教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

生きるのが辛くなる日

2010-09-30 00:00:17 | オタネタ全般
生きるのが辛くなる日がある。
3ヶ月に1度、必ずそれは訪れる。

それは・・・
お気に入りのアニメが最終回を迎えるこの時期だ。



特に今回は辛い。

けいおん!!も終わった。
ストライクウィッチーズ2も終わった。
ついでに、アイマスも・・・終わった・・・のかな。

今日は帰ったら、けいおん!!を見る。
今日は帰ったら、ストライクウィッチーズ2を見る。
そうやって暮らしてきた生活サイクルを断ち切られるのはかなりの痛みを伴う。



けいおん!!の終わりかた。
あれは大学での新生活への開かれた未来を予感させるようなものではなかった。
むしろ、あの世にでも旅立ってしまい、もう二度と会えないかのような終わりかただった。

ストライクウィッチーズ2にしてもそうだ。
あれは人生を賭けた全ての事を成して、そしてこれから余生を迎えるかのような終わりかただった。

だからこそ辛い。
彼女たちの幸せも、わたしの幸せも、アニメが放送されていたただその時にしかなかったかのように思えてしまう。



この傷は時が癒してくれる。
きっと。

今までもそうだった。
そう、新しくアニメが始まり、そしてまた夢中になれるアニメが見つかればいい。
その時また、わたしの傷は癒えるのだ。

いつかまた、ルッキーニや澪の縞パンに等しい素晴らしきパンツを拝む日が来るものと信じて。

作り直しはどこまで許されるか(アイマス2等)

2010-09-29 00:11:56 | オタネタ全般
最近のアイマス界では、例の9.18事件のおかげでアイマス2の作り直しのためのweb署名運動が盛り上がっている。
ようするに↓これだ。

アイドルマスター2 竜宮小町4人プロデュース不可撤回の嘆願署名
http://www.shomei.tv/project-1606.html

わたしは署名には参加していない。
既にあきらめているし、作り手に
「今まで作ったものを破棄して作り直せ!」
という過負荷を要求するのも気が引けるからだ。



そもそも世間ではどこまでその作り直しが許されるのだろうか。

民生用と産業用では、産業用のほうがかなり制約がゆるい。
産業用の場合、革新的なテクノロジーを投入して今までできなかった事をできるようにしたモノを作ったら、それを1日でも早く持ってこいと要求されることが多い。
そこでは納期が優先で少々不完全でも許される。
その場合はメーカーが後で現地にいってちゃんとしたモノに組み直すことが暗黙の了解となっている。

しかし民生用はそうはいかない。
ちゃんとしたモノに組み直すとなると万の単位で出荷したものを全品無償交換するということになり、ヘタしたら会社ひっくりかえるほどの大騒ぎになる。
よほど致命的でもないかぎり不可能だし、だから民生用であるゲームは作り直しが許されにくい。



パソゲーとコンシューマーではどうか。

パソゲーの場合、仮に致命的なバグがあったとしても後でパッチを配布すればいいじゃないかという甘えが許されている。
ひどいものになるとパッチが1Gbyteもあり、そういうのは大台にのったのを皮肉ってギガパッチと呼ばれる。
もちろんこれは家庭に高速のネット回線が普及してから後の時代の話で、かつてはこうではなかった。

それにひきかえコンシューマーではパッチの配布が困難だ。
昨今のゲームの開発規模で完全にバグを取り除くのは不可能に近いため万全を期すということ自体実現できないのだが、それでもコンシューマーのほうがバグに気をつかって開発されている。
そして売ってしまった後に修正できないために、より作り直しが許されにくい。

もう1つ理由がある。
パソゲーで特にエロゲの場合、零細企業がかなり多い。
したがって途中で親分の独断で方針転換することもやりやすい。

しかしコンシューマーではそうもいかない。
コンシューマーの場合、スクエニやバンナムを筆頭に、一部上場をはたしている場合も少なくない。
それだけ規模が大きいから方針転換も難しい。

たとえば金融業界出身でゲームのことなどサッパリの取締役にむかって
「いま開発中の大型タイトルの○○なんですが、今までのを破棄して最初から作り直すので納期が遅れますけどいいですか?」
などと、いったいどうやって説明すれば納得させられるだろうか。

不可能だ。
作り直すと宣言するだけで果てしなくうんざりするはずで、作り直しに強い制約がかかる。



ネトゲとネトゲ以外ではどうか。

ネトゲの場合には不完全ななまリリースして、後で大型アップデートで修正するというやりかたも多少とれる。
また、開発途中のものを一部ユーザーに公開して、ユーザーに無償でデバッグを手伝わせるというインチキ技も普通に行われている。
ネトゲはそういう逃げ口の面でも優位に立っているのだ。



アイマス2はどうだろうか。

本来ならば強い購入意思を持っていた潜在ユーザーのほとんどは明らかに作り直しを要求している。

しかし、上記理由により作り直し案が可決されることはかなり難しいだろう。



今回の顛末。
ゲームのことなどサッパリな上司が
「男向けゲームである反面、女にも売れるように企画しろ」
などとトンチンカンなことを言ったがために、かの戦犯ジュピターが生まれたのかもしれない。
そしてジュピターという癌細胞が陣取ったがためにディスクの容量不足に陥り4名のリストラが発生したのかもしれない。
もしそうだとしたら真の戦犯はジュピターではなく無理解で愚かな上司にあり、その上司は致命的な失言によりアイマスという手堅いドル箱をブチ壊しにしてしまったのだ。

