教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

ヒロインとの人生は自分でつくるもの

2010-09-22 07:05:07 | オタネタ全般
「ゲームはプログラム通りにしか動かないから、ゲームのヒロインは自分の思い通りになる」

・・・とまあ、こんな意見が世間の大勢を占めている。
ろくにゲームをやったこともないような連中にとっては特に。
今回はこれについて反論してみたい。



まず後半部分。
「ゲームのヒロインは自分の思い通りになる」

これについての反論は前に書いたことがあるので省略したい。
以下参照のこと。

> 「ゲームの女に勝つ自信は?」→半数「ない」
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20100717



次に前半部分。
「ゲームはプログラム通りにしか動かない」

これは正しい。
ゲームにおいてのヒロインとの会話ルーチンは手続き型言語(またはそれがベースとなっている何か)を用いて作られているはずだ。
だからプログラム通りにしか動かないのは当然。

しかし!

ゲームにはもう1つの楽しみ方がある。
例えば2次創作という形のものだ。

好きなヒロインの絵を描いてみる。
好きなヒロインの同人誌を描いてみる。
好きなヒロインの小説を書いてみる。
好きなヒロインの動画を編集してみる。

ここまでマジメに1つの作品にする必要もない。
元ネタ帳へのメモ書きやら、普段の空想やら、そういったものも含んでもいい。

これら全ては2次的なものとはいえ創作だ。
決してプログラムではない。
そしてそうやって創ったもの全てが自分が愛したヒロインとの自分だけの人生なのだ。

例えばわたしの例でいえば、ニコニコに投稿したノベマスもわたしの千早と過ごした人生の1つだし、ノベマスにならず没になったネタの数々やら、あまった紙に自分で描いた千早の絵もまた千早と過ごした人生の1つである。



創作は楽しい。
その反面、創作は苦しい。
そうやって楽しんだ分だけ、そうやって苦しんだ分だけ、思い入れも強くなる。

単にホンモノの女の子と遊園地にでもデートにいったのと比較してみるといい。
そんなものとは比較にならんほどアクティブに活動しなければ、ゲームのヒロインと自分との自分だけの人生は紡ぎ出せない。

とりあえずプレゼントでもくれてやれば、とりあえず喜んだようなアクションをする女。
とりあえずファンシーショップにでも行けば、とりあえずかわいいとリアクションする女。
そんなヤツらのほうが、よほど手続き型言語をつかってプログラミングで動作を実現しやすいとは思わないだろうか。


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