教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

千早とスーパーアレンジ (下巻)

2009-08-31 00:00:31 | オタネタ全般
(・・・前回からの続き)



前回は過激にスーパーアレンジしすぎたので有名なXenoglossiaの如月千早を取り上げたわけだが。
今回はスーパーアレンジしすぎないスーパーアレンジを紹介したい。




(出展 ※1)

右:Idolm@sterの如月千早
中:アイマスクエスト版の如月千早
右:くされ戦記版の如月千早

絵だけで見ると多少違うように見えるかもしれない。
しかし、意外にこれは似ているのだ。
それを端的に示したのは、それら各々についた2つ名であろう。

Idolm@sterの如月千早 → 2つ名は「72」
アイマスクエスト版の如月千早 → 2つ名は「ぺったん姫」
くされ戦記版の如月千早 → 2つ名は「dptn」(「どぺたん」の略)

さあこれで解ったろう。
Xenoglossiaの誰だかわからない千早とは根本的に解釈が異なる。

世の中には手を加えてはならない事がある。
たとえるならば悟空からサイヤ人をとった悟空は悟空ではないように。



とはいえ・・・
アイマスクエストもくされ戦記も、単なるIdolm@sterのデッドコピーではない。
そして単なるIdolm@sterのデッドコピーだったとしたらこれだけの完成度は見なかったに違いない。

では、それぞれ何が違うのか?

まずアイマスクエスト版の如月千早。
ストイックで真摯な印象の強いオリジナルに対し、とっても天真爛漫で自由にのびのびと生きている。
アイマス師匠(※2)はそれを「はっちゃけた」と表現した。
歌唱力や上昇志向に捕らわれすぎない、本来の何不自由なく自由に生きた千早だったら、きっとこんな千早だったろうと、見るものに別の可能性を考えさせる。

この違いはアイマスクエスト内でも言及されている。
本来の如月千早はこういう性格なのだと。

次にくされ戦記版の如月千早。
オリジナルに対し、とってもデレ成分が濃厚に表れる。
犬千早とも表現される。
これは人生の伴侶を見つけ、共に過ごす時を得たときの千早を表現したものかもしれないと、見るものはそう考える。



これは何を表現したかったのだろうか?

「○○だった、もしくは○○ではなかった、あったかもしれない別の世界」を表現しているのかもしれない。
本来、2次創作というものはそういうものかもしれない。

たとえば第n話と第n+1話の間で何かがあったことはわかっているが何があったのかは開かされていない出来事のようなもの。
たとえばすでに第1話の時点で過去になっている出来事のようなもの。
たとえば作風的には語ることのできない舞台裏での人と人との繋がりのようなもの。
ファンは作品を眺めて過ごすだけでは飽きたらず、そういったものをあふれでる想像力の限りを尽くし、ひょっとしたらこんな展開が隠されていたかもしれないというようなストーリーを創作してみる。
それが2次創作というものだ。



2次創作の代表である同人誌なんかもそういう作りになっている。

単なるエッチなだけの同人誌も確かに多い。
2ページ目からもうハダカになっていて、2ページ目以降はキャラを選んだ意味が失せているような同人誌も確かに多い。

しかしながら、少数派ではあるものの、本当に作中に取り上げられていてもおかしくない出来を持つエッチじゃない同人誌も多く実在する。
ARIAなどでもそれが多かったように思う。



この世界はあるいみガンプラにも通じるものがあるかもしれない。
宇宙世紀○○年にはどんな世界になっていて、そのときはどんなモビルスーツがありえて、その背景設定を持つモビルスーツに改造して作ってみた、そんなガンプラの楽しみ方もある。
単に説明書通りに作ってみるレベルから脱却し、背景設定に対する考察も入れ、よりリアルによりオリジナリティーを出しプラモを構築しようとする姿勢、それは2次創作の魂に近いものを感じる。

ホビージャパンに掲載されるような架空の設定のガンプラはこれにかなり近く、作者の熱き魂が灯っている。
逆にヒゲガンダムはガンダムの楽しさを全く知らない部外者によるデザインなので、古参の者には非常にアレに見えた。



2次創作をする者は、その作品が好きで好きでたまらないから2次創作にまで手を染めるのである。
オリジナルのことは隅から隅まで目を通している。
だからオリジナルのアイデンティティーがくつがえるほどの変更を伴うものは多くない。

だから、オリジナルをよく知らないでメディア展開作品を作ると大失敗するし、オリジナルをよく知っている人が同人作品を作ればコアなファンから順に受け入れられる。

Xenoglossiaとアイマスクエストとくされ戦記を見て得られる教訓は1つしかない。
これは誰しも気付いていることだ。
オリジナルが大好きな人が作らなければ別モノが出来上がってしまう、それに尽きる気がする。

ついでにいうと、Xenoglossiaも同姓同名の別人だということで割り切って見さえすれば、それはそれで良くできたアニメだと思うのだけどね(笑)。



【※1 出展】

Xbox360版Idolm@sterゲーム中スクリーンショット
アイマスクエストⅣ 77話 第七章04 オープニング
くされ戦記 45匹目 オープニング



【※2 アイマス師匠】

徒花な日々
http://blog.goo.ne.jp/styui-gdb/

千早とスーパーアレンジ (上巻)

2009-08-30 00:05:51 | オタネタ全般
わたしはマンガが大好きだ。
わたしはアニメも大好きだ。

しかし!

同じ作品でマンガやらアニメやらゲームやら複数ある場合、あえてどれか1つしか楽しまないようにしている事が多い。
アニメ化より前からマンガを読んでいた場合にはマンガだけにすることが多いし、先にアニメから入った場合にはマンガには手をつけないことが多い。

なぜなら!

先にオリジナルを見てしまった場合、あとで別のメディアのを見ると
「○○が違うじゃねえか!!」
とツッコミたくなるし、

先にメディアミックス作品を見てしまった場合、あとでオリジナルのを見ると
「なんだよこれ、クセが強すぎるんだけど!?」
とツッコミたくなるし、

そもそもそういうツッコミを入れること自体、作品を楽しむ側の立場としてあまり良いものではないと思っているからだ。



まず、世間的に死ぬほどツッコミを入れられた某作品の例を示してみよう。


(出展 ※1)

あらためて言うほどのこともないが・・・

右:Idolm@sterの如月千早
中:Idolm@ster Xenoglossia (アニメ版) の如月千早
右:似ていると評判な某(これはついで)

どう見ても別人である。
顔だけでなく、体格も、性格も、職業も、全てにおいて全くの別人だ。
むしろ共通点を探すのが難しいくらい別人だ。

実際、千早ファンのガッカリようは尋常ではなかった。
たとえば、ご親切にもファンサービスとして72から89にバストサイズをかなり大きく増量しているが、これは完全に裏目に出てしまい、ファンからは
「大きなお世話だ」
と批判されるハメになる。

オリジナルのアイマス愛好家からボロクソにけなされた。
ボロクソにけなされるほど酷い作品でもないにもかかわらず、ボロクソにけなされた。

そして現在では完全にアンタッチャブルな存在として
「げっ、Xenoglossiaかよ・・・」
と言われたり、完全なる黒歴史として無かったことにされていたり、そんな存在として扱われる。



これはXenoglossiaだけの話ではない。
GONZOなんかもよく原作ブレーカーだなんて批判されている。
そして作り手もそれを知っていて、ときどき自嘲気味に用いているのは有名だ。

どの作品であれ、その作品が好きであればあるほど、どんどん些細な違いが気になってくる。
わたしだって違いが気になる。

とはいえ、わたしはそういった事にこだわりすぎて、それで作品全体を否定してしまうような鑑賞をしたくないのだ!

だからわたしは、同じ作品でマンガやらアニメやらゲームやら複数ある場合、あえてどれか1つしか楽しまないようにしている事が多いのだ。

そして時が過ぎ、熱狂が過ぎ、堪能し尽くし、ふと冷静になったとき、そして初めて見ようかと思うのである。

いまならば、Xenoglossiaも「有り」だと肯定的に楽しむことができる。
いまならば、Xenoglossiaの如月千早もサンライズ的なスーパーアレンジ版として満足して見ることができる。
そしていまならば、Xenoglossiaの良さを分かち合うことができるというものだ。

たとえ千早が爆乳年増でも、たとえあずさがシャキッとしていても、たとえ真が1ミリもかわいらしくなくても、それでもサンライズが良かれと思ってやったのだから、サンライズが表現しようとした良かれのところをもう1度見てみようではないか。

単にぶーぶー文句を垂れるだけなら、いつだって誰だってできる。
しかしぶーぶー文句を垂れている間は作品のおもしろさは理解できない。

ちゃんと見さえすれば、Xenoglossiaだっておもしろいのだから。



【※1 出展】

Xbox360版Idolm@sterゲーム中スクリーンショット
Idolm@ster Xenoglossia (アニメ版) 公式サイト
新世紀エヴァンゲリオンTV版第1話



(次回はアンチXenoglossia編へとつづく・・・)

「ロケット失敗はロシアのせい」とか(笑)

2009-08-29 00:30:38 | 経済/経済/社会
先日、韓国がはじめて打ち上げたロケットが見るも無残に失敗した。

べつに人の国のことだから、成功するか失敗するかについてははっきり言って興味はない。
わたしが興味津々に注目していたのはそこではない。
わたしが注目していたのは、またトンデモ理論をもちだして結局は日本のせいにしてくるんじゃないかという、そんな普通では考えられないような事態になる可能性がゼロではないと思っていたからだ。

ふつうに考えて、韓国のロケット失敗が日本のせいになるわけがない。

しかし!