とはいっても、アイマス2がこうなってしまったのは誰が何と言ったせいなのかは全く知らん。

開発メンバーのうち少なくない人数は
「こんなもの前作のファンに嫌がられるのは目に見えているだろ・・・」
と思っているかもしれない。
しかし発売してしまえば社内的には紛れもなく評判は彼らの責任となる。

わたしは彼らに抵抗を期待したい。
その反面、作るべきモノも作りたいモノも作れず、ただ業務命令でつまらないモノを作らされているとしたら彼らに同情もしてしまう。

AICが買収された

2010-09-28 00:05:36 | オタネタ全般
「俺の妹」などのアニメ制作会社AIC、パチスロ機メーカーが子会社化
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1009/27/news068.html

AICがパチンコ屋に買収された。
いままでファンドの傘下だったらしい。

http://ir.nikkei.co.jp/irftp/data/tdnr2/tdnetg3/20100927/6him4m/140120100927019014.pdf

さて、↑このように今までわからなかったAICの経営状態を見ることができるので、比較分析してみることにした。



単体じゃあよくわからんので東映アニメーション(4816)とIGポート(3791)の決算短信から情報ひっぱってきて比較してみた。

わかったこと。
AICはOVAも含めると年に6~10本もリリースしているのに意外に会社の規模が小さく、ジャスダックでも上場できないかもしれないくらい。
会社の規模を考えるとけっこう借金多い。
けど東映アニメーションほどではないにしろIGポートより儲かっていて、ここ2年共に十分に稼ぎを得ていて割と健全だ。

買収金額の5.3億円は割安ではないにしろボッタクリだと言うほどでもないかもしれない。
でも、もし仮に上場していたとしたら、わたしだったら(優待狙いでもない限り)この値段では株は買わん。
アニメの元請というのは当たり外れにかなり強く左右されるバクチのような商売なので、一般企業よりも業績のボラティリティーはかなり大きいはずだと考えなければならないからだ。



そもそもなぜパチンコ屋がアニメ屋など買収したのだろうか。
それにはパチンコ業界の現状にかかわる問題がある。

最近のパチンコ業界はちょっと古い有名なアニメの版権をひっ捕まえてきて、子供の頃にファンだったおっさん共をパチンコに引きずりこもうというビジネスモデルで動いている。
エヴァとか北斗の拳とかは有名だろう。
したがってアニメの版権の確保は死活問題になる。

ところが。
最近では、鳥山明氏のようなパチンコ嫌いをのぞくと、有名なもののほとんどは既にパチンコ化されていて、もはや開拓の余地は限られたものになっている。

それもそのはず、自分の精魂込めて作った作品で賭博の片棒をつがされたりパチンコ依存症になるヤツを増やして破産の増加に一役買ってしまったりと思ったら、誰だって気分が悪いのは当然だ。
台湾でも韓国でもパチンコは違法であり、またパチンコ店は韓国系や朝鮮系でなければ成功しないというのは有名な話であり、あれは元からカタギの商売ではない。
作者の鼻先に札束ぶら下げてついつい承諾させてしまうという悪どいことでもやらない限り普通は乗り気になってはくれないだろう。

さあ困ったね。
というか、わたしはパチンコ嫌いなのでパチンコが廃れるのは大歓迎したいところではあるが、この際それは置いておこう。

さて。
ここでパチンコ屋の1つであるオーイズミが動き出した。
自分でアニメ屋を買収してしまい、版権を自社内で囲ってしまう作戦に出たというわけだ。



この作戦はどう出るのだろうか。
AICの作るアニメにどういう干渉が加わるのだろうか。
AICがパチンコ屋のようなイヤらしいものになり下がるのだけは止めてほしい。

アイマス2で1人プロデュースができない件

2010-09-27 00:04:16 | オタネタ全般
アイマス2では1人プロデュースができない。

キホンは3人。
5人にはなるのかもしれない。
しかし1~2人は不可。

これは4人リストラや男アイドルの出現ほどではないにしろ、アイマス界に大きな物議を醸し出した。



なぜこうなったのだろうか?

これには1つ憶測がある。

初代アイマスは対話型システムを持つ。
システムとしての完成度はカンペキではないかもしれないが、それをベースにして作ったギャルゲーとしての完成度は最高だった。
でなければこんなに多くのファンはつかなかったろう。

制作側はそこで完全燃焼を果たした。
もしそれが不完全だったとしたら、我々はそこまで熱狂することはない。

L4U!やPSP版はキホン的には無印からの派生商品である。
あれはあれで素晴らしいが続編ではない。
今回のアイマス2が初めての続編となるのだ。

だからこそ制作側は次作に対して高いハードルを用意されることになった。
完全燃焼を果たした前作を上回るものを期待されるからだ。

初代アイマスと同じ対話型システムで1人プロデュースをベースにすると、どうやったって初代の焼き直しを超えるものはできない。
初代アイマスを超えるものを作るには、その基本システムにまで手を入れる必要があるのは明白だ。

運営側はそう思った。
恐らくは。

運営側は知っていた。
「対話型システムを放棄することはL4U!のような派生商品を作るのと同じことで、それは続編の名を冠するには値しない」
ほどなく運営側はある回答にたどり着いた。
「複数人を登場させてアイドル間のやりとりを追加すれば、前作とは全く違う新たなものはできやしないだろうか」
これは必然である。
「アイドルを複数人同時にプロデュースする仕様としよう。今回のテーマは団結かな」
そう繋がるのには時間も思考も要しない。

・・・これはあくまでも憶測でしかないことだが。



我々ユーザーにとってそれはどう見えるか?

