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続「東京裁判史観一考」(2/6)徳富蘇峰先生の歴史観から東京裁判検察側の起訴状を解せば・・

2006-08-26 19:05:20 | 教養・文化・歴史
 今や、靖国参拝問題は、空騒ぎする中韓からの文句や注文から如何に言い逃れするか?を、云々する?そんな暢気な事態ではない。ひとえに、日本に生を受けた我々日本人自身の問題である。下手に立ち回ると、向う数世紀に亘って(あるいは永久に)、我が国の存亡を問う「歴史的大問題」となる。自虐的歴史観を持ち続け、未来永劫子々孫々に伝える事などでできよう筈もない。我々日本人をして我国を放棄するか捨て去るか?の問題である。要は、我々国民挙って我が国を失ってもよいのであれば、これ以上何も問わない。しかし、そうはいかない!

*(日本人の心の中、国と故郷を失ってはならない!日本の文化と伝統を守り、日本国民の「誇り」と「自尊心」に加え、「国を愛する心」を子々孫々に伝え、我国の将来に向け育んでいきたい。加えて上述、病原菌の如く我国を苛み続けている「自虐史観」こそ、我国を滅ぼす根幹であり、一刻も早く捻じ曲がった国家史観を払拭したい!と、お考えの方、以下のBARをクリック応援願いたい!)

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 靖国参拝の是非は、今もってA級戦犯を許さないとする我国の歴史認識の問題に遡り、サンフランシスコ講和条約条項(条件)の重要な根幹を成した東京裁判判決の受け止め方に、歴史の大きな分岐点があるのではないか。我々日本国民における「近代史・昭和の歴史」を如何に解釈し受け止めるか。の、問題である。今更、大東亜戦争を「美化」すべし!等々、馬鹿げた事は一切言わないし、肯定もしない。しかし当時の国際法で(今もそうであるが)、国家は他国と交戦できるのである。大東亜戦争も当時の国難を戦争にて打開しようとしただけの事であるから、今の世の中のモノサシで推し量ってはいけない。勿論、日清戦争も日露戦争も、同じ日本の国家の浮沈をかけて戦ったもの。結果として、たまたま勝利した歴史の事実が残るのであって、それ以上も以下もない。
ならば、大東亜戦争はどうか?
大東亜戦争も、日清・日露の両大戦を推し量ったと同じ歴史の物差しで計らなくては、我国歴史の筋道は立たないのではないか。
すなわち、(前記事参照)何度も言及するように、東京裁判の成り行と結果について、昭和二十二年当時の日本人は如何なる受け止め方をしたか。が、問題なのであり、当時の受け止め方解釈の仕方そのものが、今の世に尾を引いているから大問題なのである。
残念ながら今の世の我々は(ほとんどの一般国民は)、挙って東京裁判の経過過程における国家的屈辱すなわち「事実の詳細」を、さほどに知らない。
しかし知りたい(私的気分として)、、、。
知らねばならぬ!・・・
若しかすると、A級戦犯なるものは、この世に存在しなかったのではないか?
(この一行はしかし、むやみにA級戦犯の方々に味方しようという趣旨の問題ではないので、あらかじめ断わっておく・・・)
 今日に於いて今日的な尺度にて判断すれば、今や過去の歴史となった東京裁判の判決結果と裁判過程を、現時点にて吟味した場合、彼等(A級戦犯)の罪は、罪にならないのではないか?という大いなる疑問が生じても決して可笑しくない。