あいてはあの韓国人だ。
何を言い出すかわかったもんじゃない。

たとえば前に北朝鮮がロケット打ち上げを強行したときのことを思い出してみよう。
あのときは世界中が北朝鮮の奇行を非難した。
本来仲が良いはずの旧共産圏であるロシアや中国でさえも、「非難」という用語までは使わなかったまでも「強い懸念」を表明した。

ところが!

韓国だけは異次元世界に住んでいた。
韓国は北朝鮮を支持し、
「北朝鮮のロケット打ち上げを非難することで日本が軍拡路線を取ることを正当化しようとする、その日本の軍国主義を非難する」
と言ったのだ。

こんなトンデモ非難を浴びせてくるとは完全に予想外だった。
韓国はそれくらいとんでもない言いがかりをつけてくる国なのである。
今回のロケット失敗の件でも、いったいどんな手を使ってくるかわかったもんじゃないと思っていたわけだ。



さて、結果はどうなったかというと・・・

http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/c494e6e19de9d6b822a1883f0e2959f2
> 金重賢(キム・ジュンヒョン)教科部・第2次官は、責任の所在を問う質問に対し、「打ち上げと関連した全ての責任は、ロシア側にある」とし

結局はロシアのせいにすることに落ち着いたようだ。
良い意味で予想が外れてホッとした。



科学技術にたずさわる者だったら誰でもわかると思うが、技術開発というのは失敗の連続がつきものだ。
何度も予想外のことがおきて、原因を理解して、そして少しづつ腕前を上げていくものだ。

しかし韓国はせっかちすぎた。
てっとり早くカネ出してロシアから技術を輸入した。

1段目は買ってきただけ。
2段目以降は設計図見ながら作っただけ。
ようするに今回のロケットはロシア製のデッドコピーでしかないのだ。

ロシアが作った1段目は成功した。
失敗したのは韓国人が作った2段目である。

さらにいうと、韓国は設計図を書いたロシアのせいにした。
1段目は成功したという以外に失敗原因が全くわかっていないにもかかわらず、速攻でロシアのせいにした。

腕前がないヤツが設計図を見ながら初めて作ったところで、達人と同じ域のものができるわけがない。
達人の設計図を見ながら作ったにもかかわらず失敗し、失敗原因がわからないにもかかわらず達人のせいにしたとすれば、それは自分の腕前がないのを世間に宣伝しているのにほかならない。
今回のロケットも、もし自分で1から作って失敗したのなら
「最初なんだからまあしょうがない」
というところだろうが、それとこれとは事情が全く違う。

ところで・・・
ロシア製なんてロクなもんじゃなさそうだと思う人もいるかもしれない。
まあたしかに民生品はロクなもんじゃない。
だが実はそうでもない。
冷戦やってたころなんて、軍事技術にかぎるが、モノによってはソ連のほうがアメリカを上回っているものもあった。
チタンの冶金, 小型原子炉, ロケットなんかは一頃のアメリカよりすごかった可能性がある。

そしてその世界最強クラスのロケット技術を持つ達人ロシアをつかまえて、失敗原因もわかっていないのに
「おまえのせいだ!」
とか言うなんて、なんと片腹痛いことか。

ガンプラだってそうじゃないか。
ガンプラの説明書どおりに作った初心者のガンプラと、ヤフオクで万単位の値段がつく達人のガンプラとでは、同じガンプラかつ同じ説明書を使ったものであっても全く違う。

それを、達人が懇切丁寧に書いてくれた説明書を見ながら作って、達人と同じレベルのガンプラができなかったからといって、それで言いがかりをつけるヤツがいるだろうか?
自分が初めて作ったガンプラをヤフオクに出品し、達人と同じ万単位の値段をつけても全く見向きもされずに笑いものになっただけだったとして、それで言いがかりをつけるヤツがいるだろうか?

いるわけがない。
少なくとも日本にはいない。
しかし、韓国とはそういう国なのだ。

今回の失敗は何が原因なのかは全くのナゾのままだ。
しかし、わたしは韓国人が功を急いでいきなり難易度の高いものをコピペで作ろうとしたから失敗したものだろうと予想している。
まあ人の国のことだから失敗原因なんてどーでもいいことだが。



なにはともあれ、今回はロシアのせいということになってホッとした。

わたしの愛したマシンたち(エンジン編)

2009-08-28 06:03:26 | 科学
本記事は「わたしの愛したマシンたち」というシリーズの第3弾である。
各話ごとに完結しているので、前のはまあ別に読まなくてもいいが。



今回はエンジンの話、とくにロータリーエンジンについて熱く語りたい。

・・・とはいえ。
あらかじめ言っておくが、実はロータリーエンジンはあまり褒められたシロモノではない。

とにかく燃費が悪い。
排気量が5倍以上あるアメ車のシボレーコルベットより燃費が悪い。

とにかく低回転トルクが無い。
排気量が半分しかない軽自動車より低回転トルクが無い。

とにかく発熱が大きい。
サーキットに持っていったらエンジンの熱で周りの部品がどんどんおかしくなる。

とにかく繊細な扱いを要求する。
プラグなんか8000kmくらいですぐ使い潰してしまう。

おまけに使えば使うほど消耗する。
他の国産エンジンではちょっとお目にかかれないほどの勢いで圧縮が低下する。

こんな腐ったエンジン、いったい誰が買うというのか?

いやいや待たれ。
わたしはそれでもいいから買ったのだ!!

アホみたいな悪い燃費に泣かされてカネは次々にガソリン代に消えてなくなる。
低回転トルクが全然ないから交差点なんかでのゼロ発進で2呼吸も出遅れる。
サーキットに持っていったら不可解なトラブルに悩まされるのは宿命であると天を仰ぐ。
買ったら最後、イヤでも多少は自分でメンテをするのを覚悟する。
そして今日使った分だけ明日はエンジンを消耗していることに身を切られる思いをしながら乗り続ける。

しかし!

それでもロータリーエンジンしか出せないものをかのエンジンは持っている!
そしてそれは、先の全てと引き換えにしなければ決して得られないものなのだ!!

先の全てを引き換えにしてようやく得られるもの、それは高回転の回り心地の良さである。
ロータリーエンジンを高回転までぶん回したとき、ドライバーは他のエンジンでは到底到達することのできない原始の脳を直撃する快感を謳歌することができるのだ。



よく言われるメリットとして次のようなことが語られる。

通常のレシプロエンジンは、ピストンを往復運動させ、その動力を回転力に変換して取り出す。
これでは構造上のムダが出る。
ところがロータリーエンジンはピストンそのものが回転運動しており、ほとんどそのまま動力を取り出すことができるようになっている。
これは幾何学的に美しい。

通常のレシプロエンジンは、ピストンとクランクシャフトはコンロッドで直結している。
別にこれは悪いことではない。
ところがロータリーエンジンはロータリーピストンをギヤで2/3に分周して取り出す。
これは単純計算で1.5倍は回転数を上げやすいことを意味する。

通常の4サイクルのレシプロエンジンは、クランクシャフト2回転あたり1回しか燃焼が行われない。
これでは動力をたくさん取り出しにくい。
ところがロータリーエンジンは1気筒で部屋が3つあり、それぞれで別の工程の仕事ができるので、ロータリーピストン1回転あたり3回(クランクシャフト1回転あたり2回)の燃焼を行うことができる。
これは動力をたくさん取り出しやすいことを意味する。

通常の4サイクルのレシプロエンジンは、吸気/排気を行うのにバルブを開け閉めしなければならず、これもベルトを使ってエンジンの動力を使って駆動させている。
これはかなり部品点数が増える要因になる。
ところがロータリーエンジンはロータリーピストンが回転することで勝手に吸気/排気がなされるので、穴さえ空けておけばあとは勝手にやってくれる。
カムシャフトやバルブやタイミングベルトすら存在しないという究極に簡素化された美しい構造をとる。

これらのことは何を意味するか?

コンパクトでシンプルで軽量でハイパワーで、かつ高回転までツルツル回る理想のエンジンが出来上がるのだ。

実際、ロータリーエンジンの高回転までツルツル回るフィーリングは、他のエンジンでは絶対に出ない至高の乗り味を出している。
一度ロータリーエンジンの車に乗ってしまうともうダメだ。
他の車に乗ってエンジンぶん回してみても、ムリクリ回しているような詰まったような印象を拭いきれなくなってしまう。
なんというか、
「エンジンがんばってまっせ!!」
とごり押しされているような印象を受けてしまう。
しかし、ロータリーエンジンならば、どこまでも勢い良くぶん回るんじゃないかと思うほど、静かにそしてエレガントに回るのだ。

ごり押しではない、エレガントに高回転でハイパワーをもたらすそのエンジンに触れたとき、ひとは自分の魂の奥底に秘めていた戦いのドラムに炎が灯り、熱くたぎる濃い血液の循環するその刹那の瞬間に心の底から浸っていることにあとで気付く。
静かな熱狂、まさにそう言うのがふさわしい。

いままでわたしはエンジンの音を心地よいと思ったことはなかった。
だが、ロータリーエンジンの愛車を運転することになると話がひっくり返った。
エンジンの音がじつに心地よい。
みずからの魂の奥底に秘める炎の強さに呼応して吠えるエンジンの鼓動の音、この音があるからこそ、魂はさらに熱狂へと向かう。



