教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

いまふたたび紐緒結奈(ときメモ1)への愛を語る  その2

2008-12-30 01:08:38 | オタネタ全般
前回の記事(2008.12.29付)で「いまふたたび紐緒結奈(ときメモ1)への愛を語る」を書いた。

じつはつづきもあるので書いておくことにした。
本記事から読むひとはそちらから読んでほしい。でないと話が続かないし。

1994年5月、ハードの寿命としては末期を迎えていたPCエンジンでときメモは発売され、発売直後の予想外の不人気とは裏腹にその後のクチコミで予想外の人気を獲得していった。わたしもクチコミでおもしろさを教わったくちだ。

きたる1995年10月、満を期してプレステ版が発売された。オリジナルのユーザーからすれば爆発的な人気になるのは目に見えていた。実際、そのとおりになった。

その後、限定版が異常な高値で取引されたり、わずかに供給されるグッズにわれわれオタが殺到するなど、ゲーム業界でちょっとした社会現象になっていた。

発売元のコナミはそれに目をつけた。

ときメモ関連グッズの種類が月を追うごとにどんどん増えていった。

はじめは、わたしたちオタは喜んで買った。
つぎに、ときメモやそのキャラに忠義があることを半ば自分で確かめるために買った。
さらには、もはや義務感で買っていた。
おわりには、なぜ買っているのか自分でもわからなくなっていた。

あるとき、商品紹介のページの掲載量がバカみたいに増えた。
コナミの取締役は決算発表で「キャラクターグッズの売り上げで○百億円をめざします」みたいなことを言うようになった。

ついに、わたしたちは買うのをやめた。

すばらしいゲームを開発したコナミ自らが、ときメモを下賎なものに変えてしまったような気がした。
われわれ同志のあいだでも、本件だけでなくそれ以外にもコナミの運営方針に疑問を投げかけるものが多くなってきた。みなで「まるで守銭奴のようだ」と語り合った。

わたしたちは、1人、また1人と、ときメモから去っていった。

ある日、わたしはすべてのグッズをゴミに捨てた。
嬉しいときも悲しいときも共に時を共有した戦友を失う気がした。それでも捨てた。
「紐緒結奈との思い出はわたしのこころにあり、グッズには思い出は詰まってはいない」
と何度も自分に言い聞かせて捨てた。

それからコナミのゲームは買わなくなった。
いつか出るとウワサされていた”ときメモ2”にも期待するのをやめた。

そのときの心の喪失感があったことも忘れたころ、風のうわさでときメモ2が発売されたことを知った。心は動かなかった。
その後、風のうわさでときメモ3の開発費がファンド形式で個人投資家から集められているらしいことを知った。買った人はかわいそうだと思った。

いまはコナミについて特別悪い感情は抱いていない。
はるかむかし、そういうこともあったというお話だ。

(ときメモのはなしはこれで終わり。次回はポストときメモになったかもしれない別のギャルゲーについて語る)

いまふたたび紐緒結奈(ときメモ1)への愛を語る

2008-12-29 01:01:24 | オタネタ全般
わたしが人類の住まう世界をドロップアウトしこちら側の住人となるための致命傷を与えたゲームがある。大学に入り、同じアパートに住んでいた親友(男)が持ってきたPCエンジンのときめきメモリアルである。

それまでの中高校生だったころのわたしは、紐緒結奈とおなじく数学物理など理系科目が異常に得意だった。ただ、国語や英語はありえんくらい超絶ダメダメだった。おかげでクラスのヤツらからも頭が切れるというよりは特殊能力保持者みたいな感じに思われていたふしもあったような気がする。

その頃のわたしは、これまた紐緒結奈とおなじく恋愛ごとなんてくだらねえと思っていたし、TVドラマでふったふられたばかりやっているのを見て、そしてポップスで恋愛ごとばかりあつかうのを聞いて、「おまえら何てヒマなんだ、ほかにすることくらいあるだろ!」くらいに思っていた。

当時はドラマにでてくるような典型的科学者タイプの思考で、ものごとをすごくロジカルにしか考えていなかった。
人類は特異的に発達した脳によって科学技術を発展させ自らを幸せにするためだけにある、そうマジで考えていた。文学作品や芸術は人間があまった能力をたれながしているだけの、取るに足らない賞賛するに値しない産物だとマジで思っていて、科学を否定気味に解釈し、芸術を賞賛するひとたち、たとえばわたしの出身中学の国語や音楽の先生なんかを内心バカ扱いしていた。内心バカ扱いしていた人たちから教わるものだからマジメに勉強しようという気もせず、そして成績も悪い。ある意味で負のスパイラルかもしれん。
(注:現実の研究開発職のひとは別にふつうの人だよ、変に誤解しないでね)

