キラキラ

毎日の生活を写真と共に綴っていきます。

浜村淳さんの記念講演

2010-11-28 08:26:15 | Weblog

 

11月27日(土)15時~ 『日本盛 煉瓦館10周年特別企画』 という

イベントが西宮市用海町でありました。

11時発の紀州路関空快速に乗って大阪へ。

 

 

 

 

(JR西宮駅前は、賑やかでした。)

 

 

 

 

乗り換えて『西宮』で下車。タクシーの運転手さんに 「酒蔵通り 煉瓦館

というところまで行ってください。」 というとその人はすぐ分かったようでした。

 

 

(日本盛の煉瓦館の横は、大きな工場でした。)

 

 

 

まず、『花ざかり』 というレストランで 「浜村御膳」 なるお料理をいただきました。

(浜村さんが監修したとか・・・。)

 

 

(この中にレストランや売店・ガラス工房などがあります。

 講演は2Fの会場でありました。)

 

 

 

 

(売店では、御自慢のお酒の販売コーナーも。)

 

 

 

食事が終わると、記念に浜村さんの似顔絵の入った酒桝をプレゼントしてくれました。

その後、お買いものをしました。

『酒入りおうどん・酒蔵のこだわり梅酒(これは、甘口でした)・万葉茶・酒粕(NHKの

ためしてガッテンで栄養価が高いという報告をしていたので?)・惣酒(宮中での食事会

の時に提供されるお酒だとか・・・。)・すだち果汁』 などをゲット!!

 

 

 

(ここでは、お酒に関することも学べます。)

 

 

 

屋外のテントのところでは、金魚すくいや野菜の即売会・粕汁の販売・似顔絵のコーナー

などもありました。

 

 

(浜村さんが粕汁を試食して、「美味しい!!」 と。)

 

 

 

その後 15時から、1時間ほどの浜村さんの講演がありました。

やっぱり色々な意味で達者な方でした。

 

まず、ご自分のお年のことから話に入りました。

ただ今、75才ということでした。

それから映画のお話・カルメンが口に挟んでいる花は原作では、バラではなかった!!

では、本当は何という花だったのか?

この辺りから、出席者も参加させるクイズへ。

小池アナウンサーの 『アップダウンクイズ』 のことも・・・。

 

 

(ファンの方と話しておられます。)

 

 

 

活動弁士の話のところでは、七五調の語りを見事に聞かせてくれました。

(すごいなぁ~。と思いましたねぇ~。)

75才とは思えない迫力というか、元気があるんです!!

 

 

 

 

(日本盛のキャラクター、「一緒に写真撮ろうかなぁ~。」 と言ったら

 主人に 「子どもみたい。」 と言われて、おしくも残念!!(~笑い~)

 

 

 

それから、お年寄りへの一言挨拶運動ということも言っておられました。

主人は、最初あまり行きたくなかったようですが、

「若い人が聞いてもいい話やったなぁ~。」

と言っていました。

 

 

(このサンタさんが金魚すくい名人とか。因みに、この方は日本盛の

 社員さんだそうです。)

 

 

 

1時間のお話の中で一番感心したのは、1回もカマなかったということ!!

活動弁士の早口の七五調のところでは、ちょっとはカムかなぁ~。と思ったのですが、

さすがでした。

 

 

 

(大きなクリスマスツリーも。その横で記念撮影も

 忘れずに!)

 

 

 

 

 

熟年の方が元気で活躍されているのを拝見すると、励まされます。

実は、ここしばらくは、乳がん治療のこともあり 『今年度いっぱいで仕事をやめても

いいかなぁ~。』 とずうーっと迷っていたのですが、放射線治療(3週間ほど)がそれほど

ダメージがなければ 『来年度も続けてみよう!!』 と決心しました。

(心の中で揺れていたのですが、昨日をきっかけに、迷いをふっ切ることにしました。)

 

 

生活の中で出かけて色々体験するって、とても意味のあることですねぇ~。

 

昨日は、7時からの 『マジック教室』 へも久しぶりに行ってきました。

すっかり元気になりましたので。(ちょっと無理し過ぎかな ~笑い~)