冷静に考えて、ロータリーエンジンはおすすめすることはできない。
幾何学的に美しいが、それゆえに欠点もあり、それを克服することができない。

まず、ロータリーピストンが回転することから、燃焼室はどうしても平べったくなり、表面積が増えてしまい、熱が逃げやすくなってしまう。
それに燃焼室はどうしても平べったいということはシールの全長もかなり長くなり、圧縮が抜けやすくなることも意味する。
またそれは燃え残りが増え、HCの排ガスが増えやすいことも意味する。
それに回転運動することからシールの動く速度が高いので消耗しやすい。
バルブが無いのもすばらしい事だが、バルブが無いからバルブタイミングをコントロールすることが非常に難しく、小細工して制御の腕前で性能を改善するようなことをやりにくい。
それにエンジンの中心にクランクシャフトが来るのでクランクシャフトの位置が意外に高い。
XY方向へはたった2気筒でバランスするが、2ローターではすりこぎ運動の方向へ力が加わって磨耗を促進してしまい、これは4ローターのようなバケモノエンジンにするしか改善策がない。

キホン的に世の中のテクノロジーは、理論的に美しいものは何か致命的な欠陥があって実用化しにくく、逆に一癖も二癖もある厄介なものを巧く使いこなすほうが良いモノが出来上がる事のほうが多い。
そしてロータリーエンジンは理論的にも幾何学的にもとても美しい事は誰しもが認めるところであろう。

だが、その理論的に美しいたぐいのものは、何かとある1点でとてつもない高い能力を発揮する。
そしてロータリーエンジンの高回転のきもちの良さは何にも変え難い。

ただの道具として使うために必要な多くのものを犠牲にしている車を買うのは苦渋の決断を要する。
だが、ロータリーエンジンはその決断をしてあまりある見返りを贈ってくれる。
人には勧められないが、わたしが人生のひとときをロータリーエンジンと共に過ごしたことは、一生忘れられない強烈な思い出として年老いてなお残り続けるに違いない。



追伸:

いちおう同シリーズの前のもリンクを記しておく。

わたしの愛したマシンたち(エスプレッソマシン編)
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/e/a249c805d2c678289fe38a4b958cedea

わたしの愛したマシンたち(ヘッドフォン編)
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/e/75f6d1171b331ff9e10619ec2921dac6

100年に一度の大不況とか(笑)

2009-08-27 00:00:28 | 経済/経済/社会
世間では
「100年に一度の大不況」
とか言って大騒ぎしていた。
いったい誰が思いついたキャッチコピーなのか知らんが、ずいぶんとまた危機をあおるキャッチコピーだ。

しかし!

本当にあれは100年に一度の大不況だったのだろうか?
すでに100年に一度の大不況だとか言わなくないか??

これをよく考えてみよう。



100年前、いったい何があっただろうか。

1904~1905年、日本はロシアと戦争していた。
日本はナポレオンでも勝てなかった世界最強クラスの帝政ロシアと戦争して引き分け以上に持ち込むか、それともロシアの要求を呑んでいずれどこかの列強の植民地になるような末路でガマンするか、その分岐点に立たされていた。
100年前の日本は国が滅ぶかどうかの瀬戸際に立たされていたのだ。

それがどうだ?
いまの日本は国が滅ぶかどうかの瀬戸際に立っていたか?

立っていたわけがない。
100年前と比較することすらおこがましい。
今があれと同程度の危機だったとでも言ったら、命を賭して国を守ってくれた英霊にぶっ飛ばされても文句いえないひどい侮辱だろう。



その後はどうだっただろうか。

1945年、日本は太平洋戦争に負けた。
モーレツなインフレが起き、預金封鎖がおこり、国債は紙切れになり、海外資産をほぼ全て失い、すでに建物は空襲で瓦礫と化したままで、ほんとうにボロクソに酷い状態になった。
日本は二度と立ち直れないんじゃないかと思うほど徹底的に叩き潰された。

それがどうだ?
いまの日本は二度と立ち直れないほど徹底的に叩き潰されたか?

叩き潰されたわけがない。
たしかに紙切れ同然になった海外資産もあるが、日本国債が紙切れになるなんて事にはなっていない。
60年前と比較することすらおこがましい。
今があれと同程度の危機だったとでも言ったら、家族は戦死するわ財産はほとんど消えてなくなるわだった、あの踏んだり蹴ったりを経験した爺さんたちにぶん殴られても文句いえないひどい侮辱だろう。



じゃあ、何年ぶりの不況とでも言えば良いのだろうか。

たとえばハイテク業界。
2002年、ITバブルがはじけてズタボロになった。
いろんな会社が潰れ、いろんな大手企業も手持ちの事業を手放さねばならなくなった。
それと同じくらい酷い不況だろう。
いや今回のほうがやや酷いかな。

まあともかく
「7年に一度の大不況」
とでも言っていればそんなに的は外れていないはずだ。



たとえばアニメ業界。

2007年ごろの景気が良かったころ、アニメ業界は
「明日の日本で主力となる輸出産業はアニメ関連のオタク文化だ!」
ともてはやされた。

そのころ、アニメのTV放映の本数は今と比べてもべらぼうに多かった。
しかし、ほんとどーでもいいようなくだらんアニメが多かった。
いまはその熱狂が元に戻っただけなんじゃないかという疑いをぬぐいきれない。

アニメがいつが不況だったかというと、わたしの感覚では1990年代前半がそれに当たるのではないかという気がする。
これはどちらかというと、「不況」というより、視聴者の立場で見た「不作」というほうが近い。

時代でいうと、不思議の海のナディアから新世紀エヴァンゲリオンまでの間に相当する。
この間、セーラームーンなどヒット作もたしかにあった。
しかし、ドラゴンボールがどんどんつまらなくなっていったのと同様に、アニメもどんどんつまらなくなっていった。

当時のアニオタは
「これはきっと自分が大人になったから子供騙しのアニメを楽しめなくなったのだろうなぁ・・・」
と自分で納得して、一人また一人と去っていった。
わたしも去っていった1人でもある。

いまでこそわたしは自他共に認める重症のアニオタだが、その頃は1本もアニメを見もしなかった。
だからわたしのアニメ鑑賞に対する記憶はその区間だけスッポリと抜け落ちている。
世間でセーラームーンやるろうに剣心といったアニメがあることは知っていても、それを見ようとはしなかった。

それが、いい歳こいた古参のアニオタがこの世界に舞い戻ってきたのは、先の新世紀エヴァンゲリオンによる功績である。

あの頃の不作っぷりに比べればいまの出来は遥かに高い。
いい歳こいた古参のアニオタが喜んで見るアニメがある。

2007年ごろの景気が良かったころに有象無象のくだらんアニメが多数出てきても市場に受け入れられたバブリーな時代が終わっただけだ。

80年代後半のOVA全盛期、この頃、先進的で冒険的で好きなことをやれたOVAのほうへ気概あるクリエーターが流れ、そして相対的にTV用は冒険しなくなった時代があった。
いまをその頃と比べれば、せいぜい
「20年に一度の大不況」
ということになる。

そうでなくても、先の古参のアニオタにそっぽを向かれた時代と比べても、せいぜい
「15年に一度の大不況」
ということになる。

また、セイバーマリオネットやマスターモスキートンをやっていたころこそが、古参のアニオタにそっぽを向かれた真の冬の時代であるとの説もある。
たしかにそれも頷ける。
そうであるとすれば
「10年に一度の大不況」
というくらいでしかない。

つまり、
「100年に一度の大不況」
とか言って大騒ぎしていたなんてチャンチャラおかしい。

マスコミは100年のうち80年くらい寝てたのかとでも言いたいほどインチキなキャッチコピーなのだ。

甘い評価 / 辛い評価

2009-08-26 00:00:27 | 経済/経済/社会
うちのblogを見ていても、甘い評価で褒めすぎギミなレビューもあれば、辛い評価でボロクソに批判しているレビューもある。

まず電気製品とか、わたしはボロクソに批判してしまいやすい。
たとえば熱設計がタコすぎる製品もあるし、部品を定格オーバーで使っている製品もあるし、なぜかかろうじて動作してはいるがおかしな動作条件で使っていていつ固まってもおかしくないような製品もある。
大手家電メーカーではまず無いが、そういったモノも市販されているのが現状だ。
実際そんなのを見るとカネ出して買ったのがアホらしくなってくる。
そういったときにはかなり評価が辛い。
(それから具体的に何とは言わないが、我々に悪意があり仲良くする気が毛頭ないヤツらに対してはそもそもにして初めから肯定的に評価するのを拒否している。この手の人びとは論外だが。)

逆にアニメやマンガはけっこう甘いと思う。
好みでなければ単に見ないだけでキホン的には非難はしない。
それに全てにおいて「そこそこ」な出来になっている作品より、何よりも飛びぬけて素晴らしい面がありながら至らぬところも多少あるような作品のほうが断然好きになれる。
そもそも、論理的または科学的にツジツマがあわないようなシーンが出たとしても、それが絶対正しいと仮定してツジツマが合うようなリクツを自分で勝手に考えるのでけっこう楽しんでもいる。



じゃあ、この違いはいったい何から出るのだろうか?

これはわたし自身の腕前の差にあるだろう。

いちおうわたしはプロの技術屋のはしくれではあるので、回路を見れば多少は中身がわかる。
だからわたし自身より大きく腕前が劣っていて市販レベルに達していないものは勢い批判的になる。

逆にアニメやマンガや小説やゲームになると、わたしは遊びでちょっとはやってみたことがある程度の腕前で、市販レベルはもちろんのこと同人レベルでも全く歯がたたない程度の実力しかない。
だからわたし自身でも作れないレベルの作品群をつかまえてボロクソ批判する気にもなれないわけである。



世の中には批判に対して
「だったらおまえが作ってみせろ!」
という反論もよくある。

わたしがボロクソ批判する製品に対してなら、オリジナルが既にあって手を加えておかしい箇所を修正するくらいのことなら片手間でやってのける自信はある。
たとえば部品の定格オーバーを修正するくらいなら、ちゃんとわかっていれば大して難しい話ではない。
だからこの反論には堂々と対峙することができる。

場合によっては、かなりイヤなヤツに見えそうでアレだが
「かつてわたしは○○を作ったこともありますが、それが何か?」
とでも言い返してもいいかもしれない。

だがアニメやマンガや小説やゲームになるとそうもいかない。
わたしが作ってみせるだけの実力がないからだ。

逆にいうと、某巨大掲示板なんかではマンガやアニメに関してはかなり辛い評価が多い気がする。
きっと彼らの多くはプロのアニメーターさんか何かなのだろう。
きっと彼らならさらに優れた作品を生み出してやれるという自信があってのことなのだろう。

既存の作品をボロクソに批判できるだけの彼らの腕前をいかんなく発揮した作品が、いつかこの世に現れるのを期待しようではないか!

