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「東京裁判史観一考」(1/6)朝日毎日の両新聞によって歪曲し伝えられた「報道」≒「史観」あり

2006-08-24 17:02:15 | 教養・文化・歴史
 今日の我々日本人を誤った認識に導き、誤りを国民の常識として刷り込み、21世紀の日本人に必要な正しき歴史認識と歴史事実の判断を惑わせ躊躇させているのは、戦後まもない60数年前。我国歴史において未知なる体験即ち戦勝国による「東京裁判」の始まりと同時期に、やたら「戦後民主主義」を謳いあげ、非人道的な屁理屈を非法に押通した東京裁判判決の成行に加担し、裁判史観を国民に自虐的に移植したのは、朝日新聞と毎日新聞であるか、、、。

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 先のブログ記事にて述べたが、サンフランシスコ講和条約締結により、我国の戦後処理は決定し、条約に従って処理を済ませた我国は、すでに敗戦国の責務は全うしているといっても過言ではない。
これまた既に述べてきたけれど、今日の我国首相靖国参拝の是非を問う課題は、大東亜戦争敗戦から東京軍事裁判の判決を受けた結果により生まれたA級戦犯の存在から端を発する。すなわち、A級戦犯に対する間違った認識(私論である)は、当時の偏ったメディア報道より(当時の)日本人の心に刷り込まれた。今も尚「偏った認識」は、今日の常識として一般国民の思考回路と身体の細胞に活きているから、恐ろしい。
 サンフランシスコ講和条約締結の時点にて、すでにA級戦犯の戦争責任追及は終わっており、それ以降になっても何故にA級戦犯をして、諸悪の根源的に特定人物(A級戦犯死刑者)として敵視するか。
 冷静に考えれば、当条約締結時点に於いて全ての(我国の)敗戦処理は終わっていると考えられる。ならば今もって何故に(往時の)A級戦犯に対し、いかにも感情論的に当時の日本国の国家責任を負い被せる我国の(一部)世論風潮は、我輩には到底理解できない。
 理解できない根拠は、唯一つ、東京裁判をして当時の戦勝国による「国際法に違反した不当なる裁判」であると受け止めているからである。さらに第二の根拠を加えれば、当時の日本政治は独裁者の手に委ねられていたわけでもなく、陸海軍の軍部もさることながら国会議員にて選出された(大東亜戦争期間中の)複数の内閣によって遂行されたものであり、戦争責任を問うとするならば当時拘わりのあった全内閣の全大臣により(戦争責任を)負うべきと判断する。
 かくして我々の手元には、我国の昭和史をもっと冷静に判断する素材が少なすぎ、あまりにも戦後日本の付け焼刃的民主主義の『名』の基に、「言論の横暴」を極めた当時のマスメディアの論調を正調と曲解しすぎていた事態から、目を覚ましたい。
 幸いにも、この8月上旬の有線TV番組ヒストリーチャンネルは、一週間以上にもまたがって東京裁判の実録画像を放映した。編集は米国にて行なわれたものであるが、東京裁判の実録であるから雰囲気的ではあるが実態がよく掴めた。如何にして昭和天皇を戦犯として東京裁判に引きずり出され、天皇をして戦犯とならぬよう、当時のマッカーサー自らをして「非合理的な配慮」を行なっていたのかが、十分に読み取られる。(マッカーサーは日本占領直前まで、昭和天皇を最大の戦犯として絞首刑に処する所存であった)その反動にて(昭和天皇を「絞首刑にできない」がため、その代わりとして)、東条英機をして如何に当時の日本政府の最高戦争責任者に仕立て上げ、法律的に通らない理屈を通してまで、当時の日本政府の「侵略戦争遂行責任」と「非人道的行為の責任」を被せるか、非理論的であるからこそ悪戦苦闘した東京裁判の状況は、ヒストリーチャンネルにて放映された実録フィルムにて、完全ではないが十分に感じ取れた。
 東京裁判実録画像からは、ますます当時の「東京裁判」の不公平さを思い知らされ、さらには現在に漏れ伝わる「東条英機人物史観」の偏より且つ間違った(自分自身の)感覚に、ひと筋の新しい光源に照らし出され、この歳になるまで見えていなかった我国近代史に於ける歴史解釈の不条理な個所が見え始めた。
 おりしも、首相小泉純一郎氏により8月15日靖国参拝。先の「昭和天皇ご発言メモ騒動」等々、マスコミ一連の空騒ぎ報道の中、自分自身あらためて昭和史に関する無知無学を痛感するとともに、今までにない興味をおぼえ、「もっと理論武装したい人のための靖国特集」等と謳う『正論9月号』をはじめ、小室直樹・渡部昇一両氏による対談集「封印の昭和史・戦後50年自虐の終焉」(1995年8月31日初刊・徳間書店)などに加え、700数十ページの長編「国民の歴史」(西尾幹二著)等々、あらためて紐解きこの10日間は読書に邁進した。
国民の歴史