そんななか、紐緒結奈に会ったのだった。

気に留めたきっかけは大したものではなかった。
多くのキャラに混ざりつつも人を寄せ付けずマッドサイエンスに人生を賭ける女、ある意味で俺にちかいようなヤツもいるじゃん、ただそんなのだった。

「……。がらくたね…。研究の足しにもならないわ」
わたしはファッションにこだわる行為をくだらないと思っていたし、同じくチャイナドレスをもらっても見向きもしない紐緒結奈が素敵だった。

「ちょっと、動かないで! 誤差が出るじゃないの!」
すでにテスターやオシロなど自前の計測器を持っていたわたしは微妙に空間を共有した感じがした。

「これも、これも、みんな安いわ。全部、買い占めよ」
電子パーツショップやジャンク屋に出入りしていたわたしは、他のだれでもないわたしが見ることができたのが嬉しかった。

「こ、これは!! 研究意欲が湧いてきたわ」
“いつかはCPUを単品でもらっても使い倒せるくらいの技量になろう”と、自分への戒めにもなった。

ときメモを持ってきた親友の助言どおり最初から全パラメータを上げようとしなかったのは正解だった。おかげで3年目の過半がすぎた頃はクリアできそうだと確信していた。

そして紐緒結奈の最大のイベント、紐緒結奈の全てを賭して創られた世界征服ロボとの対決。

紐緒結奈はそれまでのわたしと同じくロジカルにしか物事を見なかった。自分の美学的にかっこいいロジカルに生きる自分と、ベタに人並みに恋をしてしまって心の中で右往左往してしまい人並みにかっこ悪い自分。紐緒結奈のなかではこの2つが葛藤していた。わたしも寝食を忘れときメモをプレイしつづけ、こころのなかで同じように葛藤していた。

はじめてプレイしたころは ”世界征服ロボとは何とかっこ悪い、紐緒結奈はそんなダサい名前をつけるセンスはしていないだろ” と思った。しかし、今ならわかる。

紐緒結奈の出した結論はこうだった。
これまで信奉していた自分を悪役にしたてあげる。それを新しい自分が信奉するものに打ち破ってもらう。
だから世界征服ロボは強くなければならなかったが、かっこ悪いものでなければならなかった。だから主人公に打ち倒されなければならなかった。

わたしはエンディングで涙を流した。
たかがゲームでここまで感動するとは思わなかったし、なにかを見て泣いたのは初めてだった。世の中には本当にすばらしいものがあると初めて感じた。

エンディングで紐緒結奈は世界征服の野望をやめた。紐緒結奈はひとつ大人になったのだろう。ネットでは紐緒ファンのなかでもエンディングはイマイチだという評価が多い(※1)。それら意見を否定する気はないけれど、わたしはいまのエンディングで良かったと思っている。

わたしもときメモで、紐緒結奈グッドエンディングでちょっぴり大人に近づいた。恋なんてくだらねえと思っていたおこちゃまな自分、芸術を賞賛する人たちをバカにしていた了見の狭い自分から脱却したのだった。

その後、もちろん全員分のエンディングを見るところまでやりこんだ。
けれども今でも心にのこるのは紐緒結奈だけである。
わたしは紐緒結奈を愛した青春を永遠に忘れない。むろん墓まで持っていくつもりだ。

(じつはこの話は次回へと続く)



【※1 エンディング批判】

たとえば↓このサイトなど。
http://www3.airnet.ne.jp/gomimemo/tmron/yuina.htm
>僕が「ときメモ」の中で一番嫌いなのは、エンディングである。
>中でも紐緒さんのエンディングが一番悲しい。
>多くの紐緒ファンが語っているように、紐緒さんは、いつまでも世界征服を目指して欲しいのだ。
> つまらない色恋沙汰のために、自分の目標を曲げることなんて、して欲しくないのだ。
(以下略)

魔法少女アイ参をムリヤリほめてみる

2008-12-28 00:04:19 | オタネタ全般
まずは↓ここを見て魔法少女アイ参について知ってもらいたい。はなしはそれからだ。
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/50781152.html