なぜわざわざ二次元を三次元化するか?

2009-08-25 00:00:57 | オタネタ全般
「二次元キャラが好きだというのに、なんでまた三次元になるようなフィギュアを買い求めるかね?」

とある「自称」一般人の男から質問を受けた。

どれくらい一般人かというと・・・
モビルスーツの型番でわかるのは初代までであってZ以降は知らないくらいだとか、
サンライズでもボトムズは全部見たけど勇者シリーズはさっぱり知らないくらいだとか、
「あ~、あんなのタダの飾りっすか」というと「エラい人にはそれがわからんのですよ!」と言い返すくらいでエヴァネタはわからんとか、
「どんなタイプの女の子が好き?」と聞くと「セイラさん」と答えるくらいで近頃のはやりには疎いとか、
まあとにかくそれくらい普通の一般人(笑)である。

その男はフィギュア派ではない。
だからかどうか知らんが、わざわざ二次元キャラが好きだというのに、三次元キャラ(いわゆる生身)は好みじゃないとか言うのに、三次元でできているフィギュアを買うというのは矛盾しているように見えるそうな。

さて、その場ではぱっとは説明できなかったので、ここでちょいと考えながら書いてみようかと思う。



そもそも二次元世界とは何か?

二次元世界とは、三次元に絶望した者のたどり着く、世界最後の桃源郷である。
絶望した者の絶望したに至る理由そのものは二次元世界には移植されない。
だから二次元世界は素晴らしい!

では、いったい三次元の何に絶望したのか?

これはなかなか難しい。
しかし、人類の何かに絶望したのは間違いなかろう。

つまり、まあ何だ。
人類の何かに絶望したのだから、人類という媒体を使って表現することそのものがイヤだという事になる。
人類という媒体を使って表現するというのは、たとえば実写の芸能人だったり、たとえば実写のドラマだったり、つまりそういう物を指す。



これの最も端的に表した例が、実写版ときめきメモリアルであろう。

当時、ときめきメモリアルは爆発的な人気を博した。
それに目をつけたヤツが実写のドラマ映画を作った。

結果どうなったか?
大コケした。
メモラーのだれ一人として見に行かなかったからだ。
メモラーだったわたしにしてみれば、ときメモの人物が実写になっている時点でそれはときメモではない。
というか、実写でときメモの良さが表現できるわけがない。
メモラーのだれ一人として見に行かなかったのは当然である。


その代わりといっては何だが、アニメ化したものはある。
ときめきメモリアル Only Loveと呼ばれる作品である。
これはWikipediaによると

> 同年12月25日放送分では視聴率8位タイの記録を残した

ほどの人気をたたき出した。
これに実写か実写でないかの違いが非常に強く影響したのは間違いあるまい。



さてさて、人類という媒体を使って表現することをやめたらどうなるか?

たとえば人物を絵に描いてみるという手法がある。

もちろんカンペキに写実的に描いてはならない。
どうせ写実的に描いてもいいなら、それこそ写真にかなうわけがない。
絵に描いてみるという手法のメリットを最大限に生かし、現実に起こりえない空想上の人物を描く。
わかりやすい例でいえば、例えばネコミミだとかエルフだとかがそれにあたる。

これは「絵に描く」というだけの範疇には収まらない。
現実にはあり得ない設定を付与することもカンタンにできる。
例えば姉萌え, 妹萌えなどがそれにあたるし、ちかごろでは男の娘という架空の生物まで生み出されている。

つまり、一番一般的な表現手法として絵が用いられているだけだ。
絵と文章を組み合わせれば小説になり、絵とセリフを組み合わせればマンガになり、絵をたくさん用いてコマ送りにすればアニメになる。
そしてそれらはすべて二次元で表現されているものだ。



しかし!

「人類という媒体を使って表現することをやめる」
という手法の解は絵に描くことだけではない。

たとえば彫刻でもそれは表せる。

彫刻、または彫刻同等品で表したそれはあるのだろうか?

ある。
それがフィギュアと呼ばれるものだ。

フィギュアで写実的に表現したものは壊滅的に少ない。
あたりまえだ。
三次元に絶望した者はそれを求めないからだ。
だからフィギュアは絵に描いたねえちゃんをコピーして作る。



つまるところ
「二次元キャラが好きだというのに、なんでまた三次元になるようなフィギュアを買い求めるかね?」
という質問に対しての答えはどうなるだろうか?

我々は必ずしも二次元にこだわるのではない。
必ずしも三次元がイヤなわけではない。
現物の表現手法が気に入らないのだ。
だから現物を写実的に表現したものでなければ、二次元の良いところをそのまま三次元化したものであれば受け入れる。



仮に、どっかのアイドルの体の寸法を三次元の座標測定器つかって完全な三次元データに変換し、それを綺麗に切削して1分の1アイドルフィギュアを作ったとしよう。

わたしはそれを買うだろうか?

買うわけがない。
タダでもいらんと明言する。
なぜなら、オリジナルが現物だからだ。

だったら、何だったら買うか?

たとえば綾波レイとか如月千早とかの1分の1フィギュアだったらまだ買っているかもしれん。
なぜなら、オリジナルが現物ではないからだ。
現物のイヤなところはそこには移植されていないからだ。

それが三次元になるようなフィギュアをわざわざ買い求める理由である。

民主党に投票したくない理由(下巻)

2009-08-24 00:13:17 | 経済/経済/社会
前回記事に民主党の経済政策についてかなりボロクソに批判した。
だが、実はまだ民主党には気に入らないところがある。

それは他ならない外国人参政権問題だ。
これについて的確にわたしの意見を良く代弁してくれたカキコを見つけたので転載したい。



http://142.teacup.com/madoka/bbs

在日外国人参政権付与、絶対反対。
投稿者:まるちゃん 投稿日:2009年 8月14日(金)20時02分18秒

私は在日外国人参政権付与に絶対に反対です。
参政権は国民固有の権利です。日本に帰属する国民にのみ与えられた、民主主義の最も大事な権利です。
自らの意志で外国籍を持ち外国に帰属している人々に、国民固有の権利を何故渡さなければならないのか?
多くの国民も納得できていません。

『税金を払っているから』
こんな幼稚な主張を良く恥ずかしげも無くされるものだと思います。
納税は行政サビースの対価で、旅行者でも納税します。
納税の期間やその多寡で、参政権が得られるというのはおかしな話です。

『歴史的経緯があるから』
今日本で暮らす在日の方はほとんど自由意志で日本に渡って来た人々です。
参政権付与とは一切関係がありません。そもそもいわゆる『強制連行』をにおわす事で議論を封じる傾向が、
参政権推進者に見られますが、具体的なロジックを展開している方は居ないのではないでしょうか?


『人種差別だ』
全く関係ありません。主権の問題です。


在日外国人参政権付与で考えられるリスクについて、円より子先生は考えられた事がありますか?
「地方だから良い」良く聞く台詞です。しかし地方からいくらでも内政干渉が出来ます。
地方の権限は巨大です。地方の国民は地方の行政によって暮らしています。

警察、地方経済、あらゆる条例、教育・・・・ここに外国人の意志が入り込むというのは、とても危険な事です。

「えっ、ちょっと待って」と思った時にはまさに手遅れです。
あなたは本当に国民の理解が得られていると思いますか?
あなたは外国人参政権で起こりうるあらゆるトラブルに、責任が持てますか?

せめて反対派の危惧する指摘する問題点に、真摯にお答えになってください。
国民の大事な権利を、大した議論もせずに勝手に外国に渡すのはやめてください。

(引用おわり)



追加で言いたいことがいくつかある。

いまは在日4~5世の生まれる時代になっている。
しかし、よく考えてもらいたい。
そんな4~5代にもわたって日本に住んでいて、なぜ彼らは日本に帰化する気がないのだろうか。

彼らは「日本に特別な縁故を有する者」としてカンタンに帰化できるようになっているのに帰化しない。
彼らは日本語しか話せず祖国の言葉など全く話せないのに帰化しない。
彼らは財産も親戚も日本にしかなく祖国には財産も親戚も全く無いにもかかわらず帰化しない。
彼らはあれだけ「差別!差別!」とクソほど文句たれているくせに帰化しない。
彼らは将来全く帰る気が無いにもかかわらず帰化しない。
彼らは日常生活で日本人風の通名を使い本名を隠し通して生活しているにもかかわらず帰化しない。

わたしには帰化しない気持ちを全く理解できない。

在日4~5世にもなって日本に帰化する気がないのは朝鮮系の人たちのみだ。
わたしにはこれはかなり奇異なことに映るし、これは世界各国どこだって奇異なことに映るはずだ。

だが、べつにこれは責めているわけではない。
どっちの国籍になりたいかどうかなんて、本人の好みで決めればいいだけのことで、わたしが口を出す必要はない。
好きにすればいい。

しかし!

