Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

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気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

宮島の大鳥居&ミスターダンディーN.

2007-10-17 14:45:25 | 研究:「ダンディズム」
<添付画像>:広島県廿日市市宮島町にて、
撮影日時: 平成19年10月16日午前9時45分
撮影場所: 厳島神社
天 候: 秋晴れ!!!


Part-I

 ミスターダンディーこと、旧友N君の愛車「三菱ジープ」を駆って、秋の宮島を訪れたのは、よく晴れた秋の真っ只中、昨日(9月16日)の午前9時過ぎ、かねてから計画していた「大鳥居&ジープ」の撮影を敢行した。
 よく晴れ渡った早朝の日差しの中、こうして厳島神社の大鳥居を見たのは初めてである。

 早朝の宮島は、実にすがすがしい。 神社の参拝は早朝に限る、、、。



Part-II

 実はこの夏、N君を誘って「とある絵画個展」を鑑賞した時の話。 展覧会会場で、突如N君曰く、

 「この画家は気に入った、、、」

 「・・・?」(我輩、即座に意味解せず・・)

 「呉の海上自衛隊基地界隈で、瀬戸内海の風景と港を背景に潜水艦かイージス艦など描かれたものあれば、今直ぐにでも銀行に走り相当額の現金をおろしてくる。笑ってニコニコ、現金の即金で購入したい」

 などと、我輩を相手に、展覧会場内でつぶやき始めた。
                   (これでようやく解った・・)

 その画家とは、広島市立大学美術部出身の若き女性画家。 展示されている絵画は、酒処「西条の醸造工場跡地」や、古い町並みの保存された竹原市など、微細な写実的タッチの絵画は、将来を嘱望された郷土の新進女性洋画家である。

 我輩曰く、

 「この女性画家は、友人のSK画伯の知人のはず。 SK画伯に依頼すればこの女性画家を紹介してくれるはず! ならば貴兄の『要望』を伝え、直ちに呉市の海上自衛隊基地の取材を依頼し、創作に入ってもらえるかも?・・・」

 N君は本気になった、、、。

 そしてますます興に乗ったN君は、

 「いやその、この画家に自分の愛車の絵を描いてもらいたい。できれば、厳島神社の大鳥居を背景に描いてもらったら、僕は喜んでその絵を買う!」

 「・・・?」

 数日後、SK画伯に会って『その旨』伝えた。

 「先に俺の絵を買ってから、それから若いもんの絵を買って欲しい。順序が違うではないか!?」

 とか何とか冗談言いつつも、律儀なSK画伯はさっそく若手女流画家にコンタクトし、了解を取り付けてくれた。

 絵画創作に入る前に、希望する作品の画像を用意して欲しい、とのこと。 かくしてN君は、宮島行きのフェリーに三菱ジープを載せ、我輩を誘って厳島神社境内付近までジープを乗りつけたのであります。  

 かくして30数分間の長きにわたる撮影を開始する。 何とか、絵画発注の下書きはできたか。
 ようやくこれで、かの女性画家にお見せできる画像が出来たか。 他に数枚の痛快ショットあり。。。 さてさて数週間後、友人のSK画伯と会い、さらにはミスターダンディーN君と女性画家を引き合わせねばならない。



Part-III

 さて、これからどういう展開になるか、N君の願望する絵画作品は、本当に出来上がるのか。 何だか面白くなってきた。

 ジープを大切にするは、N君のこだわり。 大切な「自分の愛車」を、郷土の誇り「厳島神社の大鳥居」をバックグラウンドにして絵画の創作を依頼する?!

 「ムム、これぞ、ダンディズムの極致なり・・・」

 N君のこだわり世界には、我輩にして即刻脱帽です・・・


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PS:「ダンディズムとジープ」の過去関連記事は、こちらから入れます。


 <参考資料>

 〔厳島神社〕(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

境内
所在地 広島県廿日市市宮島町1-1
位置 北緯34度17分45秒
東経132度19分11秒
主祭神 市杵島姫命
田心姫命
湍津姫命
社格等 式内社(名神大)・安芸国一宮・官幣中社・別表神社
創建 推古天皇元年(593年)
本殿の様式 両流造
例祭 6月17日
主な神事 厳島神社(日本国)
  (英名) Itsukushima Shinto Shrine
  (仏名) Sanctuaire shinto d'Itsukushima
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(i) (ii) (iv) (vi)
登録年 1996年
拡張年
備考
公式サイト ユネスコ本部(英語)
地図

 厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社。1400年の歴史をもつ。式内社(名神大)・安芸国一宮で、旧社格は官幣中社(現 別表神社)。日本全国に約500社ある厳島神社の総本社である。
 宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)を祀る。市杵島姫命は神仏習合時代に弁才天と習合しており、当社は江ノ島・竹生島とともに日本三弁天の一つとされている。
 厳島神社のある厳島(宮島)は俗に「安芸の宮島」と呼ばれ、日本三景の一つとなっている。平家納経で有名。厳島神社の平舞台は、四天王寺(大阪市天王寺区)の石舞台、住吉大社(大阪市住吉区)の石舞台と共に「日本三舞台」の一つ。ユネスコの世界遺産(文化遺産)となっている。

目次 [非表示]
1 歴史
2 祭事
3 文化財
3.1 建造物
3.2 美術工芸品
4 名所・旧跡
5 台風被害
6 アクセス
7 登録基準
8 他の厳島神社
9 外部リンク
10 関連項目

 《歴 史》
 厳島神社のある宮島は、古代より島そのものが神として信仰の対象とされてきた。推古天皇元年(593年)、土地の有力豪族であった佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に社殿を創建したのに始まると伝わる。文献での初出は弘仁2年(811年)で、延喜式神名帳では「安芸国佐伯郡 伊都伎嶋神社」と記載され、名神大社に列している。
 平安時代末期に平家一族の崇敬を受け、仁安3年(1168年)ごろに平清盛が現在の社殿を造営した。平家一門の隆盛とともに当社も盛えた。平家滅亡後も源氏をはじめとして時の権力者の崇敬を受けた。戦国時代に入り世の中が不安定になると社勢が徐々に衰退するが、毛利元就が弘治元年(1555年)の厳島の戦いで勝利を収め、厳島を含む一帯を支配下に置き、当社を崇敬するようになってから再び隆盛した。元就は大掛かりな社殿修復を行っている。豊臣秀吉も九州遠征の途上で当社に参り、大経堂を建立している。 明治4年(1871年)に国幣中社に列格し、明治44年(1911年)に官幣中社に昇格した。
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