産経新聞ニュースサービス

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 そんな時、究極の論文に出会った。
 佐藤早苗著「東条英機・封印された真実」の締め括りにある小堀圭一郎氏による『解説』がすばらしい。

 解説文は1万6千文字の長文であるのも珍しい。しかし、その文字数に含まれている内容は凝縮されている。その十数倍の文字表現によって書かれた内容を包含しているから見事である。またまた目から鱗が落ちた。
自分自身の知識の整理と記録を兼ね、以後、3~4回に分け、継続して全文転写掲載したい。

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* 当記事は、櫻井よしこBlogにトラックバックするを目的として投稿したものである。過去の関連記事「拝啓櫻井よしこ様『昭和天皇ご発言メモ騒動』(3/5)は、こちらから入れます

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(東京裁判の始まった戦後間もなき頃、朝日及び毎日新聞の両社により、如何に当時、日本人の平均的知識人の戦後の付け焼刃的民主主義意識と我国歴史への自虐的感覚なるものを形成していった経緯、よく読み取れる。
東条英機 封印された真実

講談社

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 東条英機の私文書を取り扱った佐藤女史著なる本文は、初刊当時、左右いずれからも脚光を浴びたとのこと。こうして拝読すれば、今、さほどの違和感や驚きは感じなく全て冷静に受け止め得る。しかし、本書を著された佐藤女史には申し訳ないが、本書に解説を付けられた小堀圭一郎先生の文章はすばらしい。
 今や、21世紀の我々に於いては、如何にしてこの論文を読み解釈するか。
 本書著作の後、僅かに10年?
 さりとて10年の年月時間経過を歴史として捉えれば、見えて来るものあり。見えて尚且つ、より鮮明に見通せてくるのである。我輩は、(解説文の)筆者・小堀先生の洞察と構築理論に平伏する。未だ当論文をご覧無き方、是非一度精読していただきたい・・・)

書籍名:『東条英機 封印された真実』
佐藤早苗著(1995年8月13日初刊)
発行:講談社

解説「東条英機の戦争史観について」・小堀圭一郎 著(p282~p288を抜粋引用する)
(部分的に、現代仮名使い及び送り仮名の現代手法に変更し、写入力する。漢字読み、ふり仮名は、原文章に順ずる)