日本国民にもなる気がないのに日本国の参政権をよこせというのは明らかにおかしい。
これに対しての妥当な説明を要求したい。

日本に帰化する気がないということは、日本国よりも韓国か北朝鮮のほうにより親しみを感じているということだ。
日本に親しみを感じないくせに、なんで参政権が欲しいのか。
悪意があって参政権が欲しいと言っているようにしか聞こえないのはわたしだけではないはずだ。

そもそもにおいて、彼らの祖国に対しては参政権を持っている。
その時点で日本国の選挙権までよこせというほうがおかしい。
参政権を2重に持っていないと差別だとかいう自己中理論は片腹痛い。

韓国には外国人にも一部ではあるが参政権を認めている。
だが、1000万円くらい所得税の納税がある人でないかぎり、参政権は認められていない。
一説によると、それに該当する日本人は2ケタくらいしかいないのだとか。
これは彼ら的には差別なのではないのかい(笑)?
日本でこんなことをやったら、ヤツらは絶対に「差別!差別!」とクソほど文句たれてくるのは間違いないよ。



そして民主党はその日本に帰化する気が全くないのに参政権だけよこせと言っているヤツらの言い分を聞こうとしている。
わたしはこれだけで民主党に賛成する気が失せる。

もし、日本に帰化する気が全くないのに参政権だけよこせという意見がまっとうなモノと聞こえる奇特な人がもしいるならば、だったら民主党に投票しても良いんじゃないの?



追伸:

それから全てのゲーマーは円より子の
「アダルトゲームやってるヤツらは心を破壊され人間性を失っている!」
といい腐った事件も忘れてはならんですな(笑)。
こんなんが党の副代表ですよ、副代表!

民主党に投票したくない理由(上巻)

2009-08-23 12:56:56 | 経済/経済/社会
あらかじめ言っておくが、ちなみにわたしには支持政党など無い。
だが民主党にだけは絶対に投票しない。
選挙が近いということもあるので、なぜ投票したくないのかを書いてみることにする。



まず経済論争。
民主党はどういう事を言っているだろうか。

あるときは
「外貨準備高が多すぎる、10年で半分にするぞ!」
と言う。

この言葉は、財政破綻を気にする人たちにとって、とっても聞こえが良い。

だが、だいたい外貨準備高は見せ金であるので、どれだけあったほうが良いという定量的な説明がかなり難しい。
だから、ヤツらが多すぎると判断した根拠が何にあるのかは大変興味深いが、その根拠を述べたところを見たことがない。
また、それだけ巨額の外貨資産を日本円に換金すると、それこそ猛烈な勢いで円高が進むわけだが・・・

あるときは
「1ドル100円以上では円が高すぎる!」
と言う。

この言葉は、輸出関連企業に勤める者にとって、とっても聞こえが良い。

だが、円が高すぎるからといって円売り介入をしかけると、しかけた分だけ外貨準備高が積みあがる。
ますます外貨準備高が積みあがるなか、いったいどうやって外貨準備高を半分にするのだろうか。
日本でアメリカ以上のインフレを発生させて日本円の価値を下げようとでも言うのだろうか。
かなりフシギに思う。
そしてさらにフシギなことに・・・

あるときは
「もう米国債は買わない、円建てで発行してくれたら買うぞ!」
と言う。

ちゃんと経済をわかっている人が言うなら、これはなかなかおもしろいブラックジョークだとは思う。
だが、もしこんなことが起きたらマジでシャレにならん。

これはアメリカ自身が米ドルの価値に不安があることを認めると暗に言っているのと同じ事だ。
米ドルは暴落しているだろうし、相対的に円は急騰しているだろう。
政府もちの外貨準備高では中国のほうが多いが、民間も含めたドル建て債権は日本が一番多い。
それに、とんでもない円高によって日本の輸出産業は立ち直れないほど大打撃を受ける。
もしそんなことがおきたとすると、アメリカ以外で一番損するヤツは日本なのだ。

それからもう1つある。
日本がいま平和なのは、アメリカの安全保障の傘の下に入っていることにあるのが非常に大きい。
もし本気でこんなことを言ったとすると、アメリカに
「もうおまえはオレのダチじゃねえ!」
と通告されるに決まっている。

きっと北朝鮮は日本へ向けて好き放題にミサイルを撃ち込み、好き放題に拉致を繰り返すだろう。
韓国にしても、日本が戦争放棄の憲法があるのをいいことに、日本の領土になっている沿岸部の島々(たとえば対馬とか壱岐とか)にどんどん軍隊を上陸させていき、いつのまにか事実上の領土にしてしまうだろう。
中国だって何をしでかすか解ったもんじゃない。
もし本当に米国債を買わないのならば、場合によっては北朝鮮や韓国とガチで戦争するだけの政治的な準備をしてからでないと大変困ったことになる。

それに
「在日米軍を削減する!」
と言っていることからも、アメリカから見たらマジでケンカする気があるのかもしれんと思うにたる十分おかしな事を言っているのだ。
まあ、自衛隊憲法違反論者や反米親中なヤツらにとってはこれはかなり聞こえが良いが。

そもそもにおいて、アメリカでは在日米軍はアメリカからの持ち出しが多く日本の利のほうが不当に大きいという声もある。
だから日米の仲が悪くなったら在日米軍は
「日本の申し出に従ったまでさ」
とでもいいながら大喜びで撤退していくだろう。
ところが・・・

あるときは
「親密で対等な日米同盟をつくるぞ!」
と言う。

これはいったい何の冗談かと思ったよ、わたしは。



この民主党の迷走っぷりはいったい何から来ているのだろうか。



仮説①:

キホン的に経済というものを解っていないヤツらだという仮説は十分成り立つ。
経済をまともに勉強したことがないわたしでさえ理解している程度のかなり初歩的なマクロ経済の因果関係を理解していない可能性が高い。

はっきり言って、わたしが舵取りをしても民主党よりマシになるんじゃないかと思う。
自分より劣っていそうな専門家(ようするに民主党の国会議員)に任せたいとは到底思わない。

それに比べれば自民党はまだマシだ。
わたしの意見とは食い違う事も多いが、経済政策に関する主張は常に首尾一貫していて、そのリクツもちゃんとツジツマがあっていて、レベルの低いおかしな事を言うことは無い。

たとえば麻生総理にしても、言動からして少なくともわたしよりマクロ経済について理解しているのは間違いない。
だから、わたしと意見は違えども、まだこいつに任せるのもしょうがないと思えるが、民主党はそうではないのが困ったところだ。
(マスコミだけ見ていると、麻生総理は漢字もロクに読めないバカだとか報道されているが、そんなことはない。ヤツの政策論争にマジメに耳を傾けていればアタマの切れるヤツだというのは良くわかる。)

たとえが変かもしれないが・・・
自分がやったほうがマシだと思えるくらい腕前がヘタクソでアタマの悪い外科医がいたとしよう。
あなたはそんなヤツに自分の娘の手術を任せられるか?
それと同じように考えて欲しい。



仮説②:

キホン的にその場その場でいろんな人に聞こえの良いことを吹聴して回っているだけな仮説も十分成り立つ。
例の有名な財源おいてけぼり論にしてもそうだ。

単なる思い付きで大衆受けしそうなことを吹聴しまくるのは野党の特権でもある。
(逆に政権を持つ政党ならば、大衆受けが悪くても日本のために通さなければならない法律ならば通す義務がある。)
だが、政権を取って日本の舵取りをするヤツがそんな思い付きと大衆受けで行動するヤツだだと、これからの日本はどうなるのだろうか・・・。



仮説③

単にマスコミに右に倣えの鵜呑みにしているだけな仮説も十分成り立つ。
つまり自分で良し悪しを考えず、マスコミの主張をコピペして話しているだけだという可能性だ。
自分で考えて出した結論でなければ、言動が首尾一貫せずあちこちでツジツマが合わなくなり、矛盾がたくさん出てくるのもしかたあるまい。

しかし、いくらなんでも党の総体としてここまでおバカなはずはなかろう。
だとすると、マスコミに右に倣えの鵜呑みにしているだけなヤツの割合が、民主党のほうがかなり多く、それゆえに目につきやすいのだということだろうか・・・。



仮説④

世の中には、どんな時にも自分に都合の良いようにしか解釈しないおバカな人たちがいる。
その人たちはどんなことを言っているかというと・・・

彼らによれば、1910年に日本に併合されるまで、何千年にもわたって彼らの国は独立を保ってきたという。
もしその主張が正しければ、彼らは元と共謀して鎌倉時代の日本へ侵略戦争にやって来たことになる。
しかし彼らは日本の側の秀吉の朝鮮出兵ばかりを責める。
日本が元寇はキサマの意思なのだろうと問うと、それは元に脅かされてしかたなくやったことだから自分たちの責任ではないと言う。
それは独立国家とは言わないよというと、急に怒り出してはぐらかされる。

彼らによれば、日本の文化のありとあらゆるモノが彼らの国の起源なのだそうな。
彼らによれば、古事記や日本書紀などの日本の古代文献を見ればそれが解るのだそうな。
それ自体もすぐボロが出るようないいかげんなものなのだが、100光年ほどゆずって仮に妥当な主張だったとしよう。
そこで、日本の古代文献には
「稲作は朝鮮を経由せず中国から直接伝わったと書いてあるよね」
とか
「古代朝鮮には任那日本府という日本国の直轄地があったと書いてあるよね」
とか言うと
「日本の文献なんてウソッパチに決まっている!」
と答える。
日本の文化の起源の根拠となる文献がウソッパチだと自分で言っている事に気付きもしない。