すでにエロゲ界で話題を独り占めしている魔法少女アイ参について、ここでムリヤリほめてみようと思う。

魔法少女アイは2001年の魔法少女アイ(アイ1)、2002年の魔法少女アイ弐とともにコアな人気を誇るシリーズ作品だった。
だれしもその後すぐに魔法少女アイ参がでると思われた。オフィシャルにも告知が行われた。しかしそうはならなかった。

かつて自分が死ぬほど遊んだゲームの製作元が倒産し、二度と続編が作られなくなったことを悟り絶望を味わった経験はあるだろうか。アイ参はほとんどそれに近いような事が起きていたのだ。

われわれは待った。アイ弐から6年待った。我が春を謳歌する少年からすれば青春の半生ともいえる6年待った。アイ参は会社を変え、6年の沈黙をやぶり、不死鳥のようによみがえったのだった。

アイ参にはCGが14枚のみ用意されている。2000~3000円のエロゲでさえ100枚単位ものCGを用意するのに対し、定価9240円のアイ参は1枚あたり660円と、CGの1枚あたりの存在価値は極めて高い。凡百のエロゲとは一線をひく、少数精鋭の孤高の存在だ。ボール100機よりもガンダム1機に価値を見出すそれと同じ設計思想といわざるを得ない。

アイ参の最大の特徴はエロシーンのエロ絵が1枚もないことだ。
わたしはそれを知って偉大なる先人ブルースリーの言葉を思い出した。
「考えるな! 感じるんだ!」
と。

とりあえずエロ絵を用意し、とりあえずエロければ許される、そんな堕落したエロゲ業界に対する強烈なアンチテーゼである。
絵がエロければ許されるのか、いやそれは違う。しかしどうすれば・・・。その答えは人類は持っていない。しかし、その疑問に気づき、われわれ全員にはじめて提言したのはアイ参を置いてほかにはない。後世、アイ参は生まれるのが早すぎた未完の問題作として悠久の時を語り継がれるのはまちがいない。

アイ参はパッケージによるとハードディスクに1.5Gを要求するのに対し、実際にいれてみると500Mしか使わない。これは何を意味するだろうか。
アイ参の発売と同時にユーザーからすさまじい反響があった。アイ参ほどの問題作となれば当然だ。
そして発売元からは直ちにユーザーのさらなる希望へと昇華させる発表がなされた。
アペンドディスクの発表だった。

わたしはかつて同じ興奮をあじわった事を思い出した。
最古参のパソゲーユーザーなら知っていよう、ソーサリアンだ。ソーサリアンは本体ソフトを購入した後、わずかな出費をともなうだけで戦国ソーサリアンやピラミッドソーサリアンなど追加シナリオを遊ぶことができた。わたしはアイ参の1Gにおよぶと推測されるアペンドディスクに伝説の名作ソーサリアンを見たのである。しかもアイ参のアペンドディスクは無料だ!
あらかじめアペンドディスクを入れる分だけハードディスクを空けておく旨の親切な注意書きに胸を熱くするのはわたしだけではないだろう。

すでにアイ参は秋葉原の店頭でも話題となっている。
アイ参のあまりにも前衛的すぎるその解釈ゆえ、秋葉原でも買いとりに値段がつかないという現象まで発生した。アイ参は単なるゲームという枠組みを超え、値段をつけるという人間のあさましい行為を超越した存在となったのだ。

ゲームを好む人口は昔にくらべ遥かに増えた。しかし、自分の鑑定眼を信じ、あえて誰も知らない名作を発掘するという冒険心あふれる行為をするものはめっきり減った。
かつていにしえのファミコン時代、わたしたちは子供には高額すぎる大金をはらってファミコンカセットを買い、時には昼夜を問わず熱中して名作を遊び、ときにはくそゲーだと気づいてこの世の終わりが来たかと思うほど絶望し、しかし絶望に屈せずくそゲーをやりこんだ。ときがたち大人になり、仲間とともに「むかし○○ってくそゲーがあってよ、まあ俺クリアしたけどさ、・・・」と話しながら良き思い出に昇華するのである。

わたしはこう言いたい。
だれでも知っている評判のよいエロゲだけを買い、アイ参を買わない男はチキンだ!
男なら、そしてゲームを愛するならアイ参を買うべきだ!