 

 

 

 

 

 

 

 

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仕事に復帰しました

2010-11-26 23:36:38 | Weblog

26日(金)から仕事に復帰しました。

本当は22日から出勤するつもりだったのですが、諸般の事情で26日になりました。

朝、職場の皆さんに 「元気になりましたので、心を新たにがんばって

いきたいと思っています。」 と簡単な挨拶をしました。

その後、何人もの人が 「無理をしないでね。」 「お大事にしてね。」

などと声をかけてくれました。

とってもうれしかったです。

この日は、休んでいた分の仕事もあり、遅くまで仕事をするはめに。

友だちが 「仕事し出したら、ついつい無理するから気をつけんとあかんよ!」

と言ってくれた言葉を思い出しながら、帰り道の自転車のペダルをこいでいました。

 

(アリミデックスという女性ホルモンを毎朝1錠服用しています。)

 

 

 

 

18日には、職場に提出する 『診断書』 を主治医に書いてもらうために

労災病院へ。

その日、ホルモン治療のための3カ月分の錠剤を薬局で購入しました。

毎朝1錠、5年間飲み続けないといけません!!

(ちょっと長いなぁ~。と思っている自分が・・・。)

 

 

 

(お薬の詳しい内容が記されています。注意事項には、『ほてり、頭痛、吐き気などが

起こることがあります。』 と書かれていました。)

 

 

 

22日には、主治医の紹介状を持って放射線科に行くと、

先生は、乳がんの手術からの経過を聞いてくれました。

12月6日(月)から3週間放射線治療のために通院することになります。

 

 

 

 

(このごろ、がんに関する本もよく読むようになりました。

山田邦子さんは、何年も前、胸に小さな3つのがん細胞が見つかったようです。

でも、今も元気で活躍されています。)

 

 

 

30日には、どういう風に治療を進めていくか? どの辺りに照射するのか?

どんな副作用があるのか? などの説明を聞きに行きます。

土日以外、毎日通います。12月28日に終了する予定です。

 

 今年のぎりぎりで、放射線治療が終わることになるんだぁ~。

と考えながら、ふと 「来年は、どんな年になるんかなぁ~。」 と

思ってしまいました。

まだ、11月ですのにねぇ~。

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乳がん術後、退院しました

2010-11-11 15:40:29 | Weblog

11月9日(火)の10時に退院しました。

まだ少し、腫れはあるのですが、経過は良好なようです。

担当医は 「きれいになっていますよ。大丈夫です。」

と言ってくれました。

 

腫れについて質問すると 「腫れがおさまるには、しばらく日にちは、かかりますが

心配はいりません。」 とのことでした。

 

 

 

(『退院後の生活についての』 パンプレっともいただきました。)

 

 

看護師さんからは、これからの生活についての注意がありました。

原則的には、普通の生活をしてよいとのことでした。

 

ただ、怪我をしないように、虫などに刺されないように。

(そこから、ばい菌が入るからでしょうか?)

 

 

ブラジャーも着けてよいが、ワイヤーの無いものがよくて、肩ヒモもは手術した側は、少し

緩めたほうがよい。

また、荷物を持つ時は、原則的には手術した側の手で持ってもよいが、長時間は、

避けたほうがよい。

ショルダーバックの場合は、細いひものものは、よくない。

 

 

食べ物は、制限ナシ とのことでした。

(アルコールも ほどほどならOK)

薬の服用も必要ナシとのことです。

 

 

 

(しばらくは、この 『マクロポア』 というテープを傷口の貼ります。)

 

 

 

ただ今、傷口に防水のテープを貼っています。

それがとれた時の貼り替えのやり方も教えてくれました。

など、など 親切に丁寧に説明してくれました。 

 

 

支払いを済ませて、家に着いたのは11時ころでした。

5日ぶりの自宅でした。

何故か、何週間も留守をしていたようで懐かしかったです。

 

無事に手術が終わり、経過も良好なようでホッとしました。

そして、自分の周りの方たちに感謝しました。

 

 

 (入院中に主人の友だちがリンゴを一箱送ってくれていました。)

