ゼカリア・シッチンの「神々の起源と宇宙人・・マヤ・アステカ・インカ」という本から、オルメカ文明に関する部分を紹介させていただいています。続きです。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
・・・・・
(引用ここから)
しかしある時期になると、この種族たちはこの聖なる都市を放棄し始めた。
最初に去っていったのはトルテカ族で、彼らは自分たちだけの都市「トラン」を建設するために移住していったのだ。
最後に立ち去ったのがアステカ族だった
彼らはいろいろな場所をさ迷い歩いたが、休むということはなかった。
「最後の移住の時がきた」という知らせが、アステカ・メキシカの種族たちに、彼らの神からあった。
彼らは指示された方向に向かって、[水に囲まれた岩から生えているサボテンの上に止まっているワシ]に出会うまで、歩き続けなければならなかった。
彼らはそこに定住して、自らを「メキシカ」と呼ぶことになっていた。
なぜなら、彼らは他の種族たちを統治すると定められた、選ばれた人たちだったからだ。
アステカ族が二度目の移住でメキシコの渓谷に辿り着いたのは、こうしたいきさつがあったのだ。
そして彼らは「真ん中の場所」とも呼ばれていた「トラン」に到着した。
そこに住んでいた人たちは、彼ら自身の先祖たちの親類だったが、アステカ族を歓迎しなかった。
2世紀近くもの間、アステカ族は中央の湖の沼地の端に住み続けた。
そしてついに彼らは自分たち自身の都市、「テノチティトラン」を築いたのだ。
その名称は「テクノの都市」の意味だった。
アステカ族は自分たちを「テクノ」の子孫たちだと考えていたと知られている。
現在、学者たちの間ではこのメキシカ、あるいはテノチアスと呼ばれる種族がこの渓谷に着いたのが紀元1140年頃としている。
また、「テノチティトラン」を築いたのが1325年だったとするのが定説になっている。
アステカ王国の首都「テノチティラトン」が栄華を誇っていた時、トルテカ族の首都「トゥーラ」はすでに伝説の都「トラン」として思い出の中に消えていた。
そしてトルテカ族がその都「トゥーラ」を建設していたときには「テオティワカン」はすでに神話の中の思い出となっていた。
「テオティワカン」には“神々の場所”という意味があった。
そして記録に残された数々の物語によれば、まさにその名の通りだった。
(引用ここまで・続く)
・・・・・
この種族たちの、[本当の故郷]を探す長い旅の物語は、前に6回に分けて紹介した彼らの神話「ポポル・ヴフ」にも心をこめて描かれていました。
この旅の物語は、本当にホピ族の旅と同じであるように思われます。
ホピ族は、「マヤはホピの落ちこぼれだ」と考えているといいます。
都市を作り、文字を作り、ピラミッドを建設し、人身御供を行い、周囲の部族と攻防を繰り返し、滅びていったマヤ族の血を引くからこそ、
ホピ族は、都市を作らない、文字を作らない、ピラミッドを建設しない、人身御供を行わない、周囲の部族と攻防の泥仕合をしない道を選んだ自分たちに誇りを持っているのではないでしょうか?
だからこそ、ホピ族は自らのことを「平和」を意味する「ホピ」と名乗っているのではないでしょうか?
ホピはマヤ以外の何者でもない、と思わずにいられません。
彼らの心は常に過去を見ており、おそらく彼らの目は後ろ向きについているのではないかと思ってしまいます。
彼らの心をひきつけて離さない、強力な磁力のような過去の出来事があったのでしょう。
それは彼らの神と彼らの約束ごとであり、彼らはそのことを決して忘れることがなかったのだと思います。
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トルテカ 10件
トゥラン 5件
テノチティトラン 1件
ホピ 15件
などあります。(重複しています)
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(引用ここから)
しかしある時期になると、この種族たちはこの聖なる都市を放棄し始めた。
最初に去っていったのはトルテカ族で、彼らは自分たちだけの都市「トラン」を建設するために移住していったのだ。
最後に立ち去ったのがアステカ族だった
彼らはいろいろな場所をさ迷い歩いたが、休むということはなかった。
「最後の移住の時がきた」という知らせが、アステカ・メキシカの種族たちに、彼らの神からあった。
彼らは指示された方向に向かって、[水に囲まれた岩から生えているサボテンの上に止まっているワシ]に出会うまで、歩き続けなければならなかった。
彼らはそこに定住して、自らを「メキシカ」と呼ぶことになっていた。
なぜなら、彼らは他の種族たちを統治すると定められた、選ばれた人たちだったからだ。
アステカ族が二度目の移住でメキシコの渓谷に辿り着いたのは、こうしたいきさつがあったのだ。
そして彼らは「真ん中の場所」とも呼ばれていた「トラン」に到着した。
そこに住んでいた人たちは、彼ら自身の先祖たちの親類だったが、アステカ族を歓迎しなかった。
2世紀近くもの間、アステカ族は中央の湖の沼地の端に住み続けた。
そしてついに彼らは自分たち自身の都市、「テノチティトラン」を築いたのだ。
その名称は「テクノの都市」の意味だった。
アステカ族は自分たちを「テクノ」の子孫たちだと考えていたと知られている。
現在、学者たちの間ではこのメキシカ、あるいはテノチアスと呼ばれる種族がこの渓谷に着いたのが紀元1140年頃としている。
また、「テノチティトラン」を築いたのが1325年だったとするのが定説になっている。
アステカ王国の首都「テノチティラトン」が栄華を誇っていた時、トルテカ族の首都「トゥーラ」はすでに伝説の都「トラン」として思い出の中に消えていた。
そしてトルテカ族がその都「トゥーラ」を建設していたときには「テオティワカン」はすでに神話の中の思い出となっていた。
「テオティワカン」には“神々の場所”という意味があった。
そして記録に残された数々の物語によれば、まさにその名の通りだった。
(引用ここまで・続く)
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この種族たちの、[本当の故郷]を探す長い旅の物語は、前に6回に分けて紹介した彼らの神話「ポポル・ヴフ」にも心をこめて描かれていました。
この旅の物語は、本当にホピ族の旅と同じであるように思われます。
ホピ族は、「マヤはホピの落ちこぼれだ」と考えているといいます。
都市を作り、文字を作り、ピラミッドを建設し、人身御供を行い、周囲の部族と攻防を繰り返し、滅びていったマヤ族の血を引くからこそ、
ホピ族は、都市を作らない、文字を作らない、ピラミッドを建設しない、人身御供を行わない、周囲の部族と攻防の泥仕合をしない道を選んだ自分たちに誇りを持っているのではないでしょうか?
だからこそ、ホピ族は自らのことを「平和」を意味する「ホピ」と名乗っているのではないでしょうか?
ホピはマヤ以外の何者でもない、と思わずにいられません。
彼らの心は常に過去を見ており、おそらく彼らの目は後ろ向きについているのではないかと思ってしまいます。
彼らの心をひきつけて離さない、強力な磁力のような過去の出来事があったのでしょう。
それは彼らの神と彼らの約束ごとであり、彼らはそのことを決して忘れることがなかったのだと思います。
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