 確かに、日本は敗戦した。
 まず、物理的に敗戦した。
 さらに、昭和二十二年当時、東京裁判によって敗戦国日本は、究極として「精神的敗北」を喫した。
 すなわち、東京裁判により文化と人道の罪を地球規模の大きさで背負わされた。国民としてこれ以上の屈辱と不名誉は、無い。しかしながら、戦勝国によって開廷された東京裁判は、上述の罪を我国の戦争指導者(A級戦犯を指す)に限定し、戦争遂行責任を背負わせることにより、あたかも一般日本国民も彼等(A級戦犯)から非道なる迷惑を蒙った被害者である。と、いう第二次世界大戦終了当時の世界の風潮を形成し、くわえて日本国内の一般世論を形成するに走ったから始末が悪くなった。
 往時の我国指導者(その実しかし、今となっては我国国民全体をも含む)は、人類史上類いまれな人道的文化的に間違った戦争を仕掛け、世界の多くの他民族と自国の国民に対し、多大な損害を与えつつ、悪の方向に走った。だから、反省せよ!歴史に刻んで忘れるな!と、きた。
 戦勝連合国に於いてしても、上記の人類に対する非道の定義を当てはめていけば、日本本土無差別爆撃から始まり広島長崎の原子爆弾投下、沖縄戦に於ける住民を巻き込んだ殺戮等々、数え上げればきりがない。戦勝国も敗戦国も、かの東京裁判A級戦犯に科せられた犯罪は、戦の勝ち負けは別として、日本軍部のみならず連合国軍共々等しく犯しているのである。
 敗戦後60年の歴史経過を経たこんにち、(昭和二十二年当時の)朝日や毎日新聞の偏った記事にて構築され、今も尚罷り通る偏った認識をかなぐり捨て、今や我々自身の資料収集とその解読且つ認識により、より正確な東京裁判の歴史を紐解き、過去の認識の間違いを訂正した「新たな認識」に立たねばならない。と、願ってやまない。
何も今更、東京裁判のやり直しを求めようとしているのではない。間違った我々国民自身の認識を是正し、正しい東京裁判史観を持ちたく、以って、国民の常識となってしまった「我国近代の歴史認識」を質し、正常なる常識を基盤に持った国民になりたいのである。かくしてまずは吾身において、世界に通用する常識をもった「国民の歴史観」を形成しておきたいのである。
 先日に続いて、小堀先生の論文を引用。東京裁判検察側起訴状の問題点指摘から始まる、徳富蘇峰先生の国家史観を拝読してみたい。

添付画像:(国民新聞社時代の蘇峰・・・

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東条英機 封印された真実

講談社

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<以下、引用文>

解説「東条英機の戦争史観について」<著・小堀圭一郎>
(p288~p294まで)

(2)
この試みは主として本書第一部第二章の「東條の内なる声」に関わっている。
東京裁判法廷を舞台としての被告東條の「孤独なる」戦いは、他の全ての被告にとっても同じ事だが、昭和二十一年五月三日の開廷当日の午後に於ける検察側の起訴状朗読にじっと聴き入った時を以って始まる。
今更何でそんなものを ― と、いった煩わしさを我慢して、我々はここにもう一度、その特徴ある「全文」だけにでもせめて眼を通してみよう。

《 起 訴 状 》
<以下本起訴状の言及せる期間に於いて日本の体内対外政策は犯罪的軍閥に依り支配せられ且指導せられたり。斯る政策は重大なる世界的紛争及び侵略戦争の原因たると共に平和愛好諸国民の利益並びに日本国民自身の利益の大なる毀損の原因をなせり。
日本国民の精神はアジア否全世界の他の諸民族に対する日本の民族的優越性を主張する有害なる思想に依り組織的に蠹毒(とどく)せられたり。日本に存したる議会制度は広汎なる侵略の道具として使用せられ且(かつ)当時ドイツに於てヒットラー及びナチ党に依りイタリアに於てファシスト党に依り確立せられたると同様の組織が導入せられたり。日本の経済的及び財政的資源は大部分戦争目的に動員せられ、為めに日本国民の福祉は阻害せらるるに至れり。
被告間に於ける共同謀議は他の侵略国即ちナチ・ドイツ並にファシスト・イタリアの統治者の参加を得て約定せられたり。本共同謀議の主たる目的は侵略国家に依る世界の他の部分の支配と搾取との獲得及び本目的の為め本裁判所条例中に定義せられたるが如き平和に対する罪、戦争犯罪並に人道に対する罪を犯し又は犯すことを奨励するにありたり。斯くて自由の基本原則と人格に対する尊敬を脅威し毀損したり。
該企図の促進並に達成に対し此等被告は其の権力公職及び個人的声望及び勢力を利用してアメリカ合衆国、中華民国、大ブリテン・北アイルランド聯合王国、ソヴェート社会主義共和国聯邦、オーストラリア聯邦、カナダ、フランス共和国、オランダ王国、ニュージーランド、印度、フィリッピン国並に他の平和的諸国家に対し国際法並に神聖なる条約上の誓約、義務並に保証に違背して侵略戦争の計画、準備、開始乃至遂行を意図し且之を実行せり。該計画は俘虜、一般収容者並に洋上漂流者を殺害毀害並に虐待し此等に対し適当なる食糧収容所衣服、医療手当又は其の他の適切なる処置を与へず此等を非人道的条件下の強制労役に服せしめ、且恥辱を与へ以て広く承認せられたる戦争法規慣例の侵犯を企図し且之を実行せり。又日本の利益の為めに非征服国民の人的並に経済的資源を搾取し公私の財産を略奪し都市村落に対し軍事上の必要以上濫(みだ)りに破壊を加え蹂躙(じゅうりん)せられたる諸国の無力の一般民衆に対し大量虐殺、凌辱(りょうじょく)、掠奪、劫略(きょうりゃく)、拷問其の他の野蛮的なる残虐行為を加へ日本国政府の官吏並に機関に対する陸海軍の威令及び制圧を強め彼の翼賛会なるものを創設し国家主義的膨張政策を教へ戦争宣伝物を頒布し新聞及びラヂオに厳格なる統制を加へ以て日本国民の輿論を精神的に侵略戦争に備へしめ被征服諸国に「傀儡(かいらい)」政権を樹立し武力に依る日本の膨張計画を推進する為めドイツ及びイタリアと軍事同盟を締結せり。
故に上記諸国家は一九四五年(昭和二十年)七月二十六日のポツダム宣言、一九四五年(昭和二十年)九月二日の降伏文章及び本裁判所条例に従ひ、重大なる戦争犯罪人に対する下記署名の代表者に依りて上記の凡(すべ)ての者を以下列挙の諸点に付き本裁判所条例中に凡て定義せるが如き平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪並に以上の罪の共通計画又は共同謀議の罪ありとして茲(ここ)に指摘し此の故に本訴訟に於ける被告とし且其の氏名が夫々記載せられたる後述の訴因に拠り起訴せられたるものとして指名す>(起訴状了・筆者記入)