わたしはプロデューサーを降りアシスタントとなってからもアイ参への協力を惜しまない魚住芳樹氏の動向に注目している。アペンドディスクの公開日である2009年2月28日が幸福な日となることを願う。

さいごにパッケージ裏の名言を引用して締めるとしよう。
「ごらんの有様だよ!!!」



【blog読者のみなさまへお詫び】

「アイ参を買わない男はチキンだ」と申しましたが、わたしも買う気になれないチキン野郎ですのでお許しを(笑)。

アニオタ=ロリコンに反論する

2008-12-27 01:29:52 | オタネタ全般
わたしは二次元がすきだ。
二次元の人妻がすきだ。
二次元の女子高生がすきだ。
二次元の幼女がすきだ。

だが!

現実の人妻なんていらねえし、
現実の女子高生なんてどーでもいいし、
現実の幼女なんてもっともっとどーでもいい。

だからアニオタとロリコンをいっしょくたにしないでくれ。
双方に迷惑だ(笑)。

わたしが現物の女より絵に描いた女のほうがすばらしいと声を大にして言っている時点で、ある種の性的倒錯(変態性欲)であることは認めざるを得ないと思う。しかし、ここではあえてこう言っておこう。
「われわれは変態という名の紳士だよ!」
まあ、わたしのように完全に幻想世界の住人なひとからリアルワールドの住人が性的な被害を受けるなんてありえないし。

だが、残念ながら一般社会ではアニオタ=ロリコンという図式が成り立っている気がしてならない。
なぜそういう図式がなりたつかというのをちょっと考えてみよう。

日本のマンガやアニメの主要登場人物が10代であることが多い。
ハリウッド映画などを見ると30代の男が主人公で20代半ばすぎの女がヒロインであるパターンが多く、それと比べれば日本はキャラの年齢層がかなり低いと言っても良い。

この違いは日本にロリコンが多いからだというフェミニストのごとく短絡的な思考をするのはまちがいだ。

アメリカは世界でナンバーワンでなければ注目されないといったように、スーパーマン的に完成された身体や能力に重きをおいていると考える。ドーピングしてでもボディービルに走る男が多かったり、やたらボディーラインを強調するデザインの服が好まれることからも明らかだ。
日本ではその考えは当てはまらない。日本の物語はすでにできている完成形よりも現状からの「成長」を重視している。毎週何百万部を売り上げるジャンプで伝説的な人気を獲得した作品のほとんどは主人公の成長物語であることからもあきらかだ。ドラゴンボール・聖闘士聖矢・るろうに剣心・キン肉マン・・・ほら、いくらでもある。
成長物語の主人公として30代の男がふさわしいか? 成長物語のヒロインとして20代半ばすぎの女がふさわしいか? ふさわしいわけがない(とうぜん必ずしもではないが)。未完成の大器として物語の主人公にふさわしいのは10代までだ。だから日本では主人公その他の主要人物として10代を起用する。

わたし自身、スーパーヒーローが出てきてジャスティスパワーで巨悪を滅ぼす物語より、はじめはライバルに全く歯がたたない主人公が死に物狂いで腕をみがき最後にはライバルに勝利するという物語のほうが断然すきだ。

そういった世界でも稀有な日本の文化的土壌を無視し、アニメは10代のヒロインばかりだからアニオタはロリコンに違いないというスーパー短絡的解釈をするような自称良識派コメンテーターまがいなヤツらに対し、アニメを語るまえにアニメをちゃんと見たことがあるのかと問いただしたい。
残念ながら、こういった連中は子供と一緒にアンパンマンを見たとか夕食時にサザエさんを見るいう程度の鑑賞レベルでしかなく、アニメをまともに見たのは子供のころ以来で10年以上ほとんど見ていないというのが実情だ。
ハンドルをにぎったこともないようなヤツがモータースポーツの危険性について語ってもちゃんちゃらおかしいのと同じことだ、なんと嘆かわしい。

余談だが、すぐれたマンガやアニメを輩出しつづける日本にいながらマンガやアニメを全く見ずにくだらねえと切って捨てるような解釈しかできないヤツらは、人生における損失に気づいていないのだと思うのだが、まあそれはおいおい書くとしよう。