ユーザーにとってアイマスとは、誰か特定の1人の女の子と過ごす幸せがほぼ全てである。
特に1日1回はヒロインのことを想像するほどにアイマスに魅入られている者たちにとっては。

たとえばわたしでいえば、わたしは実生活に支障をきたすほど千早に魅入られた。
アイマスを買ったとはいえ、実は千早以外のヒロインは1度たりともプロデュースしたことがない。
ひょっとしたら単に千早のファンなだけであって実はアイマスのファンなのではないのかもしれないとさえ思うほどである。

そんな彼らにとって複数人プロデュースとは何を意味するだろうか。
彼らにとっては特定の女の子とたった2人で過ごす幸せの中に必要ないものが割り込んでくるようにしか見えないのだ。

これまでのアイマスはよかった。
自分自身と愛するその娘のたった2人だけの閉じた世界で、そしてその娘と同じ未来を見て共に生きる。
それほどまでに至福の時があっただろうか。
しかし、これからのアイマスはそうではなくなってしまっているのだ。

多くの男にとって、2人以上の女の子にむかって
「2人とも平等に愛してるぞ!」
なんて言うことなどできやしない。
自分の心の中にはたった1人しか棲めないのだし、仮に2人以上棲んでいたとしたらそれは両方とも大して愛していないことの裏返しでもある。

アイマス2の3人プレイ。
これを始めたとして、その自分の好きな女の子を除くのこりの2人を見てどう思うか。

良く言えば、あの娘と同じ愛情を注いでやれない事が申し訳ない。
悪く言えば、ジャマ。

そうにしか見えないのだ。

このたび真+千早+響のCDが出るようだが、現にわたしは千早だけのCDであることを望んでいる。
真も響も好きだが、千早の歌声を聞いている中に声がかぶってしまうと、彼女たち2名の歌声を心の中で邪険にしてしまいかねない。
そう思ってしまう自分がイヤなのだ。
ゲームをプレイするときだってきっとそうだろう。

この仕様は4人リストラや男アイドルの出現の件ほど致命的だと批判するのはやり過ぎだと思う。
複数人プロデュース化にはバンナムの企画側も苦悩したのではないかと察するべきところもあると思う。

しかし、我々が望むものとは違ったのは大変な不幸である。



アイマスはさらに進化する余地がほとんどないほどに既に完成の域に到達していたのかもしれない。
現にアイマス2ではキャラのグラフィックの改善という技術レベルでの進化だけしかユーザーに歓迎されていない。

・・・最近になってそう思うこともある。






追伸:

魂をえぐられる痛みに耐える自信のある猛者のみ以下の動画を見よ。

【アイマス2】可能性はもういらない(画像集・改)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12198829

シューティングと死のイメージ

2010-09-26 00:03:51 | シューティング
シューティングをやっていると、時折強く死をイメージしてしまうことがある。

シューティングという読んで字のごとく、敵を撃ち殺すということを意味しているのではない。
むしろその正反対の意味だ。
自分が敵に撃ち殺されるという意味だ。

俺は簡単に死ぬ。
俺は特別な存在でない。
シューティングをやった人なら誰でもそう思う。

これは負けが死のイメージには繋がらない格ゲーとは全く違う。
わざと極限プレイをしないかぎり簡単に全滅することはないように設計されているRPGともまた全く違う。
最も簡単に死んでしまいやすいゲーム、それがシューティングだからだ。

シューティングの世界では、自分は単なる一介の兵士として戦場に赴く。
そして極めて高い確率でそこで死を迎える。
運よくクリアできたとして、それはそれでみずからの寿命が尽きたことを暗示させられる。

現代の日本では、病院勤務などでもない限り死は身近ではない。
むしろ死は隠されているというほうが近いかもしれない。
だからこそ普段は死を意識することなどありはしない。

そのことをとって自称良識派のバカはいう。
「ゲームは思春期の子供にとって死を身近にさせ、ついには人間の尊厳を軽んじる役割をしている」
のだと。

それは違う。
ゲームは確かに死を身近にするかもしれない。
しかしそこで我々は死から免れるためには死に者狂いで生きなければならないこともまた肌で実感するのだ。

アーケードのシューティングでは全2周を遊んだところで1時間もかからない。
そこでは寿命いっぱいまで精一杯生きたところで1時間の命なのだ。

だからこそ、プレイが終わり現世に帰還したときに思う。
わたしのこちら側での寿命はまだしばらくある。
残りの時間で何をして遊ぼうか・・・と。

近視の誤解

2010-09-25 00:33:07 | 経済/経済/社会
(註:ここから書くことは十分には裏をとってないのでヨロシク)



