松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島~中東~東欧~ベラルーシ~リトアニア7月25~27日 

2014年07月28日 | 赤道直下と陸路国境148か所
 ベラルーシからリトアニアにはいる・・・





















かろうじてベラルーシ・・脱出
2014年7月27日日曜       はれ15℃     はれ20℃
5時半にお世話になったゲストハウスを出発・・きのう挨拶は済ませている。玄関の「鍵」、
車を出すゲートを開けるリモコンもレセプションにおいてあることを聞いている。

きょうもいい天気だ・・。リトアニアに抜けるハイウェイの道はきのう確かめていたのだが
昼間と朝とでは風景・・朝日の光で昼間見た風景が黒くなって見えなくなっていた・・それ
でも確かめておいてよかった。

問題なくすんなりとM6に入ることが出来た。バス停で待っている人女性に「この道ビリニ
ュス」・・「OK・・」「真っすぐ・・」と・日曜とあって車は数えるぐらいである。

国境を見逃さないように・・150キロ走って・・ガソリンスタンドに入って・・ドライバー
に聞く。

そのまま走っていくと・・「ボーダ」があると・・わかっていても聞いた方が気持ちが落ち着
く。トラックが1キロ近く並んでいるので・・ここがボーダー国境だ。

トラックをしり目に先頭に出る・・どこの国境でも乗用車・オートバイの手続きはトラックと
は違ったゲートになっている。

手続きに入った、「ロシア出国のスタンプがない」まずいなー「・・・」「ベラルーシの・・
ドキュウメント」「・・・」まずいことになりそうだな・・。

「ロシアとベラルーシの国境がなかった」などと話しても無駄だと思って・・なにを言われても
「だんまり」「しらんぷり」の戦術でいく。

他のドライバーのドキュウメント作成が終わった・・とゆうより夜勤明けの係官の交代の時間の
ようだ・・これからは新しい女性が引き継ぎで待っている・・

男の係官の仕事はわたしのドキュウメント作成が最後になるようだ・・あっちこっち電話を入れ
て・・ドキュウメントが出来上がった・・よしよし。

となりの事務所で最後の「パスポート」スタンプで手続きは終わり。別の係官が来て・・「グリ
ーンカード」(交通事故保険)はあるかと来た・・・マジーイ・・「ヨーロッパでは必要な保健」
なのだ。

グリーンカード「あるか」・・ありますよ「日本の保険証」を出した・・幸いに英語で書いてあ
る・・「ワンイヤー」「一年間の保険証書」ですよ・・日本語で説明・・

納得した・・とゆうより言葉がお互い通じないから面倒になったのだろう・・か。納得しない顔・
「しょうがないってゆう感じ」でおしまい。

ベラルーシの手続きすべて終了8時35分から9時40分・・1時間程かかった。次はリトアニア
入国手続き・・緩衝地帯は50mと短い(狭い)がそこで待たされる。

ようやくリトアニア側に入った・・・ここの手続きはパスポートにスタンプを押すだけだが・・
10台(人)分づつパスポートを預かってスタンプを押して戻している。

結構時間がかかりここでも1時間かかった。パスポートをもらってすべて終わり。10時10分か
ら11時までかかった。

リトアニア・に入った・・首都ビリニュスまで33キロの標識と近い・・ベラルーシと同じ丘陵地
帯・・平原が続く・・。

市内には入って二度道を聴く・・12時前にビリニュスのセントラル駅についた。国境で両替でき
なかったので・・パンク・タイヤ代として大金4万円おろしていたので駅構内にある銀行でリトア
ニア紙幣に両替。

日曜なのでダメだと思ったが駅構内の銀行はあいていたので助かった。タクシーに頼んでゲストハ
ウスに向かう、5,6分でついた。

きのうパソコンで予約していた「センタースティ・ホステル」わたしの部屋は12人部屋一泊・・
1000円。雰囲気から結構泊っている感じ。さっそくマーケットで食料・ビールを買い出し、昼飯
とする・・13時。

ホテルの窓から・見える・・観光客の姿が多いなー・・人気の都市なのだろうか・・陽ざしが強いなー。
ベラルーシは11時頃陽が沈んだ・・。

リトアニアは白夜に近い国・・13年前ヨーロッパを走り2001年6月にポーランドから入った・
・・・11時を過ぎても暗くならない・・日本では考えられなかった、不思議で不思議で驚いたこと
を思い出す。

もっとも・・もっと北のノルウェイでは今の時期、太陽が沈まない・・白夜になっているはず。二回
目になるリトアニア・・今回は南のベラルーシから入ったことになった。

当時・・リトアニアのどこをどう走ったのか・・たしか泊まったユースホステル・は覚えている・・
のほか記憶にない・・思いだしているが・・いまは・・でてこないー。

近くにユースホステルはあるが・・ここのユースとは違うな・・。











2014年7月26日土曜     はれ          はれ
あした、リトアニアに向かうため道路の確認・・・オートバイで走ってみる・・途中オートバイを止め
て・・聞く、行き過ぎたようだ2台目に聞き戻ってM6号線に入るジャンクションを・・

確かめた・・まわりの建物・・ハイウェイの橋の標識・・など間違いないようにと確かめた・・さて、
あしたは、どうなるか。車の数は多くはない・・街の景色・・落ちついた・街中でも3車線の広い道・
・静かな街・・おとなしい街。

めずらしい都市ミンスクだなー走りながら気付いた。あした国境に一番近いバルト三国・のひとつ、
リトアニアに向かうことにした約200キロ。

ほんとうはウクライナ・キエフまで行きたかったが・・ベラルーシから直接だと時間がかかりそうだし
・・ロシア圏とウクライナ・・今もめていることもあるし、

国境でも時間がとられそうなのでヨーロッパから回り込んだ方がいいのではないかと・・思い直して回
り道してはいることにした。










はずかしい・・70才にして7才のこどもにおしえられる
2014年7月25日金曜     はれ      はれ
ベラルーシのビザ、オートバイのパンクの修理・・とりあえず・・気になることはすませた。気持ちも
楽になり・・一日ゆっくりできそうだ・・

着いたころ2,3日は黒い雲が出てきて夕方パラパラ雨が降ってきたが、ここにきて天気の方も落ち着
いてきたようだ。ゲストハウスの掃除の日なのか・・7才と9才の息子がいる・・

きょうは7才の息子は床の掃除を一人で始めている。トイレ、廊下・リビング・・ブラシを使い最後は
布で仕上げる。手抜きなどしない広いリビングの掃除の仕方に感心。

わたしは子供のころ手抜きは当たり前・・中学生のころ「タンクサ」(田の草)とりで小さい「水車が
ついた」機械を「ガラガラ」押して稲と稲の間を転がして草が生えないように・・草採りをやらされて
いた。

一列づつやるのだ、ガラガラ機械を押すと田んぼが濁ってしまう・・。早く終わらせたいから、わから
ないだろうと一段ぬかし二段ぬかし・・「せこい」気持ちが出てくる。

しかし水が澄んできれいな田んぼに戻ると・・ぬかした、飛ばした(さぼった)形が、歴然とわかる
(見えてくる)。わたしの子供のころに比べると7才にして「手を抜かない」・・親のしつけとゆうよ
り・・親がやって見せてきたのだろうか・・。

その母親はカーテンをはずして高いレールの上まできれいに拭きとっている。7才の掃除を見て・・
それからは廊下を歩くのにも・・手洗いで水を使う時も・・汚さないように気をつけるようにしてい
る、掃除する子供(家族)に申しわけない気持ちだ。70才にもなって7才の子供に教えられている。