教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

大人のデート(笑)

2018-04-30 22:44:04 | オタネタ全般

https://www.yokohamabay-sheraton.co.jp/restaurant_bar/bay_view/

※これは単なる下記レストラン公式サイトのイメージ画像にすぎないのであしからず






人のSNSを古いほうへざっと眺めていたらだな。

ふむ、どうやらこいつが当時の元カレかー、
このあたりで登場しなくなったから、このあたりで別れたのね、
みたいなのがわかってしまうわけよ。

人生いろいろっすなーとでもいいますか、
世俗は悲喜こもごもですなーとでもいいますか、
まあなんかそんな感じに眺めておったわけですわ。

まあそれはいいとして。

ふと気になったのはデートのレストラン。
本人たちは場所を特定されないと思っているはずだから公開しているわけだが、どうもこいつは横浜のシェラトンの最上階レストランだな、みたいにわかってしまうものもあるわけだ。

これはどうなのか?

人の金の使いかたにまで口を出す必要はないわけだが、ちょっくら見繕ってみよう。

ちゃんとしたレストランのディナーになると、1人あたり1万円×2名。
そのままダブルの部屋に泊まったとすると、1人あたり1万円×2名。
その他費用はエイヤで1万円として、デート代はあわせて1回5万円。

バイト代が1時間1000円だとすると、こいつは1か月あたりの土日8回分のうち6.5回分はこいつとのデート代としてフルタイムで労働しなければならなかったわけ。

我輩が20歳やそこいらのころはこんな選択はありえんかった。
サイフの中に5万入っていたとしても、そんなもんに浪費するのは選択不能だった。
この元カレのほう、ずいぶん人生を消費していらっしゃるが、大変お疲れ様ですとは言っておこう。

これは何を意味するか?

「俺はあなたのためにこれだけのバイト労働時間を要するデートを用意して誠意を見せました!」
または
「俺はあなたのためにこの程度の額を使い捨てても平気なくらいの財力はありますよ!」

のどちらかの意味以外には想像しがたい。

我輩が20歳やそこいらのころは前者、今は後者といったところか。

当時の我輩はこんな金があったら真空管やトランスを買うのに消えていた。
そのおかげで現在プロになったわけなので、我輩の金の使いかたは無駄になったかどうかという件に関して疑いの余地なしだ。
だが、デートのためだけにそれを使える先の元カレの男と比べてどちらが正しかったかなんて、そんなんお互い死ぬまでわからんだろう。

まっ、こういうのは大人のデートだ。
かなり嫌な感じだが、金=誠意という意味で大人のデートだ。

この図式は20歳やそこいらの当時の我輩はちゃんとわかっていなかったろう。
今みたいに、誰かに1食1万の飯をごちそうして、そして手もつけずにそのままじゃあねと言って別れても全然平気なくらいに、つまり嫌な意味で誠意を金で買えるくらいの大人の余裕(笑)ができてはじめて体感的にわかる図式だろう。

かつてはそういう誰かとの大人のデート(笑)にあこがれたこともあったかもしれん。
しかし大人のデート(笑)ができるだけの歳になると、それはただの外交プロトコルの1つでしかないことに気がついて一気に興ざめするものだ。






追伸:

この、もし同じ歳の我輩なら持続不可能なほど背伸びした先のデート相手の男、こいつも御多分にもれず、あるタイミングからこの女のSNSに全く登場しなくなったのであった。
こういうところからして世俗は悲喜こもごもですなーとでもいいますか。

母国語という外部インターフェース

2018-04-29 01:11:46 | 科学
ロシア人と話しているときに何度かあったことなのだが。

日本語で話すと、なんどか言っても伝わらないことがある。
そりゃーそんなこともあるさ。
相手は母国語でないのだし。

しかしだな。
それでも我輩がロシア語で言えば通じるんだよ。



ここまで読んでみて、みなさん
「そんなんアタリマエじゃん……」
と思うかもしれん。

まあたしかにアタリマエかもしれん。

しかし我輩はそうは思わなかった。

なぜか?