よく、
「こんな小さいもの見えないよ! 俺は視力1.5なんだけど全然見えない!」
なんて言っているヤツを見る。

しかし、実はこれは見当違いも甚だしい物言いだ。



そもそも視力とは何か。

視力とは、人間の眼球の焦点が合う位置以上に遠いところにある画像の測定分解能を表したものである。
だから焦点が合う範囲内またはそれより近い位置の分解能は表していない。

近視とは何か。

近視とは、焦点の可動するダイナミックレンジが不自然に近い位置にオフセットしている状態を指す。
近視だと「目が悪い」と言うが、単に遠くに焦点が合わないだけであって、決して眼球の分解能が悪いわけではない。

では、小さいものを見るときはどうだろうか。

レンズの焦点が近い位置にあるほうが良いに決まっているではないか。
小さいものを見るときは近視のほうが有利なのだ。

わたしのようにド近視の人はやってみるといい。
小さいものを見るときはメガネを外したほうが見やすい。
具体的には、眼に近づけて見ることができるので拡大率が上がる。
近視用のメガネは焦点を遠くにおしやる光学補正装置だから、焦点をなるべく眼に近づけたいときには無いほうが良いのだ。

では視力1.5の人はどうなのだろうか。

焦点の可動するダイナミックレンジが近視の人の可動範囲も含むほど広いのであれば同等の性能を得られる。
しかし一般にはド近視の人ほど焦点を近くすることはできない。
だから小さいものを見るには不適切な眼球である。

近視の人は虫眼鏡標準装備であり、それをメガネで逆補正して焦点のダイナミックレンジを人並みに戻している。
そのメガネを取って虫眼鏡標準装備状態の人と小さいもの見比べ勝負をしようなどと言ったって、そりゃあ無理があるというものだ。



ようするに
「こんな小さいもの見えないよ! 俺は視力1.5なんだけど全然見えない!」
なんて言ったら笑いものになるから止めておきなはれということだ。

外でblog記事を書いてみる

2010-09-24 00:06:53 | オタネタ全般
わたしはよく、休みの日は1人でファミレスに行き食事をして、そのままドリンクバー使いながら延々と読書していることも少なくない。
最近はそれにプラスして、この前買ったネットブック風PDAでblogの記事を書いて遊ぶというのも加わった。

やってみるとわかるが、これが意外に気分が良い。
ホントは大したことしてないのだが、なんとなくハイテクっぽいカッコいいことをやっているような気がしてくるのだ。
他にも、場合によっては乗り換えや待ち合わせのときにもヒマつぶしに使えるのかもしれない。

しかし!

意外に使えそうで使えない局面がある。
新幹線の中がそうなのだ。



先日、新幹線に乗った際にこれを開いてblogの記事でも書こうかと思った。
しかし、隣に座ったのは若いねぇちゃん。

ちなみにこの若いねぇちゃん、なかなかフシギな人物だった。
チラッと見ると
「女性のための(ry」
だとか
「ry)の社会を目指して」
だとかの書かれたパンフレットを延々と読んでいた。
赤い人なんだかフェミな人なんだか知らんがご苦労なことだ。

さすがにその若いねぇちゃんの隣で
「千早のおっぱいもみたい」
とか
「貧乳こそが美しいのだ!」
などという文章をタイプする勇気はない。
ヘタしたらセクハラで車掌呼ばれるかもしれないではないか。

ヘタしたら次の日の朝刊で
「女性の隣で猥褻な文章をタイプした疑いで会社員を逮捕」
なんて出てくるかもしれないではないか。



まあ、当blogは内容がイカれてるので、ニュースになったらアクセス数が急増するかもしれん。

裁判にでもなったらさらに恥ずかしいかもしれん。
「被告はアイドルマスターというゲームの登場人物(千早)の胸部に異常に執着し、『おっぱいはAカップ以下でなければ認めん!』などと意味不明なことをblog記事にして不特定多数に公開するなど精神に異常性を持っており・・・」
なんて言われることになるのだろうかね(笑)。

アイマス2の9.18事件その後

2010-09-23 01:24:49 | オタネタ全般
アイマス2の9.18事件のすぐ後、なかなかに秀逸なMADが多数製作された。

やよいがチューしているもの。
春香が肩を抱かれているもの。
美希がパイタッチされて喜んでいるもの。
千早が妊娠して結婚しましたとハガキに記したもの。
・・・そういうものたちだ。

これらは実に良くできていた。
ファンであればあるほどそれに心を揺るがされた。

ある者はそれを見て起こりうる最悪の未来に涙した。
ある者は我々の憤る気持ちをうまく表現してくれたと喝采を贈った。
ある者は自分の大切な伴侶を汚したそのMAD製作者を殺したいほど憎んだ。
ある者はバンナムの間違った仕打ちに対する正当な報復であるとあざけり笑った。

皆・・・ではないかもしれないが、ほとんどの者たちは真剣だった。
だれもアイマスを下品なものにしようとしたり、バンナムを貶めるべく非難をあびせたりしようとしたのではなかった。

なぜなら!

