キラキラ

毎日の生活を写真と共に綴っていきます。

落語会 (おおとり福福寄席)

2012-01-23 10:05:16 | Weblog

昨日(1月21日・土)の1時~ 落語を鑑賞しました。

がんばりまっせ!! 鳳本通商店街~

というキャッチコピーのもとに

鳳本通商店街の活性化を目ざして取り組んでいる商店街の

みなさんによるイベントで、第4回目になります。

 

私は2回目の参加ですが、前回はイギリス人の女性落語家 『ダイアン吉日』 さんと

『桂 福團治』 さんの出演でした。

今回は、『桂 文福』 さんと 『桂 福團治』 さんの落語を

聞かせてもらいました。

 

 

 

(案内のはがきも郵送されてきました。)

 

 

 

 

 

私は、番号が一番の席でした。

新年から一番というのが何となくうれしかったです。

 

 

会場は、鳳本通商店街のお寿司やさんの

『お多福寿し』 さんの2階でした。

 

やはり生は、いいですね~。

文福さんは、相撲甚句を聞かせてくれましたが、

私と落語家さんとの距離は、2mくらいでしょうか?

 

 

 

 

(商店街には、おおとり福福寄席の垂幕も)

 

 

 

あのよく通るボリュームのある生声がすぐそこから発せられます。

表情や着物の生地までが、手に取るように分かります。

 

また、文福さんの額や首の汗、目の中に入らないか?

ちょっと心配しました。

 (上手く、噺の途中で手ぬぐいで拭いておられましたが。)

 

きっと、着物の下の襦袢も汗びっしょりなんだろうなぁ~。

と察せられました。

 

 

気楽な商売のように見えるけど、本当はとっても大変なんだろうなぁ~。

と変なところで感心してしまいました。

 

 

 

文福さんの着物は、びっくりするほで派手でした。

声も派手でした。髪の毛も前にメッシュも入っていて

派手でした。

それゆえでしょうか? とても迫力がありました。

 

 

 

(鳳本通商店街です。)

 

 

 

 

福團治さんもとてもよかったですねぇ~。

プロフィールの紹介には、『上方には数少ない人情話を得意とする』

とありましたが、今回の人情話、思わず泣きそうになりました。

 

舞台は雪の寒風、その中のシジミ売りの少年の噺。

仕草・声色・せんすの使い方など さすがと思わせる

場面が随所にあり、来てよかったなぁ~。と感動しながら

聞いていました。

 

福團治さんは、日本手話落語協会の会長さんも務めておられるとか。

前回もブログに書いたと記憶していますが、一度手話落語なるものを

聞いて? みたいなぁ~。と思っています。

 

 

 

さぁ~。第五回目は、どなたが来られるのでしょうか?

是非、参加したいものです!!

 

 

 

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無言歌(映画)

2012-01-16 04:29:27 | Weblog

 新しい年の1月9日(日)に

また、また 十三の七藝に向かいました。

そうです。映画を観るために・・・。

 

 

 

 

(七藝の下には、門松も。)

 

 

 

 

次男からは、『マイナーな映画を観るのが好きなんやなぁ~。』

とからかわれながら。

 

 

 

友だちからは、「周りの人があまり観ない映画に行くんですね。」

なんて言われています。

 

 

今回の映画は観ていて、とても辛かったです。

『ムーランルージュの青春』 を観た時に予告編が放映されて

『この映画は、是非観たい!!』 と思い張り切って行ったのですが

しおれて帰ってきました。

 

 

 

 

 

(ゴビ砂漠には、作物も実りません。)

 

 

 

 

 

 

『むごい、残酷』 な映画でしたねぇ~。

『氷雪の門』 では、しっかり泣けましたが、悲し過ぎて

涙も出ませんでした。

 

 

 

 

 

 

 ストーリーは

1949年、毛沢東の革命は希望だった。

1956年、毛沢東は自由な批判を歓迎すると言った。

人々は未来を思い、はつらつと発言したものだ。

しかし、その数ヶ月後。彼らを弾圧する 「反右派闘争」 が始まった。

彼らはだまされたのだろうか、彼ら自身の政府に。

 

 

 

(これを読むと、無言歌の映画の背景が分かるようです。)

 

 

 

 

反右派闘争というのは、

毛沢東は、『共産党への批判を歓迎する』 という

『百花斉放・百家争鳴』 と呼ばれる運動を推進。

これ以後、知識人の間で中国共産党に対する批判が

出始めるようになった。しかし、1956年6月 毛沢東は人民日報に

『右派分子が社会主義を攻撃している』 という社説を掲載させ

突如、方針を変更。ここから一気に、それまで党を批判した人々を

容赦なく粛清する 『反右派闘争』 が始まった。

 

 

 

 

 

 

(監督・新藤兼人さんや女優・小山明子さんもメッセージをよせています。)

 

 

 

そして、

右派分子とされた人々が収容された再教育収容所では、

ちょうど59年から61年にかけての 『大躍進政策』 がもたらした

飢餓の時期と重なったため、多くの死者を出した。78年以降、多くの

「右派」の名誉回復を行ったが、いまだに名誉を回復されていない者も多い。

 

収容所と言っても

ゴビ砂漠の中にある洞穴のようなものでした。

飢餓の時期と重なったとあるように

映像には、仲間の嘔吐物の中にあるトウモロコシの実を食べる

ネズミを煮て食べる という胸の痛む場面もあり

目を覆ってしまいました。

 

 

 

 

そして、どんどん人が死んで物のように埋められていく。

その死体のももの部分や臀部がえぐり取られていたということも・・・。

 