 

 

 

 

 

 (北海道産のりんごが3種類35個入っていました。

 ご近所や親戚におすそ分けしました。)

 

 

特に、主人には迷惑をかけてしまいました。

労災病院まで3往復してもらった日もありました。

『ありがとうございます。』 の世界で~す。

 

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乳がんの術後、もう入浴しました

2010-11-08 15:39:14 | Weblog

6日には、もうすべての管を抜くことができたので、生活がしやすくなりました。

でも、微熱がありましたねぇ~。 検温ごとに上がっていったようでした。

「36度7分」 「36度9分」 「37度5分」 などでした。




下半身のシャワーの許可も出たのですが、微熱もあることだし止めておくことにしました。

でも、食事は美味しくいただくことができました。







(エレベーターの横の油絵)









7日の午前3時ごろ、かなり腫れてきました。

真夜中なので、自分でナースセンターまで行って報告すると病室で

待つように言われました。



そして、看護師さんから簡単な説明がありました。







(病室からは、テニスコートや競技場も見えます。)



手術は腫れは、あるのですが、痛みは、ほとんでありませんので

大成功だったようです。(うれしいことですねぇ~。)

















(女子のお手洗いの掲示物の徐菌の除の字が間違っています。

 看護師さんや女医さんも使用されるのでは・・・。)

 


 


















(労災病院の基本理念と基本方針が書かれています。)







★ 入院の案内には、何でもお気軽に分からないことは、おたずねください。

って書いてありました。

★ 基本方針には、 『患者様の権利を尊重し、信頼される医療に努めます。』

  『高度で分かりやすい医療をめざします。』

  『安全な医療に全力をあげてとりくみます。』 

ということも書かれていました。



基本理念には、 『やさしく、質の高い医療に全力を尽くします。』

ともありました。














(休日の受付のコーナー。シャッターの絵柄がかわいいです。)









9時半ごろ、運よく、私の手術に付き添ってくれた担当医が回診に来てくれて




「手術しているので、細胞がびっくりして防御しようとして働くため

液が出て、腫れてきます。日が経てば徐徐にその液も身体に吸収されていきます。」

と親切に分かりやすく応対してくれて・・・。

最後には、「大丈夫ですよ。」 と言ってくれました。


















(廊下には、癒される絵画もたくさん掲示されています。)









それから、 腫れ以外は、順調によくなっています。

だから、感謝しないといけません!!



昨日は、下半身だけのシャワーで、今日は普通の入浴でシャンプーも

OKでした。(大丈夫かいな?と思いつつ)



入浴後は、下でアイスコーヒーも飲んで 『ばかもの』 の小説も読み終えて

なかなか快適で~す。



昨日は、『阪急電車』 の小説も読み終えて、一度今津線に乗りに行こう!

なんて思っています。




明日は、もう退院なんです。本当は、今日でもいいと言われたのですが。

「先生、腫れがあるので、せめて9日までおいてください。」(笑い)

とお願いした次第です。
















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乳がんの手術をしました

2010-11-07 08:55:17 | Weblog
乳がんの9.2ミリの細胞の摘出手術が

11月5日(金)の11時10分くらいから始まりました。

病院は、天下の大阪労災病院です。

予定では、10時40分からだったのですが、1番目の方の

手術が少し延長になったようで、遅れて始まりました。

私は、その日の2番目の手術になります。







(二男の嫁が持ってきてくれました。)








歩いて2階の手術室まで行きます。

扉が開いて、まずキャップを渡されてそれを被り

長い廊下を歩くと緊張感が走りました。








(入院中に読もうと思ってアマゾンで購入しました。)










名前の確認があり、大きなタオルを被せてもらい術衣を

取った後、全身麻酔が始まりました。

その後は、何も覚えていません。










(有川浩さん作 阪急電車の小説 映画化もされるようです。)











「〇〇〇さん、終わりましたよ。分かりますか?」

(このあたりの記憶は定かではありませんが。)

と声をかけられ、その後5階へのエレベーターを出た

ところで主人と二男と二男の嫁が迎えてくれました。










(右側を手術するので、右手の血圧測定・採血も禁止です。)











