Negative Space

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闇に響く鈴の音:『遠い国』

2012-10-01 | アンソニー・マン

 <西部劇映画日誌>No.11

 『遠い国』(アンソニー・マン監督、1954年、ユニヴァーサル)

 アンソニー・マン=ジェームズ・スチュワートのコンビによる5本のうちの4作目。アーロン・ローゼンバーグ製作。
 
 1896年のシアトル。はるばるワイオミングから牛を運んできたジェームズ・スチュワートが波止場で旧知のウォルター・ブレナンに再会する。スチュワートの馬の鞍には小さな鈴。「まだつけていたんだな」。二人の友情の象徴でもあるこの小さなオブジェが隠れた主人公であるところは、『ウィンチェスター銃'73』に似ている。使用人の牧童二人に銃を投げて返すスチュワート。「ずっとおれを殺したいと思っていたんだろう。殺れよ」。スチュワートを睨みつける二人。「どうせすぐに縛り首だ」。スチュワートとブレナンはさらに北上する汽船に乗り込む。船上にはすでにブレナンの相客ジェイ・C・フリッペン。そして豪奢なコートを着込んだ女の姿も(ルース・ローマン)。出航間際に牧童が船員に告口する。「あいつは人殺しだ」。スチュワートをとらえようとする船員。とっさに自室に招き入れるルース・ローマン。見ず知らずのスチュワートをベッドに隠し、自分も下着姿になってベッドに潜り込む。わざと鍵をかけずにおき、入ってきた船員に気まずい思いをさせる。「なぜ助けた」。「なぜ理由が要るの。ありがとうくらい言ったら?」「あまり言わない言葉でね」。

