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やまとミュージアム初見学雑記(2)

2007-04-15 00:05:15 | 趣味の話&本と雑学メモ
<画像>:戦艦大和の模型・呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)展示場より・・

 ?! 何と?


 添付の戦艦大和巨大模型は、縮尺10分の1ですと?




 28mm広角レンズで撮影しても、この巨大模型全体を「画像に収める」には難しい、、、。 

 さすがに「プラモデル大好き人種」! 日本人の為せる業か?

 本当によくできた模型である。

 よく作られた「模型」であるけれど、これを博物館入り口右手の大広間に展示してあるとは! この大広間はたぶんメイン展示会場のはず。 ならば、どうも納得できない・・・

 下記添付画像(ウイキペディアス百科事典より引用転載)と上記画像、見比べていただきたい。下記掲載写真は、まさしく現代の「石川島播磨重工呉造船所」のドッグと同じ位置、写真画像上部やや右手に見える貨物船のさらに右手辺りは、現在の「やまとミュージアム」の位置にて、JR呉駅付近か。


<写真引用>:)呉海軍工廠で建造中の大和(1941年9月20日)
 
 呉海軍工廠にて建造された「戦艦大和」、大枠の工事終了ののち、つまり進水式の終わった後の艤装工事中の画像と見る。

 撮影に使用されたレンズは、たぶん50mm標準レンズか。 それにしても、たまたま見学当時に撮影した大和模型の構図と、上記転載した実物実写画像の撮影角度はよく似ているから、不思議である。



 建造されて直ちに日本海軍最新鋭現役戦艦として軍籍に入った後、しばしば軍装備改装の工事されたと云われ、就役当時(上記掲載写真)は左舷右舷甲板中央部に副砲一基ずつ合計2基あった。 しかし、やまとミュージアム展示の模型に左舷右舷中央部の副砲を撤去し対空砲火に置き換えた、改装後の大和モデルか。戦艦大和の竣工就役当時、かくなる大艦巨砲主義はすでに時代遅れにて世界一を誇る46サンチ砲搭載の大戦艦といえども時はすでに遅し、海戦も航空機動部隊による航空戦時代の一歩寸前であった。かくして、いち早く対航空戦の必然性あって高射砲及び高角機関砲などハリネズミの如く装備された。

 そして、この模型こそ「戦艦大和」の最終段階「艤装」された実物に近い「モデル」であること、理解できる。

 「・・・!」

 だから、そこで話題戻し、模型としては立派ですが、、、

             「・・・?」

 先ほどまで戦艦陸奥の40サンチ主砲の原物を見学した後、『ブラモデル的ヤマト模型』を見るのは、まことに興醒め? 

                ・・・あまり面白くない。

 云いかえれば、現実味がなさ過ぎて「模型の大きさ」のみを自慢する「幼稚な表現方法」か。 この博物館のオープンされてのち、ほとんどの見学者が「この大きな模型」に感動しているらしいけれど、あくまでも模型は模型である。

 あまり感動しない! 面白くもなく可笑しくもない・・・

 「戦艦大和の巨大模型」をみても喜ばない喜べない感動しない我輩は、ひねくれ者なのか?・・・

 そう、子供は別にて「対象外」!

 おおいに喜べ! 喜ぶべし、喜んでよし!!

 しかし、いくら大きい戦艦大和模型といえども、たかが模型を見て喜ぶ我国成人男子在るは、如何なものか? 漫画を見て喜んでいる、TVの馬鹿騒ぎ番組をノー天気で見て喜んでいる? それと同等と考えるが如何?

 つまり、日本人成人男子並びに中高年野郎どもの不甲斐なさ幼稚さに、あらためて異を唱えたい。

 てなことで、
 まずは「やまとミュージアム」初入館の第一印象、模型の「馬鹿でかさ」にそこはかとない空しさを感じる・・・



  <・続く・・>


<注>: やまとミュージアム初見学雑記(1)は、こちらから入れます。


<参考URL>:

(1) 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)〒737-0029広島県呉市宝町5-20 TEL0823-25-3017 FAX0823-23-7400
(2)ウイキペディア百科事典「戦艦大和」は、こちらから入れます。

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(参考資料)
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の「コンセプト」を下記に抜粋掲載する。


A. 博物館建設の趣旨

 呉市は,明治22年に呉鎮守府,明治36年には呉海軍工廠が設置され,戦前においては,戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港,日本一の海軍工廠のまちとして栄え,また,戦後においては,戦前から培われてきた技術が新しい技術と結びつき,世界最大のタンカーを数多く建造するなど,我が国が戦後約10年ほどで世界一の造船国へ発展する一翼を担い,有数の臨海工業都市として発展し,地域の産業発展のみならず,日本の近代化に大きく貢献してきました。呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)は,明治以降の日本の近代化の歴史そのものである「呉の歴史」と,その近代化の礎となった造船,製鋼を始めとした各種の「科学技術」を,先人の努力や当時の生活・文化に触れながら紹介し,我が国の歴史と平和の大切さを認識していただくとともに,科学技術創造立国を目指す日本の将来を担う子ども達に科学技術のすばらしさを理解していただき,未来に夢と希望を抱いていただくことのできる「呉らしい博物館」とすることにより,地域の教育,文化及び観光等に大きく寄与することを目的とします。

● 博物館の基本方針
1. 造船技術等を通し,呉の歴史を後世に伝えます。(歴史的見地)
2. 呉が過去から深くかかわってきた科学技術を 新しい時代に生かします。(学術的見地)
3. 市民が生涯学習を実践していくための環境整備を行います。  (教育的見地)
4. 周辺施設と調和を図り,人々が集う施設とします。(まちづくり的見地)

● 博物館の方向性
1. 地域と一体となった博物館
2. 呉の歴史がわかる博物館
3. 科学技術の素晴らしさ・科学の原理のわかる博物館
4. 市民の自発的な学習を支援する博物館
5. 人が集まり情報を受・発信する博物館
6. 楽しむ場となる博物館

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B. 大和ひろば Yamato Hiroba

全長26.3メートルもある10分の1戦艦「大和」は,設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに,可能な限り詳細に再現しました。この10分の1戦艦「大和」は大和ミュージアムのシンボルとして平和の大切さと科学技術のすばらしさを後世に語り継いでいます。


 (以上、大和ミュージアム公式HPより、引き抜き引用掲載する・・)