教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

古代民族メガドライバー興亡史 (下巻)

2009-01-31 00:01:37 | オタネタ全般
(昨日の記事からつづく)



1994年末、プレイステーション, セガサターン, PC-FX, プレイディアと、次世代機がほぼ同時に発売された。なぜか任天堂だけは沈黙を守っていた。
プレイディアは明らかに子供だましの廉価商品であり、目の肥えたゲーマーを自負するメガドライバーにとっては軽蔑の対象だった。
PC-FXは明らかに宣伝が不足していてやる気が感じられず売りだす前から落ち目だったし、またギャルゲー専用ハードを自負していたため、はじめからメガドライバーの興味の対象から外れていた。
メガドライバーはプレイステーションを作るソニーの技術力は認めていたが、ソニーがゲームソフトを満足に作れるわけがない、ソフトの充実さはセガが勝るはずだとふんでいた。
ハード性能を至上とするメガドライバーにとっても、スーファミとの戦いで優秀なソフトの充実により勝負を決することは学習した、というか認めざるを得なくなっていたのだった。
メガドライバーにとって、ソフトの充実さとハード性能の総合力により、こんどこそセガが勝てると本気で思えたのだ。

実際、発売直後からしばらくはプレイステーションとセガサターンはいい勝負をしていた。勝てるとふんでいたメガドライバーにとっては少々不満ではあったが。
メガドライバーはセガサターンの目玉商品であるバーチャファイターのすばらしい移植とその注目度に酔いしれていた。そしてプレステの目玉商品であるリッジレーサーのことは見てみぬふり、というかなるべく関心を持たないようにしていた。ゲイルレーサーがあるからそれでいいじゃないかと仲間内と話していた。

プレイステーションとセガサターンは熾烈な争いを続けた。
まさに冷戦時代の米ソの争いを見るかのような熾烈さだった。
任天堂など一部を除くほとんどのソフトハウスは、どちらか勝ったほうとだけ末永くお付き合いしたいと思っていたわけだから、いつでも乗り換えられるように腰を浮かせて様子見を決め込んでいた。
ソニーとセガの会社と会社のガチンコ一騎打ちとなった。

このころは危ういながらもセガは希望に満ち溢れていた。
「セガはすばらしい! だからセガ大好き! セガ様バンザイ!」
も復活していた。

そして初期のプレステは故障しまくった。とにかく故障しまくった。サポートセンターの電話口がパンクするほど故障しまくった。
サターンは全く故障しなかった。
「ゲームの何たるかを知らないソニーが作るゲーム機を買うからこうなるんだ」
とメガドライバーは鼻で笑っていた。
そして
「メガドライブもサターンも信頼性は群を抜いて素晴らしい、さすがオレが選んだセガ!」
と皆で喜びを分かち合った。

ソニーもセガも、実はハードの性能に大きな違いはない。
ソニーもセガもハードの値段を下げる以外に取るべき策がなかった。
どんどんハードの値段が下がっていった。
大赤字になっても値段を下げた。
たった1社この相手をぶっ潰せば、あとは黙っていても金が入ってくるドル箱商売のバラ色な未来が約束されていた。この我慢勝負を逃げるわけにはいかなかった。

両者とも利益を圧迫した。
ついにセガは耐え切れなくなった。
セガの企業体力でソニーとガチで勝負して勝てなかったのだ。
相手が当時の任天堂ならセガが勝っていたかもしれないし、相手がNECならNECがそこまでするだけのリスクを取らなかっただろう。相手が悪かったのだ。
米ソに例えるならば、経済力で劣るソ連は軍拡競争で金を使い果たして自己崩壊したのである。

天秤がだいぶ傾いたとき、スクウェアがプレステでファイナルファンタジーの続編を出すと決めた。
そして勝負はダメ押しで確定した。

実はこの問題以外にもメガドライバーの気力を萎えさせる重要事項がある。
メガドライブの当初の設計思想はゲーセンの硬派なゲームをそのまま高品質に移植するためにあったようなものだった。
サターンはそうではなく全てのジャンルを対象にしていた。
メガドライバーの嫌悪するギャルゲーも続々と発売された。
だからといってセガやサターンを嫌悪するとまでは早々いかなかったが、メガドライブほどの愛着と信仰をサターンに注げなくなり、一人また一人と去っていくものもいた。
サターンを否定しメガドライブのみを愛する、メガドライバーたちの新たな始まりだった。

さらなる次世代ハード決戦でもセガのドリームキャストは敗れた。
セガがドリームキャストで勝負を挑んでくれることに嬉しいと感じるメガドライバーもいたが、ただ漠然とやっぱり勝てないだろうと諦観の念を抱いていたから、勝敗には驚きや興奮を感じなかった。
セガは次世代ゲームハードを作るのを止めると宣言した。
もはやメガドライバーにはセガの方針に対する信仰心は半ば尽きてはいたが、セガ自身が信仰の柱を捨てたことにショックを隠せなかった。

そして長い年月がが流れた。
セガがどこぞに買収されたらしいと聞く。
神は死んだそうだって。



(以上、三部作おわり)

古代民族メガドライバー興亡史 (中巻)

2009-01-30 00:01:21 | オタネタ全般
(昨日の記事からのつづき)



メガドライブの誕生と1年という近い期間にNECによりPCエンジンというハードも投入されていた。
これもまた高性能ハードという位置づけだった。
反任天堂という連合を組むわけではなくシェアの食い合いになり、任天堂以外というニッチな市場を取り合うという双方にとって思わしくない、任天堂にとって思わしい状態になった。

PCエンジン陣営はさらなるシェア拡大の秘策として、CD-ROMを搭載した増設ハードを投入した。
かなりの高額ハードだったが、こいつのすばらしさはメガドライバーだけではなく全ゲーマーが度肝をぬかされた。
ゲームなのに全画面のアニメーションが走り、しかもキャラがフルボイスでしゃべる。
あのときはオーバーテクノロジーだとあっけに取られるくらいに凄かった。

無論、メガドライバーの間にも激震が走った。
セガはどうするのか、それに話題が集中した。

後々になってセガもPCエンジンの戦略を踏襲することになるが、結果的はそうせずともメガドライバーはPCエンジンから袂を分かつことになった。
CD-ROMの大容量を生かせるアプリケーションはアニメーションや声であり、その能力を最大限生かせるジャンルというとギャルゲーだった。必然的にハード全体が少しずつギャルゲーに傾注していくことになる。
メガドライバーはメガドライブの硬派なゲームを信奉していた。
だからギャルゲーであふれかえるPCエンジン陣営は許せなかったのだ。

恐らくこの頃からであろう。
メガドライバーが孤高で清い道徳規範を理想としていたのに対し、排他的で末世思想的になっていったのは。
任天堂を揶揄するときに暗喩でつかう花札屋という言葉も流行りだした。

いつのまにか
「セガはすばらしい!
 だからセガ大好き!
 セガ様バンザイ!」
ではなくて、
「セガはダメな会社だ、だけど時たま素晴らしい事をする!
 だからどんなに評判が悪くてもオレはセガが好きだ!
 それでもセガを選んだオレ様バンザイ!」
になってきたような感じだった。

なんとなくそれなりに良いものを右にならえで選ぶのではなく、糞溜めに輝く1粒の宝石に価値を見出すような悲壮で険しい選択、そしてそれをあえて選ぶ自分自身の生き方に誇りを見出していたのだった。
極論すればインテルはいってる状態になる前のMACユーザーの排他的言動と同じようなものだ。

メガドライバーはあいからわずハード性能の高さを誇らしげに語っていたが、それはソフトが充実していないことの表れであり、自ら強がりであることを半ば意識していた。

PCエンジン陣営のCD-ROM化から遅れること3年、セガもCD-ROM化を決断した。
セガ陣営はPCエンジン陣営とは異なる切り口で大容量を使ってみせ、3DCGなどを駆使したすばらしい硬派なゲームも作って見せた。
メガドライバーはセガの全てを受け入れた。PCエンジンの二の舞にならなかったことが心底嬉しかった。