太平洋戦争の直後には
「オレ様は戦勝国民だ!」
とか偉そうなことをぬかしていた分際で、戦後何十年もした今では
「オレ様はとってもカワイソウな正義の被害者でござい!」
とか正反対の偉そうなことをぬかす。
それに対して
「おまえら、戦勝国民だとエラそうなこと言ってただろ(笑)」
とでも言うと、こんどはこっちが倫理的に問題がある人かのように人格批判される。

彼らの国では、
太平洋戦争の後も内戦をやり、
その後もベトナムと戦争し、
いまでも先の内戦は終戦しておらず戦争停戦中であり、
いまだに国家の北半分は自国の法の及ばない無法地帯化しており(かの国の法解釈ではそうなる)、
対GDP比では日本の数倍もの予算を軍事費につぎ込み続け、
いまだに軍拡をつづけ、
いまだに徴兵制をしいている。
にもかかわらず、
太平洋戦争の後は1度も戦争したことのなく、
内戦も130年も起きておらず、
治安は世界トップクラスに良く、
対GDP比では彼らの国の数分の一の軍事費しか使っておらず、
自衛隊予算の割合は減少傾向にあり、
徴兵制はとうの昔に辞め、
憲法で戦争放棄も規定しているという、
そんな日本に対して
「日本の軍国主義が~」
と批判する。
彼らの国がどれだけ軍国主義に近いのかを知ろうともしない。

彼らの主張はおぞましいほどに自分の都合の良くなるようにご都合主義的に作られており、カンタンに論理が破綻することに気付きもしない。
これは「日本が悪い」ということが疑う余地の全く無い絶対的なものとして存在するため、日本の主張というものを全く受け付けられないのだ。

そして、これと同じ人も日本にいる。
とにかく「自民党が悪い」ということが疑う余地の全く無い絶対的なものであり、自民党政権をひきずり下ろしさえすれば日本は間違いなく良くなると盲目的に信じている思考停止のバカどもだ。
(自民党ではこれを「熱狂」と呼んでいた)

民主党のお客はそんなヤツらが非常に多いのも皆が良く知るところだろう。
民主党自体もそのような思考停止な人材で構築されてはいないと断言できるだろうか。

実際、まえのガソリン税でモメたときも、民主党がワケのわからん理由でゴネたおかげでガソリンスタンドは大混乱した。
理想論としては民主党の意見も間違ってはいないと思う。
だが、あそこまでゴネて自民党に反対した割に1ヶ月してすぐにゴネるのを止めて税率を元に戻したのはマジで意味がわからんかった。
わたしには、ガソリンスタンドを大混乱に陥れてその責任が自民党にあると言い掛かりをつけたいがためにゴネたようにしか見えなかった。
とにかく自民党に反対することだけが正義だと勘違いした思考停止な人々なんじゃあるまいかと強い疑念を持った。
あそこまで反対のために反対するようなゴネかたをしなければ、わたしでさえあの瞬間は民主党支持に回っていたかもしれないが、あのときにはもう完全に幻滅した。



この民主党の迷走っぷりに正当な解釈をつけられる人はまずいないだろう。
だれか、わたしが納得するだけの正当な解釈をしてくれれば、そのときは民主党に投票しようではないか。



追伸:

わたしは民主は経済の舵取りに失敗すると読んでいる。
既に民主も勝った後の話しかしないし、自民も野党風情に落ちぶれているし、次の政権は決まったも同然だ。
だからわたしは日本株の買い増しは止めた。
場合によってはモーレツな円高が来るかもしれんと思っているので、とりあえず外国株の証券口座を開設するだけしておいた。

アイマスXENOGLOSSIA 課長の時計

2009-08-22 00:08:19 | オタネタ全般
かの悪名高いアイドルマスターXENOGLOSSIA。
とりあえずその作品の是非についてはここでは語るまい。

本日ここで注目したいのはその中で出てくるとある小物について。
第2話でジョセフ真月の持っていた懐中時計についてである。

いったいなぜ、わざわざそんな小物に注目するのか?

なぜなら、その時計はかなり高額なシロモノと見たからである。



まず例の懐中時計、1秒に1回くらいづつ針が動くしくみになっている。
そこいらにフツーにある水晶振動子とステップモーターを使ったクォーツ式の時計ではそれがあたりまえだ。
これは、あまり頻繁に針を駆動しているとステップモーターでエネルギーを消費しすぎてしまい電池交換サイクルが長くなるから、とりあえず1秒に1回という仕様で作られていることに由来する。

ところが!

音を聞いてほしい。
よくよく聞いてみると、1秒に4回くらい、
「チッタッチッタッ・・・」
と音が聞こえてくるのがわかる。
これは典型的な機械式時計(たとえばクラブツース脱進機)の音に他ならない。

クラブツース脱進機などの機械式時計では、入ヅメと出ヅメが交互にガンギ歯車にかみ合い、そして針が1ノッチづつ進む。
入ヅメの当たる音と出ヅメの当たる音は聞いてみるとビミョーに違う。
それが
「チッタッチッタッ・・・」
という音の違いに現れる。

逆にクォーツ式の時計の時計ではステップモーターを回す音だけが聞こえるため
「チッ   チッ   チッ   チッ   」
という音として現れる。
このことから、課長の時計はクォーツ式ではないことは明らかだ。

では、いったいなぜ1秒に1回づつ針が動く仕組みになっていたのだろうか?

これはジャンピングセコンドと呼ばれる複雑時計の技法の一種だと推測される。
中でギヤが数ピッチ進むと突然動くような仕掛けが追加されている。
こういった構造はかなり珍しいし、もし持っていたら時計オタに自慢できるレベルのマニアックさだ。



それからもう1つ言うことがある。

時計の文字板を見てほしい。
何だかわからんような○が動きそうな感じになっている。
これはムーンフェイズという典型的な複雑時計の技法の一種である。

ムーンフェイズとは月齢をモニタするための機能の一種である。
ふつうの人には特に必要ない機能で、あえて言えば天文観測が趣味の人とか釣りが趣味の人とかくらいにしか関係ないのだが、この機能は機能がある時計を身につけることそのものを目的として埋め込まれるケースが多い。

ちなみに安い中国製の機械式時計にもムーンフェイズがついているものも多数あるが、ほとんどは単に24時間で1周するだけで昼か夜かがわかるだけの、なんちゃってムーンフェイズなだけでしかない。
しかし課長の時計はきっかり24時になってもムーンフェイズは真正面に来ていない。
このことから、課長の時計はマジメに作られたムーンフェイズであると推測される。



昨今は趣味的な意味で機械式時計がもてはやされている。
わたしもけっこう好きなほうだ。

しかし、そんな中でも腕時計がほとんどであり、懐中時計はほとんどない。
なおかつ複雑技巧を施した懐中時計なぞ極めて少ない。

ということは、課長の時計は19世紀か20世紀初頭の懐中時計全盛期のころに作られた、アンティークとして価値のある部類に入る時計ではなかろうかと推測される。
ちなみに我が家にも1910年頃に製造されたスイス製の懐中時計があるが、とても課長の時計のような複雑時計の足元にも及ばない、ただの単機能の時計でしかない。

20世紀に入ると時計も大量生産の時代を迎える。
だが、それ以前は時計職人が歯車から何からすべて手作りで作っていた。
20世紀以降のものは文字板にメーカー名が入るのがフツーだが、それ以前のものはメーカー名など表には出ず、フタを開けて分解掃除したとき初めて時計職人の名前が拝めるというものが一般的である。

なお、現在でもスイスの時計職人に時計を1からオーダーすることは可能である。
しかし最低でも400万円はかかる。
場合によっては1000万円以上の値段がつく。
腕利きの職人を何ヶ月も拘束して世界で1つしかないものを作らせるのだから、ある意味べらぼうに高額なのはしかたがないかもしれん。
(ちなみに、日本で腕利きの技術屋を時間割で借りてくるとなると、1時間あたり1万円くらい請求される。)

そして課長の時計にも文字板にメーカー名は入っていない。
これが何を意味するかはお分かりいただけるだろう。

なんだかおかしい魔女っ娘たち

2009-08-21 02:01:03 | オタネタ全般
魔女っ娘モノというと何を思い浮かべるだろうか。

かつて大きなお友だちの大量生産に貢献した「カードキャプターさくら」。

2匹目のドジョウ狙いとまで言われながらも同格以上の人気を誇る「魔法少女リリカルなのは」。

そして歴史は繰り返すと諦観の念を抱きながらもついつい見てしまう「プリキュアシリーズ」。

そのどれもが魔女っ娘モノとしては申し分ない充実した完成度を誇る。

しかし!

世の中にはそうは思わない漢たちもいた。
申し分ない充実した完成度を誇る魔女っ娘には満足できない漢たちもいた。

漢たちは思ったのだ。
あまたある魔女っ娘モノ、その全ては魔女っ娘という概念にがんじがらめにされていると。
その全てはある種のオヤクソクを守ることに腐心しすぎていると。
その全てはあまりにもベタベタに作りすぎていると。

そのなかでも勇気ある一歩を踏み出した漢たちが現れた。
彼らは既存の魔女っ娘モノを破壊するために現れた。
あらゆる魔女っ娘モノをあざ笑うかのごとく現れた。

今日はそんな彼らの作りたもうたアンチ魔女っ娘の境地、なんだかおかしい魔女っ娘作品について語ってみたい。



① 大魔法峠(※1)

なんだかおかしい魔女っ娘というと、まずは大魔法峠をおいては語れないだろう。

公式webサイトやDVDのパッケージイラストを見てみるといい。
コテコテにかわいらしい魔女っ娘やマスコットキャラのイラストが目に入るだろう。

ところがどっこい、この作品はどこにでもありそうな魔女っ娘作品とは一線を画す。

魔女っ娘は関節技きめまくるわ、
血しぶきが吹き荒れるわ、
恐ろしいまでの殺伐とした展開に突然引っ張られるわ、
まあコテコテの魔女っ娘を期待して見たらアゴが外れそうなほど不条理感を堪能できるという奇抜すぎる作品だ。

既存のどれかの作品でムリヤリ説明したとすると、アニメ版の瀬戸の花嫁の不条理さ加減をさらに強調したような感じ・・・、とでもいったらいいのかもしれん。
いやいや、マンガ版ブラックラグーン2巻の巻末付録マンガのあのノリがいちばん近いかも。

これを見たものは、いままで堪能してきた魔女っ娘モノはいかに既存概念にがんじがらめに縛られていて凝り固まった作りしかしていなかったのだろうかと、ある意味関心するやら、ある意味あきれるやら、なんというかとっても複雑な読後感を味わうハメになってしまうことはわたしが保証しようではないか。

それと、かなりビミョーな鉄ネタがときどき出てくるので、わかる人はそれも要チェックだ!



