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未来への便り アドバンス

学校職員を定年前に辞めました。そして株式会社を設立しました。AIを学びながらブログの記事をアップします。

CDS誕生物語

2008年10月04日 09時24分09秒 |      +大学
今週号のニューズウィークの「」という記事にJPモルガンがCDSという怪物を生み出した時のエピソードが紹介されています。マンハッタン計画で生み出されした原子爆弾にもフランケンシュタインにもそして自動小銃AK47にも喩えられています。

「94年にJPモルガンのバンカーたちがフロリダのボカラトン・リゾート&クラブで過ごした週末はウォール街の伝説となっている。彼らはピンク色の壁のスペイン風リゾートで週末の大半を会議室に引きこもり、銀行業の歴史と同じだけ古い問題の解決に取り組んだ。誰かにお金を貸したとき、それが返ってこないリスクをいかに軽減するか、というものだ。

当時、JPモルガンの資産は企業向けや外国政府向けの数百億ドルの貸し出しで膨張していた。問題は、連邦法の定めで、それらの融資の貸し倒れリスクにそなえる準備金として巨額の自己資金をつまなければならないことだ。利益を生まない金である。

バンカーたちが思いついたのは、ある種の保険商品だ。貸し倒れた場合の元利金の支払いを第三者に保証してもらい、代わりに銀行は保険料を払う。そうすれば、JPモルガンはリスクをバランスシートから切り離し、準備金を取り崩して商売に回すことができる。

この仕組みが『クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)』で、デリバティブ(金融派生商品)の一種だ。CDSのアイデア自体はその2、3年前からあったが、大きな取引をしたのはJPモルガンが最初だった。同社は90年代半ばに『スワップデスク』を設置、CDSの市場をつくるためにマサチューセッツ工科大学から若い数学者や科学者を雇い入れた。

数年後には、安定的な収益を確保しながらリスクを回避する手段として、CDSは最もホットな金融商品となった。『マンハッタン計画にかかわった人たちの話を聞いたことがあるが』と当時JPモルガンの専務取締役をしていたマーク・ブリッケルは言う。『あのときボカラトンに集まったわれわれにも、大変なものの創造に立ち会っているという実感があった。』…今日、経済がよろめきウォール街が廃墟と化したねは、彼らが14年前に解き放った怪物に大きな責任がある。

アメリカ最大の保険会社AIGは投資銀行や保険会社などに対して保証していた140億ドルにのぼるCDSの支払いに行き詰まり、納税者の金で救済された。この一年の金融システム危機の原因の多くは元をたどればCDSに行き着く。その市場は62兆円に達した。ニューヨーク証券取引所に上場する全株式の時価総額の4倍近い額だ。」

どうですか?モンスター誕生の次第です。
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