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荷風の江戸文学者論:「葷斎漫筆」「下谷叢話」「為永春水」

2018-09-16 | 文語文




 大正十四年に雑誌連載の開始された「葷斎漫筆」は文語体の随筆。タイトルの「葷斎」は「葷菜」にひっかけたもの。「羶腥」(または西洋かぶれの「バタの臭味」)よりもなお抜きがたい臭気におのれをやつした雅号の謂。

「人生の至福は読書に在り」ではじまるこの随筆、鷗外史伝へのオマージュから話題は館柳湾、ついで大沼枕山経由で平松理準(密乗)、林鶴梁へとつながり、霊南坂に長垂坂をのぼりくだりしたあげくに後半はまるごと鷗外の「伊沢蘭軒」にも言及される蜀山人大田南畝の評伝となる(荷風全集には荷風のまとめた南畝の年譜がこれに続く)。

 この随筆は明治時代には“頓知の神様”みたいな扱いだった南畝像をおおいに転換させたという。

 野口武彦は、荷風は松崎観海に師事した南畝を「徂徠学の系譜に位置づけ」ることによって「インテリのものに」したのだとし、つぎのくだりを引く。

 「南畝は儒学に造詣する所ありて、然る後狂歌稗史をつくるの奇才ありき。狂歌の才あり戯作の才ありて而も其名声に恋々たらず。古今の典故に通暁するも其博識を衒はず。烟花の巷に出入りするも甚しく酒色に沈湎せず。襟度磊落にして其の為すところ往々人の意表に出るものありと雖、亦謙譲の徳を失はざりき」

 なるほどここだけ読ませられると荷風が南畝を模範的な儒者に仕立てているようにとれてしまうが、じっさいにはそんな鹿爪らしいものではない。

 牛込あたりを根城にしたいなせな知的コミューンの存在を浮かび上がらせようとしているところなどを踏まえての言であろう。

 いっぽう加藤郁乎は「荷風は、半醒半睡の風流家南畝の文事篇什また行実ことごとくを大なり小なり真似ようとしたふしがある。そして、それらは私淑などといったなまやさしいのめりようではな」かったとする。

 これもじっさいのところはよくわからないが、たとえば家の間取りを日記の一節をながながと引用しながら推測しているくだりなどのたのしげな筆づかいからは、なるほど南畝への愛が伝わってくる。

 荷風の縁者にあたる鷲津毅堂と大沼枕山の二重の足取りをたどる『下谷叢話』(大正十五年)はもっと本格的な評伝である。

 こちらは口語体で書かれているが、漢文の引用がやたら多いことに加え、地の文にも「夙に詩を以つて儕輩の推す所となつた」だの「駒込に⬜︎(「就」にニンベン)居し帷を下して徒に授けた」だのといった漢文調の言い回しが頻出するごつごつした文章。

 「安政六己未の年、枕山は四十二歳、毅堂は三十五歳である」といった章ごとの書き出しがリフレインのようで、「渋江抽斎」の「抽斎没後の第二十五年は明治十六年である」というおなじくリフレインのような書き出しを思い出した。

 荷風自身、鷗外の史伝に触発されてこの評伝に手を染めたと明言している。

 岩波文庫の解説によれば、いみじくも日夏耿之介が「雑然紛然たる雑叙」と評したごとく、「『下谷叢話』を考証的伝記として読むかぎり……鷗外に及ばない」。

 遠く及ばない、というべきであろう。『渋江抽斎』のあのあまりにも鮮やかに演出された文章とくらべるのは酷というものではあるが。

 『下谷叢話』と「葷斎漫筆」をならべて収める旧荷風全集第十五巻には、「為永春水」(昭和十六年脱稿)という拾い物も収録されている。

 前二篇にくらべて荷風はずっとみずからの心の内を吐露している。

 同時に無二の江戸文学読書案内であり、すぐれた批評作品でもある。

 荷風のもとにはすでに春水作品の現代語訳や舞台化にあたっての脚本および出演の依頼が舞い込んだりしていたというが、荷風は春水について「読後の感想をすら筆にすることを躊躇した」。

 理由は「過去の文学についての評論は昭和の読書士には何の興味をも与へまいと思つたからである。江戸時代の風俗や、天保時代の恋愛を描写した人情本の批評の如きは、現代の文明には全く必要のないものと思惟したが故であつた。風流好事の士はいつの世にも少数ながら決して跡を断つまい。過ぎ去つた世の風俗と文芸とに興味を持つ好事家は各自随意に春水の著作を閲読して半日の閑を消するであらう。わたくしの如きものが今更ことごとしく梅暦の翻訳本をつくつたり人情本の評論を試みる必要はない筈である」。

 かくもペシミスティックな前置きによって心の重荷を下ろしたせいか、荷風の筆は軽快そのものである。

 「馬琴の作には漢文の基礎がある。其愛読者には武家の子弟が多かつた。種彦の文には和学の影響がある。其読者には良家の婦人が尠くなかつた。然るに春水の文には何等の基礎もなく何等の背景もない。唯その時代の、殊に一方面に限られた日常生活に関する作者の観察が存するのみである。馬琴種彦の二家に比して、春水が其人物と其著述との二つながら、共に時人から卑しまれてゐたのは蓋しこれが為に外ならない」。

 明快な見立てである。


 「洒落本は諷刺の軽妙と筆致の洗練とに、此種の文学の模範を示してゐるが、之を要するに短時間の光景を描写した断片にすぎない。春水は言はば此れに蛇足の脚色を加へて平坦なる物語となしたのであるが、それが却て通俗一般の読者に喜ばれ、偶然人情本または中本と称する小説の一体を完成せしめた」。

 おもえば鷗外の『渋江抽斎』の魅力も、断片的な描写(史伝というジャンルのしからしめる必然である)が、断片的であるがゆえに放つディティールの輝きではなかっただろうか。

 「わたくしは春水の佳作中でも辰巳園の此末節を以つて最絶妙の所となしてゐる。かくの如き一齣一段の佳所、断片的なる妙味は、読過の際屡文筆専攻の人のみならず、厳格なる読書士をも感動せしめ、人物脚色、共に千篇一律の弊あることを忘れしめ、知らず知らず全篇を読了せしめる。ここにわたくしの心づいた二三の例証を挙ぐれば『春色恵の花』の作中芸者米八が人目を忍んで小梅村の百姓家の縁先に、恋人丹次郎の来るのを待つてゐる間、ふと軒端に匂ふ梅の花を見て其蕾を摘み取り歯に噛んで其蕾を口の中に移す。其場の情味と情趣とは浮世絵にも描く能はず、新内の節奏も亦能くこれを伝へること能はざるものであらう」。

 どうです?春水をひもときたくなったでしょう。こういう具体的な読みどころの紹介がほかにも何箇所もある。たとえば、

 「ここに一人の男が根岸の里の静な垣根道を通り過ると、唯(ト)ある家の庭越しに一中節の吉原八景をひく冴えた撥音が聞えるので、何心なく門際に立寄つて耳を済ましてゐると、突然花曇の空から雨がふりそそいで来る。三味線の音がハタと止んで、庭下駄の音と共に、年は二十ばかりのそれ者(シヤ)らしい意気な女が、門口をあけて、雨でお困りならばご遠慮なくと言つて、其男を内へ入れる」。

 「濹東綺譚」そのものの出だしだが、実は二人は互いになんとなく見覚えがあり……とつづき、いかにも読んでみたくてたまらなくなるようにさせる天才的な要約ぶりなのである。

 

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