腕には、点滴(栄養剤と抗生物質)の管が。排尿の管もありました。

この日は、絶食です。










ずうっーと横になっていましたので、背中がとても痛かったです。

傷口より、同じ姿勢で寝ているので、背中の痛さがこたえました。

また、夜中には、看護師さんが何回も術後の傷を見にきてくれました。










(ネット環境がOKの個室型の4人部屋です。)







長い長い一日でしたねぇ~。

喉に溜まった痰がとても不愉快でした。

そして、早く朝が来てほしいなぁ~。と思いながら過ごしました。



有り難いことに手術は、うまくいったようでした。

それから、明日からの順調な回復を願いました。











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乳がんの手術のため入院しました

2010-11-04 20:30:29 | Weblog
11月4日(木)の今日、10時に入院受け付けを済ませました。

ネット環境のある病室ですので、インターネットの使用が可能です。











(ネットも使えて、快適かな?)










だから、パソコンも含めて荷物をいっぱい持ってきました。

売店では、週間新潮も購入し、家から図書館で借りた本











(売店で買い求めましたが、まだ全然読んでいません。)









NHKテレビテキスト 『きょうの健康』 も読むつもりで持ってきました。


表紙に 『乳がん 再発・転移をおそれない』 と書いてあったので

借りた次第です。









(乳がんのページは、しっかり読まなくちゃ~。)








でも、今日は一日、とっても忙しかったです。

読書をする時間は、そんなにありませんでした。



まず、病室に案内され、看護師さんから 今日これからと

明日の予定を聞きました。

また、色々なことを質問されました。

「薬を飲んで、気分が悪くなったことは、ないですか?」

「これまで、麻酔を受けて、異常はありませんでしたか?」

「現在、飲んでいる薬はありませんか?」

「食べ物アレルギーは、ありませんか?」

など など たくさんありました。









(4ケタの数字を入れて、ロックすると開けることができません。

 引き出し式のロッカーでしょうねぇ~。)











それから、昼食に。 わりあい美味しかったです。

メニューは、『八宝菜・白あえ・卵豆腐』 。完食でありました。




それから、主人と二人で麻酔科の先生のお話を聞きました。
 
『麻酔を受けられる方』 という 説明書もいただいて、

その中には、「手術前の注意」 「手術当日の注意」 「手術後の注意」 と

箇条書きに書かれてありました。







それから、主治医の先生から手術についての説明がありました。

最後に、手術する箇所にペンで印を付けてくれて、それがお風呂で

消えないようにシールも貼ってくれました。




その後の晩御飯も完食でありました。

入浴までにちょっと時間がありましたので、TUTAYAでかりた

DVDの 『真実の行方』 も見ちゃいました。

2重人格障害の若者が殺人を犯す というもので

最初、死刑でも不思議ではないものが、

やり手の弁護士によって無罪になるというストーリーでした。

細切れにしか見れなかったのですが、なかなか面白かったです。

最後に思わぬ方向へ・・・。










(レンタルDVDです。明日は、ウンウンうなっていて

 DVDどころでは、ないかなぁ~。明日の分も持ってきていますが。)








今21時30分で~す。

21時45分に消灯です。

明日は、何も食べられません。





きっと、悲惨な一日だろうなぁ~。と思っています。

休む前に、明日の手術の成功と術後の順調な経過を願って眠ります。

それに、リンパへの転移もありませんように・・・。

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ETV特集 よみがえる戦場の記憶

2010-11-03 10:34:01 | Weblog
日曜日何気なくチャンネルを回していると、ETV特集という

番組が放映されていました。

副題に 『新発見 沖縄戦600本のフィルム』 とありました。

見ていて、とても辛かったです。今も涙が滲んできます。


第318回 6月27日(日)に放映された再放送になります。

そして、さすが 『NHK』 と思いました。

アメリカで、沖縄戦の600本のフィルムが見つかったようです。

その中には、とても残酷なものもありました。



死んだ日本兵の足をピストルで撃ち抜く、その足がとび上がる

死んだ日本兵を引きずっているが、その内臓が見えている。

その扱いが、とてもぞんざいでした。

そんな!!!と思ってしまいました。



10時からの再放送なので、その前はとても眠かったのですが

眠気なんか、吹っ飛んでしまいました。







(ガマから逃れてきた人たち、高齢の方もおられます。)