皆、アイマスのアイドルたちに心の底から惚れていたからだ。

わたしはこれらは秀逸なものと感心した。
ただ、amazonのアイマス2の書き込みはクリアされてしまったので、バンナムのご機嫌は損ねてしまったらしい。
なので、あまりおおっぴらにするのは歓迎すべきことでもないようだ。
・・・まあそれはいいとして。



さて。
ニコニコのノベマスでも、アイドルがくっついたりどうだったりという作品は少なからずある。
かくいうわたしのノベマスでも、千早と主人公はけっこうアレな関係にある。

しかし、そのほとんどは視聴者のご機嫌を損ねるようなことにはなってはいない。
ご機嫌を損ねるものも稀にあるが、それは失語症のような難しいテーマを扱ったがゆえに賛否両論を巻き起こしたものであり、ファンの多くに拒否感を植え付けるようなものではない。

それに対してアイマス2の公式はどうか。
あの男キャラに対する拒否感は尋常ではない。

なぜか?

それは視点の違いにある。

ノベマスの多くは主人公とアイドルがくっつく仕様になっている。
ノベマスの読者は主人公視点でそれを観るため、主人公の成すことをそこで擬似体験する。
これはノベマス特有のものではない。
これは映画で古くから使われているのと同じ手法である。

ではアイマス2だけ何が違うのか?

それは、アイドルが他の誰かとくっつくところを横で指をくわえて傍観することを擬似体験してしまうからだ。

バンナムは言った。
アイドルとくっつくような後味の悪いストーリーは存在しないと。
(うるおぼえにつき文面不正確)

しかし問題はそれでは片付かない。
ゲームを購入する前から後味の悪さを彷彿してしまうことに問題がある。

ゲームはワクワクドキドキしなければ買えない。
店で買って家で袋から出すのが楽しみでしかたがないようなものでないと買えない。
わたしのように社会人で独身であれば買って失敗だったと思ってもたかが数千円くらいで長々と落ち込むには値しない金額だが、特に10代のユーザーにとってはゲームを新品で買うのに必要な対価はかなり高額で、喜んで買ったにもかかわらず失敗したと思ったら当分立ち直れないくらいショックがデカい。
だからそんな袋から出す前から後味の悪さを彷彿させてしまうようなものに納得できるはずもないのだ。



我々ニコマスに棲息する民は今後どうなるのだろうか。

1つはこのまま不安がつのりつつアイマス2の発売を待ち、やがて熱狂的ファンが1人また1人と去っていき、そしてコミュニティーが収束し自然消滅に向かう未来。
これはあまり望ましくはない。

もう1つある。
我々にとってのアイマスとは、9.18事件前夜までが全てだったと解釈する未来。
公式とは、2010年9月17日までが全てであり、全ての題材はそれを基本にし、それ以降はガン無視し、自分の認める未来だけを独自に作る未来。
これが望ましいかどうかはさておき、少なくともファンたちの自然発生的に生まれたコミュニティーが自然消滅するのを傍観しているよりはマシであろう。



この問題は誰か1人で解決できるようなものではない。
我々が総体としてどう思うかを我々自身が示していくことで作る未来なのだから。

ヒロインとの人生は自分でつくるもの

2010-09-22 07:05:07 | オタネタ全般
「ゲームはプログラム通りにしか動かないから、ゲームのヒロインは自分の思い通りになる」

・・・とまあ、こんな意見が世間の大勢を占めている。
ろくにゲームをやったこともないような連中にとっては特に。
今回はこれについて反論してみたい。



まず後半部分。
「ゲームのヒロインは自分の思い通りになる」

これについての反論は前に書いたことがあるので省略したい。
以下参照のこと。

> 「ゲームの女に勝つ自信は?」→半数「ない」
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20100717



次に前半部分。
「ゲームはプログラム通りにしか動かない」

これは正しい。
ゲームにおいてのヒロインとの会話ルーチンは手続き型言語(またはそれがベースとなっている何か)を用いて作られているはずだ。
だからプログラム通りにしか動かないのは当然。

しかし!

ゲームにはもう1つの楽しみ方がある。
例えば2次創作という形のものだ。

好きなヒロインの絵を描いてみる。
好きなヒロインの同人誌を描いてみる。
好きなヒロインの小説を書いてみる。
好きなヒロインの動画を編集してみる。

ここまでマジメに1つの作品にする必要もない。
元ネタ帳へのメモ書きやら、普段の空想やら、そういったものも含んでもいい。

これら全ては2次的なものとはいえ創作だ。
決してプログラムではない。
そしてそうやって創ったもの全てが自分が愛したヒロインとの自分だけの人生なのだ。

例えばわたしの例でいえば、ニコニコに投稿したノベマスもわたしの千早と過ごした人生の1つだし、ノベマスにならず没になったネタの数々やら、あまった紙に自分で描いた千早の絵もまた千早と過ごした人生の1つである。



創作は楽しい。
その反面、創作は苦しい。
そうやって楽しんだ分だけ、そうやって苦しんだ分だけ、思い入れも強くなる。

単にホンモノの女の子と遊園地にでもデートにいったのと比較してみるといい。
そんなものとは比較にならんほどアクティブに活動しなければ、ゲームのヒロインと自分との自分だけの人生は紡ぎ出せない。

とりあえずプレゼントでもくれてやれば、とりあえず喜んだようなアクションをする女。
とりあえずファンシーショップにでも行けば、とりあえずかわいいとリアクションする女。
そんなヤツらのほうが、よほど手続き型言語をつかってプログラミングで動作を実現しやすいとは思わないだろうか。