メガドライバーは鼻息を荒くした。
PCエンジン陣営のCD-ROM化の誤った進化に対し、我々が正しい使い方を示してやるのだと。ゆくゆくはPCエンジン陣営のシェアを食いつくし、任天堂のシェアに食い込むことも夢ではないと。

しかし時は遅きに徹していた。
PCエンジン陣営でさえ任天堂をひっくり返すほどの成果を上げられていなかったにもかかわらず、後追いハードではなおの事であった。大容量のバッファや追加の68000を搭載してはいたが趨勢への影響は与えられなかった。

この間に発売された任天堂のスーパーファミコンに対し、実は海外ではメガドライブは意外と善戦していた。
スーファミより少しだけ安かったからだとか、日本で絶大な人気を誇る日本製のロープレは海外ではまったく売れないから海外ではスーファミのソフトの優位性が損なわれたのだとか諸説あるが、実際問題としてなぜなのかまではよく知らない。
とにかくそのときのセガは海外でのシェアを維持しなければならなかった。その思惑に沿いSuper32X, ワンダーメガ, テラドライブ, メガCD2なども発売されたがメガドライバー自身忘れたくなるほど燦々たる結果に終わり、はたしてハード寿命の延長にわずかでも寄与できたかどうかすら疑わしかった。

この失敗はセガだけではない。PCエンジン側もハード延命商品を多数投入し、日本に住んでいながら商品を売っているのを1度も見たことがないというほど低調な商品ものこして同じような運命をたどっていった。
ちなみにわたしの仲間内では
「(PCエンジンの)スーパーグラフィックスなみに売れそうだ」とか
「(PCエンジンの)LTなみに見たことがない」とか
「(PCエンジンの)アーケードカードなみに心配だ」とか
よく言ったものだ。

そして時はハードの寿命を終え、次世代ゲーム機論争へと移ってゆく。



(明日の記事につづく)

古代民族メガドライバー興亡史 (上巻)

2009-01-29 00:04:37 | オタネタ全般
この話はメガドライブの数奇な運命に自ら望んで翻弄されていった人たちの話である。

古代のコンシューマー業界はファミコンのみに席巻されていた。
だが、ゲーセンで遊ぶコアな男たちにはファミコンでは不足だった。なぜならファミコンでは移植に限界があったからだ。
彼らは待ち望んでいた。
ゲーセンのゲームをまともに移植できるハードを。彼らの渇望を満たす高性能なハードを。

1988年、永遠の問題作メガドライブは発売された。
スペックは彼らの待ち望んでいたものに極めて近かった。
メガドライブは当時そしてそれ以降しばらくの間においてゲーセンで主流であった68000を搭載した。
彼らはメガドライブとそのスペックを狂喜して歓迎した。それが彼らの歩んでいく数奇な運命とも知らずに・・・。

はじめはソフトの本数があまりにも少なかった。
彼らは待った。栄光の時代が来るのを信じて疑わなかったから。

少しずつソフトは増えていった。
サードパーティー製のゲームも発売されるようになってきた。
とりわけ魂を熱くする硬派なゲームの出来がすばらしかった。
ファミコンを考えれば驚くほど出来のすばらしいアーケードからの移植も続々となされていった。
彼らはファミコンユーザーに対してメガドライブのハード性能の高さを自慢した。
彼らは誇らしかった。彼らの信ずるものが正しかったと証明されたからだ。

ファミコンとメガドライブのハードの性能差のほかに、このような潮流を生んだ理由は諸説ある。
たとえば任天堂の要求するロイヤリティーが非常に高く、それをボッタクリと嫌気したソフトハウスは任天堂以外にシフトしたがったという説。
たとえばファミコンはユーザー数も多いがライトユーザーが多くソフトのリリース数も半端じゃないから目立たない。メガドライブはコアなユーザーの割合が極めて高いため、良質の硬派なゲームを作れば必ずユーザーが答えてくれ、確実に一定割合の収益を上げられたからだという説。
ゲーム開発者のなかには、ファミコンのようなショボいCPUではなく、高性能ハードで腕をふるって凝ったものを作ってみたいという者もいたはずだという説。
どれが正しいのかまではわたしにはわからない。いまとなってはただ歴史に刻まれた時を思い出すだけだ。

それにファミコンはすぐに壊れていったがメガドライブはとにかく頑丈で壊れなかった。
それにファミコンならばハードのちょっとした不具合で画面が固まることもあったが、メガドライブにはそんな不具合は聞いた事もなかった。
メガドライバーたちは、ファミコンはチャチなオモチャだとあざ笑った。

歴史が示すものは、このときが彼らの最も栄光ある時代だったということだ。
この後の歴史を語ろう。



(明日の記事につづく)

ムダにSFしているジョークが好きだ

2009-01-28 00:03:52 | オタネタ全般
わたしは萌え系が好きだがSFも好きだ。
SFならハードSFが好きだ。

けど世の中には、S(すこし)F(ふしぎ)なだけの作品なのにS(サイエンス)F(フィクション)として書いている作品が多い。

とくに、サイエンスをよくわかっていないのにサイエンスのフィクションを書く人。
たとえばクローンなんてのを大仰にだしても、もう実用化されている技術なんだからSF的にはカッコよくもなんともないんだよ・・・。もっと解りやすくいうなら、いまコンピュータ制御ってのを大仰にだしても「だから何?」って思われるのと同じくらいカッコ悪いと思う。
こまかい話だけど、「高電圧を流してやった」というようなセリフも電気をわかっとらんのが見え見えなのでカッコ悪いし、速さが2倍だから衝撃のエネルギーが2倍というのも物理をわかっとらんのが見え見えなのでカッコ悪い。
ちょい違うかもしれないけど、白血病の症状をまったくわかっとらん人が書いた白血病患者のメロドラマなんかも、医療に詳しいひとを中心にボロクソ言われた事があったねえ。

けどSFの使いどころはちゃんとしたSFだけじゃない。
SFじゃなくてもファンタジーでも現代モノでも何でもいいから、しょーもないところにほんの少しだけSF的解釈を混ぜてやればニヤリとするものができる。

たとえばだ、アニメ版のロザリオとバンパイア最終話。
仙童ユカリはドリフばりに金ダライを召還していい音を出すが、ママさんが召還すると、金ダライは高高度から超音速でソニックブームを伴いながら飛来し、空気抵抗が大きい形なので底が赤熱しながら落下してくる。
こういうのはニヤリとしませんかね。

SF作品でも小ネタとしてキラリと光るものを使ったのでいえば、例えばトップをねらえ。
ワープの正式名称は次元波動超弦励起縮退半径跳躍重力波超光速航法。
だからって意味はないんだけど、いやあ、昔は必死で覚えたもんだ。

わたしは大仰にしょーもないSF設定を出されると心底ガッカリするが、しょーもないところにキラリと光るSF設定を出されると途端にときめいてしまうのだ。

ヘタリア問題、次の1手を予想!