② プラネットガーディアン(※2)

たいがいの魔女っ娘というのは何らかの目標があって使命感を持って挑んでいる。
ところがプラネットガーディアンのヒロインはそうではない。
というか
「なんでワシがやらんといかんのじゃーー!!」
的なノリで話が進む。

先の大魔法峠のヒロインも黒かったが、こっちのヒロインもまた勝るとも劣らないほど黒い。

マスコットキャラをネジってストレス解消するわ、
平気で「殺す!!」とかセリフが出るわ、
そうかと思えばベタすぎるイタいヒロインシーンが出てくるわ、
もうやりたいほうだいとは正にこのことだというような感じでストーリーが展開していき、しかしながら、あまりのやりたいほうだいっぷりに爽快感すら感じるほどのアンチ魔女っ娘っぷりを魅せてくれる。

作者の高坂りと氏はシリアスよりギャグのほうが何倍もいい。
他のシリアス作品読んでイマイチだと思った人にも、これは読まないと損するよと忠告しておこう。



③ 風水先生 Dr.このは(※3)

ヒロインはぶっ壊れた美人のお姉さんの魔女っ娘。
このひと壊れすぎですわ。

展開のぶっとびようはダテじゃない。
もう「かわいいから許す」というのはこいつのためにあるような言葉だなぁ・・・、と感心するやら呆れるやら、そんな感じのストーリーだ。

ちなみに2巻はギャグがパワーダウンするので、まずは1巻だけ堪能すべしというのが正しい用法だ。
2巻もはじめのころのギャグパワーのままやってほしかったものだ。



【※1 大魔法峠】

OVA 全4巻
http://www.punie.jp/



【※2 プラネットガーディアン】

高坂りと
ガンガンコミックス
全4巻
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%83v%83%89%83l%83b%83g%83K%81%5B%83f%83B%83A%83%93&x=0&y=0



【※3 風水先生 Dr.このは】

原作:寺田とものり
COMIC:C-SHOW
カドカワコミックス ドラゴンJr.
全2巻
http://www.amazon.co.jp/%E9%A2%A8%E6%B0%B4%E5%85%88%E7%94%9FDr-%E3%81%93%E3%81%AE%E3%81%AF-1-%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-C%EF%BC%8DSHOW/dp/4047123587

左利きへの配慮など無用!(追伸)

2009-08-21 00:01:17 | 経済/経済/社会
そういえば世間では
「左利き/右利きで右脳/左脳の使い方がどうのこうの・・・」
みたいな紹介がけっこうたくさんある。

前回の記事のついでに、左利きのわたしは実際のところどうなのかをカンタンに自己分析してみた。



【左脳の能力(右利き機能)】

論理:◎
 当blogはかなりリクツっぽい。

計算:△
 物理や数学みたいな計算方法を考えるのは得意だが、
 計算そのもの(ようするに算数)は得意ではない。

言語:×
 国語や英語の能力はかなり低い。

文字:×
 文字を暗記するのは極めて苦手。




【右脳の能力(左利き機能)】

立体:◎
 人の家でDSの脳トレみたいなのやったとき、
 空間把握力だけとんでもない点数たたき出した。

直感:△
 技術屋のなかでは直感的なほうな気がするが、
 そもそも技術畑には直感に頼って行動する人は来づらい。

芸術:×
 そんな素質はない。
 単に見るだけ聴くだけだな。

社交:×
 これもないな。



ということで、左利きだから右脳が発達していて左脳が劣るのかというと、わたしの場合はどうやらそうでもないようだ。

ただ一般と比べると機能の優劣にかなり偏りがある。
とはいえ、この事実が左利きと関連するかどうかは不明。

ちょい前から「右脳を鍛える!」のだとか言って左手を使うのも少し流行ってるが、実はこれムダなんじゃないのかな・・・?

左利きへの配慮など無用!

2009-08-20 00:00:31 | 経済/経済/社会
「左利きへの配慮など無用!」

・・・と、こんなことを書くと、なんというか昨今では差別思想のように受け取られかねないが、そんなつもりは毛頭ない。
なぜなら、わたし自身が左利きだからである。


とある食堂で箸をわざと左右逆向きにして出す日を設けた。
もちろんお客は使いにくい。
そして文句を言った客には
「左利きのひとは普段こんなに使いにくい苦労をしているのですよ」
と教えてさしあげる。


むかし、朝日新聞にこんな感じの記事がのったことがある。
左利きのわたしはこれに一言申し上げたい。

「俺たちは困ってないから、勝手に可哀想なヤツらにしないでくれ!!」

なぜか朝日新聞はこの手の記事をよくのせるのだ。
まるで、左利きのヤツは障害者か可哀想な人たちとでも言わんばかりである。
我々に対して大変失礼だと思う。



日本国内ではほとんどのモノは右手仕様で作られている。
そのため、左利きだと若干不便なこともある。

しかし!

左利きのヤツらは右手仕様のモノに慣れきっている。
だから特にどうとも思うこともなく右手と左手を臨機応変に使い分け、不自由なく生活しているのだ。

それをわたしの例でいくつか記したい。



日本語の文字は右手仕様で作られている。
右手で書くほうが良い。
だからわたしは右手で書くように直した。

逆に箸は左右どちらで使っても不自由しない。
だから箸は左手で使っている。

これは受験生のときは大変重宝した。
右手でシャーペンを握って字を書きつつ、左手で箸をもって同時に飯も食う。
右手しか使えないひとにとっては曲芸にちかい芸当ではなかろうか。

そもそも左利きは右手を使うのに慣れているから、箸を利き手と反対側で持てといわれても案外すぐに慣れるだろう。



マウスのボタンは右手仕様で作られている。
右手で使ったほうがやや使いやすい。
だからわたしも最初は右手で使っていた。

ところが、とある事情(※1)で両手でマウスを使えるようになっていた。
そうなると、マウスを左で握りつつ、テンキーを右手で入力しつつ、持ち変えることなしに作業を続けられる。
(ちなみにテンキーのほうがより左手で使いにくい仕様になっているので、両手を使うならマウスが左のほうが良い。両方試してみてそう思った。)

ふだんはマウスを右で使っているが、テンキー入力の多いソフトを使うときにはマウスを左に持ち変える。
そうすると劇的に作業スピードがアップする。
わたし自身は何とも思わないのだが、はたから見ていると目にも留まらぬ速さで数字を入力しているように見えるらしい。

今ではテンキー触るのにわざわざマウスから手を離すほうがめんどくさいと思うに至る。



さいきんは絶滅しかかっているが、水道の蛇口は右手で締めるほうに回しやすいようになっている。
だから右手でしか使わないと開けるときに回しにくい。

わたしの場合は開けるときは左手で回し、締めるときは右手で回している。
いつのまにか気がついたらそうしていた。



まあ、ゴルフのような左利き用品が壊滅的に少ないスポーツはかなり不利だ。
しかし実態は臨機応変にこなしているケースがほとんどであり、右利き仕様になっていて困るようなことは極めて稀だ。
むしろ右利きの人が左手を使う感覚で左利きの人をイメージしてもらっては困るのだ。
右利きと左利きのどちらが便利というのもなく、どちらかというと左利きのほうが若干有利なんじゃあるまいかと思うほどである。

だから朝日新聞のように、左利きのヤツを障害者や可哀想な人たちのように扱うのはやめましょう。
ほっとけばいいのよ、ほっとけば。



【※1 両手マウス事情】
↓こちら参照
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20090207

どんな事でも極めればヒーローになれる!(パンツァー編)

2009-08-19 00:01:20 | オタネタ全般
「知ってた!?
 どんな事でも極めればね
 ヒーローになれるんだよ」


これは大復活祭(※1)に登場するセリフの1つである。

世の中は広い。
学問にしろスポーツにしろ一芸にしろ、各々の分野でそれを極め、そしてヒーローとなった者は多い。

しかし!