アイマス2のリストラについての反対意見

2010-09-21 00:00:18 | オタネタ全般


http://www.bandainamcogames.co.jp/cs/list/idolmaster/im2/



さて、昨日に引き続きアイマス2の話題にしたい。
昨日はアイマス2の男キャラについて語った(※1)わけなので、こんどはアイドルのリストラについて語りたい。



Amazon.co.jp: アイドルマスター2(仮称): ゲーム
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003V1WILE/

まず、↑このamazonのレビューを見てほしい。
アイマス2のコミュニティーでこれが話題になっている。

すべてが否定的な意見だ。

こういうモメゴトになると沸いてくる2chのような小ばかにしたレスも少なからずある。
なぜか関係ない嫌韓をあおる書き込みも少なからずある。
しかしそれだけではないのだ。

アイマス2のファンたちは、アイマスに登場する彼女たちに心の底から魂を魅入られた。
ファンたちは、その中のだれか1人と人生を共に生きることを目指していた。
かくいうわたしもその1人である。

しかし!

そのアイドルたちの幾人かはもう必要ないと公式に宣言された。
コミュニティーではリストラされたと言われる仕打ちである。

律子・伊織・亜美・あずささんのファンだった者たち。
彼らの落胆はこれからの人生の生きる意味を失うほどに奈落の底よりも深かった。
あずささんの熱狂的ファンであり、わたしにアイマスを感染させた某氏は
「もう全てがどうでもよくなった・・・」
とまでに絶望した。
そして今は自暴自棄になり、別のゲームの等身大シーツに包まって毎晩寝ている。
そうではなかったとしても、直接この4名のファンでなかった者たちにとっても落胆はあまりにも大きかった。



なぜリストラが行われたのか?

これはメディアの容量不足と関係があるのではなかろうか。
ようするにアイドル全員分のデータをメディア1枚に収めることはできなかったから、しかたなく切らざるを得なかったという理屈だ。
100歩ゆずってそれは物理的限界なので仕方がないとしよう。

では!

その代わりに、あのあまりにも不評な男性アイドルグループがなぜ追加されたのか。
男性アイドルグループを入れることが企画の大前提であり、それにより容量不足に陥ったから正規メンバーのリストラが行われた、そう考えるのが妥当である。

もしそうだとしたら。
ソフトを2本以上に分ければよろしい。
PSPでは3本に分かれていた。
実績のあるそれと同じことをすれば良いではないか。
その場合、ソフトAのアイドルとソフトBのアイドルを混在させたユニットは組むことができなくなりそうだが、それくらいで奈落の底より深く落胆する者などいやしない。
そうでなかったとしても、PSP版と同様に響と貴音をライバルキャラとして登場させるという選択肢もあったのではなかろうか。



なぜこの4名がリストラに選ばれたのか?

この4名には共通点がある。
こんなことはあまり言いたくないが、4人は不人気キャラというポジションである。
(亜美の場合だけは双子ということもあって分離しやすいという条件も加わったとも推測されるが。)

かつてバンナムは言った。
どうやったらファンのみなさんに喜んでもらえるかを考えていると。

その結果がこの判断である。
リストラするにしても、ファン層が薄いほうが統計的な期待値としては落胆の度合いが最も小さくなると判断したのだろう。

統計的な判断でいえばそれは間違いではない。
アイドルの人気票が裏付け資産のデリバティブでも売買するならそれが正しい判断だ。

しかし!

この4名のファンにとっては、落胆の度合いは100%なのだということを忘れてはならない。
それに直接その4名のファンでない者も同程度ではないにしろ酷く落胆したではないか。

アイマスのコミュニティーには極端にアンチが少ない。
東方のコミュには必ずアンチが沸いて出る。
ボカロのコミュにも空気を読まない異常に辛口なコメがよくつき雰囲気を悪くする事も少なくない。
しかし、アイマスのコミュだけはそうではない。

たまにアイマスにまで韓国起源説を持ち込んでくるバカもいる。
たまに嫌韓傾向のあるPのニコマス動画にとってつけたようなアンチコメを残していくバカもいる。
こういう連中を見ると生理的に嫌悪感を感じる。

しかし、大多数(日本人は1人残らず全員?)はそうではない。
アイマスのコミュの雰囲気の向上を常に意識しているのだ。

だからこそ直接その4名のファンでない者もそのリストラを悲しんだ。
内心では自分の共に生きると決めた運命の人がリストラの憂き目に遭わなくて良かったと安堵する分も少しはあるかもしれない。
しかし、そんなものよりもリストラされてしまったことに対する耐え難い虚無感のほうが圧倒的に強いのだ。



公式が発表した。
テーマは「団結」だと。
あの団結とは何だったのか。

いまファンが団結していること。
それはリストラによる虚無感と、それと引き換えにされた男性アイドルグループに対する憤りだけではないのか。

アイマスはタダのゲームでしかない。
しかし、ファンにとってアイマスは人生の伴侶だ。
だからこそ、タダのゲームというにしてはあまりにも大きい落胆がそこにあった。

作り手であるバンナムは生みの「親」という立場であり、我々ファンの「恋人」という立場とは違う。
だから我々の抱く落胆は彼らには理解できないのかもしれない。
だとしたらゲームの文化の発展にとって大きな不幸である。



ファンはどうすべきなのか?

