一昨日の事、旧友US氏からメール添付にて、3枚のすばらしい写真が送られてきた。
(例の、富士山の写真ならびに鮎の写真を送ってくれた高校と大学を通しての学友である・・・)
その中に、出雲大社の写真があったのでUS氏の承諾を得てBlog掲載した。
日本国民たるは皆さまご存知の「出雲大社」・・・
サラリーマン時代の我輩(すでに20年も前の事)、まるまる3年間も島根県松江市に赴任を命ぜられ、数多き苦楽の思い出多き場所である。
写真を観ながら思い出すのは、
「このような清々しい出雲大社、我が肉眼を以って見た経験は一度もない!」
等と・・・
かの地、夏は湿気多く曇天の合い間におてんとうさまが顔を出し、冬となれば陰湿な寒さが襲来する。薄暗き空を見上げれば、一面鉛色の雲。午後の遅い時間ともなれば、西の空から押し寄せてくる雪雲。鉛色は一段と黒ずみ、いよいよ松江市上空に雪雲到達するやいなや、突如として風雪が吹きすさぶ・・・
(なにせ、雪国には弱いよなあ~)
ズーズー弁の地元の言語は、いくら耳を傾けても我輩には、音声解読不能にして意味不明。約3年間の滞在中、地元出身社員の通訳介在無くしては、重要なる仕事に関わる交渉事は不可能であった。
酒は?旨かった。
酒の肴も、美味しかった。
人情も、厚かった。
いきつけの「居酒屋」の大将、「クラブ」のママその他オネエサン達にも世話になった。(美人がいたかどうか?すでに記憶に無い)
しかし、3年経ったらGive-Up!
とことん閉口した。
少しだけ楽しかったけれども、そうとう辛かった。
ご苦労さんでした。(勝手なもので、自分が自分で慰めているのだ・・・)
そして今、この写真を観ると、さらに清々しい。
US氏は何故に?こうも美しい写真を(いつも)撮って来るのか?!?
まず、彼に天気が味方する、、、。
きょうび、彼の心には邪念がないと看る。
邪念and/or邪心が無いから、すなわち無邪気な心で、良いショットが可能となるか?
結果、とにかく(神社で販売されている絵葉書も含め)数ある「出雲大社」の写真を比較しても、そうとう上位にランクされる「美しいショット」である。
US氏の「美しき写真」に感銘された読者諸氏にお願い申し上げる。是非とも、以下「趣味ブログ」のバナーをクリックいただきたい。
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ルーツを訪ねる「旅」も小粋ですね。
以前から興味があったのですが、最近になり(父が亡くなりましてからは)、自分のルーツについて知っておかねばならぬ。と、思うようになりました。祖父は生粋の畳職人。どうも紀州藩の浅野家お抱えの職人だったと聞きます。福島正則家お取潰し後、どうも広島まで付き従って住み着いたようです。明治維新までは、武家屋敷や高級料亭?専門の「畳屋さん」だったらしく、名字帯刀を許され、且つ一財を成して「優雅」な時代もあったとか。その後(江戸時代後半と聞きますが)、道楽者の後継者がいて財産を食い潰したとか。明治維新後、一世紀以上もの時間経過。今でも親戚の従兄弟の幾人かは畳屋を営んでおります。
今も昔も、貴族世界とはほど遠い家系の不肖「エセ男爵」なのであります。
松江の景観、、、。
よそ者が住み着かない限り、旅行者として訪れるのであれば最高の土地柄と、信じてやみません。
名城・松江城を巡るお堀端遊覧。
宍道湖の夕日。
その他・・・
(書けばきりがない)
かの「ラフカディオハーン」、我が師の師!と仰ぐ志賀直哉先生。松江に住み着き、名作を輩出しておられます。春夏秋冬年がら年中、晴天雨天曇天雪空の各種天候は舞台照明となり、朝から夕方まで宍道湖の情景はあくまでも美しく刻々と変化する。出雲平野の築地松を遠望しながら島根半島に入る入り口付近に「出雲大社」あり。時計回りに島根半島を巡り、境港から皆生温泉。弓ヶ浜からは雄大な大山が遠望可能(晴れていれば)。ここでいよいよ志賀直哉先生の長編「暗夜航路」の名場面を、その逆から眺める事できます。
是非一度、島根のエクスカーションをお勧めします。
時期は、春先か雪の降る前の晩秋がベストです。
温泉は、玉造温泉が有名ですが、それ以外に秘湯はいくらでも良いものがあります。
すみません。そろそろ終わりにします。
また悪文、長くなりました・・・
私は自分のルーツにはあまり関心がないから島根には一度も足を踏み入れたことはありません。残りの二枚がもし島根のであるならそれも拝見したいものです。
こうゆう綺麗な場所があるなら、一度行って見るのも悪くないな、なんて考えています。
撮影者のお友達によろしく。