実はこれ、日本人と外国人の間での現象に限らず、人間と機械との間でも同じ現象が起きることに気がついたからだ。



かつて、Windows2000までのころ。

エクスプローラのファイル検索機能は超プアだった。
我輩からしてみれば使い物にならんかった。

じゃあどうすんの?

人によってはファイル検索機能に特化したフリーソフトをインストールした人もいるだろう。

しかし我輩はそうはしなかった。

我輩は、MS-DOSさながら、コマンドプロンプトでdirコマンドを使って検索していたのだ。
まあWindowsXPくらいから比較的マトモになったので昨今ではわざわざ使うこともなくなりはしているが。

で、これは何を意味する?

最近の機械はたいがいは人間にやさしいインターフェースが実装されているが、
そのインターフェースが自分の思ったとおりに動作しない場合、
機械がちゃんと動くように人間に合わせてもらうのではなく、
人間が機械に合わせたほうがてっとり早いのだ。



エンジニアならたいがい経験したことはあるだろう。

何らかの解析をしたい場合、やりたいことをそのまんま実現できるプログラムが世間に落ちていないとしよう。
たとえばエクセルでFFTしようとしたら4096pointまでしか対応してなかったとか、そういうヤツの話だ。

で、そんなときどうする?

大枚はたいてMatlabでも買ってくるのか?

ちげえ。

時には自分でプログラム書いたほうがてっとり早い事もあるではないか。
それだよ、それ。



人間の脳には母国語という外部インターフェースが実装されている。

しかしこいつは国籍その他によって大幅に仕様が異なる。

稀に母国語以外でももう1つか2つ(たとえば英語とか)くらい動くインターフェースを実装している人間もいるが、
それは母国語ではない以上はネイティブ同等の処理は期待しにくい。

こんなときどうする?

「キサマ日本語の勉強やり直してこい!」
などとでも豪語して追い返すのか?

んなわけあるかw

とりあえず相手に実装されているインターフェースの仕様にこっちが合わせれば、とりあえず通信するにはてっとり早いのだ。



とはいえだな……
最大の問題は、相手に実装されているのと同じインターフェースを自分の脳に実装するのに極めて労力を要することなんだが、どうすんだこれ……。

マルクスの末裔よ墓穴の中へ帰りたまえ

2018-04-26 21:33:20 | 経済/経済/社会


“デジタル以外は全て縮小”、日米の広告市場規模から見る深刻なテレビ離れ - 一歩先を行くデジタルマーケティング:日経 xTECH Active
http://tech.nikkeibp.co.jp/it/atclact/active/15/102900129/032600130/?mkt05

> 広告市場全体は過去最高レベルにまで拡大しているものの、テレビ広告市場に絞ってみると、その規模は縮小していることが分かる。少なくともテレビ広告市場に関しては、2016年第三四半期(7~9月)以降、ずっと対前四半期割れの状況が続いてきた。そしてそれは、間もなく第1四半期が終わる2018年以降も変わらないと予測されている。



これ、記事では驚くべきレジュームチェンジが行われているみたいなニュアンスで書いてあるのだが。

個人的には思いのほか来るのが遅かったという印象だ。

一般家庭のPCがブロードバンドでつながる時代にTVなんか斜陽だろ……と思っていたところ。
その時点ではまだ斜陽はそれほど目立ってはいなかった。

わたしの見解では、フジテレビが韓国から安いドラマを買ってきて流すだけの安易な商売に走り、番組の企画能力という競争力の源泉を自ら毀損してしまったことこそが終わりの始まりだと思っているが、まだその当時は斜陽はそれほど目立ってはいなかった。

そして今。
誰でも持っているスマホでTVも見られるが、しかし誰もTVなど見ずにYouTubeばかり見ているか、ソシャゲばかりしているかのどちらかだ。
この時代になってようやくだれが見ても明らかな斜陽が訪れたのだ。

でだ。
一見これと無関係に発生したと見えるもう1つの事件がある。
それは、放送法の改正案である。



放送法及び電波法の一部を改正する法律の施行に伴う関係省令等の整備案の概要
http://www.soumu.go.jp/main_content/000334867.pdf



現時点での放送法のコンセプトは、あんまり極端なことをしはじめないように規制を設けるが、
そのかわり誰でもは入ってこれないように参入障壁をあえて作って既存メディアを守ってやる、みたいなようになっている。

そして今回の改正案で、そのへん大幅に緩和しようとしている。
ようするにアメリカナイズな自由競争の始まりである。

これはどうなのか?