だれもが浅ましきことと思い傍らを通り過ぎるようなこと。
それを真摯に受け止め、その技を達人の域にまで高めた者たちがいる。
尊厳と畏敬の念をこめ、我らはヒーローとなった彼らたちのことを「紳士」と呼ぶ。(※2)

当blog読者のみなさんからは、わたしも「紳士」と呼ばれかねない気がするが、それはとんでもないことだ。
真の「紳士」とは、常人の及びもつかない達人の域へと到達した者たちのみに与えられる称号である。
わたしなどとても「紳士」と名乗れる資格はないのである。

今日はそんな「紳士」たちの中でもひときわ輝く存在であるパンツァーたちを紹介したい。



アニメ 速すぎて見えないパンチラシーン集
http://www.nicovideo.jp/watch/sm190691
http://www.nicovideo.jp/watch/sm191252
http://www.nicovideo.jp/watch/sm243347

『パンツァー』とは―

各々が持つ性癖の対象となった
アニメにある『一瞬のパンチラ』
を目撃するために『録画確認』と
呼ばれる兵器を使って戦う変態と
いう名の紳士のこと。

『一瞬のパンチラ』『録画確認』

リアルタイムでは視認できないため映像を
変換、構成するために―――
 ・コマ送りで確認するのみのタイプ
 ・なんらかの機器を触媒とし、パンチラ動画
  として保存するタイプ
 ・放送後に目撃情報を探すタイプ
 ・精神的にキャプ画像だけでは耐えられない
  ため問題のシーンを"GIFアニメ化"するタイプ
               ―――などがある。

通常、静止画に変換されて「固定」される。
この状態にしない限り『一瞬のパンチラ』
を肉眼で確認することはできない。

本来誰でもというわけではなく、自
己の素質を厳しい修練で培い、磨きあ
げた者だけに許された能力なのである。
が、近年では競技感覚で確認する者も
多く初心者用ツールも公開されている。

パンツァー人口は増えつつあり、帝
都などの大都会では、初心者を含める
と十人に一人がパンツァーである。

十人に一人が

パンツァーである!
(以下略)



動画を見ると一目瞭然だ。
パンチラがあると解っていて見ても、それでもパンチラが見えないものが多数ある。
それもそのはず、最近はPTAがうるさいため、シロウトがぱっと見でパンチラとわかるパンチラは地上波にはのせられないからだ。
だからほんの1/10秒の単位でしかパンチラは出現しないのである。

先の動画にてそれを見たものはだれしも思う。
「パンツァーとは、かくも動体視力の卓越した修練者なのか」
と。
だれにも評価されない孤独で厳しい修練を積まなければ、決して人はパンツァーとはなりえないのだ!



もう1人、偉大なパンツァーの方を紹介したい。

【アイマスSP】 千早のパンチラ撮影講座
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7497750
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7568389
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7637033

(前略)
「ちなみにパンツの色はイメージで決まっています」
「Cute & Girlyは黒 Cool &Sexyは白です」
「本当に固定なんでしょうか!?」
「全衣装を確認したから間違いありません」
(後略)



何と恐ろしい・・・。
わたしはほとんど全てのシーンにおいて、いままでそれがパンチラだとは気付かずに過ごしてきた。
わたしの目は何とまあ節穴だったのかと、改めて悔いる次第である。

アイマスの衣装は恐ろしく膨大な数があり、そして限定版など入手困難なものもまた多い。
にもかかわらず彼は1つの例外も無く全てを確かめた。

わたしは彼と同じだけの情熱を捧げられるだろうか?
いやムリだろう。
わたしは彼には勝てる気がしない。
ゆえにわたしは紳士とはなり得ず、ゆえに彼は紳士と名乗れるのである。



「紳士」の集まる動画はきまっている。

タグに
「変態という名の紳士」
「作者は病気シリーズ」
「うp主は病気シリーズ」
「パンツァー」
「もうやだこの国」
などが付けられる。

仮にあなたがニコニコの投稿を行う者だったとしよう。
もしタグに先のそれが付けられたとしたら、あなたは「紳士」と呼ばれるだけの称号を承る栄誉に預かったのだ。



【※1 大復活祭】
大復活祭
みなぎ得一
株式会社ワニブックス
ISBN4-8470-3287-X
http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E7%A5%AD-%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%8E-%E5%BE%97%E4%B8%80/dp/484703287X

【※2 紳士】
> 本来は、「上品で教養があり礼儀正しい男。ジェントルメン」を意味する(「大辞林 第二版」より)
> ニコニコ動画では一般的にアイドルマスター、もしくは他の動画において変態を意味する単語。稀にガチムチ動画でも使用される。
> 同じ価値観を共有するためか、統率の取れた行動を見せる場面が多く見られる。
> 元ネタは「増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和」のクマ吉くんのセリフ「変態じゃないよ。仮に変態だとしても、変態という名の紳士だよ」に由来する。この言葉に共感した多くの紳士たちに好んで使われるようになった。
> 変態紳士に対して、女性の場合は変態淑女と呼ばれる。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%B4%B3%E5%A3%AB

ひとのじまんばなし

2009-08-18 00:00:06 | 経済/経済/社会
世間では
「だれだれが○○って自慢してきてさぁ・・・」
というような会話はよくある。

たいがいはかなり悪い印象を持っての言葉として使われる。
ところが、わたしは人が自慢しに来たところで、そういった悪い印象は受けることがほとんどない。

そもそもわたし自身が人を妬ましいとか羨ましいとか思って見ることがほとんど無いからだろう。
ダチにもそういう指摘を受けたことがあるので、これは客観的に見てもたぶん間違ってはいないと思う。
(たぶんそう思うようになったのも、自分の裁量でどうにでもできるようになった社会人となってからだと思う。自分の裁量というものがほとんど無かった高校生までは多分そうではなかった。)

むしろ、人の自慢話を積極的に肯定しようと思う。
自慢を語るその人物が、どういうことに関心があって、どういう特技があって、どういう人物なのか、それを知って仲良くなるには良い機会だろう。

たとえば誰々がスポーツカーを買ったと言えば、そのスポーツカーを乗りこなそうという真摯な姿勢に感服するし、また車ネタで話は盛り上がるし、それはそれで楽しい。
たとえば誰々がどこぞの大学に受かったと言えば、青春を賭して勉強したその努力に敬意を表するし、何が好きで何をしたいとかいったビジョンでも話は盛り上がるし、それはそれで楽しい。



しかし!

そんなことを言ったところ、人から全否定されたことがある。

そいつは顔見知りの女なのだが、
「男の自慢はかっこわるいよ!」
という。

で、なにがかっこわるいかというとだ・・・
合コンにでも行くと、決まって
「ボクはパパにマンション買ってもらったんだ♪」
とか、
「ボクのパパは開業医でお金持ちなんだぜ♪」
とか、
自慢してくるヤツは大概そんなことしか言わないからだそうだ。

たしかにこれはかっこ悪い。
むちゃくちゃかっこ悪い。

なにがかっこ悪いって、これは自分の自慢じゃないからだ!

たとえばマンションを買うにしても、自分のサイフからカネ出して買ったなら自慢になる。
それだけの高額なローンを組める経済的バックグラウンドと度胸と覚悟があるからだ。
それはそれでカッコいい。

たとえば開業医にしても、自分が開業医なのであれば自慢になる。
開業医となるだけの語られぬ背景がそこにあるからだ。
それはそれでカッコいい。

だが、自分で努力して掴み取ったものでない、さっきのようなパパにしてもらったものは自慢しても全く屁のつっぱりにもならんのだ。
(そもそも親がどうこうというのは自分の自慢には値しない。逆に子供や孫のことは自慢に値する。)

たぶんこういった自慢をするバカな男は後をたたないだろう。
それくらいしか自慢するものがないのだろうか。
逆に、その程度の自慢でひっかかるようなバカねーちゃんがあまりにも多いのか・・・。

さすがにこんなおバカな自慢話を目の前で拝聴する好機にめぐり合ったことはない。
だが聞いたとしても「はあそうですか」と思うのがせいぜいで、別に妬ましいとかひがむとかいったように思うことは多分無い。
そもそもわたしが自慢されたと自覚していない可能性もあり、その手の話はいつもスルーしていて頭に残っていないのかもしれん。
まあ、それはおいといて。



世の中には、自慢話を聞くと決まって妬ましいとか羨ましいとか思い、そして自慢げに言ってきたことを悪く吹聴するヤカラも多い。
というか、悪く吹聴するところまではいかないにしろ、妬ましいとか羨ましいとか思うほうがむしろ多数派かもしれん。

そうすると、自慢するだけのモノを持っているヤツは口には出さなくなる。
さっきのパパに何か買ってもらったとかそんな低いレベルのモノしか持っていないヤツじゃなく、自分の手で勝ち取ったモノを持っているヤツほど恐らく口には出さなくなる。

ダチの中に東大卒の男もいるが、この男は同期の中でも1,2を争うほどアタマが切れるすごいヤツなのだが、自慢げな話を持ってくることが全くない。
そういう話はつまらんと切って捨てる出来た人物なのか、世間的にはさっきのような反応がありうることを良く知っているからこそ危険だから口にしないのか、そこまではわからんが、とにかくそんな話をしない。

しかしこれはもったいない。
少なくともわたしは自慢話を肯定的に聞くし、世間的にも少なくとも日本人はそうあってほしいと願う。



・・・さて。
なんでこんな話になったかというと。

旧ゴンゾデジタル部門のグラフィニカがホームページを開設したという時事ネタ(※1)があって、そのwebサイトを見にいったときのことだ。

そこでのかつての受注実績を見ると、それこそそうそうたる顔ぶれが並んでいるのである。
それも、興行的には成功しなかったにしろ、その3DCGなどの映像面は非常に高く評価された作品群がズラリとならんでいるわけである。

あらためて見ても彼らの仕事っぷりはカッコいいと思った。
彼らの仕事っぷりが無かったらGONZOをここまで好きにはならなかったかもしれない。
これは自慢に値する見事な仕事だ。

だが、こういうのはいち個人がやるとハナにつくと言われかねない。
そういうのをいち個人でもおおっぴらにやれる世の中であってほしいと思った次第である。



【※1 旧ゴンゾデジタル部門のグラフィニカがホームページを開設】

ニュース引用元
http://animeanime.jp/news/archives/2009/08/post_872.html
http://japanimation.blog72.fc2.com/

グラフィニカ
http://www.graphinica.com/