最後についでにロリコンのほうも擁護しておく。
どこかで聞いた名言をのせる。

「真のロリコンは少女が好きだけど襲ったりはしません! むしろ少女を守りたいと思っています」

堺市図書館がかわいそうな件

2008-12-26 00:46:28 | 経済/経済/社会
2008年12月23日
> ボーイズラブ本を18禁扱い→「住民グループ」が猛反発→18禁扱いを解除…大阪・堺市図書館
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1202768.html

へー、

男女で性行為しているマンガは18禁だけど
男と男で性行為しているマンガは18禁じゃないんだ・・・

webをうろついていたら↓こんなの見つけた
http://www.ktroad.ne.jp/~tera-t/net/akenminh/kou-2/sakai/081171.pdf
> 堺市立図書館における特定図書排除に関する申し入れ書
(中略)
> BL図書の排除は、直接的であると間接的であるとを問わず、性別による権利侵害および差別的取り扱いを禁止した、「堺市男女平等社会の形成の推進に関する条例」にも違反しています。

これは笑うところか?

エロ本は閉架(18禁)扱いだからBL本も同等に閉架(18禁)扱いにするのが、性別による権利侵害および差別的取り扱いなのか・・・。

わたしも同人誌すきだからべつに世の中全体から排除すべきとは言わないけど、そういうのは18禁でいいじゃん。
18禁も我慢ならんとはいったいどういう了見なのか理解できん。

さらに、今回のイチャモンの代表者である上野千鶴子は
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BE%E5%CC%EE%C0%E9%C4%E1%BB%D2
> 上野千鶴子は、マルクス主義フェミニスト。
> 主著に『家父長制と資本制』などがあるフェミニスト。男性は家事・育児に参加すべきだ、と主張するが、本人は生涯独り者であり、子育てや家庭と仕事の両立をした経験はない。また、左翼であるが、同性愛者や障害者など女性を除いたマイノリティーへの共感は皆無であり、差別的ですらある。「私は、同性愛者を差別する」と言い放ち、この発言は同性愛者らから大きな抗議を招来するに至った。

ということでもあるからして、べつに男の同性愛を擁護する気があって行動しているわけでもないらしい。
つまり単に自分たちがBL本を読みたいからイチャモンつけているわけだから、さらに理解できん。

その傍らで、円より子などのフェミニストは
「アダルトゲームで青少年は心を破壊され、人間性を失う」
「ランドセルを背負った小学生の少女をイメージしているものが多く、幼い女の子にとって極めて危険な社会を作り出す凶器となる」
などと意味もわからないようなことを言いエロゲを世の中全体から排除しようとしているのはなおさら理解できん。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0810/20/news067.html

唯一理解したのはフェミニストは「男は女の敵対種族である」と考えているのがあらためてわかった事だけだな。

さっきのフェミニスト団体のpdfファイルにも

> 思想の自由、表現の自由、憲法に定められた基本的人権を侵害し、かつ、禁止された検閲

って書いてあるぞ(笑)。
第一わたしは円より子によって心を破壊されたと断定された被害者であり、円より子に基本的人権を侵害されましたわ(笑)。

クレイジーな一部団体に公共機関が操られるのは断固反対だ。
男向けのも女向けのも、両方捨てるか、両方閉架するか、両方ひらたく蔵書するか、どれかにしてくれ。



↓ここも非常に共感できるのでリンクをはっておく
http://blog.livedoor.jp/east531/archives/392247.html
> フェミニスト上野千鶴子のダブルスタンダード

ガンダムを見てちょっぴり大人になった俺たち、しかし

2008-12-25 01:13:10 | オタネタ全般
わたしはリアルタイムでガンダムを見た世代よりも後の世代であり再放送で見ていたわけだが、それでもガンダムはおもしろかった。(注:ここでは初代ガンダムね)

それまで見ていたメカものというと戦隊モノしか見ていなかったわけで、それは勧善懲悪そのものを具現化したと言ってもいい。

だが、ガンダムを見たときには敵は何かが違うと思った。
敵には敵の事情がある、そして正義のみかたも完全正義ではない。

主人公たちも何かが違うと思った。
ゴネててワガママで時にかっこ悪く、そしてイヤがりながら死に物狂いで敵を倒す。

そしてわたしたちはおさなごころに心の底で悟るのだった。
主人公たちはなんてグズなんだと思う反面、たぶん戦争になったら自分たちもグズるんだろうな・・・。
大きくなったらガンダムに乗りたいと思う反面、戦争になったらたぶん自分たちはボールをあてがわれ、なんの変哲もないザクに切り殺される役目を負うのだろうな・・・。
学校いったら「正義は勝つ!」なんて言っちゃうけど、きっと戦時下での本当の正義なんてどこにもないんだろうな・・・。
って。