30年前、一般家庭にはTVか新聞かくらいしか情報源がない時代には正しい。
あんまりおかしなニュースを流して世論を扇動するヤツをお上が叩き潰せるようにしてあったのは、その時代は正しかった。

今はどうか?

放送法で守られている既存メディアは今だって同じことを言っている。
「極右の放送局ができたらどうするんですか!?」
だってさ。

こんなん笑いますわwww

いいか、
「極右や極左の放送局ができたらどうするんですか!?」
とは言わず、
「極右の放送局ができたらどうするんですか!?」
って言ってるんだぞ!?

なんで
「革マル派や中核派の放送局ができたらどうすんですか!?」
「北朝鮮資本の放送局ができたらどうすんですか!?」
と問い詰めないんだい?

おまえら放送局は自分から我々は極左ですって言ってるに等しいじゃないかwww



ようするにあれだ。
放送法の法の網をかいくぐった極左メディアだらけになってしまっていて放送の公共性がすでに担保されなくなっているし、
そもそもTVが主たる情報源なヤツなんて近い将来あっという間にいなくなり世論を扇動できるだけの力を失う未来が来るのは確実なので、
そんな有名無実の法律なぞいらんだろうと総務省は判断したのだ。

そして規制を緩和すれば、まったくの異分野からの参入により良好な自由競争が行われ、そしてあわよくば何らかのイノベーションが起きてくれんだろうか……、という腹積もりだろう。

30年前はTVがないというと宗教キチガイじみた偏屈オヤジのいるかわいそうな家庭なんだという話になっていたが、
いまやTVがないといっても「そうだよねー。YouTube見てたほうがおもしろいもんねー」というだけになってしまっている。

さらば放送局!
マルクスの末裔よ墓穴の中へ帰りたまえ!!
つぎはNHK、おまえの番だ!!!

八方塞がりのプーチン(笑)

2018-04-18 21:33:37 | 経済/経済/社会
カール・ビルトなるスウェーデン元首相らしい人物の書いた記事が、端から端まで全てにおいてツッコミどころ満載だったので、注釈をつけながら全文掲載したい。



八方塞がりのプーチン、軍拡競争の「代償」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180415-00215694-toyo-bus_all



> 再選は果たしたものの、八方塞がりのロシアのプーチン大統領(写真:Alexander Zemlianichenko/ロイター)

>  ロシアのプーチン大統領は再選されたが八方塞がりだ。経済成長率は極めて低く、プーチン政権が発足した2000年代初頭の好景気とは比べようもない。西側諸国との関係改善なくしてロシア経済が好転するとは考えにくいが、西側との対立は深まる一方だ。

>  経済成長に投資は欠かせないが、成長のカギとなる技術や国際金融市場へのロシアのアクセスは限られている。プーチン氏と親密なロシアの企業や大富豪には経済制裁が科せられており、成長投資の足かせになっている。



ロシア経済はモノカルチャー経済で、原油価格に連動するので、「西側諸国との関係改善なくして」ではなく「原油価格の上昇なくして」のほうが正しい。
たぶん本質的なところは経済制裁ではない。



> ■年次教書演説で将来への不安を露呈

>  西側からの経済制裁に耐えかねたロシア政府は、投資・通商の拡大を狙い、中国との関係強化を模索した。だが、米中首脳会談で習近平国家主席がトランプ米大統領を皇帝級の特別待遇でもてなしたことで、プーチン氏の望みはついえた。対米関係改善も同様だ。



実は中露は毛沢東の時代からすでに仲が悪かったことが後世になって判明している。
自由主義陣営に対する政策として、自分たちは仲がいいフリをしているほうが都合がいいのでそうしているだけだ。