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<以下、引用資料>

(1)
東条英機の運命は幾つかの大きな誤解に包まれて、その本来あるべかりし姿とはかなり違ったものが世人の目に写っている。
 彼が受けた数ある誤解の中の最大のものは、言うまでもなく大東亜戦争の開始と遂行と、それが内外にもたらした多くの禍害の最高の責任が彼にある、という見解であって、それは他ならぬ極東国際軍事裁判(東京裁判)が二年半に及ぶ審理の結果として導き出した結論の主要な眼目である。したがって世に謂(い)う所の東京裁判史観が然るべき論拠を以って且つ適正な手紙を通じて是正・払拭(ふっしょく)されるという事態の生じない限り、東条に被(き)せかけられた不当な誤解も亦(また)いつまでも訂正されぬままに続くだろう。
 東条の受けた不当な誤解は即ち東京裁判の起訴状―検察側論告―判決文を一環して流れている、戦勝国特有の勝ち誇った傲慢(ごうまん)な歴史観に源を発するわけだが、多くの人が東京裁判を貫流している検察側の理論を着実に追跡して理解しているわけではないし、長大にして難解な判決文に目を通しているわけでもない。それにも拘(かかわ)らず、東京裁判史観の枠内での平和攪乱犯人としての東条英機像が一般に広く普及し定着したについては、裁判進行当時に既(すで)に或る一定の方向に向かって国民の意識操作の作業に乗り出していた国内の新聞論調にその大部分の責任があると見てよいであろう。
 東京裁判の審理の進行過程で、一連の動乱の歴史に於ける東条英機個人の罪責の問題が議論の遡上(そじょう)に上ったのは、弁護側反駁立証の日程が個人反証段階に入ってからの事で、具体的には昭和二十二年十二月二十六日午後と二日飛んで十二月二十九日午前から十二月三十日午後にかけての正味二日間に亙(わた)る「口供書」の朗読、十二月三十一日午前に始まり、明けて昭和二十三年一月二日(午前・午後)と、一月五日・六日(午前・午後)の検察側から東条英機へ向けての反対訊問、一月六日午後から七日午前の裁判長による再訊問といった機会に於いてであった。
 殊(こと)に昭和二十二年の大晦日午前に開始された検察側反対訊問は、東条とキーナンの一騎打とも呼ばれ、彼我の歴史観の対決の山場とも目されて甚(はなは)だ注目を浴び、話題となったのである。当然、年末の東條口供書の朗読と年頭にかけての反対訊問に対する内外のジャーナリズムと論壇の反響は囂(かまびす)しいものだったが、この時の日本の代表的新聞が東條の口供書と陳述とに寄せた論評の趣旨こそが、裁判所を代弁して、*筆者の謂う「誤解によって歪められた」東條像を国民一般に強制的に売りつけたのだ、といってよいだろう。(* 筆者:佐藤早苗氏を指す)
 例えば二十二年十二月二十八日付朝日新聞社説は「戦争の罪を銘記せよ」と題して東條口供書に対し感情的な敵意をこめた非難を展開している。一部を引用してみると、この戦争は日本の自存自衛のための已(や)むを得ざる蹶起だった、との東條の主張に対し、
 <我々国民はこの「自衛権の発動」という言葉を、満州事変勃発当時にさかのぼって思い起こす。当時リットン報告書は、この自衛権の発動という思想を否定した。国際連盟理事会は十三対一、同総会は五十三対一の圧倒的多数をもって、この主張を否認した。にもかかわらず、軍部は全世界の世論を無視してこの主張を貫き、その後幾度か自衛戦争の名において帝国主義的侵略戦争を正当化しようとした。そしてこの主張が東條口供書においても臆面もなく繰り返されている>
 と書かれている(以下新聞記事は、朝日新聞東京裁判記者団著『東京裁判』、昭和五十八年、講談社刊より引用)。<感情的敵意>と呼んだのはこの<臆面もなく>といった表現である。自衛戦争論を説くのは<臆面もなき>厚顔なのだという、甚だわかりやすく飲み込みやすい説明がこれをもって世間に浸透してゆく。
 <ことに対米交渉において、外交と武力の二本立てでゆくといいながら、相手のある外交交渉に一定の時期を画し、その後は戦争の手段に訴えるということでは、すでに戦争を行なうという根本的な国是が確立されていて、外交は開戦の準備までの単なる手段にすぎなかったとしか受け取れない。そこには世界平和への熱意など毛頭もうかがわれない。戦争に訴えないで平和のうちに難局を収拾するという考え方など全く影をひそめているのである>
<世界平和への熱意など毛頭うかがわれない>という。認めまいと心に決めて物を見れば、それは決して眼に映らないものである。だがこの独善的断定も甚だ歯切れはよいから、これを読んだ世人は、なるほど東條は平和を望まぬ戦争屋だったのか、との単純明快な結論を与えられて多いに安心する。そして結びの一節、
<国民に対し惨害を与えたにすぎなかったこの憎むべき戦争が、ただ軍部の独裁的な強硬方針によって断行され、国民はただその言うがままに追従してゆかざるをえなかったあの恐るべき事実をどう釈明するか。軍閥は存在しなかったなどという形式的な自己弁護は一顧だに価しない。東條口供書は過ぎ去った悪夢のような旧日本の政治の非合理性と醜悪さを自ら暴露するものである。
われわれは敗戦の結果、自由かつ民主国家の国民として更生した。戦争を永遠に放棄した平和国家として再出発した。閣僚はすべて文民でなければならなくなった。しかし本当に平和な、民主的な国民として再起するためには、過去のわが軍閥がひき起こした戦争が、いかに世界平和に大きな罪悪を流したかという自覚が、個人個人の心の底に銘記されなければならない。東條口供書はこのためにのみ読まれるべきである>
ここに表れているのは東京裁判の「起訴状」が画策した、独裁的な軍閥政府と国民との間の隔離反目という目標の見事な達成、「戦争責罪周知徹底計画」(ウオーギルトインフォメーションプログラム: War Guilt Information Program)の顕著な効果、そして以後半世紀にわたって朝日新聞の牢固たる体質となった「戦後民主主義」の模範生ぶりである。こうした因子の全てが東條を敵視し、怨念をぶつけ、彼への憎悪組織化すべく働いた。戦後の国民一般の東條観を弾劾(だんがい)と仇敵視(きゅうてきし)一色に染め上げてしまったのは主としてこの頃の新聞論調である。因(ちな)みに翌々日の毎日新聞「余録」はこの口供書を論じて「戦争犯罪の第一人者」という見出しを付けているのであるから、これも実に激しい。内容は引用するまでもない罵倒の語の連続に過ぎないが、表題の「戦争犯罪」というのは全く「極東国際軍事裁判条例」に謳っているところのそれであって、元来国際法に照らしてそれが果たして戦争犯罪と呼びうるものか、といった批判的視点は完全にかけているのである。
東條対検察官の対決が終わった翌日(一月八日)の新聞論調についてはやはり朝日・毎日二紙の「天声人語」と「余録」が、論理的ならぬいたって情緒的な非難の標語を掲げているのが眼につく。一つ興味を惹くのは「天声人語」が、東條の検察官に対する果敢な反撃をよしとする巷の声を伝えているところである。
(▼このごろ電車の中などで「東條は人気を取りもどしたね」などというのを耳にすることがある。本社への投書などにも東條礼賛のものを時に見受ける。沈黙して大部分の国民は、今さら東條らのカストリ的、璽光様的迷句に酔うとは思われない。が一部に東條陳述共鳴の気分が隠見していることは見逃してはならない)
そしてその東條への民衆の共感を<見逃してはならない>と説いているのだから、この新聞が如何に意図的に東條全否定の輿論操作に執心していたかがわかるのである。

