松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

被災地・南相馬市に行ってきました

2011年04月03日 | お知らせです

被災地・南相馬市役所

電動バイクを提供された「オリエント」社のおぎすさんとスタッフ(黒の上着)と受け入れの南相馬市の職員

「集団避難先受け入れOK]嬉野谷口市長のメッセージを届けました

福島原子力爆発で動くに動けない被災地南相馬市に行ってきました。

きのう4月2日地震・津波・それに原子力爆発20km~30km
範囲で動くに動けない南相馬市に電動スクーターを提供される

「オリエント」の代表者おぎすさんとスタッフと

佐賀・嬉野市からの被災地に対する「被災お見舞いと集団
避難先受け入れ準備OK」の手紙の依頼を受けた嬉野市出
身・わたくし松尾の3人で向かいました。

初めて顔を合わせるオリエントのおぎすさん、朝6時半に
北浦和駅まで来ていただき便乗させてもらいました。

東北高速・郡山近くになったあたりから地震の影響を受け
補修した跡は段差が出来ています。二本松で下りて南相馬
市へ。お見舞いか、帰省なのか土曜日のせいか車の往来は
多かったです。

原子力爆発の影響で避難命令が出ている、双葉町・浪江町
に向かう道は通行止め。迂回して回り道。放射能が多いと
報道されている飯館村を通過。

雪が残る峠を超える。南相馬市に入る手前30kmと思わ
れる地点で警察による検問所で一時停止。

11時ごろ南相馬市役所に到着。おぎすさんたちが用意した
電動スクーター2台のほか、灯油、トイレットペーパーなど
ネットで「何が」足りないのかを調べて(さすがです)用意
したと話していた荷物をおろして市役所の人に渡しました。

そのあとわたしも「嬉野谷口市長」から依頼された手紙を渡
しました。「嬉野市の気持ち」が少しでも伝われればと思い
ます。

市役所の人たちも全員マスク、ものも言えない忙しさ。市長
さんももちろん「外出している」と市長室に掲げられている、
事前に連絡はしていたのですが応対に出てきてくれた人も忙
しい中対応して頂きました。

屋内退避地区の南相馬市役所には地元の人5,6人が訪れて
いましたが市内には歩いている人を見かけません、商店も
ガソリンスタンドも閉鎖中でした。市役所の玄関に被ばく
を少しでも防ごうと水ががまかれてマットが敷かれていま
した。

市役所周辺での被害は屋根瓦が崩れていて青いシートをか
ぶせているところもありましたが崩壊している家は見かけ
ませんでした。

電動スクーターを提供されたオリエントの人たちは貿易中心
の仕事です。海外で仕事する事が多いのです。自分では大丈
夫だと思っていても日本から「外国」に向かったその時、その
国で放射線の検査を受けて「入国できない」人たちも出てき
ていると聞きました。

日本でもよくやっているごく僅かなマリファナ所持者でも摘発
する窓際作戦と同じでその国の使命でもあるのです。
物は微量で小さくとも敵は見えない影響力のある放射能です。

ワゴン車の座席には保護ビニールシートを敷き、おぎすさん
たちが着ている上着は帰ったら上着、ビニールシートなど
廃棄処分すると話されていました。自分の事は自分で守る。

なるだけ被ばくしないように少なくて済むようにしていました。
大したことはないだろうと思っていましたが、横浜など大型旅
客船は被ばくを避けるため立ち寄らないなど国際的にはおおごと
になって来ているようです。

わたしは自分の危機管理の甘さに反省させられました。
そのようなわけで被害の出ていると思われる海岸通りには
行くことはしませんでした。

おにぎりを3人分9個作って持って行きました。行き帰り
トイレ一回だけ、それ以外車から出ることはなかったです。