わたしたちはガンダムをみて少しだけ大人になった。
世間は完璧な正義と完璧な悪でなりたつわけではないとガンダムに教えられたのだ。
(世間は勧善懲悪ではないということをはじめてアニメに持ち込んだのは海のトリトンだという説もあるが、まあそれはおいといて・・・)
まあ、日本はどっちかっていうとそういう土壌はある気がするよね。


ところが!
びっくりするが全然そうではない人たちもいる!


あるお隣の国では、『日本が自国に対して侵略戦争をおこし、その報復に日本へ原爆を持ちこみ、さらに「原爆を落とされるようなことして申し訳ありませんでした」みたいな感じで日本の首脳部が頭をさげるハッピーエンド』な映画を作っている。しかもこんな映画が毎年。

これはいったいどうよ?
いくらジャスティス国家ステイツ様でもこんなひどい映画は作らんよ?

仮に、自衛隊がK国に原爆落とすような映画つくったとしたら、おまえらどうよ?
おまえら、国家レベルでキ○ガイみたいにボロクソ抗議してくるにきまってるだろ?

この映画をみたK国人の生の感想が「すっきりした」「やっぱり日本は悪い国だと思った」なんてどうよ?
そんな感想をもつこと自体が人間として恥ずかしいと思うけどおまえらどうよ?

合法/非合法を問わず大量に入ってきている日本のアニメを見て、ガンダムも見て、それでもこんな映画が大ヒットするなんて国民としてどうよ?

わたしはこんな映画を大喜びで見ている人たちを心のそこから軽蔑するし、そうならないようにわたしたちに善とは何か悪とは何かをほんの少しだけ教えてくれたRX-78やアムロやセイラさんに感謝したい。

ラピュタにおける4通りの解釈

2008-12-24 23:25:49 | オタネタ全般
わたしはジブリ映画のなかでも特に天空の城ラピュタがすきだ。



幼いころに初めてみたとき、果てしない広大な冒険世界に憧れた。

ときがたち思春期にはいる頃、パズーの少女を守るという絶対的な使命と生きる目的に憧れた。

大学にもはいりバカなことをやっていた時、たった一人で世界を相手に戦うムスカ大佐に憧れた。

いまやいい年にもなってしまいひさびさにもう1度見直すと、初めて良質のアニメをみたときのあの感動した思い出に憧れた。



そしていまでもオタ仲間とともに
「素晴らしい! 最高のショーだとは思わんかね?」@ムスカ大佐
などと言いあい、お互いの知識を高めあいつつも、かつて憧れたことをやや自嘲気味に話すのである。

いいアニメはいつ見ても良いものだ。
願わくば多くのアニメがかくらんことを。

真実の愛、水銀党の力をみせてみよ!

2008-12-23 20:24:52 | オタネタ全般
出展は明かさないが、ある作品にこんな一説がある(うる覚えにつきビミョーに違うかも)。

「家族になるってことは、良いところも悪いところもふくめて、それでも好きってことだよ」

わたしは思った。

なんという欺瞞!
なんという妥協!
わたしはこんなものには騙されないっっっ!!

悪いところもふくめてそれでも好きだって? お笑いぐさだ、そんなことで愛を語ってほしくないぞよ(笑)。

われわれがそうではないことを示すよい例が水銀党(※1)だ。

仮に本当に銀様(水銀燈)のような女が実在したという前提で冷静に考えると、ふつうにはたから見たらどう考えてもイヤなヤツにしか見えないにちがいない。

しかし、水銀党は違う。

われわれは銀様の挫折と絶望と敗北、それから這い上がった高貴な精神を知っている。
銀様は冷酷で非情で攻撃的で罵詈雑言オンパレードだが、それでもわれわれは銀様のどんなことでも愛している。いや、” それでも”という表現は誤解をまねくな、”だ か ら” 銀様はいいのだ(笑)。

わたしは問いたい。あなたの愛する者のどんなものでも肯定する用意はできているか、と。
そしてわたしは答えたい。われわれは銀様のあらゆることを肯定する用意ができている、と。