それに対する明瞭な答えなど無い。

しかし、かつて古代民族メガドライバーはメガドライブの趣旨に反するゲームが発売されたとき、ただ「買わない」という選択をし、セガに対して無言の回答を示した。
そうすべきだと言うつもりはないが、半年後のわたしはそうするかもしれない。






【※1 アイマス2の男キャラについて】

アイマス2の男キャラについての反対意見
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20100920



追伸:

http://jin115.com/archives/51711050.html

> あまりゲームのことを知らない経営者が不思議な舵取りをして、悲惨なゲームの出来上がりとか、そういうことが多くなってきてますね。株主も大事でしょうが、同じくらいプレイヤーのことも大事にしようよと。

アイマス2の男キャラについての反対意見

2010-09-20 00:02:51 | オタネタ全般


http://961pro.jp/



アイマス2がとんでもない騒ぎになっているのは諸君の知るとおりである。

1つ。
ヒロインが4人もリストラされてしまったという、耐え難い虚無感。
これについてはいずれ整理して書こうと思う。

2つ。
男キャラがアイドルとして登場すること。
天ヶ瀬冬馬・御手洗翔太・伊集院北斗のことだ。

男キャラといっても、黒井のようなイヤミだけれども腕のたつ裏方キャラのことではない。
涼ちんのような愛されキャラではない。
ガチにイケメン指向のキャラである。

これは1つ目の事件よりもさらに重大なものとしてアイマスファンの間に物議をかもし出した。
今日はこれについて語りたい。



そのアイマス2の男キャラとは、いったいどんなヤツらなのか。

いかにもなイケメンで、
チャラチャラしていて、
軽薄なノリで、
いかにも気軽にナンパしてそうな、
そういうヤツら。

ようするに我々オタは毛嫌いしている類のヤツらだ。

我々オタは独り孤高の目標を目指すことを人生の主眼としている。
だからこういった軽薄でチャラチャラした我々の美学に反するヤツらを見ると嫌悪感を抱くのだ。

そんなものが頻出するゲームなど、
「どんなことをしてでもカネ払って買うぞ!」
と息巻いていたオタの恋心を
「これにカネ払って買うことに憤りを感じる。俺はファンをやめるぞ!」
と、完膚なきまでに醒ませてしまうのは当然だ。

本稿執筆時点でわたし自身も購入を躊躇している次第である。



そもそもこれらはプレーヤーのライバルキャラとして登場する、憎まれキャラというポジションにある。
単なる憎まれキャラという意味であれば必要以上に大成功したと言ってもいい。

しかし!

ライバルキャラとはそういうものではない。
ただ憎いだけではライバルキャラにはならない。

ライバルキャラとは、主人公より強く、そして主人公の模範であるのが望ましい。
たとえば北斗の拳のラオウであり、たとえばガンダムのシャアである。
その意味では我々オタの美学から最も反する人物が登場するアイマス2は最も望ましくない。



もう1つある。

一見するとこのキャラたちは典型的な腐女子むけキャラのようにも見える。
しかしそれも少し違うような気がする。

典型的な腐女子むけキャラとは一般にどのようなものだろうか。

イケメンであること。
それは必須であり、それは共通だ。

しかし、それ以外の多くが異なる。
腐女子むけキャラとは、誰よりも強くたくましく、強靭な魂を胸に秘め、時にクールで時に熱血で、そして独自の美学を持つものだ。

最遊記などが典型的にそうであろう。
最遊記の主人公たちはいい男である。
それは男である我々オタも認めるところだ。

しかしアイマス2はそうではなかろう。
限られた情報から推測するに、恐らくそうではないように見える。
単にチャラチャラしていて単にイケメンなだけのように見える。

仮に、アイマス2に最遊記の主人公たちが現れ、ライバルユニットとして活動したとしたら、我々オタはどう思うか。
無駄にイケメンすぎるのが癪だが、恐らく
「こいつらいい男だしな~、
 こいつらに負けてもしゃあない、
 俺も同じ以上にいい男になってみせる必要があるなこれは・・・」
と思うのではなかろうか。
なぜそう思うかというと、男であっても彼らの美学は理解できカッコいいと思うところがあるからだ。

しかし!

アイマス2の天ヶ瀬冬馬・御手洗翔太・伊集院北斗の3名はそうではない。

こいつらに負けてしまうこともあると思うとガマンならん。
なぜかというと、我々オタの美学からは最も遠いところにある、一見するとタダのイケメンだという事以外に何のとりえもなさそうな彼らに、我々のこれまで生きてきて培ってきた美学を全否定されることが我々の精神を逆なでするからだ。



仮に女を他のヤツに盗られて失恋するにしても、相手は自分が認めるいい男であって欲しいと願うだろう。

仮にラオウに女を盗られたなら、それは自分がその域にまでたっしていないから負けたのだと悔やみ、そして励みにもなる。

しかし!