冒頭の<本起訴状の言及せる期間>というのは昭和三年(一九二八年、即ちパリ不戦条約締結の年)から二十年九月二日(即ち降伏文書調印の日)までをいう。昭和三年を上限としたのは、パリ条約を彼等の主張の根拠に据えておくのが裁判にとって好都合だからである。そして先に記した通り、彼等の言う「侵略戦争」を「共同謀議」を以て計画実行したのは一握りの軍国主義者と超国家主義者共であり、一般国民はそれに欺かれ引き摺られて自らも多大の禍害を蒙った、被害者の位置に在ったものだ、として支配階級と被支配階級との離間を画策する。さればとて軍閥の犯罪の被害者だったという国民一般がそれによって免罪されるのかというと決してそうではなく、他方でかの「戦争責罪周知徹底計画」を通じ、日本人は全体として非征服国の一般民衆に対する暴虐と経済的搾取の被害者だったのだ、との罪の意識を徹底的に叩き込もうとするのだった。
起訴状朗読に続いて、昭和二十一年六月四日のキーナン主席検事の冒頭陳述に始まる検察側の立証段階に入り、二十二年一月二十四日までに至る八箇月間、他の被告一同と共に法廷の被告席に坐ったまま、東条英機はこの起訴状の論法を基調とする検察側の訴追及び彼等の称する所の立証をさんざんに聞かさるわけである。しかもその間、被告・弁護団にはその訴追に対する反駁の機会を与へられることがないままに、検察官団とその証人たちの言ひたい放題が、記者団と一般市民との間に先入見として次第に根を張ってゆく有様を空しく拱手傍観(きょうしゅぼうかん)していなくてはならない。
この苦痛の体験は、しかし頭脳明敏な東條には、或る意味で有益な試錬の期間だった。彼は検察側の構築する訴追の理論がいかなる性質のものであるかを十分に会得した。彼等の手の内を謂はば見抜いてしまった。さうなれば、当方がそれに対してどのような論法を持って反撃すればよいか、そこから先は要するに彼等の知恵競べである。検察側立証が終わればやがて弁護側の反証が始まる。その冒頭陳述を担当するのが、東條被告の個人弁護を引き受けた一人でもある清瀬一郎弁護人団副団長と、国際法学の大家として名声の高い高柳賢三博士である。東條の期待はこの二人に寄せられる。殊に清瀬弁護人は頻々と東條と面会し、口供書作成については十分な打ち合わせをしているはずである。清瀬は自著『秘録・東京裁判』のなかに「東條口供書」といふ一章を設けて口供書作成過程について語っているが、記述は比較的簡単なもので、詳しい経緯はわからない。
さうであるからこそ、本書に於いて著者の佐藤氏が引用している『政治的ノ質問予想』(検事との間の想定問答集)、「弁護団劈頭論告二対スル希望」(劈頭論告とは弁護側冒頭陳述のこと)、「近代日本ノ国際的地位ヨリ見タル大東亜戦争ノ責任」といふ三篇の史料の意義は重要なものになってくる。更に著者が第二部第一章の「獄中から書いた秘書官への手紙」で紹介している、東條の獄中での歴史研究への精進が注目に値する。謂つてみれば「東条英機史観」が徐々に形を成し、内容的にも熟してゆく過程がそこに認められるのである。