2009-01-27 00:13:27 | オタネタ全般
2009.01.25に取り上げたヘタリアは放送中止になってしまった。実に残念だ。
ヘタリア問題の背景については2009.01.25の記事に書いたので、これ以上はここでは記さない。

さて、ここでは韓国が次にどんなことをしてくるか予想してみたいと思う。

韓国人の行動様式は実に単純で、つぎのようなものが代表的な動きである。

 ・ 日本人が大嫌い
 ・ 日本は悪者でなければならない
 ・ 日本人には何をしても許されると思っている
 ・ 日本人が韓国人にするのは許されないが、韓国人が日本人にするのは許されると思っている
 ・ 自分の顔を鏡で見たことがあるのか? とツッコミたくなるような言動をする
 ・ あらゆる面で日本をパクり、オリジナリティーがあるものは作れない
 ・ 日本に対して”捏造”と批判する事が多いが、自分の発言に対して事実かどうかの検証は行わない

さて、これから導き出される結論はこうだ。

 ・ 韓国はヘタリアのパクりアニメを作って対抗する
 ・ そのアニメのなかでは日本人は悪徳憲兵のような人物像で書かれる
 ・ 日本が悪で韓国が正義だという勧善懲悪になる
 ・ これが事実だから日本も受け入れろと訳のわからない要求をしてくる
 ・ ヘタリアと同レベル以上のバカをやっていて、日本へだけ非難してくる

嫌韓流のときもそうだった。
さてどうなるか、半年後が楽しみだ。

ヘルシングの少佐の演説(アニオタ改変版)

2009-01-26 00:02:37 | オタネタ全般
諸君 私はアニメが 好きだ
諸君 私はアニメが 好きだ
諸君 私はアニメが 大好きだ

幼女キャラが好きだ
女子小学生キャラが好きだ
女子中学生キャラが好きだ
女子高学生キャラが好きだ 
年上のおねえさんキャラが好きだ
人妻キャラが好きだ
お母さんキャラが好きだ
半人半妖キャラが好きだ
人型賢狼キャラが好きだ

転校生で 妹で 街角激突で お祭りで 指きりで 引越しで 伝説の木の下で 幼馴染で
この地上でありえない ありとあらゆる シチュエーションが 大好きだ

パンをくわえた 転校生が 主人公にぶつかって 「いったーい」と言うのが好きだ
ヒロインが 弁当を持ってきて 「べっ、べつにあなたのために作ったんじゃないからね」と言ったときなど 心がおどる

ルイズの操る おしおき鞭の 容赦ない仕打ちが サイトを 襲うのが好きだ
電話をかけたら 異世界から とつぜんベルダンディーがあらわれ いきなり同棲することになった時など 胸がすくような 気持ちだった

どこでもドアを 使ったのびたが しずかちゃんに 「きゃー、のびたさんのえっちぃ」 と 罵倒されるのが好きだ
ドラえもんが 帰るというので ジャイアンと 何度も何度も たたかって ついに1人で勝った様など 感動すら覚える

ワラ人形に ごっすんごっすん 五寸釘な MADなどはもう たまらない
魔理沙が 大変なものを 盗んでいったときには
知らないわ そんな魔法 想いは伝えたらこわれちゃう と言うのが最高だ

哀れなブロンズセイント達が コスモを 燃やせと 健気にも立ち 上がってきたのを
ゴールドセイントの 必殺技で クロスごと木端微塵に 粉砕した時など 絶頂すら覚える
サイヤ人のサイバイマンに ボロカスに やられたヤムチャが 好きだ
必死に守るはずだった ユリアを奪われ 7つのキズをつけられ 絶望に沈んでいくケンシロウは とてもとても 悲しいものだ

黒乃クルムの爆乳に 押し潰されて 窒息するのが 好きだ
赤夜モカに 言い寄られ キス直前でかわされて 血を吸われるのは 屈辱の極みだ

諸君 私はアニメを 萌える様な アニメを 望んでいる
諸君 私に付き従う ニコ厨諸君 
君達は 一体 何を 望んでいる?
更なる パンチラを望むか? 
お色気も巨乳もない ツルペタなアニメを 望むか?
MADの 限りを尽くし 三千院ナギに殴られて喜び ツンデレにハァハァするのを 望むか?

「アニメ!! アニメ!! アニメ!!」

よろしい
ならばアニメだ

我々は満身の 欲望をこめて 今まさに そりかえらんとする ロンギヌスの槍だ
だが この暗い家の中で 10年もの間 部屋に居続けて来た 我々に
ただのアニメではもはや足りない!!

貧乳アニメを!! 
釘宮病感染爆発の貧乳アニメを!!

我らはわずかに 一個大隊 千人に満たぬ アニオタに過ぎない
だが諸君は 自室千日の 古強者だと 私は信仰している
ならば我らは 諸君と私で 総兵力100万と 1人の アニオタとなる

我々を忘却の 彼方へと追いやり 眠りこけている リア充を叩き起こそう
髪の毛をつかんで 引きずり下ろし 眼を開けさせ 思い出させよう
リア充に恐怖のキモさを 思い出させてやる
リア充に我々の アキバ系のファッションを 思い出させてやる
ヒキとオタとのはざまには 奴らの人生では 思いもよらない事が ある事を思い出させてやる
数10万人のアニオタの 開場後の突撃高速移動で エスカレーターを滑らせてやる

全トーン 貼付完了 印刷所への入稿 開始

起床!! 早朝起床 ありえない 目がくらむ
「われわれは サークル参加者 さきに入場」
目標 ビッグサイト 東京国際展示場上空!!

3日目コミケ同人誌総なめ作戦 状況を開始せよ
征くぞ 諸君

ヘタリア放送直前、さて韓国はいかに?

2009-01-25 00:01:44 | 経済/経済/社会
ヘタリアというアニメがもうじき放映される。
(2009年1月24日(土)25:52~26:00 キッズステーション)

やや腐むけっぽいコミカルタッチの風刺アニメで普段のわたしならスルーしてそうなものだが、ちょいとおもしろいことになっているので別の意味で注目している。

なかみを要約すると、世界各国のステレオタイプ(ようするにベタベタ)なイメージのキャラを登場させるユーモアといった作品だ。エスニックジョークとも言う。
欧米ではこの手のジョークは広く認知されていて、その芸だけで食っているコメディアンもいるくらいだ。
日本ではこれまであまり普及してはいないから例えるのが難しい。ムリヤリ例えたとすれば、新聞の国際欄専門の風刺マンガといったら近いかもしれない。

で、なにが ”おもしろいことになっている” のかというとだ。
このアニメのオリジナルであるwebマンガをみてみると、全体のだいたい1%くらいの割合だが、韓国が出ているわけだ。
で、その韓国人が日本のどんなものでも韓国起源だとのたまったり、必死こいて日本人のフリをしたり、ヒュンダイ自動車はすばらしいとウザいほど自画自賛したりと、朝鮮日報(韓国の最大手全国紙)からうかがい知れる韓国人気質をそのまんまの反応をのせていて、ネタがわかる人は吹きだしてしまうのは必須だ。
だが、”おもしろいことになっている” のはここではない。

つぎに韓国の反応を見よう。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1231730737/
> ネチズンたちは「韓国をダメ人間として描いている」「内容の大部分が我が国を露骨的に侮辱している」「本当に低質国家だ」と怒りを露わにした。

まっ、何も予備知識なくふつうの日本人の感覚での感想を述べると
「エスニックジョークなんて日本でも普及してないんだから、韓国ではそういうのがイヤな人が多いかもしれないねえ・・・」
と思うだろう。
しかし注意しよう!
それは全く事実ではないのだ!!!

