なんでもいいからギャルゲーをやってみよう。
できることならヒロインが複数いるギャルゲーで、ヒロイン全クリでお願いしたい。
当記事のネタの都合上、ね。
さて、そこでどう思うか?
A子さんとグッドエンドを向かえればA子さんに心踊り、
B子さんとグッドエンドを向かえればB子さんに心踊り、
C子さんとグッドエンドを向かえればC子さんに心踊る。
それはしかたがない。
だって、みんな魅力的なんだもん。
まあ、そこまではよしとしよう。
問題はそこからだ。
まず手始めにA子さんルートをやってみたとする。
A子さんとグッドエンドを向かえればA子さんに心踊るのは間違いない。
それに対しA子さんルートの最中では、たいがいはB子さんとC子さんはテンプレ的な脇役を与えられているだけである。
場合によってはタダのウザいだけの女に過ぎない事も往々にしてありうる。
つぎにB子さんルートをやってみる。
今度は逆に、A子さんとC子さんがテンプレ的な脇役を与えられている。
運が悪いとA子さんすらタダのウザいだけの女に落ちぶれている。
ではC子さんルートもやってみる。
あんなに魅力的だったA子さんもB子さんも両方ともアレだ…。
これは何という悲劇か!
一人を選んだがために、他の全員の魅力が劇的に毀損してしまうなんて、天は人を見放したとでもいうのか!?
意外なことに、実はこの問題の起源は明白だ。
発端は初代ときめきメモリアルである。
初代ときメモのゲームシステムは、否応なしにやってくる本命以外の女の子の御機嫌を損なわないように取り繕いつつも本命とも仲良くやっていくという、ある種の鬼畜システムが実装されている。
メインヒロインたる詩織を攻略する場合は特にその傾向が顕著になる。
詩織を攻略できるくらいの数値になると、他の登場ヒロインは全員がメロメロになっているのがアタリマエで、しかも他の登場ヒロイン全員が詩織を攻略する上での妨害となるべくして仕組まれた存在となっているのだ。
本家PCエンジン版からの移植となるプレステ版の初代ときメモが発売されてほどなくたった頃、巷のメモラーの誰しもがこのシステムの意義を考察していた。
「本命以外の女の子の御機嫌とりをしないとクリアできないシステムとはどうよ?」
「こういった八方美人的なふるまいを強要するのはいかがなものか・・・?」
そう皆と議論を尽くした。
皆、「たかがゲーム」とスルーできないくらい心の底からヒロインが大好きだったからこそ、そう熱く語った。
当然わたしも大好きだったし、当時はヒロインの1人の紐緒結奈との初恋に夢中だった。
そして長い長い議論の時がすぎた。
結局その答えは出なかった。
唯一出た答えは
「我々がその問題をスルーできないくらい、ときメモは偉大なギャルゲーだったのさ」
という事のみであった。
現代においてはどうか?
(次回へつづく・・・)
できることならヒロインが複数いるギャルゲーで、ヒロイン全クリでお願いしたい。
当記事のネタの都合上、ね。
さて、そこでどう思うか?
A子さんとグッドエンドを向かえればA子さんに心踊り、
B子さんとグッドエンドを向かえればB子さんに心踊り、
C子さんとグッドエンドを向かえればC子さんに心踊る。
それはしかたがない。
だって、みんな魅力的なんだもん。
まあ、そこまではよしとしよう。
問題はそこからだ。
まず手始めにA子さんルートをやってみたとする。
A子さんとグッドエンドを向かえればA子さんに心踊るのは間違いない。
それに対しA子さんルートの最中では、たいがいはB子さんとC子さんはテンプレ的な脇役を与えられているだけである。
場合によってはタダのウザいだけの女に過ぎない事も往々にしてありうる。
つぎにB子さんルートをやってみる。
今度は逆に、A子さんとC子さんがテンプレ的な脇役を与えられている。
運が悪いとA子さんすらタダのウザいだけの女に落ちぶれている。
ではC子さんルートもやってみる。
あんなに魅力的だったA子さんもB子さんも両方ともアレだ…。
これは何という悲劇か!
一人を選んだがために、他の全員の魅力が劇的に毀損してしまうなんて、天は人を見放したとでもいうのか!?
意外なことに、実はこの問題の起源は明白だ。
発端は初代ときめきメモリアルである。
初代ときメモのゲームシステムは、否応なしにやってくる本命以外の女の子の御機嫌を損なわないように取り繕いつつも本命とも仲良くやっていくという、ある種の鬼畜システムが実装されている。
メインヒロインたる詩織を攻略する場合は特にその傾向が顕著になる。
詩織を攻略できるくらいの数値になると、他の登場ヒロインは全員がメロメロになっているのがアタリマエで、しかも他の登場ヒロイン全員が詩織を攻略する上での妨害となるべくして仕組まれた存在となっているのだ。
本家PCエンジン版からの移植となるプレステ版の初代ときメモが発売されてほどなくたった頃、巷のメモラーの誰しもがこのシステムの意義を考察していた。
「本命以外の女の子の御機嫌とりをしないとクリアできないシステムとはどうよ?」
「こういった八方美人的なふるまいを強要するのはいかがなものか・・・?」
そう皆と議論を尽くした。
皆、「たかがゲーム」とスルーできないくらい心の底からヒロインが大好きだったからこそ、そう熱く語った。
当然わたしも大好きだったし、当時はヒロインの1人の紐緒結奈との初恋に夢中だった。
そして長い長い議論の時がすぎた。
結局その答えは出なかった。
唯一出た答えは
「我々がその問題をスルーできないくらい、ときメモは偉大なギャルゲーだったのさ」
という事のみであった。
現代においてはどうか?
(次回へつづく・・・)