これは我々が二次元を愛するがゆえの到達した答えだ。リアルワールドに実在する人物ではこうはいくまい。痴話げんかをしたり、相手の言動にむっとしたり、相手になにかを要求したりしている時点で、すでに要件を満たしていないじゃないか。




【※1 水銀党】

広義にはローゼンメイデンに登場する銀様(水銀燈)のファンが自分たちのことを指す意味で好んでつかう言葉。わたしの記事ではこの意味でつかった。ほかのキャラで同等の言葉はなく、蒼価学会は蔑称なのでつかわぬこと。
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E6%B0%B4%E9%8A%80%E5%85%9A

狭義には↓このサークル集団のことを指すらしい。実にいいことを言っているのでちょっとだけ引用する。
http://www.geocities.jp/mercuryparty/index.html
> この「水銀党」を結成したのは、私達が共に大きな挫折を経験し、とても苦しい時期でした。
> そんな時、丁度テレビをつけたら流れていたローゼンメイデンの水銀燈の姿、その不屈の精神、誇り気高さ、そして優しさが、私と私の友人達に、苦難にくじけない勇気とインスピレーションとを与えてくれたのです。
> アニメのキャラクターから勇気をもらうというのも稀有な話ですが、そういうことがあるのです。
> ローゼンメイデン第二期において不死鳥のように甦った彼女に敬意を表し、その姿に共感して、私は自らが代表を務める新しい組織の名を「水銀党」と名付けました。

リアルワールドがリアルさを失うとき

2008-12-20 20:49:50 | オタネタ全般
たいしてオタでもない人でも、映画を見てそれに熱中してしまい、エンディングのスタッフロールや映画館のライト点灯でふと我にかえるというような経験をしたことはあるだろう。
じつは我にかえる(というかリアルワールド(現実)に帰るというか)のではなく、心が半分くらい向こうに行きっぱなしになる方法がある。

まず用意するものは大量の小説かマンガかアニメ。これは雑多に集めるのではなく、必ず同系統のものばかり集める。そしてサスペンスドラマや推理小説みたいな現実世界に近い舞台のものは除く。あと、わたしの場合はゲームではなかなかうまくいかなかったから、たぶんゲームではないほうがよい。
おすすめのものをあげるなら、小説ならクトゥルー神話ばかり集めるとか、アニメなら蒼穹のファフナーと宇宙のステルヴィアと機動戦艦ナデシコとか。

そして家族や友達にも会わずバイトや会社にもいかなくていい自由にできる時間を1週間くらい用意する。まあ大学生くらいしかできないかもしれん。

覚悟をきめたあと、起きている時間の2/3をつぎこんで家にこもって用意した小説なりマンガなりアニメなりを消費しつづける。
もちろん慣れてないと1日10時間コースになるのでかなりつらく、初日の5時間目くらいでねをあげてしまうと思う。
ある意味でオタとしての体力が必要だ(笑)。

これを幾日もくり返そう。

そうすると、あらフシギ、4~5日目くらいからだんだんリアルワールドに現実感がなくなってくるのだ。

そうなったらしめたものだ。
リアルワールドに現実感がないから、まるで自分だけ現実を超越した視点にいるように感じ、そしてリアルワールドでの悲喜こもごもが急にしょうもないことのように思えてくる。

ぜひ一度おためしあれ。
なお、普段の生活にもどしたら急激にもとの精神状態にもどるので帰路の心配は不要(笑)。

ギャルゲーシューティング考

2008-12-20 01:31:35 | シューティング
わたしはギャルゲーも好きだがシューティングも大好きだ。
ゲーセンに行っても、ひところの格ゲーやら音ゲーやらネトゲは完全スルーを決め込み、ひたすらシューティングにしかコインを入れないほど好きだ。
しかし、シューティングが少ないのはしかたないにしても、ギャルゲーシューティングにいたってはほとんど無いのはなぜだ・・・

ギャルゲーシューティングの始祖はなんなのかまでは知らないが、わたしがギャルゲーではじめて萌え、そして燃えたのはコナミのXEXEX、そしてイレーネ姫だった。
発売前にゲーメストやベーマガで特集が組まれるほど前人気が高く、当時にしてはイレーネ姫の挿入アニメーションや機体のCGがやたら凝っており、もちろんシューティングとしても熱中するに値するおもしろさ。