昭和二十二年二月二十四日の午前から午後にかけて朗読された清瀬弁護人の冒頭陳述は長大にしてしかも全編が緊密な理論によって貫かれた歴史的な名演説となった(だから現在でも中公文庫版『秘録・東京裁判』に収録せされて広く普及している。それを読んだ人は大勢居るはずだ。但しそのわりにはあまり強い影響力を揮っている様には思われない。前述の先入見の固定化の恐ろしい所以である)。東條を初めとする被告人全員が、ある種の心強さと、自己の内心の代弁者を見出した欣快(きんかい)の思ひをこめてその大演説に耳傾けていたことと思われる。ニューヨークタイムズを筆頭とするアメリカの諸新聞がこれに対する激しい非難・反駁の論説を掲げた。ということは即ち清瀬冒陳(冒頭陳述の省略形?筆者にて註付け)の衝撃力を傍証する様なもので、起草者にとっては海外からの反撥は勲章を意味するであろう。日本国内では例の如く朝日の社説を先頭とするジャーナリズムからの非難は当然として、民間には頗る評判がよかった。つまりこの段階では「東京裁判史観」は既に前記の如く「先入見」として広まりつつはあったものの、その汚染の毒はまだ巷間にそれほど深く定着してはいない。だから清瀬冒陳に素直に賛同し感奮するだけの健全な歴史観が巷間に生きていたわけである。
清瀬氏の苦心を礼賛した人々の中で徳富蘇峰などは別格というべきかもしれない。『秘録・道教裁判』には清瀬宛の蘇峰からの慰労と激励の私信が全文引用されているが、蘇峰の共鳴同感はある意味で当然のこと、清瀬冒陳を貫流している日本近代史への視点は、歴史家としての徳富蘇峰が、その長い健康な生涯を通じて営々として築いてきた近世日本国民史の、その国民史観に立脚しているからである。蘇峰の史観を手っ取り早く概観するには、清瀬冒陳より三週間ほど後、二十二年三月十八日に裁判所に提出され、全文却下の扱いを受けた「徳富猪一郎宣誓供述書」に拠るのが便利であろう。それを一口に言へば、今次大戦の日本の開戦決定を、元来最も平和愛好の国民である日本人が真に自存自衛の為、不本意ながら己むを得ず矛(ほこ)を執(と)って立ち上がったものと力説している。宣戦の大詔(たいしょう)の校閲・補筆の役を勤めていたといわれる蘇峰として当然の姿勢かもしれないが、<予は今日に於いても、日本国民の一として、昭和十六年十二月八日、宣戦の大詔を、その文字通りに信奉したる者である事を、確言するに憚らぬ>又、<百年の後公平なる歴史家が出て来つらば、必ず予の言を諒とするであろうと信ずる>という一節を読めば、やはり「日本人此処に在り」の感慨が胸を熱くする。検察側是にして弁護側非か、或いはその逆か、将来のわが身の安泰のためには何方(どっち)の株を買うべきか、との観天望気を決め込んで成行を見ていた戦後繁盛の歴史家達(とは限らない、知識人一般というべきだろうが)とは蘇峰は性根の据え様が違っていたのである。
蘇峰の供述書は却下されてしまったのだから即ち法廷で朗読される機会もなく、東條も他の被告達もその内容を知ることができなかった。だが清瀬冒陳は深く彼等の胸に浸み透ったであろう。それは東條の「弁護団劈頭論告ニ対スル希望」というメモに力強く応答し、そしてもちろんそれを大きく超える様な規模のものであった。(引用終了)

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<続く・・・>(続々東京裁判史観一考3/6・9月14日投稿は、こちらから入れます)

(先日掲載記事:「東京裁判史観・一考」(1/6)は、こちらから参照できます

PS:A級戦犯にも問われた「徳富蘇峰」は、目先の世の動向にとらわれない、毅然とした日本人ジャーナリストの雄。且つ正しき歴史家である。もって学者乃至知識人を自称する人々は「蘇峰の如くあるべし」。と、願って已まない。
 さて、現代の我国ジャーナリズムは、如何?