ちょい話がとぶ。
基本的に韓国社会というのは大半が中国と日本のモノマネでできている。
したがって新聞にも日本の全国紙のように風刺マンガがついている。
しかし、その内容たるや、日本人では眉をひそめるような内容ばかりなのだ。

たとえばだ、、、
2007年にバージニア工科大学銃乱射事件があった。
至上まれにみる悲惨な事件だった。
じつは韓国人が犯人だったことがあとでわかるのだが、当初はニュースで犯人は中国人ではないかと言われていた。
そこで韓国のとある新聞社はこれの風刺マンガをアップした。
ブッシュ大統領「わが国の銃の威力は世界一!!!」

人が死んでいるのにこんな下品なジョークを飛ばすなんて頭おかしいとしか思えなかった。
悪いけど、お下品なので有名な2chでも人が死んで喜ぶようなことを書き込むと、さすがに他のやつらに窘められる。韓国の新聞は2ch以下だった。

ほかにもだ、、、
さいきん特に韓国人は竹島問題でさわぐのが大好きだが、もちろん新聞の風刺マンガでもこの手のものはある。
日本人「独島(竹島の韓国側名称)はわたしのものだ!!」といって刀で暴れまわる。
韓国人の医者「キ○ガイは大変だよ」

直接的な表現で日本をキ○ガイあつかいした。
さいきんは日本のマスコミでも、(最近の厚生省イジメのように)ちょっとでも悪そうな人は集中砲火でいじめまくる風潮があって嘆かわしいが、こんなに直接的な表現で相手を人格否定するほど低いレベルにまで堕落してはいない。
日本でここまで直接的に人格攻撃をするような団体といえば、極左系市民団体とか、男を敵対民族と見ている凶暴なフェミニスト団体とか、2chとかの類でしかなく、一般に格式が高いと言われている団体ではそのようなことはしない。韓国では全国紙でふつうにそのようなことを行う。

まあ、これくらいならば
「韓国は民度が低いわねえ、ププッ」
とでもやっていれば済む程度のことである。
こういった相手を罵倒し罵倒されあう奇特な文化を備えているのだろうと解釈して、異文化への理解を深めてもいいかもしれない。

ところがだ!!!

韓国人はその100分の1でも日本人が韓国にやるのは絶対に許さない。
日本のどんなものでも韓国起源だとのたまうという例にしても、朝鮮日報など韓国側発行のメディアを見れば実際にそのとおりだし、先の殺人事件の頭のおかしい風刺や他国をキ○ガイあつかいするような下品な風刺より100倍はマイルドな表現だと感じる。
日本では一般的ではない表現方法だったが、先に記したように韓国では一般的なものとしてすでに定着している表現方法である。

普通の日本人ならば、
「おまえ、自分の顔を鏡で見たことあるのかい?」
とでもジョークを進呈したいところだが、この原因は韓国人が自分の顔を鏡で見たことがないおばかさんだからではない。
韓国人は日本人には何をしても許されると思っているのだが、日本人にほんの少しでも何かされると彼ら特有の自尊心がいたく傷つき我慢ならないのだ。
これは以前の記事(2009.01.19と2009.01.20)に書いたので、そちらを参照してほしい。
(注意:ここでいう自尊心とは韓国語での自尊心であって日本語の自尊心ではない。この違いは2009.01.20の記事を参照のこと)

さらにだ、
> 内容の大部分が我が国を露骨的に侮辱している
> ヒトラーをユーモラスな美男とまで表現している
と批判している。
韓国ネタは全体の1%くらいしかない。
それにwebマンガを全部読んだがヒトラーの絵など出てこなかった。ヒトラーはドイツ系のとある登場人物をあやつる見えない上司という設定になっている。

これも韓国人特有(いや中共政府もやるな)の気質である。
日本では正直であることが道徳規範となっている。
しかし韓国では正直であることは重要ではない。

まず↓このサイトでも読んでほしい。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/3250/noriasa/k2.htm
> 偽証が氾濫する法廷
> 国内の偽証が日本の671倍に達する
(この記事のオリジナルは韓国最大手の新聞である。)

ようするに韓国人は自分の主張を通すためなら多少ウソをついても許される社会なのだ。
今回の件にしてもそうだが、韓国人は自分が批判しやすいように事実をネジ曲げ、より日本が悪いように宣伝している。これを韓国社会のせいで悪気があって言っているわけではないとすると、韓国社会全体が日本に悪意があってやっている以外に解釈のしようがない。

先の慰安婦の件にしても、元慰安婦だとのたまう婆さんが法廷で証言した内容は小学生が書いたアリバイより酷いボロボロな内容で、100歩譲っても信用に疑問がのこるお粗末な内容だったが、韓国人は「だいたいあっているはずだ!」と押し切る。早い話が韓国人にとっては法廷での証言でさえ初めからウソを多少織り込んでいるのが前提なのだ。

ついでに言うと、韓国人はヘタリアを極右アニメだとかぬかすが、韓国語の極右は日本語の極右とは意味がちがう。
日本では、共産党(左翼)とは正反対の価値観を持ち古い道徳や伝統を大事にする政治思想を持つ人のことを右翼といい、その考え方の極端すぎる人のことを極右という。
韓国では、韓国に僅かでも批判的なことを言った外国人はすべて極右のレッテルをはる。

たとえば韓国という国の貿易収支などを財務分析して「韓国ヤバイんじゃね?」と言った人は極右あつかいされる。もちろん経済のことを言っているわけで、政治思想は一言も出てこないのにだ(笑)。
ニュースを見るとき、韓国語の極右と日本語の極右は混同しないようにしなければならない。注意しよう。

本件をまとめるとこうなる。

 ・ ヘタリアはエスニックジョークのアニメである
 ・ エスニックジョークは日本では一般的ではないが韓国をふくむ世界では一般的
 ・ ヘタリアにはほんの少しだけ韓国ネタが出てくる
 ・ 韓国はアメリカや日本に対してやっている下品なジョークの100分の1でも日本にやられると我慢できず、日本へ猛烈抗議してくる
 ・ 抗議内容はいつものように誇張されており、より日本が悪いように印象付ける改変が加えられている

もうお分かりだろう。
わたしはヘタリアというアニメ自体ではなく、ヘタリアに反応してくるこのような韓国人に注視しているのである。

さて、どうなることやら(笑)。

魔法少女アイ参 と エロゲ と 宝探し

2009-01-24 00:19:47 | オタネタ全般
おもしろい文章を紹介してもらったので掲載する。

【18禁ゲーム】 『魔法少女アイ参』製品のお詫び [12/22]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/owabiplus/1229983959/-100
> 45 :名前を出せずごめんなさい:2009/01/07(水) 05:44:46
> ユーザーはデバッカーどころか、パッチまで作らせることだってある
> それでも途中で止まる事や、直しようも無いこともある
> パッチがギガを超えることもあれば、発売してから会社が逃げ出す事だってある
> 開発が間に合わず、テキストデータ無しでそれを開発者が説明書で愚痴ってることだってある
> こうしてCGが無い事だってあるし、ハードディスクが壊れることもあるし
> アンインストーラーが付いておらず消すことも出来ず半ばウィルス化することもある
> 推奨スペックが何十年後の未来水準だってこともあれば、体験版と変わらないことも
> メインヒロインのイベントがなくなってたり、削除されてることもある
>
> エロゲユーザーはみんな地雷原で宝探しやってんのさ
> コンシュでぬくぬくやってる軟弱者とは肝ったまが違うんだよ


わたしがエロゲに足を踏み入れたのは伝説の銘機PC9801の時代からだった。
このマシン、実はマシンの全盛期以後はエロゲ全盛期のはじまりでもあった。
当時は今のWindowsみたいなグラフィカルでマウスがあれば何とかなるようなものではなく、コマンドインタープリタで真っ黒な画面に文字を打ち込んで操作するOSの時代だった。
(まあ、18歳未満で18歳未満おことわりのゲームを遊んでたんじゃないのか?とかいう野暮な質問はナシの方向で(笑))

当時のファルコムと光栄はプロテクトが硬くて素人にはとてもじゃないけどはずせなかったからみんな市販のコピーツールのお世話になったものだが(いまとはってはいけませんねえ(笑))、エロゲは比較的簡単にコピーできた。しかし、当時はOSがそんなだったからゲームをコピーするにも技術が必要だったし、技術が全くなければゲームをインストールすることすらままならなかった。

つまるところ、当時は一般の人がゲームをコピーできなかったからエロゲ業界が成り立っていたのである。

いまはどうかというと、そんなことは全く無い。

当時のファルコムと光栄がよくやっていたようにフロッピーディスクというハードウエアそのものの特徴を生かしたようなプロテクトを作るのは難しくなっているし、仮にDVDで同等のことができるにしてもWindows上でDVDドライブというハードウエアを直接たたくような低階層のプログラムを作るのは当時より遥かに難しくなっている。というか、マイクロソフトやハードのメーカーが低階層をあやつるドライバを作ってあげるから、アプリを作るひとはそんなところはいじってはダメですよ、というスタイルになっている。