 

 

 

 人間って、どこまでも残酷になれるのです。

権力者が、自分に都合が悪くなると、主義を翻す。

 

それでは、説明のつかないものを、この映画は訴えているように思いました。

 

 

 

 

 話は変わりますが、このごろPV数やIP数がずい分増えています。

順位もつくようになりました。

たくさんの方に読んでいただいてうれしいです。ありがとうございます。

 

1月15日のアクセス数 は、

閲覧数:687PV    訪問者数:232IP

順位: 4,299位 / 1,673,105ブログ中 (前日比  )

 

 

 

 

 

(迎春の幕が下がっている十三の商店街で、お買い物をして

 帰ってきました。)

 

 

 

 

1月16日のアクセス数 は、
閲覧数:629PV    訪問者数:283IP
順位: 3,033位 / 1,673,439ブログ中 (前日比  )  でした。

 

この日のブログは、途中で用事ができて2日にわたって完成の目をみました。

 

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ムーランルージュ(映画)

2012-01-14 10:14:51 | Weblog

昨年暮れも押し迫った12月28日(水)に

十三の七藝まで出かけました。

映画 『ムーランルージュの青春』 を観るためです。

 

ムーランルージュというのは、小劇場のことです。

それも1931年(昭和6年)に開館した芝居とレビューを提供する

劇場でした。

 

 

 

 

(激動の昭和・新宿に咲いたエスプリとユーモアんの劇場の記録

 とありました。この女性が明日待子さん)

 

 

 

 ここで上演される

魅惑的なレビューダンスと風刺劇は、学生やインテリ層に人気がありました。

 

 

 

 

 

(記念に買い求めたパンフレットの裏側)

 

 

 

 

新宿にあったその劇場は、屋根に乗せた赤い風車の目印と共に戦争を

挟んで20年間もオリジナルドラマを発信し続けたのです。

 

 

 

 

 

(パンフレットの表には、明日さんとムーランルージュの絵が。)

 

 

 

ここから、有島一郎・望月優子・明日待子・森繁久弥・三崎千恵子・由利徹などの

名優が育っていきました。

 

 

 

この映画は、かつてのスターとその家族を訪ねるドキュメンタリードラマです。

この劇場で活躍したスターで この世を去った人、今を生きる人、それぞれに青春とは

何かを問いかけながら、誰にも共通する人生に咲く花とその散り方を美しく感動的に

伝えてくれるものでした。

 

 

 

 

( 『新宿のムーランルージュの

   かたすみに夕にまぐれいて

     我は泣きにけり』 という 歌人・斉藤茂吉の歌も紹介されていて・・・。)

 

 

 

 

ムーランルージュのトップスターだった 『明日待子』 さんは、元祖アイドルで

「初恋の味」 として一世を風靡したカルピスの初代モデルでした。

 

また、明日待子さんは、91歳の今も日舞の先生として活躍しておられます。

そして、とっても若々しい舞う姿が画面から伝わってきました。

何故かとても嬉しかったです。

 この場面を観るだけでも来たかいがありました。

 

 

 

 

(歌手 『春日八郎』 も短い間でしたが、活躍したことも・・・。)

 

 

 

 

私も90歳になっても、背骨をビシッと伸ばしてマジックを演じることができると

いいなぁ~。と切に願いながら帰路に着きました。

 

 

 

 

(明日待子さんは、ムーランルージュの看板スターでした。)

 

 

 

 因みに、ムーランルージュとは、フランス語で 『赤い風車』 という意味です。

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長男一家が帰省

2012-01-08 08:48:46 | Weblog

昨年の暮れの押し迫った12月29日(木)に長男一家が

帰省しました。

 

 

去年のお盆に会って以来の再会です。

 

まず、2番目の孫を抱き上げ感激の御対め~ん!!

上の孫は、小5ですので抱き上げるわけにもいかず、笑顔で 「よく来たねぇ~!!」 とご挨拶を。

 

 

それから、たくさんの荷物を車から家の中へ運びました。

夜に着く予定だったのが、東京を夜中に出たので少し早い到着となりました。

 

 

 

 

 

(いつもの記念撮影で~す!!)

 

 

 

 

 

家族が4人増えて、一遍に賑やかになり、どこかウキウキします。

この日は、荷物を整理して、夜は 『藤よし』 で食べることに。

(その前に小5の孫と長男は、鴨グランドへサッカーの練習に)

 

 

30日の夜は、手巻き寿司にしました。

31日は、夕食と年越しそばを。

 

 

 

 

 

(このスナップは、主人がカメラマンに。)

 

 

 

 

1日は、お雑煮でお祝いをして、おせち料理を。

 

 

そえから、1日は嫁と2番目の孫は、実家の三重へお年始のご挨拶に。

 

 

 

そして、3日の午後に4人は東京へ帰っていきました。

その後は、部屋の空気がシーンとして何か違和感が・・・。

 

 

孫とは、お買いものに一緒に行ってハラハラさせられたり、泣かれて閉口したり・・・。

 

小5の孫は冬休みにもかかわらず、受験問題を一生懸命解いていました。

来年のお正月は受験があるので、帰ってこれないかもと言っていましたが。

(ちょっと寂しいものが・・・。) 

 

 

 

 

どんどん成長していく2人の孫には、ビックリすることも多くあります。

特に、下の孫の表情の豊かさには、感動することも・・・。

 

 

また、今年の8月のお盆には、元気な姿で会えることを祈念して

眠りに就きました。

 

 

 

 

 

 

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