遡(さかのぼ)れば大凡(おおよそ)このあたりで形成されたと思われる、誤解と偏見に満ちた東条英機像は半世紀に近い年月にわたり、日本人の「合意」を得ていた。本書の著者佐藤早苗氏が十六年前にふと遭遇した機縁から、自分自身の固定観念をも含めて、世間一般の歪められた東條像に訂正を要求し、歴史の真実を追究するという立場から宰相東条英機の再評価を試みる作業に着手した時、その勇気と壮図に惜しみない拍手を送った読者も十分多かったが、他方、自らがその上に安住していた固定観念を揺さぶられたことから来る不快感や違和感を表明する向きも又多かった。
簡単に言うと、その一派の人々は東条英機観の変更要求を契機として、己が棲息する東京裁判史観というエレメント自体も亦(また)脅かされるという不安にかられたのである。
典型的な一例を挙げると、平成六年五月刊の雑誌『正論』に「東条英機史観と酷似する東京裁判史観克服論」(西義之)という奇妙な表題の論文が載っている。その論者は自分の立場を脅かす「東京裁判史観克服論」を「東条英機史観」にそっくりだと説明することによって即ちそれを全否定したつもりになっているのだが、ということはつまり「東条英機史観」といへばそれは輿論一般が全否定している対象であり、その名を出すことで即ち自分は輿論一般を味方につけることができる、との前提に立った甚だ幼稚な修辞を弄(もてあそ)んでいるわけである。その論者が念頭に置いている一般輿論というのは、つまり半世紀近い昔に朝日新聞や毎日新聞の社説とコラムが操作して作り上げたものなのだが、その人はこの古い輿論形成の仕掛人の無謬(むむびゅう)性をいまだに疑っていないのであるらしかった。この論者は何か新しい思いつきででもあるかのようにその幼稚な修辞をふり廻したのだが、所謂(いわゆる)東京裁判史観克服論の根源の一端が東条英機口供書の趣旨と同根のものであることは、これは今更言うまでもない当然自明の話なのである。佐藤早苗氏の論考の一助をなすべき本解説文は、その東条英機史観なるものの由来と性格について、いささか一般的理解への寄与を志すものである。