 ウルトラ・リバタリアン(=ちょー自己チュー)のスチュワートが周囲の人たちの無償の好意に助けられていくうちに人間らしい感情に目覚め、回心するまでの物語。

 たどりついた街には山高帽の判事ジョン・マッキンタイアが法を盾に独裁者として君臨していた。処刑を邪魔した咎で入れられた牢屋でスチュワートが無聊をかこっていると、そこへ分厚い本に顔を突っ込んだままの医者らしき男が放り込まれる。診療ミスで患者の手を切断させたとか。医者の娘(コリーヌ・カルヴェ)が父親に食事を差し入れにくる。彼女はちょろまかした砂金で財産をつくって父親をウィーンに留学させようとしている(砂金の探し方をスチュワートに指南する場面はたのしい)。初対面のスチュワートの姿を認めると、「あたしあんたがすきだわ」とボーイッシュなカルヴェ(『裸の拍車』のジャネット・リーを思わせる)。「おれもだよ」とあっけにとられるスチュワート。裁判も酒場のテーブルでおこなわれるいい加減さ。スチュワートはキャトルドライブの途中で牛を奪って逃げようとした牧童二人を殺していたが、無罪になる。ただし、マッキンタイアは私欲からスチュワートの牛をとりあげる。カウンターの奥のルース・ローマンはご機嫌ななめ。かのじょの経営するこの酒場は悪の巣窟。かのじょも善良な市民からは煙たがられている。
 スチュワート、ブレナン、フリッペン、カルヴェ、ローマン一行は居心地の悪い町をあとにし、馬でアラスカへ向かう。スチュワートらは牛を高く売るため、ローマンは新店舗出店のため、カルヴェは砂金目当て。しばらく行くと、馬に乗った一団が銃をぶっ放しているのに出くわす。「誰が何を撃っているんだ?」とブレナン。見ている方も同じ疑問を抱く。このへん、説明的台詞が最小限に抑えられていて、見ていて事情がよく飲み込めなかったりするのだが、そのぶんリアル。その後、どの道をとるかで意見が割れる。スチュワートらは雪崩をおそれて遠回りをする。強行して山際の近道を進むローマンらが雪崩におそわれる。「たすけに行こう」。「なぜ行くんだ」。病的に人間性を欠いたスチュワートには、仲間の常識が本気で通じない。ローマン一行は無事だった。夜、焚き火から離れて休むローマンにスチュワートがコーヒーをもっていく。「ここじゃ寒かろう」。コーヒーをそっと捨て、おかわりをせがむローマン。カップを受け取ろうと身をかがめたスチュワートの唇を突然奪う。スチュワートは呆然と「ありがとう」。「学習したわね」。これを見ていたカルヴェは嫉妬でふてくされる。ブレナンがコーヒーをもっていくと、「コーヒーなんて大嫌い!」。ちなみにブレナンはカフェイン中毒。最後はコーヒー好きがあだとなって命を落とす。鈴の由来をカルヴェに語る場面。ユタに家を買って余生をスチュワートと暮らすのがこの足の悪い老人の夢。「家のドアにつけとくんだ。友だちが訪ねて来れば音でわかる。友だちにはコーヒーの一杯もごちそうしてやれるさ」「でも小さすぎない?」「家もそれ相応にささやかなんだ」。ブレナンは現在の暮らしに満足している。しかし、スチュワートの方はすぐにでも街を出て行くつもりでいる。「何してる」「荷造りさ」「それは見ればわかる」。金(ゴールド)の出る街には悪がはびこる。なまじ保安官なんかやらされないうちにもうけた金をもって逃げ出すさ。ブレナンがそっと諭す。おれはいまの仲間たちがすきなんだ。仲間の友情は金じゃ買えない。おまえはいつもさらに「遠い国」を目指して移動してばかりしている。けっして安住しようとしない……。ブレナンにお気に入りのパイプをくわえさせ、火をつけてやるスチュワート。ブレナンのご機嫌をとるために作中で何度かくりかえされる身振りであり、極度に人間性を欠いたスチュワートがブレナンだけに示してみせるあるしゅ動物的といっていい愛情の表現だ。「おれは自分の身は自分で守る。他人はあてにしない。でもあんたが困ったことになったら、あんたを守ってやるつもりだよ」。二人が酒場に行くと、追い払ってきたはずの亡霊に出くわす。マッキンタイアがこの平和な町にも悪の触手を伸ばそうとしていたのだ。土地の不法占拠を訴える町民(チャビー・ジョンソン)を虫けらのように射殺したマッキンタイアの手下を保安官となったジェイ・C・フリッペンが命を張って逮捕しようとするが、「むざむざ命を捨てることはない」と割って入り、職務の遂行を妨害するスチュワート。恥をかかされたジェイ・C・フリッペンはその場で保安官バッヂを返上する。スチュワートとブレナンは筏で町を逃げ出そうとするが、マッキンタイアの一味に襲われ、ブレナンが命を落とし、金を奪われる。
 闇に鈴の音が響き渡る。「あの鈴の音、頭がおかしくなりそうだぜ」。瀕死のスチュワートを乗せた馬が街灯に浮かび上がる。「死んだはずじゃなかったのか」とマッキンタイア。並んで進む馬にはブレナンの遺体。カルヴェに看病されるスチュワート。「なぜ助けた」「誰かがしなきゃならないことでしょ」「でもなぜ」「ばかな質問ね。あたりまえのことじゃない。世も末だわ、もしだれもが……」「おれのようだったら?」そこへローマンが入ってくる。「コーヒーでも?」「だれもコーヒーなんかたのんでないわ」とカルヴェ。「この人にいてもらうことにするよ。ありがとう」とカルヴェをねぎらうスチュワート。「感謝するのならこの人にしなさいよ」。ドアを叩きつけて出て行くカルヴェ。女はいつもドアに当たる。「何を怒っているんだろう」「嫉妬よ。かのじょも女なの」。愛の言葉を口にし、いっしょに町を出て行こうと説得する女。帰宅したスチュワート。撃たれて不自由な右手を布で吊っている。左手だけで不器用にコーヒーを入れ、腰掛け、右手を見つめ、握りしめようとするワンシーンワンショット。復讐の意志は固まった。町民を立ち退かせて土地を独り占めしようとしているマッキンタイア一味についに町民たちが立ち上がる決意を固める。自宅前に勝手に杭を打つ一味に申し渡すスチュワート。「おれが行くと言っておけ」。出陣するスチュワート。馬に鞍をつけるとき、鈴を思い出して、親指で鳴らす。酒場。鈴の音が近づいてくる。スチュワートを返り討ちにしようと酒場の入り口で待ち構える一味二人。戦いにそなえ、店の外の明かりをすべて消す。真っ暗闇に鈴の音だけが響く。ぬかるんだ道を進む馬の脚のアップ。暗闇に鐙の音が不気味に響く『許されざる者』のクライマックスシーンをいやがうえにも思い出す。鞍のアップ。なんと鞍は無人。鈴だけが揺れている。一味の死角に回り込んでいたスチュワートがすかさず二人を撃ち殺し(マンの西部劇ではこういうフェイクがよく使われる)、中にいるマッキンタイアに出てくるよう叫ぶ。ローマンのアップ。声の主を確認した興奮で目をうるませている。マッキンタイアのアップ。始終たやさぬ不敵な笑みをここでもまだ保っている。裏口にまわり、もの影からスチュワートを不意打ちしようとするマッキンタイア。ローマンがこれを阻止しようと表に走り出て、放たれた銃弾をみずから受けとめる。倒れたローマンを抱え起こし、「どうしてこんなことしたんだ」。「おかしな質問ね」と息絶えるローマン。『西部の人』にもあった軒下ごしの腹這いでの撃ち合い。画面の下半分だけを使った緊張感あふれるタテの構図。手前のマッキンタイアの上体がくずおれると、画面奥のスチュワートの姿が視野に入る。同時に、銃を手に表で待機していた町民たちが酒場を包囲して中の悪党一味を降伏させる。スチュワートを助け起こすカルヴェ。身を寄せ合う二人を町民たちが祝福するように取り囲む。キャメラがかたわらの馬の鞍を映し出し、スチュワートの親指が鳴らす鈴に寄っていきアップになるところで幕。

 脚本はボーデン・チェイス(『怒りの河』)、キャメラにウィリアム・ダニエルズ。キャストにはほかにヘンリー・モーガン、スティーヴ・ブロディ、キャスリーン・フリーマン(『底抜け』シリーズ常連のオバサン)、ローヤル・デイノ(『西部の人』)など。