Negative Space

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ミセス・ロビンソンとハンター:『シャロン砦』

2012-10-06 | アンソニー・マン
 ウェスタナーズ☆クロニクル No.14

 『シャロン砦』(アンソニー・マン監督、1955年、コロンビア)

 山道を行く狩人三人組(ヴィクター・マチュア、マチュアの親代わりのジェームズ・ウィットモア、先住民の血を受け継ぐパット・ホーガン)が、前方から蛇のように匍匐前進しながら、かつは背後から音もなく忍び寄ってきた先住民の一隊に一瞬のうちに取り巻かれるフィックスショット。サミュエル・フラーあたりが撮りそうな度肝を抜くオープニング。三人は何ごともなかったかのようなふりをしてその場に腰を下し、リラックスしきった体で冗談を飛ばし合いながら昼飯を広げ始める。背後で蝋人形みたいに不動の姿勢の先住民たちが矢を向けながら見守っている。けっきょく、馬と財産を脅し取られる三人。近くにできた騎兵隊の砦に生活を脅かされた先住民が、無害の狩人をも襲うようになっていた。教育的には最下層をもって任じる三人、「文明が悪い」と憤る。シャロン砦に出向き、奪われた財産を弁償しろと訴え出る。そこで三人は陽気な大尉(ガイ・マディソン)にまんまと言いくるめられ、斥候として雇われる。マチュアは騎兵隊の青い軍服に、ホーガンはウィスキーにつられて。ウィットモアだけは苦い顔。「あんたが一枚上だ (You trapped.)」。その夜、就職祝いにウィスキーをあおってはめをはずす三人。酔った勢いで大佐の宿舎に忍び込んだマチュア、出向中の大佐(ロバート・プレストン)の留守を守る妻(アン・バンクロフト)を見初める。大佐は1500人の部下を無茶な作戦で戦死させ、世間から「殺人者」呼ばわりされている。それに懲りずシャロン砦でも自殺的な総攻撃の指令を下す。大佐と妻の間はすっかり冷えきっている。妻の心はがさつだが誠実なマチュアに傾く。戦いを前にパット・ホーガンはルーツである先住民の下に帰っていく。ワイドスクリーンで撮影された美しい森林を舞台に血なまぐさい殺戮の火ぶたが切って落とされる。ウィットモアが命を落とし、残されたマチュアは獅子奮迅して騎兵隊を勝利に導く。大佐も戦死。ラスト、雪の舞う砦。入隊を許可され、念願の軍服に身を包んだマチュアが揚がる星条旗に敬礼する。

 出陣の場面。大佐は斥候のウィットモアを先住民の的として野に放つ。腹這いになって丘の上から待ち伏せる先住民たちを、背後に回りこんで木の上からその動向をうかがうマチュアの視点でとらえた大俯瞰のクレーンショット。冒頭のショットと韻を踏むショッキングなショットだ。散り散りに地面に横たわり、戦死体のように身じろぎもせずにいる先住民があるしゅの生物の擬態さながらに森林と一体化しているさまが底知れず不気味(ジャン=リュック・ゴダールは「植物的なショット」と形容した)。シネマスコープの可能性をフルに活かした天才的なショットと言えよう。

 脚本フィリップ・ヨーダン(『ララミーから来た男』)。キャメラにウィリアム・C・メラー(『裸の拍車』)。マチュアとアン・バンクロフトのラブシーンで、マチュアをシルエットにしたショットなんかには、マンのフィルム・ノワール的な感性が窺える。毛皮をまとい、半獣半人然とした最下層階級のマチュアらトリオは、『怒りの河』のごろつき三人組や『西部の人』の三馬鹿息子を思わせる。森林のアモルフな空間と砦の幾何学的な造型のコントラスト。クライマックスの戦闘場面、森いっぱいに上がり、木漏れ日に照らされた土煙がひたすら美しい。
 
 ジェームズ・スチュワートとの偉大な連作の直後に撮られた作品で、アンソニー・マンの撮ったもっとも美しい西部劇の一本ながら、その影に完全に隠れてしまっている。野蛮人が「法と秩序」に組み入れられるというラストが、善悪のあいまいさを容赦なく問うたスチュワート連作からの後退と見なされているせいなのか。