>  3月の年次教書演説でプーチン氏は、図らずも将来に対する不安を露呈してしまった。ロシアが他国に後れを取る可能性があるとして、危機感をあおる場面がいつになく目立ったからだ。

>  「技術進化は一気に加速している」とプーチン氏は分析し、こう言った。「技術進化の波に乗ることができた者ははるか先を行く。波に乗れなかった者はおぼれる」。おぼれかかっているのがロシアであるのは明らかだ。

>  また、プーチン氏は年次教書演説の相当部分を、CGを駆使した最新鋭兵器のプレゼンに費やした。超重量級の大陸間弾道ミサイル、迎撃システムが追いつけないほど速い超音速兵器、核弾頭を積んだ長距離魚雷、原子力エンジンを搭載した無限の射程を持つ巡航ミサイルなどである。米国がどのような防衛網を構築しようとも、ロシアにはそれを突破する力があると証明したかったようだ。

>  だが、そのような言動に出ることで、プーチン氏は自らの恐れをうかつにもさらけ出してしまった。ロシアの戦略核兵器が時代遅れのものになることへの恐怖だ。



プーチンは、たとえばマッハ10で飛ぶミサイルを開発し、しかもすでに量産開始しはじめたと言っている。
だが、どうやらみなさんこれ本当にできたんかよと思っているようだ。

最近のアメリカは、テロリスト相手の非対称戦用の装備を特に充実させてきたんじゃないだろうか。
そういう意味では、注目してなかったロシアでそんな兵器がポンと登場したのであれば、西側諸国にとって一応それなりのサプライズになったんじゃなかろうかと思われる。
もし本当なのであればの話だが。



>  核戦力と国連安全保障理事会常任理事国としての拒否権を別にすれば、ロシアの戦略的影響力を支える基盤は弱い。経済規模は実質的にイタリア程度でしかなく、仮にプーチン氏が本気で米国と軍拡競争を続けるつもりなら、軍需産業を除く主要セクターは相当な経済的犠牲を強いられる。一般ロシア人の生活水準もさらに低下する。



アメリカにとって最重要なのはGDP成長率かもしれないが、どうもロシアはそうでもないようだ。
わたしもまだよくわかっていないが、ロシアにとって最重要なのは、たぶんソ連崩壊の悲劇を繰り返さないことである。
そのためには今現在の多少の困窮には十分耐えられる。

ソ連崩壊の悲劇とは、たとえば、かつてロシアの影響力の最前線は東ドイツだったが、東欧の旧共産圏諸国のかなりの部分はNATOに加盟し、ロシアに向いたミサイルを配備している、というようなことだ。
ロシア人は、クリミアをウクライナから強奪……ゲフンゲフン、クリミアの同胞を保護するのに成功したことで、やっぱり軍事力って大事だよねって絶対思ったはずである。

ロシアは軍事セクターのために経済を犠牲にしているという説はソ連時代から数多くみられるが、本人たちにしてみればそんな西側からの指摘にはほんの少しも情報量がない。
ロシア人なら、アメリカの靴にキスしてGDPがなんぼ上がったところで、キエフとミンスクとアスタナにNATOのミサイルが配備されたら何の意味もないと言うだろう。

いまのロシアは原油の相場のわりには思ったよりマシである。
ソ連が崩壊してしばらくは食べるものにも困窮し、たしか平均寿命が10年短くなるようなひどい有様だった。
いまさら多少困窮するといったところで、あのころに比べればどうということはないわっ!……と皆が言うだろう。



> ■軍拡競争はロシアを崩壊へと導く

>  一方でプーチン氏は近頃、紛争が泥沼化している東ウクライナに国連平和維持部隊を派遣する案を容認する考えを示している。年次教書演説で最新兵器を披露したのは、さらなる軍縮や開かれた対話の必要性があることを西側諸国に悟らせるためだったのだろう。



ドンバスの自称政府がロシアへの併合を望もうと、もとよりロシアは(クリミアと違って)ドンバスを併合する気はないと明言している。
どうやらプーチンは東ウクライナにキエフの手のつけられない親露の自称政府をこさえて緩衝地帯にするところまでで満足したようだ。

