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メルトダウン・イン・鬼が島 !!:『アトランティス征服』

2013-12-08 | ヴィットリオ・コッタファーヴィ

 Viva! Peplum!  古代史劇映画礼讃 No.16

 ヴィットーリオ・コッタファーヴィ『アトランティス征服』(Ercole alla conquista di Atlantide,1961)


 ついにコッタファーヴィを語る時が来た。

 ヴィットーリオ・コッタファーヴィは1914年、モデナの貴族の家系に生まれ、法律、哲学、文学を修めたのち、イタリア国立映画実験センターに学ぶ。1935年に入学しているというから第一期生にあたるのだろうか。

 43年にウーゴ・ベッティの喜劇を脚色した I nostri sogni (『われわれの夢』)でデビュー。ヴィットリオ・デ・シーカ、パオロ・ストッパらが出演している。低予算のメロドラマを手がけつつ、レジスタンス活動に取材したパーソナルな企画 La framma que non si spegne (1949)を発表するが評価を得られず、1960年前後につぎのような古代史劇の撮り手として名をなす。

 『剣闘士の反逆』La Revolta dei Gladiatori (1958)
 『クレオパトラ』Le Legioni di Cleopatra (1959)
  Messalina vendre imperatrice (1960)
 『ヘラクレスの復讐』La vendetta di Eracole (1960)
 『アトランティス征服』Ercole alla conquista di Atlantide (1961)

 このあと1964年に中世スペインを舞台とする I Cento Cavalieri を監督するがヒットに至らず、活動の場をテレビに移す。テレビでも『アンチゴネ』『トロイヤの女たち』『アントニーとクレオパトラ』といった古代史劇に手を染めている。1980年代にいっときスクリーンに返り咲くが、1998年に死去。

 そのほかの注目すべき作品に、 Una donna libera (アントニオーニ風メロドラマ?)、Traviata 53 (『椿姫』)など。

 低俗と目されているジャンルの道具立てを借りつつ、天性の造形的センス、色彩感覚、辛辣なアイロニーとユーモアによっていわばブレヒト的な異化を施し、自分の色に染め上げてしまうのがこの監督の真骨頂。

 さて、今回は一連の偉大な古代史劇映画の掉尾を飾る『アトランティス征服』である。

 脚本にドゥッチオ・テッサリ(『荒野の用心棒』『続・荒野の一ドル銀貨』)が参加。

 息子(+こびと)同伴で鬼退治に送り込まれた中年のなまけものの半神に元ミスター・ユニヴァースのレグ・パーク。ごぞんじシュワのアイドルだった人。

 「12歳の子供向け」と監督自ら語るように、グロテスクに隆起した筋肉と時代がかった安上がりの特撮を売りにした思いっきりチープな外見。お約束の薄衣まとったきれいどころももちろん出てきます。

 冒頭、ダイナーでの派手な喧嘩シーンにあふれるユーモア。そのキャメラワークとリズミカルな編集に、はやくも御大の造型感覚躍如。

 物語の緊密な進行の合間あいまにユーモラスであったりロマンティックであったりする親密なエピソードをインサートしていくのがコッタファーヴィ印ということらしい。

 赴いた先の異界では改造人間(?)を生み出そうとなにやらサイエントロジーふうの(?)実験中。

 真っ赤な光(ウラノスの血=ウラン)に浸された荒野でヘラクレス一行に神託を告げる姿なき預言者。岩に半身を埋め込まれた囚われの美女。地下室を駆け抜ける白馬の八頭立て馬車のかもしだすシュルレアリスム的抒情。能面をつけた親衛隊。皆殺しにされる捕囚たちの憤怒。

 ラストはお定まりの神殿大崩壊。きれいどころフェイ・スペインが、『サムソンとデリラ』のヘディ・ラマール、『ピラミッド』のジョーン・コリンズがかつてたどったのと同じ(似た)運命の下、あわれ生き埋めに。このフェイ・スペインという女優、『ゴッドファーザーPART II』なんかにも出ているという。

 大爆発で島自体もついでに沈没。原爆の記憶いまだなまなましく、キューバ危機もすぐそこという時期の作品だけあって、核問題への暗示があからさま。

 ラストは帰還する船上で抱き合う男二人を傍目に熱い接吻を交わすヤング・カップルの図。夕陽に染まる地中海の大ロングショットにエンドマークがかぶさる。

 
 コッタファーヴィ語録。

 「私が撮った作品は、権力に対抗するものであり、野蛮の侵入に対抗するものであり、民衆の尊厳に味方している」

 「私のローマ時代ものの作品の主人公は、どちらかというと素朴な人間だ。中産階層か一般民衆であって、皇帝とか司令官とか将軍とかの偉い指導者ではない。権力を手にし、おそらくその権力をとても拙く行使している者たちに批判的な目線から撮られているのだ」
 
 「私は民衆とかまったくの脇役の登場人物を使って、歴史上の出来事やローマ人の習慣に対してユーモアのある見方を提示できるようにしている」

 「あなたが古代史劇を撮ったのは、あの時期それしか注文が来なかったからだと言われています。古代史劇を撮ることは楽しくはなかったのですか? ――私は何でもかんでも引き受けたわけではない。プロデューサーの要請に沿うものを撮る覚悟はあったが、それはある程度、世界とかローマ文明とか民衆とか伝統とか登場人物たちのドラマとか自由を求めての闘争についての私自身の考えに沿うものである必要もあった。つまり、古来の伝統を尊重していなければだめなのだ」


 本国イタリアでは低予算映画の職人という認識しかされていなかったコッタファーヴィの作家性を称揚したのはミシェル・ムルレ、ジャック・ルールセル、リュック・ムレといった50年代パリの映画館マクマオンあたりを根城とする保守本流のシネフィルたちだった。

 わが国で映画作家コッタファーヴィが認知される日は来るのだろうか?……来ないでしょうね。

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