さらに、ネットが普及し、コピーツールやコピーする方法をだれでもすぐに入手できるようになった。

エロゲはだれにでもコピーできるようになった。

エロゲメーカーは儲からなくなり、倒産するかどうかの瀕死の状況に追い込まれている。

それが先の照会文にあるような状況を生み出した原因だ。
(いちおう念のために言いますが、いまは社会人の独身貴族なので当時よりゼニはあるしネットに体験版も豊富にあるので、いまはエロゲの違法コピーはやってませんのでヨロシクです。むかしはどうだったのかは語りません(笑))

ゲームの完成度が低いのは大変なげかわしい。
しかし、それに屈せずに誰もしらないエロゲを買い、内容にとても満足したときは至福の喜びだ。

たとえば誰もしらないマンガをジャケ買いし、時にガッカリしながら時におもしろいものを引き当て、自分しか知らないんじゃないかという隠れた面白さを発見したときの喜びに近いものがある。
たとえばマザーズに上場する吹けば飛ぶような零細企業の株を買い、時に倒産して金をドブに捨てたとガッカリしながら時に10倍以上に跳ね上がってニヤリとする喜びにも近いかもしれん。

先日の記事の
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20081228
にもちょいと書いたが、まだ宝探しをする気概にあふれた冒険野郎が日本にいることを嬉しく思った。

シュウォッチにかけた夏の思い出

2009-01-23 00:18:24 | シューティング
2003年はじめ、ある親友が宣言した。
「シュウォッチをWindowsに移植しコミケに出展する」
と。

わたしはこう言う以外にありえなかった。
「おもしろそうだ! おれにも何かやらせろ」

その男はとある国立大の情報工学をおさめた院卒の、いわゆるエリート教育をおさめた男である。仮にS氏とでも呼ぼうか。
なおかつ、あとの人気を考えれば発売日は驚くほど低調だったPCエンジン版のときメモを早期に発掘する慧眼もさることながら、ぷよぷよでも15連鎖くらい平気で組んでしまうようなゲーマーでもあり、同人ゲーを作らせたら名だたる大物ソフトをさしおいてvectorで日間ダウンロード2位になったこともあるという、すばらしい尊敬すべきオタだ。
そして今は某会社で産業用の巨大システムのソフト開発を行っている。
彼に言わせればわたしのほうが濃ゆいと謙遜なさるのだが、まあそれはおいておこう。

これから作るプログラムの規模自体はたいしたことはないので、スーパープログラマーなS氏以外に他にソフト屋を雇い入れる意味はなかった。

わたしはそれ以外のシゴト、広報パンフの作成と、ハードウエアを担当した。
広報パンフの作成は前回書いたやつなので、そちらを参照してほしい。今回はもう1つのほうについて書く。

コミケに出展する際、単にCD-ROMをスペースに陳列して売るだけでは目立ちはしない。
ではどうするか?
むずかしい問いだった。

そこでわれわれは決断した。
「ホンモノのシュウォッチをUSB対応に改造し、ホンモノのシュウォッチをつかって俺たちの同人ゲーを動かすデモをやろうではないか!」
わたしのやることは決まった。

さいわいにして、昔とあるレースゲーム用にメガドライブのコントローラーを改造して専用コントローラをつくった経験があり、それくらいならきっと何とかなろうと思った。

まずホンモノのシュウォッチを分解する。
液晶の裏にICがのっている以外は電子部品はのっておらず、ボタンを押したときの接触用に単層プリント基板があるだけだった。場所もあんがい空いていた。
つぎに別途買ってきた普通のUSBゲームパッドを分解する。
これもDIPのIC1個とコンデンサが2個のっているだけの簡単な構造だった。

USBゲームパッドのほうの部品3つをシュウォッチのほうへ移植し、USBゲームパッドのボタンの配線にそってシュウォッチ側のボタンのパターンなどに配線すれば完了。

しかしこれでは面白くない。
なぜなら、シュウォッチは電池駆動じゃないか。できたものが電池駆動できなかったら魅力が半減じゃないか。USBケーブルをつなげなければシュウォッチとして機能しないというのはどうなのか。電池駆動できてもすぐに電池が切れるようでは意味がないじゃないか。

わたしは新たな対策を考える必要があった。
思いついた解決策はこうだ。
かなり専門的な話になってしまうのでアレなんだが…、USBゲームパッドのICの入力端子に電流が流れないようにMOSFET(※1)でバッファする。FETの電源はUSBからもらい、ゲートを高抵抗を介してシュウォッチ側のボタンのパターンに並列に配線する。こうすればシュウォッチ側の電池のエネルギーをほぼ消費しない回路になる。

だが問題があった。
部品点数がすごく増える。FETだとか抵抗だとか。いったいこれでシュウォッチの中に納まるのか?

まず若松通商にいって現物のFETの大きさとCQ出版のデータシートをにらめっこしながら要求に合致するパーツを探した。さいわい表面実装のちっこい部品でいいのがあった。抵抗は米粒よりはるかに小さい1608サイズのチップ抵抗を用意した。(※2)
次に秋月無線に行ってハーフピッチで両面に部品がおけるユニバーサル基板を入手した。

さて用意はできた。
ユニバーサル基板をシュウォッチ内におさまるギリギリ大きい寸法に切り出してみた条件で部品レイアウトを検討してみたが、部品は入りきらなかった。
しかたがないからネジを1つ潰して空いたスペースも流用を模索。
これなら部品を実装することができた。
実装方法が確定すれば試行錯誤はすでに済ませてあるので作るのは早い。

ネジを締める。
シュウォッチとしてもバッチリ動いている。
PCにつなげてみてもゲームパッドとしてボタンのON/OFFにも反応している。
よし!

S氏はコミケのためだけに当時けっこうな値段がしたハンディーPCを買ってきていた。
わたしは完成したUSB改造シュウォッチを片手に自慢しにいったのだが、「この男できる!」と認めざるを得なくなり微妙に返り討ちにあった気がした。

そしてShwatch++(※3)は完成した。
本体部分は完成していたゲームとUSB改造シュウォッチをつなげてプレイしてみたときの喜びはひとしおだった。
大人気はムリにしても、何人かコアなお客のハートをガッチリゲットできると目配せした。

広報パンフの作成やら何やかんやあり、いよいよ当日。(※4)

わたしは直接面識はなかったがS氏のダチでコミケ事情に詳しい助っ人も入り、コミケの混雑具合を勘案した最適交通ルートを提案してくれ、われわれシロウトではアタフタするような事務処理なども手伝ってくれ、いざ決戦の時間となった。

まあ大混雑で目に留めてくれる人の割合は高くはなかったが、コアなお客さんはたくさん来てくれた。
パワーグローブ(※5)をはめた通なお客さんが来れくれたり、マジに16連射できるすごいお客さんが実演デモをかってでてくれたりと、いろんな思い出ができた。
CD-Rも思いのほか売れ、昼過ぎには完売した。
われわれの熱い夏は終わった。

そして今でも時折思い出す。
高橋名人にあこがれてシュウォッチをたたいた少年時代、高橋名人にあこがれてシュウォッチを改造しコミケへ出陣した青年時代を。



【※1 MOSFET】
トランジスタの1種。
ある端子とある端子の間の電圧である端子の電流を制御できる。

【※2 若松通商 秋月無線】
http://www.wakamatsu-net.com/biz/
http://akizukidenshi.com/

【※3 Shwatch++】
オリジナルのダウンロードはこちら
http://www.vector.co.jp/soft/win95/game/se326564.html

【※4 広報パンフ】
前回記事分

【※5 パワーグローブ】
ある意味で激レアなファミコン用コントローラ。
手に握って使うのではなく、手袋のように着用して使う。
http://www.ne.jp/asahi/oroti/famicom/cont23.html

俺たちの青春、16連射が帰ってきた!!!