で、ロシアが文句を言っているのは、ウクライナ政府が選挙で選ばれたわけでもない暴力革命で乗っ取りした政権であり、それは民意を反映してないだろ、だからこの政府の言うことをそのまま鵜呑みにするわけにはいかんだろ、と言っているだけだ。
プーチン一味はドンバスを併合しようとして絶賛裏工作中だったのが急旋回して態度変えたみたいなニュアンスで書くのはよくない。



>  だが、たとえプーチン氏が対話を望んでいたとしても、ロシアの元スパイとその娘が神経剤によって襲われるという、3月に英国で起きた暗殺未遂事件を見過ごすわけにはいかない。放射性物質を用いた2006年の元スパイ暗殺と同様、英国政府は今回の事件もロシア政府の仕業だと結論づけている。

>  ロシア政府は事件への関与を隠そうと、うそと情報操作という露骨なやり方で対抗してきている。言うまでもなく、人を殺し、うそをつくような政府を対話の相手として歓迎するわけにはいかない。



これはかなり独善的な思考だな。

外交の世界では真実がどうなんかということは案外どうでもよかったりする。
そうじゃなくて、自分が仲良くしておきたい国の親分が何と言ってるから支持するとか、そういうのが外交だ。
たとえばベラルーシなら「ロシアが俺がやったんじゃねえって言ってるんだからロシアがやったんじゃないんでしょ」と表明しているはずだ。

ちなみにたしか日本は「真相の究明が必要だよね」みたいな超玉虫色なこといってたような気がする。

もちろん、誰が見てもロシアがやったようにしか見えないけどね。



>  だからといって、米国とロシアが真摯な対話を行わなくていいというわけではない。両国は核戦力の近代化を進めているからだ。長年にわたって機能してきた軍縮枠組みが無力化する危険性がある。

>  新たな軍拡競争はロシアを含む全世界を脅威にさらすものだが、それだけではない。かつてのソビエト連邦がそうだったように、軍拡競争はほぼ確実にロシアを崩壊へと導く。プーチン氏は4選を果たしたが、その未来は極めて不透明だと言わざるをえない。



だからロシアの未来が不透明なのは軍拡競争によるものじゃなくて、
アメリカのシェール革命のせいで原油価格は昔みたいに1バレル100ドルとか絶対無理ってなったからでしょうに。



> カール・ビルト :スウェーデン元首相



これで元首相かよ……、と思ったのだが、我が国には鳩山がいたでござる。

お台場痛車天国2018

2018-04-14 15:11:31 | オタネタ全般




先週の日曜のことだが、お台場痛車天国2018に行ってきた。
なかなか思いもよらぬことを思ったので書いていきたい。



そもそもなぜ人は痛車にするのか?

それは、愛ゆえに、である。

みずからの内に秘めた愛情を何らかの形で表現したいからだ。
ある人は、たとえばキャラの動画を作ってニコニコに上げることでそれを表現する。
またある人は、それがたまたま痛車の形をとったというだけのことだ。

それに意味があるのか?

彼らは、それの意味を理解できない人とはそもそも分かち合いたいと思っていない。
したがってそれを問う事そのものが自己矛盾していることに気付いてほしいところだ。



痛車に乗ること、それはロックな生き方である。

他人の目線などクソくらえ。
俺様は俺様の目指す道へ突き進む。

課長になったからそろそろマークX……、いつかは部長になったらレクサスを……、などとしか考えられない旧世代の遺物に対する全く新しい美学。

これがロックな生き方と言わず何と呼ぼうか!



