙灘は月の光を反射させるためとか、向月台はこの上に坐って東山に昇る月を待ったものだとかの俗説がありますが、これら二つの砂盛りも室町時代まではとうてい溯り得ず、近世以後の発想ではないかと思われます。しかしこのような奇想天外な行き方は独創的で他に例がないでしょう
向月台
<北斗石>
銀閣寺の観音殿(銀閣)前にある北斗石。正面に見える石橋は「分界橋」と呼ばれ、向月台と銀閣の間を架け渡している
方丈の中の戸にも色々な絵が描かれていました
<千代の槇>
樹齢500年 すごい!
金閣寺も庭園は綺麗でしたが、銀閣寺の方が木々が多く緑が溢れているような印象を受けました
銀閣寺の庭園は銀閣(観音殿)前に広がる錦鏡池(きんきょうち)を中心に池泉回遊式庭園を形作っています。この庭園は西芳寺(通称:苔寺)の庭園を模して造ったと言われています。現在の庭園は江戸時代に改修されたもので、創建当時とは異なっています。
山道を登ると、銀閣と庭園全体を見下ろすことが出来ます
今、平和公園で生きつづける被爆樹のアオギリは爆心地より1.3kmのところで8時15分までは立派な木の姿として仲間の桜や柳と共に生きつづけ人間に勇気を与えておりました。あの日の一瞬の強い原爆の熱線を浴び大火傷をしました。桜、柳は熱線で命を失いましたが、アオギリは体に火傷を受けながらも生きることができました。1973年に平和公園に移植をされ現在地で孫や子供がふえてあの日の事実を語り継いでおります。
毎年きれいな花が咲き種ができます。
アオギリの願いの声は種を人間の智恵によって各地に「平和の種」として核兵器廃絶と生きることの命を大切に・・・本当の平和を創り後世に幸せが続くことを訴えるのです。
人間の手によりアオギリの願いを叶えましょう。
銀閣 慈照寺 と書かれていました
前方の山にアオギリが植えられているそうです
銀閣寺の屋根にも鳳凰が!
銀閣寺も参拝が終わりました まだ集合時間には時間が有るので、次は哲学の道へ
<哲学の道>
哲学の道(てつがくのみち)は京都市左京区にある琵琶湖疏水分線に沿った歩道。明治の頃、文人が多く住むようになり「文人の道」と称されていた。その後、京都学派の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが散策したため「哲学の小径」と云われたり、「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」などと呼ばれた。1972年(昭和47年)、地元住民が保存運動を進めるに際し、相談した結果「哲学の道」と決まりその名前で親しまれるようになった。日本の道100選にも選ばれている散歩道である
前にも来たことは有りますが、ワイワイおしゃべりしながら歩くと言うより、静かにゆっくりと歩くのが何となく似合いそうな道だと思いました
私達も、物思いにふけりながら歩く・・・・な~~んて(笑)
次は 清水寺へ・・・・
車窓から ④ 平安神宮の大鳥居
車窓から ⑤ 知恩院
車窓から ⑥ 八坂神社
車窓から ⑦ 花見小路
車窓から ⑧ 祇園会館
車窓から ⑨ 京都南座
バスの中からでも、色々な観光名所を見る事が出来ます
さすが、京都だな
そして、最後の観光 「清水寺」へ・・・・・
まだ観光の続きあるよ (そろそろ、書き上げないとだなぁ~~~ (~_~;))
京都は沢山の見どころが有りますよね~
観光バスで、駆け足の観光でしたが、結構色々と見て回れた気もします
(日頃ウォーキングで鍛えたおかげかな?小高い所も一気に上がれます 笑)
そうなんですね~ 京都人との「ハーフ」ですね
銀閣寺、哲学の道・・・・・懐かしいです。
昨年秋、西国道(山陽道)を踏破した次の日歩いて行きました。この時は、紅葉が綺麗でした。
哲学の道は、桜が植えてあり、桜の名所でもありますね。
京都は、いつ行ってもいいですね。
小生の母親が京都出身で小生、半分京都の血が入っています。
ほんまどっせ。