どうも、新しく沖縄戦のフィルムが見つかったようです。

600本あって、時間にすると80時間との解説もありました。








写真:読谷村・1945年4月2日 米軍上陸直後に撮影

(写真左:伊波トミさん、“集団自決”から逃れる為に隠れていた

ガマ(壕)から出てきた直後に撮影された。















その中の 包帯を巻いた戦争孤児のところでは、何とも言えない気持ちに

なりました。











この写真の下には、こんな説明もありました。





包帯を巻いた少女・・・

今回の取材で戦争孤児の、ひとりの女性である事が解った。

その女性は、孤児院で名前をつけられ、今、自分の本当の名前を探し続けている。

(1945年6~7月ころ 沖縄市の野戦病院で撮影)








解説の通り

この方は、孤児院の先生に名前を付けてもらったとか。

そして、その時年齢も分からなかったようです。

それから、ある方にもらわれたのですが、その後また違う家に何回かもらわれて

いったよです。最後は、大きな農家にもらわれていきました。

でも、小さい頃から豚の餌を与える仕事をさせられて、学校も行けなかったとの

ことです。

本人さんのインタビューでは

「せめて、1年生と2年生だけでも学校に行かせてほしかった」

と言っておられました。

この方の今までの人生を考えると、とても辛かったです。

「生きていてよかったと思えない。」

というお話もされていました。


でも、最後には、お孫さんも連れて、その昔の孤児院の先生とも面会

されていました。

その笑顔を見て、何故かホッとしました。

この現実に、私は納得できませんが。(本人さんもそうだと思いますが・・・。)

でも、でも 生きていくには それを受け入れていくしかありません。
 
今日は、水曜日ですが、ずうーっと、あの番組を引きずって生活しています。


そして、何故か泣けて、泣けて仕方ありませんでした。


いつか 『もはや、戦後ではない。』 という 新聞記事もありましたが

戦後は、いつの時も戦後なんです!!



この女性のこれからに 幸多かれ と切に願いました。













以下は、NHKのETV特集のHPの解説からお借りしました。







(ETVとは、どういう意味なのでしょうね。)







65年前、住民を巻き込んだ激しい地上戦が戦われた沖縄。その戦場を記録した600本の

新たなフィルムが見つかった。沖縄県公文書館の調査で、多くのフィルムが米国立公文書館に

眠っている事がわかったのだ。1980年代に沖縄1フィート運動の会や沖縄県公文書館などが

収集した350本のフィルムは、沖縄を記録した映像の一部に過ぎなかったのだ。NHK沖縄放送局は、

3年前から沖縄戦を記録した全てのフィルムの収集を続けてきた。




新たな映像の中には、これまでなかった日本軍の秘密兵器の映像や、“戦争孤児”の学校、そして

多くの沖縄の住民たちの姿が記録されていた。沖縄戦資料の研究を続けてきた琉球大学の

山内栄さんは、フィルムはアメリカ軍が記録や宣伝の為に撮影していたと言う。しかし、戦後65年たった今、映像は、

人々が封印してきた戦場の記憶をよみがえらせようとしている。










(色々な問題提起がされている番組です。)






その瞬間に何が起きていたのか?フィルムに写っている人を探す為に、沖縄各地で上映会を行った。

多くのフィルムが見つかった事は、沖縄で大きな波紋を広げた。 誰にも語れなかった家族の“集団自決”。

名乗り出せなかった“戦争孤児”としての過去。そして戦場での悲劇を乗り越えようとする人々。 フィルムは、

戦場の記憶を呼び起こすとともに、戦後の生きざまをも浮かび上がらせた。沖縄戦を記録した未公開の600本の

フィルムをたどり、写された一人一人の沖縄戦と戦後の人生を見つめる。

(解説や写真は、HPからお借りしました。)









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