……とまあ、こんなことを思っていただけだが。
実際にこれだけの物量の痛車を見たのは今回が初めてになるのだが。
実際見ないとわからないことがいくつかあった。



まず1つめ。

実はだな。
痛車ばっかりこれだけいると、逆に痛車であることが目立たないという本末転倒な事態に陥る。
痛車はだいたいやたらパステルカラーでカラフルなのだが、まわり全員がパステルカラーでカラフルだと全く目立たない。

ところがどっこい。
ベース車体のモノトーンの塗装が映えるようにシックに決めた車はその中でやたらカッコよく見える。

これするのは単なる痛車よりもっと難易度が高いかもしれん。
ただキャラのシールを貼りつけたら痛車化するというのではなく、そこではカラーコーディネートに対する美的感覚が問われるからだ。



2つめ。

ゲーム画面のキャプチャをそのまま使うのは実はあんがい難しい。

なぜなら。
痛車くらいのスケールにひっぱると、画素数が少なすぎてアラが目立つからだ。

もちろん多くの痛車オーナーはその問題に気がついている。
1つの解決策として、アラが目立たないギリギリのスケールまでに拡大を制限した絵を手前に配置し、
そのバックにボカシを入れてアラが目立たないようにした最大寸法のキャラを配置、
写真の世界でよく使われる技法を取り入れて解決している人も多くいた。

こればっかりは先人の工夫を直に見てみないとわからんからなぁ。



3つめ。

この手の催し物はたいがい見物客のほうが圧倒的に多い。
コミケをイメージしてもらえれば当然かと思われるが。

しかし。
お台場痛車天国では人間は車と同じくらいなんじゃないかというほど空いていた。

つまりこの催し物は、人の痛車を見に行くものではなく、人に自分の痛車を見せびらかしに行くものだったということだ。

人間の脳の自然言語処理

2018-04-07 14:29:21 | 科学
さいきん趣味でロシア語をぼちぼち始めたのだが、
人間の脳の構造についておもしろいことを発見した。

それは何かというと……

人間の自然言語処理とは、脳内マクロを形成できるかどうかということだ。
それが実体験でわかったのだ。

これだけじゃあ何のことだか全くわからん。
順番に説明していこう。



とあるロシア語の文章があったとする。
例として↓こんなのをあげよう。

Меня зовут Сита.
ミニャー ザヴート シータ

もちろんロシア語をやってない人にはこれを読めるはずもない。

もし仮にロシア語をやってない人に辞書だけ渡して翻訳しろと言うとどうなるかをシミュレートすると……






(注:ここは読む必要はないよ!)

меняは人称代名詞яの生格か対格。
яは「私は」なので、меняはつまり「私の」または「私を」。

зовутは動詞зватьの三人称複数現在。
зватьは呼ぶ。
звать+対格+造格で「~を~と呼ぶ」。
ただし造格でなく主格でも可という文法上の特例がある。

Ситаはこの時点では何なのか不明だが、зватьを使っていることから推測するにたぶん何らかの名詞。

звать+対格+造格または主格のため、меняは「私の」ではなく「私を」で確定。

зовутが三人称複数であるため、Ситаが名詞の複数形と仮定すると「シトーたちは私を呼ぶ」となる。

または。
зовутの主語なしの不定人称文と仮定するとСитаは造格または主格のどちらかになるが、Ситаで造格なのは一般的な格変化では起こりえないのでСитаは主格と判断するのが妥当。
構文は「~を~と呼ぶ」であり単数のяであることからして、Ситаは単数である可能性が濃厚。
つまり「不特定多数の皆さんは私をシータと呼ぶ」となる。

状況から推測するに「不特定多数の皆さんは私をシータと呼ぶ」が日本語訳として妥当と判断する。






……とまあこんな具合。
非常に優秀なヤツなら以上のような構文解析を自力で行い正解にたどり着くことができる、かもしれないね。

ちなみにこれ、ラピュタのとあるシーンのセリフであり、「私の名はシータ」というあれだ。

これを辞書を引きながら翻訳していると20分以上かかるだろう。
辞書をまるごと暗記しているとしても、上記アルゴリズムにしたがって脳内で翻訳したとしたら1分くらいかかるだろう。

これは正しいのか?

受験英語のとおりの教え方にしたがえば、極めて正しい。

しかし人間の脳の自然言語処理はそうはなってはいない。

なぜか?

先に言ったとおり、上記アルゴリズムにしたがっていちいち脳内で翻訳していたら1分かかるのだとしたら、それは会話にならないからだ。

では何が正解か?