2009-01-22 00:28:36 | シューティング
(注:本文は2003年夏コミでの同人ゲーShwatch++の販促パンフに記載された文章である。タイトルはこれと同じ)



あれは忘れもしない1986年、その年の夏、祖国日本の男子全てを震撼させる敵が突如として降臨した。
その恐るべき敵、刹那の間に16発の弾丸を打ち込まないと倒せない悪夢の人面戦闘艇ラザロ。
だれが忘れようか、俺たちにとって最大の敵、あの悪夢の人面戦闘艇を。
(公式には、ブレイン軍の航空・航宙機動兵器を束ねる中型機動兵器)

ラザロを倒す、そこには絶望が口を開けていた。
高度成長した日本に生まれ、多くのものに恵まれて育った少年たちにふりかかる、生まれて初めての絶望だった。
皆がその凶悪さに絶望した。
ある者は語るのを避け、黙して去った。
ある者はおのれの肉体の限界に涙し挫折した。
ある者は誘惑に魂をけがされ、邪道こすり派に転落した。
だれもが立ち向かえないと諦めかけていた。
もはや祖国日本にはあれを倒せるものは誰一人として現れない、皆が敗北感にさいなまれていた。
そんな時だった、その漢が現れたのは。
そうだ、一人だけ倒せる漢がいたのだ!

その漢は遠く北海道の大地より現れた、笑顔の似合う何の変哲もない青年だった。
だが、彼は恐るべきテクニックを引っさげて現れた。
彼はふらりとおもむき、1秒間になんと16発もの弾丸を撃ちこみ、みごとにラザロを撃破してみせた。
彼は一夜にして祖国の英雄となった。
100mを9秒台で走り抜けるのと同じくらい困難と言われた16連射、あれから17年が過ぎようとしている今日でさえ、人類からは彼を超える逸材はでてはいない・・・。

世間では、あの激動の時代を戦い、そして共に生きのびてきた俺たちのことを「ゲーム世代」と呼ぶ。
それは、友達と遊ぶよりも一人でTVゲームをしたほうが楽しい、と語る小学生が激増した時代、大人はだれからともなく侮蔑の意味をこめてゲーム世代と名づけた・・・。
そして今や月日は過ぎ、年齢だけは大人となった現在の俺たちゲーム世代。
俺たちは内に秘める誇りにかけてみずからの事を「ゲーム世代」と呼ぶ。
そう、俺たちはあの瞬間、日本で最も熱い夏を共有していた。
あの瞬間にあの場所へいたこと、そしてあの瞬間にあれを目指していたこと、それこそ俺たちが大人になった今でも誇れる大切な思い出ではないか。
あの頃、TVゲームすることそのものが悪だと見なしていた無感動な大人たち、俺は逆にやつらに問いたい。
「君たちは子供のころ、いったい何をしてきたのか答えられるか。何に命をかけていたか答えられるか。俺たちは誰に聞いても即答できる。それがゲーム世代だ」
と。
往年を知る、今や立派な社会人として成長した当時ゲーム世代と呼ばれた少年たちは、遠い眼差しをしながら皆そう語るだろう。
「あの年の夏は熱かった・・・」
と。
俺たちはあの時のあの瞬間に星空の軍隊(Star Force)に集う有志だったこと、そして星空を駆ける兵士(Star Soldier)だったことを忘れない。
俺たちだけの知るその戦場へ出向いたもとのあるものは今でも、その日々を懐かしむように物語っている。
ラザロは硬かった、ビッグスターブレインは強大だった、13面からの誘導弾は凶悪だった、思い出は尽きない。
みなの語るその笑顔からは、その辛かった日々を想像もできないような美しく輝かしい思い出に昇華している。

俺たちの好きなシューティングの歴史は深い。
弾を撃つタイミングによって高得点が狙えるスペースインベーダーから、反復練習と緻密な戦略によって難所を潜り抜け、見るものにTVゲームはかくも美しく儚いものかと感動を伝えつづけたグラディウス系、そして鬼のように降り注ぐ狂気の弾幕全てを避けきることで麻薬のような快感を得る東亜系と、シューティングは進化してきた。
だが、シューティングの原点ともいえる連射の素晴らしさを純粋に教えてくれるゲームは、遥か昔、ハドソン・スターソルジャーによって孤高の完成を得ていたのである。
そしてその連射の素晴らしさだけを蒸留し抽出したものがあの連射測定器「シュウォッチ」。

あの一世を風靡したシュウォッチは、今やどこへ消えたのだろう。
ブームは去った後、スーファミ型にメタモルフォーゼした新型機も投入されたが時代の波には勝てなかった。
俺たちの心の底から熱くさせてくれた16連射、全てと引き換えにして打ち込んだシュウォッチ、いったい、どこへ消えてしまったのだ。
もはや2度とはお目にかかれない、我々の青春に燦々と輝く金色のメカニズム「シュウォッチ」。
いったい幾人もの人々が、その復活を待ち望んでいた事だろう。
もはや某に命(株式)を握られたハドソンからは漢と呼べるしろものは復活しないのか、ただの焼きなおしではない魂の回生は起きないのか、だれもがそう諦めかけていた。
そんな時、ついに奇跡はおきたのだ!
日本最大の祭りコミケ、その3日目の同人ソフトコーナー、そこに何かが潜んでいる。
いまだ冷えきらぬ熱き魂を有している君はそこへ集うといい。
USB対応に肉体改造された古参シュウォッチ、そしてPC画面上に奇跡の復活を果たした新生シュウォッチが君の訪れるのを強かに待っているはずだ。
行ってみるといい。
きっと君の心にとどくものがある。



(次回はこれを配ったコミケでのことを語る)

オタクの誇り と 電車男のハッピーエンド

2009-01-21 00:58:42 | オタネタ全般
電車男がほんとうに実在する人物ならば、ハッピーエンドを迎えられてよかったね、と応援したいところである。

だが、電車男の映画版などをみると、どうも
「オタクなダメなやつが、彼女もできてオタクも卒業して、ハッピーになる物語」
という解釈で作られているところが気に入らない。
わたしの反論したいところはこうだ。

 ・ オタク=ダメなやつなのか
 ・ オタクを卒業しなければハッピーになれないのか

まず、オタクでない、いわゆる普通の人からみたら、オタク=ダメなやつでありオタクだからハッピーではないと、きっと言うだろう。とくに良識派コメンテーター気取りの自称評論家どもは。

この問題を語るには、オタの人種には2種類いることをまず述べなければならない。

ひとつめの人種。これは自らがオタであることを恥じており、アニメなどは一切絶ってカフェでリアルの女と語り合っているような姿が本来のあるべき姿と思っているオタたち。仮に否定派オタとでも言おうか。

ふたつめの人種。これは自らがオタであることに誇りを感じており、家に帰っても漫然とTVをみるとか休みの日にもショッピングにいくとかくらいしか脳のない庶民に対し、人生をかけて打ち込むに値する価値があるものを見つけた自分に満足しているオタたち。仮に肯定派オタとでも言おうか。

フェミニストがいうように、リアルの女に相手にされないからアニメに走った人もいるかもしれない(わたしもリアルの女に相手にされないのだが、それはおいといて)。
良識派コメンテーターがいうように、スポーツなどの趣味がなく、それに手をだすほどの気力もないからアニメに走った人もいるかもしれない(わたしもスポーツの趣味はないのだが、それはおいといて)。

オタはそんなネガティブ思考では語れはしない!

