Negative Space

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サタデーナイト・ライブ:『恐怖の土曜日』

2015-09-05 | その他


 リチャード・フライシャー『恐怖の土曜日』(20世紀フォックス、1955年)

 スモールタウンに集まってきた三人のやくざもの(J・キャロル・ネイシュ、スティーヴン・マクナリー、リー・マーヴィン)が銀行を偵察。オーセンティックなノワールと思いきや、犯罪映画をベースにファミリードラマ(父子の確執)、メロドラマ(夫婦の破局)、エロティックスリラー(変態)、エキゾチズム(アーミッシュ)が絡む群像劇。張り巡らせた何本もの伏線が最後にどう交差するのかに期待が高まるが、とってつけたようなケリのつけかたで、とっちらかした感が残る。リチャード・イーガンのエピソードはダグラス・サークのパロディーみたいな画面づくり(シネマスコープの巨匠フライシャーの面目躍如)。イーガンは最後のクライマックスにほとんど絡まない。不仲になっていたが再出発を誓った女房がホールドアップのとばっちりを食って命を落とす。浮気しかけた若い女性に慰められて男泣きの大根芝居(完全にギャグ)。この女性は銀行支配人トミー・ヌーナンのストーカー被害を受けていた。強盗に撃たれたが命拾いしたヌーナン、たまたま担当の看護婦に就いていたこの女性にストーカーの罪をあっさり懺悔。女性はあっさり許す(「ブラインドをしめてなかったわたしが悪いのね」)。ヌーナンは図書館員シルヴィア・シドニーが経済難からおよんだ窃盗を知るが、逆にストーカー現場を押さえられて脅迫される。このへんもギャグ。ヌーナンのおとぼけ演技は絶好調。バーでイーガンに絡まれおどおど。ヴィクター・マチュアは大戦中、国内勤務に就かされていた。そのため、息子が戦場の英雄を父にもつ親友にばかにされている。ラストで銀行強盗をやっつけて街の英雄となったマチュア。友人たちを招いた息子が自慢気に父親に寄り添うショットで幕。炸裂するご都合主義。アーミッシュのアーネスト・ボーグナイン、信仰からマチュアへの荷担を頑に拒んでいるが、悪を滅ぼすことは神の御心に適うという理屈をない脳みそから健気にひねりだしてじぶんを説得し、マチュアの命を救う。悩ましげな表情とタフなアクションのコントラストがさわやかな笑いを生む。マーヴィンは登場早々鼻炎にくるしんでいる。銀行偵察中、ぶつかってきた子供が落とした煙草を拾おうとすると、その手を踏みつけ、苛立たしげに追い払う。強盗決行前夜、不眠をまぎらわそうとマクナリーの部屋に入ってきてぐちをこぼす。「眠れねえ。奴[仲間のJ・キャロル・ネイシュ]はぐっすりだ。じじいだからだろう」。「そうだな」とマクナリーが相づち。「いやな野郎だ……おれの逃げた女房をおぼえてるか?……スキニーな女だった……おれはスキニーな女がすきなんだ……おれに鼻炎をうつして、ケチな旅行会社の[だったか?]男と逃げやがった……」。帽子に眼鏡のネイシュのコメディーリリーフぶりもいい。冒頭近くの列車の場面でのアーミッシュの家族との絡み。強盗の場面では賊に飛びかかろうとするマチュアの息子をいさめて呼び寄せ、あめ玉をあたえる。「これでもなめてろ」。機嫌よく「おじさん、ありがとう」と少年。戻ってきた息子に「ちょっと、やめなさい」と母親。ネイシュをにらみつけ、あめ玉の包み紙を不機嫌に放り投げる息子。
 
 ……というわけで基調は良質なコメディーだった。脚本シドニー・ボーム

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