「Меня зовут [人名].」で「私の名は[人名]。」。
これが脳内でマクロ登録されていれば人間の脳くらいの処理能力でリアルタイム処理できる。

人間の脳はリアルタイム処理で構文解析などしない。
顕在意識というメインタスクから脳内マクロをサブルーチンコールするだけで人間は自然言語処理をしているのだ。



世の中にはおかしなことを言うヤツもいるものだ。
英語の教員の中には「英語は単語の暗記が命」みたいなことを言うやつがいる。
だからヒンズーの修行僧のように単語の暗記という苦行を積みなさいと語る。

これまたおかしな話で、会話くらいシビアなリアルタイム処理は必要としないが、辞書の持ち込みは不可な、リーディングの能力だけを試されるペーパーテストの点数を上げるだけの目的のときのみ、「英語は単語の暗記が命」で正しい。

そしてだいたいそんなことを言う英語の教員に限ってガチの外国人に英語で話しかけても通じない。
なぜなら、リーディングの能力に特化した訓練しかしていないからだ。

わたしだって英語は受験英語にしか使う気がなかったのでリーディングの能力に特化した訓練しかしていない。
結果としてTOEICのヒヤリングの部は全く聞き取れないが、大学院入試のペーパーテストまでは何とかしのいだので、案外最小の努力で目的をギリギリ達成しているとも言えなくもない。
まあそれはいいとして。



実はこれ、自然言語処理だけでなくて熟練を要するたいがいのものに当てはまる。

例えば将棋。
駒を見て「金は前後左右と斜め前に動けるから……」と構文解析しているとマトモに指せない。
盤面を見ると駒が勝手に動くくらいでないと人様に勝つことはできない。
これも脳内マクロをサブルーチンコールさせてタスクを実行ようにしておいて、顕在意識というメインタスクはなるべく処理しないようにできているわけだ。

だから人は将棋が強くなる。
そしてこれは、実生活に何の役にもたたない将棋マクロの生成に精を出しているだけのことであり、将棋をやれば頭が良くなるわけでも何でもない。



人間の脳はよくできている。
はじめて行う処理、またはめったに行わない処理は、顕在意識というメインタスクが1命令づつ翻訳しながら実行するというインタプリタ動作になっている。
ところが特定の処理を何度も反復実行していると、人間の脳は負荷を軽くするために勝手に脳内マクロを作りはじめる。
いったん脳内マクロができてしまえば顕在意識というメインタスクにはほとんど負荷をかけずに超高速に実行することができるようになる。
それも顕在意識というメインタスクからインタプリタ動作で実行している(慣れてない)人間から見ると、それこそ人間技とは思えないほど超高速にだ。

だが。
自分で自分を書き換えるというこの仕様でコンピュータを作るのはとても難しい。(※1)
なぜ難しいかというと、自分で自分を書き換えるようなものを作ってしまうとデバッグがとてつもなく難解になるからである。
多少は自分で自分をデバッグできるようになっている人間の脳に対し、現在の人類の作れるコンピュータはまだ追いついていない。
人間の脳が最もよくできている部分は、ひょっとしたらこの部分かもしれない。



たぶん努力は才能に勝るというのは、たぶんこの自己生成したマクロの処理能力の高さのことだ。
脳というCPUに個体差があって処理能力が倍くらい違ったところで、
顕在意識というメインタスクでインタプリタ動作しているヤツより、
脳内マクロをサブルーチンコールさせてタスクを実行できるヤツのほうが、
遥かに優秀なのは間違いないからだ。

ただし。
努力で挽回できるのはせいぜいこの程度まで。
それを宗教的に盲信しないほうがいいのは間違いない。






【※1 自分で自分を書き換えるコンピュータ】

これは実在する。
メモリ容量のとっても少なかった最初期のコンピュータではそうやってコードサイズを縮めることをしたケースがあったらしい。
プログラマがどの命令をどのアドレスに配置したかを知っている必要があるため、もちろんアセンブラで書くことになり、とっても生産性が悪い。
なお「A・Iが止まらない!」なるマンガのヒロインたちは自分で自分を書き換えるコードで書かれているという設定になっている。