わたしはフェミニストや良識派コメンテーターに言いたいのだ。
あなたたちはいったい何を楽しみに生きているのだ、わたしはとらドラ!の次回放映が楽しみでしかたない、と。
あなたたちはなにか心の底から打ち込んだものがあるのか、わたしはアニメが心の底から大好きだ、と。

だからわれわれオタ(さきの肯定派オタ)たちは、オタク=ダメなやつでありオタクだからハッピーではないという論調を鼻で笑う。

アニメやマンガではないが、わたしは大学時代にとあるオタ趣味の修練に努め、そのおかげで今の会社に勤め、そこそこの評価をもらっている。会社に入ってからはアマチュアな大学生でできる程度のものではプロとしてやっていけない事を痛感させられたが、しかしわたしの大学時代のオタ精神がなかったなら、会社でははじめからやっていけなかったと確信している。(サイトのアドレス名みたら何のことなのかピンとくる人もいるかもね(笑))
キミは大学時代に何をやっていたのだ、と聞かれてちゃんと答えられる男はオタ以外にはほとんどいないだろう。

それに今の日本ではオタ産業は重要な輸出品目と認識されつつある。
ここまでに育てた人たちはいったいだれか。
アニメ製作会社に勤務して、一日中アニメの絵を描いて、クタクタになって家に帰ってもアニメを見て楽しむような気概のあるアニメーターのひとたち。
ゲーム製作会社に勤務して、一日中プログラミングして、クタクタになって家に帰ってもゲームして遊ぶような気概のあるゲームクリエーターのひとたち。
愛すべき、尊敬すべきオタたちだ。イヤイヤながら仕事をして、家に帰ったらダラダラとTVを見て寝るだけの庶民が作ったのではない。

わたしは電車男のハッピーエンドに反論する。
オタを卒業するというハッピーエンドはわたしのあるべき姿と異なる。
わたしはオタの人生は誇り高く実り多きものだと感じているのだ。

違法コピーは日本のアニメ文化輸出につながるか? その2

2009-01-20 00:40:50 | オタネタ全般
前回は日本のアニメを見ても日本に災厄しかもたらさないフシギの国について述べた。
今回はその原因について考察する。


まず↓このように、かの国は小中学生でも日本のことが大嫌いだ。
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1219950468/
67%の小中学生が日本のことが大嫌い。

ふつう日本なら小中学校くらいでは「世界のみんなとなかよくしましょう」くらいに洗脳ギミに教わるものだが、かの国ではそうではない。日本の教育現場の事情から勘案すれば、この数字は極めて異常だ。

まあそれはさておき、わたしからすれば
「だったら日本のアニメなんか見なきゃいいじゃん」
と思うし、わたしはK国がキライなのでK国アニメなんて見たいとも思わない。

しかしヤツらは日本のアニメやマンガの面白さは熟知している。なぜなら、自分たちがパクリで作っているクソ作品のパクリ元が日本製だからだ。


もう1つ、われわれ日本人には理解できない重要な性質がある。
↓これだ。
http://ime.nu/www.chosunonline.com/article/20090110000006
LG電子社長「日本の自尊心であるソニーを追い抜きたい」

昔のはなしになるが、昭和40年代のころ、日本の電気の産業もまだまだだった。
そのころの技術者は「アメリカの電気の巨人GEに追いつけ追い越せ」がスローガンでもあった。
GEは技術力もシェアも他を圧倒しており、日本人の技術者はGEを尊敬していた。
GEじゃなくてもベル研でもいいかと思う。

LG電子のはなしもこれに近いかと思えば、ぜんぜんそうではない。
かれらK国人は、日本が大嫌いで日本人を見下したくてたまらないのにもかかわらず負けている現状に我慢ができない。日本に負けていると自分の自尊心がいたく傷つく。
だから技術力で確固たる地位を確立するとか、売り上げNo.1をめざすとか、そんなんじゃなくて、日本の最大手企業の○○を追い抜いて日本人を見下し、日本人の自尊心を傷つけてやりたいと思っている。
かれらは極めて近視眼的でありかつ日本憎しという感情によって動く。そして自尊心というものの理解は日本人とは大きく異なる。

この彼ら特有の感情は日本人ではなくてもK国人以外のどんな人たちでも理解できないだろう。

ちなみにいうと、K国人が「日本に追いついた」といえば、日本人は「なんだK国人でも作れるのかよ、じゃあコスト競争になって商売になんねえな、次はこれやろうぜ」となり、未来永劫ずっと彼らのいびつな自尊心を満足することはない。モノマネのモノマネたる宿命である。
ひところの日本はアメリカのモノマネばかりだと言われたものだが、かの国を見ていると日本はオリジナリティー豊かな国だったんだとあらためて思う。


そして忘れてはならない彼らの性質はこれだ。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1231596145/
我が国が立ち遅れているのは日帝のせい。京城帝国大学などは無意味だった。日本は勘違いするな

大戦前に行った日本の統治はとても菩薩なみに素晴らしかったとはいいがたい。
だが、当時の世界情勢を分析しながら冷静に考えて、かの国が自力で生き延びるなんてことはありえなかったし、米英仏中露日のどれかの配下にならざるを得ないなら日本が一番ましだったのは間違いない。
るろうに剣心じゃないが、当時の世界情勢は弱肉強食であり、強ければ生き弱ければ死ぬ(死ぬというか何をされても文句言えない有様といったほうが近い)、そういう世界だったし、日本もギリギリ獲物にされずに首の皮一枚で列強にのし上がったクチだった。
その時代の世界情勢や国際法はもちろん自分の国のふがいなさをさしおいて、どんなことでも「日本が○○したせいで我が国は○○なのだ」と声高に叫び続ける彼らの怨念と日本への責任転嫁根性は忘れてはならない。
かの大戦を経て、欧米も日本も手痛い打撃を受けて反省した。とりわけ日本は反省しなければならない事項が多かった。しかし、最も反省していないのは「我は正義の被害者でござい」と開き直り、いまだ日本にたかり続ける彼らK国なのである。

ついでに言うと、そんなに自国のなんとかがダメなんなら、自称先進国のくせして60年以上たって自力で修正できないのはどうよ? と思うんだがね(笑)。


はなしをもとに戻す。
①と②と③の性質を組み合わせて推論するとこうだ。

「日本は大嫌い。日本は悪の国でなければならない。
だけど日本のアニメやマンガはおもしろくてついつい見てしまうし、日本と同じクオリティー・オリジナリティーを持つものなんて到底自分たちでは作れないし、それが自分の自尊心を傷つける。
日本のアニメやマンガをそのまま国内にもちこんで、自分と同じように自尊心を傷つけるこどもが出るといけないし、何より日本の作品を見て(悪い国でなければならない)日本のことが好きになってもなおさら困る。
だから自国内で作れないような日本製のおもしろいものを自国にもちこむが、日本製とは悟られないように巧妙に作り変え、意図的に消費者には自国製だと勘違いさせよう。」

つまり結論はこうだ。
「違法コピーは日本のアニメ文化輸出につながるか?」
という問いに対しての答えはこう。

 ・ 違法コピーは利益を圧迫するが、その宣伝効果は無視できず、最適解はなさそう
 ・ しかしK国においてはどんな事をしてもデメリットにしかならない
 ・ その理由は日本人には理解できないかれら特有の感情にある

違法コピーは日本のアニメ文化輸出につながるか? その1

2009-01-19 00:36:58 | オタネタ全般
とうぜんながらアニメを違法コピーで配ればアニメ製作元の利益を圧迫することになるから良くないのはまちがいない。

しかしどうだろう、ハルヒなんかは熱心なファンがネット上で違法コピーを含む熱心な布教活動をくりひろげたおかげで、これだけメジャーな存在になった。
違法コピーしてほしくないのはやまやまだが、その宣伝効果は無視できないのは製作元も知るところだ。

たとえば中国でも日本のアニメを違法コピーして勝手に中国語の字幕をつけたものが大量に出回っている。
それを見たもののなかには、
「字幕で見ていると感情移入できないから日本語を勉強したい」
「セーラームーンを見て日本にいってみたくなった」
と思うものもいるらしい。
これでライセンス料が払われれば大成功の部類に入るのだが・・・。

ここで最適解はないような気がするが、2つのうちのどちらが良いかというのは議論の余地があろう。


ところが!
これが全く通用しないフシギな国がある!!