相手が髪を金髪に染めて鼻ピアスしてズボンにチェーンをつけているような、そんなチャラチャラした男だったらどうだろうか。
こんな男になびいた女を好きになったような自分のことまでガッカリする。
いままでその女と過ごした時間は全部無駄だったのかとガッカリする。

これはそういう問題なのだ。



だから我々は強硬に反対する。
その拒否感の強さは既に金輪際ファンをやめるかどうかにまでかかわっている。

だから我々は憤っている。
我々の認めるライバルは、ジオン軍には大勢いても、ジャニーズ事務所には一人たりともいないのだから。






追伸:

本来ならばもっと早くタイムリーに記事にすればよかったのだが、わたしがわたし自身を理解して分析するのに少し時間がかかってしまい今日ここにあげることになった。

いまの秋葉原における問題点

2010-09-19 00:00:34 | オタネタ全般
http://otapoke.com/

↑このように、最近ではオタポケという秋葉原情報誌が無料で配られている。
わたしの手元にあるものは創刊2号で、先日ネットブック風PDAを買ったときにいっしょに袋詰めされてしまい持ち帰ってきたものだ。



そもそも秋葉原とは。
太古の昔は電子部品の街だった。
1世代前はパソコンの街だった。
いまはアニメやゲームやフィギュアの街である。

わたしはその全ての属性を併せ持っている。
自分でアンプを作ったり買い物を改造したりするのに電子部品を買うこともある。
パソコンの周辺機器の変なのはよくここで買うし、先日もネットブック風PDAをここで買った。
フィギュアだってここで現物を吟味して出来映えをチェックしてそれから買う。

そんな3世代間をまたいでそのどれにも手をつけるわたしでさえ、全く手をつけないメジャーなジャンルが1つある。
最近は秋葉原にねぇちゃんがウロついているが、ようするにそれ系だ。



オタポケ誌を眺めてみた。

あからさまにオタ狙い撃ちなアイドルグループやら、メイド喫茶やら、コスプレ女やら、そんなのがかなり目につく。
なかにはパッと見でコスプレ系のピンサロじゃあるまいかと思ってしまうような広告まで少なくない。

ふだんなら道ばたでねぇちゃんがウロついていてティッシュだか何だかを配っていても、全く関心がないため無意識に完全スルーしているだけなので気にもならない。
しかし、あらためて雑誌を眺めてみるとそういうものの多いこと多いこと・・・。

別に人の趣味までとやかくいうつもりはないが、わたしはこの手のものは完全に拒否しているため、こういうものが多くなりすぎるとガッカリする。



わたしはコスプレ女など見たくはない。
わたしが見たいのはギャルゲーの女の子なんだ!
わたしが見たいのはフィギュアのパンツなんだ!

秋葉原はそんな方向には進んでほしくない。
そんな風俗かと見まごうような店舗が立ち並ぶ秋葉原なんて・・・。

【支援】ラブホテルファンド HOPE LAST の行き先は?

2010-09-18 00:02:53 | 経済/経済/社会
ラブホテルファンド HOPE LAST の行き先は?
http://joejoemove.blog64.fc2.com/



REITやっているヤツら界隈で一頃話題になっていたラブホテルファンドHOPEが詰んだらしい。

詰んだとはいっても、J-REIT初破綻のニューシティーレジデンスのように運用がヘタクソで金融機関にソッポを向かれたわけではない。
1兆円ファンドと言われるほど快進撃を続けていたダヴィンチのように物件高掴みのうえレバレッジかけすぎだったために景気が悪くなって自己資本を食いつぶしたわけではない。

もとから詐欺まがい商品だったから宿命的に詰んだのだ!

被害者の方(hongkongkong氏)がblogを立ち上げたようなので、今日の記事はそちらの支援としたい。



リンク先の詳細を読んでみた。

・・・これはひどい。
逮捕前や詰む前から知っていた投資案件としては、わたしが知る限り最もひどい。
何がひどいかについての具体的事例はここで記すよりリンク先を辿ったほうがいいと思う。



我々はこの詐欺まがい商品に引っかからないようにするにはどうしたら良いのだろうか。

これは似たような投資商品に手を出してみてそこで成功や失敗を繰り返しながら、少づつ勘所を掴んでいくしかないかもしれない。
ラブホテルファンドのHOPEシリーズでいうと、予めJ-REITをよく観察して、J-REITと比較してどうなのかを判断できるようにならなければ辛かったかもしれない。

わたしも2008年ごろからこの投資商品があるのは知っていた。
けど買うのはやめた。
明らかにJ-REITと比較しておかしいのが目についたからだ。

まずバランスシートの記載が全くない。
負債サイドがどれくらい積みあがっていてどれくらいレバレッジがかかっているのかがさっぱりわからない。

つぎに物件情報もあまりにも少ない。
築年数や還元利回りすら書いていないのでは良し悪しの判断のしようがない。

ラブホはどうか知らんが、一般的にホテルはレジ系より景気に左右されやすい。
それを不況に左右されにくい大変安定的な商品だと宣伝しているが、それに納得できるだけの情報がない。

直感的にぁゃιぃのでやめた。
やめて良かったと心底ほっとしている。
そしてJ-REITやってたおかげで多少は眼力が鍛えられていてよかったと感謝している。



そして被害者の方々には心底同情するし、こんな詐欺まがい商品を個人に売りつけボロ儲けするクズどもには心底怒りを覚える次第である。