たった一人で世界を相手に戦うというシューティング世界共通のストイックさに、イレーネ姫のストイックさが妙にマッチしていて、グラフィックもいい感じにそれに同調していて、当時まだ若かったわたしの魂を鷲掴みにされてしまった。
17年がすぎたいま、XEXEXは商業的にはけっして成功したとは言い難いにもかかわらず、わたしのなかではギャルゲーシューティングでこれを超えるものは出ていない。

おそらく、アニメやビジュアルノベルにくらべてキャラを出す時間が全然少ないし、格ゲーのようにキャラそのものが常にでるわけでもないし、きっとシューティングはキャラに魅力を持たせるのはかなり難しいにちがいない。
そういう事情で、結論は"ある程度しかたがない"ということになりそうだ(笑)。

ケイブの怒首領蜂シリーズや虫姫さまシリーズもシューティングとしては大好きでしょっちゅうプレイしているんだけど、もうちょいキャラをたててほしいなあ・・・。
怒首領蜂大往生のエレメントドールとか、鋳薔薇のローズガーデンとかけっこう好きなんだけどなあ・・・。
オトメディウスはイマイチだしなあ・・・。

実体と抽象、そして究極の萌え

2008-12-18 23:11:58 | オタネタ全般
究極の萌えキャラとはどんなものだろうか。
なるべくリアルワールドの異性に近いものだろうか?
いや、それは違う。
だとしたら2次元よりもアイドル写真のほうに萌えてもいいじゃないか。
わたしは2次元キャラは心の底から大好きだが、生まれてこのかたアイドルにはまったことは一度もないと断言する。

2次元がより良いと思う理由とはなにか。
リアルワールドの3次元を2次元に変換する作業はある意味で抽象化だ。

ピカソはふつうにリアルな絵を描いても超絶うまいらしいが、そんなものは描かなくなった。
そしてピカソがピカソ流に描いた人物画にはすさまじく高い価値がついている。
そのモデルを写した写真があったとして、同じ値段がつくだろうか? つくはずがない。ピカソの絵のほうがすばらしいのだから。

絵をみる目があるひとは
「ピカソの絵の良さがわからない? それはかわいそうに。もっと感性を磨きなさい」
と言うかもしれない(わたしもわからんけど・・・)。

わたしも同じことを言いたい。
「二次元なんてくだらないって? それはかわいそうに。もっと感性を磨きなさい」

2次元の良さとは?

2008-12-18 00:34:58 | オタネタ全般
「アニメのキャラなんて本当は存在しないんだよ?」
しりあいの女が言った言葉だ。
これが本質をついていると思う。
わたしは声を大にして言いたい。
「本当に存在しないからいいんじゃないか!」
って。

むかし、ときめきメモリアルというギャルゲーがあった。爆発的な人気を博し、家庭用ゲーム機のギャルゲーではこれをのぞいて語ることはできないのは周知のとおりだ。
リアルタイムを生きたすこしばかり古参の同志なら知っているかもしれないが、なんとこのときメモには実写版の映画があった。
だが私の知るかぎり、まわりのメモラーのだれ一人として映画を見に行かなかった。
なぜかって?
あたりまえじゃん(笑)。
藤崎詩織のよさも虹野沙希のよさも、リアルワールドの俳優ごときが表現できるわけがないし。

ほかの例もつけよう。
なんだったかエヴァンゲリオンのコスプレしたAVがあるが、期待して見たファンはきっとこう言うにちがいない。
「こんなやつ綾波じゃねえ!!! こんなやつアスカじゃねえ!!!」
「ただ服を着てそれっぽくしているだけで全然違うじゃねえか!」
って。

2次元の良さはリアルワールドでは表現しきれない、得難いものなのだ。
本当は存在しないからくだらんものかって? そんなことはない。

本当に存在しないからいいんじゃないか! 本当に存在したらガッカリするに決まっているじゃないか!!

ブログの目的

2008-12-18 00:28:33 | 連絡など
わたしは2次元をこよなく愛する。
わたしはリアルワールド(現実)に愛を感じない。
そして人は言う。私のことをキモヲタと。
だからわたしは訴える。2次元のすばらしさを。
だからわたしは訴える。リアルワールドを超越した高レベルのよろこびを。

そう、リアルワールドに魂を引かれた愚か者が、あわれむような目つきで我々を見るのを黙ってはいない。
我々のたどりついた境地である2次元が何であるかをここに記し、あるときは同志をふるいたたせ、あるときはいまは同志ではないものに伝道することを目的とする。