<続く・・(8月26日掲載)こちらから入れます>

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管理者追記:

 当著書に於ける「小堀氏による完全解説文」は1部から2~3部にわたり、本日掲載分の約4倍に及ぶ長編論文である。二百数十ページの「佐藤早苗女史の一冊」に対し、そうとう熱の入った解説文にて、佐藤女史の「試み」への最大の賛辞と受け止める。全文を抜粋引用掲載するので目を通していただきたい・・・

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 尚、(上記転載論文の筆者である)小堀先生をはじめ、本著の筆者佐藤女史並びに講談社関係各位には、事前のことわりなしにて無断転載をするに至った事、ここにお詫びする。万一の場合、関係各位からの「お叱り」を受けする事、敢えて辞さないものである。


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14 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (杜のこびと)
2006-08-24 22:31:37
応援゛(*・・)σ【】ぽちっとな♪

ダブルで2セットOKです。

写真がレトロ調との事でしたが

朝霧がまいてそれに朝日が差し込み

自然と色温がああなったのです

その一瞬の気温で色温が変わるので

自然の色合いとは不思議なものです
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Unknown (あすとろ)
2006-08-25 02:53:53
先の戦争に関して、何が正義なのか。しっかり総括して後世にまで伝えていくことが、今大事なような気がします。(・0・)

返信する
朝日毎日を葬りたいです。 (リカ)
2006-08-25 18:45:11
男爵様、こんにちは。

訪問する度に、ワンクリックしています。



一体いつ、この2紙は消滅してくれるのでしょう?

願ってる人は多く、私も心から。。。

富田メモの怪しさや日経が全部開示しない事には、利用価値があるので何も文句をつけません。でも、今話題の「子猫殺しエッセイ」は、昨日の朝刊で大きく取り上げてました。それに、昨年あたりから、読売もバリバリの左路線に定めました。。。日本の未来が不安です。



私は戦争を知りませんが、周囲から話は聞いてますが。国内外の戦没者追悼の場所に赴き、私なりに学習しています。北米で日系人強制収容施設を体験された方達からも話を聞きました。真実は受け止め、次世代に継承しますが、必要以上に自虐的だったり、中韓に媚びるかのような捏造が入るのは、ハッキリ言って大迷惑です。誤った日本史観を持つ北米人から嫌な目に遭う日本人もいます。



お願いです。がんばって下さい。

私より若い人達は、もっと可哀想です。



返信する
あの~ (yuyu)
2006-08-25 18:48:53
こんばんは~。

いつも思うんですが…Unknownって

???です (^^ゞ

返信する
Unknown (あすとろ)
2006-08-26 02:29:51
おはようございます

これから、出かけます。

また、明日!(^o^)┘
返信する
こんばんは。 (yuyu)
2006-08-26 20:40:00
今日は涼しくて快適でした。

また明日は暑いのかな。。^_^;

応援していきます♪
返信する
Unknown (TS@捻くれ者)
2006-08-27 19:16:09
A級:平和に対する罪

B級:戦争犯罪

C級:人道に対する罪



上記の内容、まして曖昧な国際法。

何故にA級戦犯のみ悪とされるのでしょうか。



戦争責任、戦争総括についてはばこんな小さな枠組みの中では語れないはずです。
返信する
それにしても (刀舟)
2006-08-27 20:11:59
朝日新聞の記事は酷いですね。

今現在もそうですが、“怒り”さえ覚えます。



戦勝国が敗戦国を悪役にする行為は、

内容を認めるかどうかは別として、

ある意味仕方が無いのかもしれません。

が、しかし、

同じ日本人である朝日新聞のこの記事の書き方は許せません。

よっぽど“非国民”です。
返信する
こんばんは (yuyu)
2006-08-27 23:31:10
時間がないので急いで応援、失礼します(^^ゞ

ぽち♪
返信する
あすとろさん、リカさん、TSさん、刀舟さん・・ (エセ男爵)
2006-08-29 12:12:38
みなさま、

コメント頂き、ありがとうございます。また、ご返事遅くなりたいへん申し訳ございません。



>戦争責任、戦争総括についてはばこんな小さな枠組みの中では語れないはずです。・・

(上記、TSさんコメント)

その通りです!