その国は日本にも中国にも近い自称先進国だ。
いわゆる先進国ではありえないことだが、日本製のアニメは合法/違法のくべつなく、ひらたく全てが自国で生産されたもののように巧妙に改変が加えられている。
主要登場人物名が自国でありそうな名前に置き換えるのはよくやることだが、とてもじゃないがそんな次元ではない。

たとえばオープニングやエンディングは製作にかかわった日本人の名前がかならず出てくるので、TV放映時にはかならず作りなおし、日本人名は一切出さない。
たとえば日の丸が出るシーンでは、必ず白抜きか太極旗に書き換える。

また、あの国では外国人が知的財産で訴訟をおこしたら必ず負けるようにできている。これは「不利」とかいうレベルではなく「必ず」だ。
かの国の製作元の人たちはそれを熟知しているので、日本で人気の出た作品のデッドコピーなクソをつくり放映する。仮にオリジナルの日本製アニメが入ってきても裁判おこして追い出すことにしている。

そんななかで育ったひとたちはこうなる。

「日本のポケモンは我が国のPowermonのパクリだ! 謝罪しろ!」

「我が国がつくったトンチャモン(日本名:ドラえもん)が日本でも放送されているのは誇らしい!」

「キャプテン翼は我が国での話なのに、世界のみんなはなぜ日本のアニメだというのだ! 日本の陰謀に決まっている!」

もはやどんな意味においても日本には災厄しかおよばない・・・。
なぜこのようになったのかを知るすべはない。なぜならばわれわれはK国人ではないからだ。しかし、その解をすこしでも探ってみようと思う。



(次回につづく)

シューティングで弾はどうやって避けるか?

2009-01-18 00:53:39 | シューティング
前々回と前回につづき今回もシューティングネタを書く。
シューティングで弾はどうやって避けるかについて。

ゲーセンにいっしょにいく連れなどによく言われる。
「いったいどんな反射神経してるんだ?」
とか
「こんないっぱいの弾なんかとても見てられない、ありえないし」
とか。

じつは反射神経については、測ってみたところわたしは人並み以下。
じゃあどうやって避けるかというと、実は自機は見ておらず、自分の反射神経分だけ自機の位置の上のほうを見ている。遅い弾ばかりなら自機のすぐそば、速い弾ばかりならずいぶん遠くを。じつはたまに自機の座標を読みあやまって避けたはずの弾にあたる(爆)。

死ぬほどたくさん狂気のごとく降り注ぐ弾をちゃんと見ているかというと、実はほとんど見ていない。
じゃあどうやって避けるかというと、例えば弾が通る軌跡が心眼で見えていて、心眼で見えた軌跡に触れないところに自機をすべりこませて回避する。例えば弾のかたまりごとに触れたらダメなエリアが心眼で見えていて、ダメなエリアの合間に自機をすべりこませて回避する。弾の現在位置を1個づつ把握なぞしてはいない。

ついでに言うとシューティングのプレー中は神経が超絶集中しているので、時間の流れが遅くなるし、あんなにうるさいゲーセンでもちゃんと音楽や効果音は聞こえる。あとで落ちついて他の人のプレーを見ていると、こいつけっこううまいなと思っても実は自分のほうがうまかった、なんてことはよくある。うしろで落ちついて見たら時間の流れは遅くならないからだ。大学入試でもこんなに集中していなかったと断言できますわ(笑)。

たぶん、弾を全部認識しなくてもいいように脳みそが情報を取捨選択し、弾の位置と移動方向からリアルタイムに認識しなくてもいいように脳みそが情報を簡素化し、反射神経を要求しないように脳みそが未来予測をし、さらには走馬灯の原理で脳みそがフル回転して時間の流れが遅くなるものと思われる。

ようするに弾避けできるように脳をカスタマイズしたものが勝つのだ。
将棋であるていど以上の腕前になれば盤をみただけでコマが勝手に動いて何手か先の未来を予測することができるようになるのと同じようなものだろうと思う。

シューティングでうまくなるのに必要なものは反射神経でも視力でもなく情熱だ。
だれよりもシューティングが好きならば、だれよりもシューティングをプレーしつづけ、そしていつのまにかクリアできるくらいの腕前になっているものだ。
スコアランカーのレベルになると才能は必要だろう。しかしワンコインクリアのレベルでいいならば、才能ではなく情熱により成し遂げられることはわたしにより証明できたのではあるまいか。

さあ、あなたもシューティングの世界へいかが?



(前回書いたようにわたしは達人でもなんでもないですよ(笑)。シューターのみなさん反論大歓迎なのでよろしく。)

シューティングとロープレの楽しみかたの違い

2009-01-17 00:51:29 | シューティング
前回につづき今回もシューティングネタを書く。
シューティングとロールプレイングの楽しみかたの違いを考えてみたい。

ロープレは(極論すれば)だれにでもクリアできる。だれでも達成感を楽しむことができる。
シューティングはまずクリアできない。だれも達成できないことを達成したことに対して達成感を感じる。

ロープレは対話やアニメーションによりストーリーを楽しむものが大多数だ。
シューティングにはストーリーは申しわけ程度についているが、あまり意味をなさない。

ロープレは(謎解きの要素もあるが極論すると)単純作業のレベル上げにより先に進む。
シューティングは弾を避ける技能を磨き、言語を絶する弾幕を避けることにより先に進む。

ロープレの主人公は特別な能力を与えられた勇者だったり王子様だったりすることが多い。
シューティングの主人公はなんの変哲もない自分自身。

ロープレは最後になればなるほど主人公が強くなる。
シューティングは最後になればなるほど敵が強くなる。

ロープレではそうやすやすと全滅しない。
シューティングではすぐ全滅する。

ロープレでは死にそうになったら回復魔法を使えばよい。つかえなくなったら街にもどればよい。
シューティングでは死にそうになったら魔法の弾消しボムを使えばよい。つかえなくなったら死を覚悟する。

ロープレは家でおちついて楽しむ。
シューティングは家でおちついてやったら面白くない。やはりアーケードに限る。

ロープレには達人プレーというものがほとんどない。
シューティングでは自分が達人プレーできなければクリアできない。

ロープレで強くなるには金をだして武器防具を買う。
シューティングで強くなるには自分の腕を磨いて奥地まですすみアイテムを得るしかない。

ロープレで死の恐怖を味わうようなら、いったん戻ってレベル上げをする。
シューティングで死の恐怖も味わえないようなら、おもしろくもなんともない。

ロープレでは敵の攻撃は避けられない。
シューティングでは敵の攻撃は避けなければならない。

ロープレの楽しみは家でじっくり本を読む楽しみに似ている。
シューティングの楽しみはスポーツカーをかっ飛ばしてスリルを楽しむのに似ている。



つまるところ、わたしは思う。
ロープレは熟練しなくても誰でも感動を味わえるように作られたのだと。
シューティングは誰も味わえない感動を味わうために熟練して感動するように作られたのだと。
だから、たかがゲームごときに熟練する必要のないロープレは隆盛を極め、シューティングは熟練が必須とするため凋落したのだ。

これはしかたがない。
しかし野球にしろ将棋にしろ、あるていど熟練してはじめて得られる楽しさはあり、それは初心者がちょっとやってみた程度の楽しさとは次元を超えた楽しさである。

だからわたしは言いたい。
ほんとうはもっと多くのひとに熟練してもらい、もっと多くのひととシューティングの面白さを分かち合いたいのだ。



(えっと、エラそうなこと書いていますがわたしは1周ALLがせいぜいで、達人でもなんでもないですよ(笑)。それにロープレも大好きですよ(笑々)。次回はそのわたしが、弾避けとはなんたるかを書いてみようかなあ・・・と。)