ですから、大きな歴史の流れの中で捉えなければなりません。戦争行為は国際法で定められたもの。ならば戦争を仕掛けたほうも仕掛けられたほうも、互いの善悪を語れません。しかし、東京裁判は一方的に敗戦国日本を悪玉にした。そこまでならまだしも、戦後に至って日本人の歴史と伝統に基盤する精神的文化は、粉々に打ちひしがれてしまった。即ち、歴史が否定されたから問題が大きくなっているのです。いま、日本人の骨身に染み付いてしまったその自虐的歴史観の問題を質そうと、試みています。



>私は戦争を知りませんが、周囲から話は聞いてますが。国内外の戦没者追悼の場所に赴き、私なりに学習しています。北米で日系人強制収容施設を体験された方達からも話を聞きました。真実は受け止め、次世代に継承しますが、必要以上に自虐的だったり、中韓に媚びるかのような捏造が入るのは、ハッキリ言って大迷惑です。誤った日本史観を持つ北米人から嫌な目に遭う日本人もいます。・・・

(上記、リカさんコメント)

よく理解できます。太平洋戦争前夜、米国に於ける日系人の強制収容並びに財産没収など、米国が戦争に突入する決意を決めた以前から、米国国民の反日輿論を書きたて、実質的に在米日本人を虐待し財産没収など人種差別を徹底的に実行しています。大東亜戦争に勝利した米軍は、日本の大東亜戦争突入以前の支那事変の苦悩、日清戦争から日露戦争に至った(実質的本質的)理由など、その後の(1950~52年)朝鮮動乱で経験した。その時になってマッカーサーは初めて、日本の自衛戦争である事を理解したと、本人が証言しえいます。その後泥沼化したベトナム戦争の経験など、現在の米国では(ヨーロッパ諸国も含め)、多くの専門研究者は、大東亜戦争の日本の立場を十分に理解できているのです。

知らぬは日本人だけ?

ですから、可能な限り検証し、我国の正しき歴史認識をする第一歩として、東京裁判の「マチガイ」を知らねばならないと考えています。



>朝日新聞の記事は酷いですね。今現在もそうですが、“怒り”さえ覚えます。・・・

(上記、刀舟さんコメント)

おっしゃるとおり、同感です。

ですから、当時戦後のドサクサの中、東京裁判の状況を「戦後民主主義」的(偽証ですが)に、いかにも新しい時代の知識人として、左翼思想を振りかざし、日本人の「民衆の敵」として「戦犯と戦前の日本政治」を全面的に「悪玉」に仕上げてしまったジャーナリズムの責任は重大です。



総じて、

これから発生したのが『自虐史観』であり、日本国民をして「国を愛さない」、偏った「日本民族文化観」を生み出したのです。

もう一度、東京裁判の根底に流れていたモノを、徹底的に検証する事により、戦後の教育の問題点や、靖国に対する間違った「感性」を質し、且つ正していくこと可能になるかも・・・

間違って伝えられている「東京裁判」は、昭和の日本の歴史認識を、大きく変えてしまった。その舵取りをしたのは、当時の朝日新聞と毎日新聞、加えて当時、「ソ連が日本を占領してしまうだろう!」と、本気で信じていたマルクス主義者的エセ知識人どもの「仕業」です。

これは断じて払拭しなければなりません。

「東京裁判」記事連載は、上記の偏見から派生した前後の「国民の常識」が如何に誤った常識(世界の非常識にて、現在先進国知識人の中では既に笑いものの的になっているが、)であるか。を、自問自答したいと思っています。

誇りある名誉ある「我国民の歴史」を正しく認識するさきがけとなる「記事投稿」したい。とも、思っています。

しかし、あくまでも、自己学習、自問自答の繰り返しです、、、。



PS:コメントのご返事遅くなり、恐縮です。何だかこのところ仕事に振り回され、なかなかブログコメントを落ち着いてかく時間がなく、ほとほと参っています。加えて、「靖国問題」から「東京裁判観」、もって我国の近代歴史を視ていくプロセスには、たいへん重いものがあります。



難しくて重くて時に憂鬱になる記事に対し、



あすとろさん、



リカさん、



TSさん、



刀舟さん、



みなさまからコメントを頂き、たいへん感謝です!

ありがとうございます。



もう少し、書き続けます。



ご継読下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。



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