Negative Space

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家に帰ろう:『決闘コマンチ砦』

2015-11-25 | バッド・ベティカー



 ウェスタナーズ・クロニクル No.28;バッド・ベティカー「決闘コマンチ砦」(1960年)

 (注意)物語の結末に触れています。

 『七人の無頼漢』にはじまるランドルフ・スコットとの連作(“レナウン・サイクル”)の掉尾を飾る作品。

 コマンチのシマに単身乗り込んだスコットが身振り手振りで商談をする“サイレントふう”のオープニング。かれの目あては、コマンチに攫われ行方知れずになっている妻。けっきょく“買い戻す”ことができたのは別人の妻(ナンシー・ゲイツ)。かのじょを夫のもとに送り届けるための長い旅がはじまる。

 「コマンチに囲われていた女を夫はどう思うかしら」。「愛があれば関係ない。それだけだ」と炉端を立つスコット。
 
 停車場でコマンチの奇襲を受けた際に三人の無頼漢(クロード・エイキンスと純朴な二人の若造)と共闘、そのまま道づれとなる。エイキンスの狙いはゲイツにかかった多額の賞金。リー・マーヴィンやリチャード・ブーンほどの派手さはないが、かれら同様、善人とも悪人ともつかない典型的にベティカー的な無頼漢。

 その後、若造の一人はコマンチの襲撃の犠牲になり(殺される場面は映さない)、いまひとりはエイキンスに仲間討ちにされる。そのエイキンスは岩場でスコットと一騎打ちに。背後から銃口をつきつけられたエイキンス。「おれがふりかえった瞬間、アマはおれのもの」と往生際のビッグマウス。制止を無視してふりむきざまに拳銃を抜いてスコットの銃弾をみずから浴び、おのれの強欲を呪いながら息絶える。

 地平線の彼方にゲイツの家の赤い屋根が見えてくる。家に到着すると、ゲイツに走り寄る幼い息子のあとから杖をついた盲目の夫が姿を現す。「そういうことだとは知らなかった」とスコット。「じぶんで連れ戻しに来られない事情があるとは思わなかった?」とゲイツ。「ずっとそう思ってたよ」。『捜索者』のデュークそのままに、抱擁を交わす夫婦を見守りながら一人その場を後にするスコット。かれの旅はつづく。

 撮影チャールズ・ロートンJr.。砂漠、山脈、奇岩、森。ピトレスクな自然がシネマスコープいっぱいに映し出される格調高い画面。

 婀娜な年増ゲイツ。停車場でコマンチの奇襲をうける場面では、スコットに水桶に投げ込まれ、びしょぬれショットを披露。


静かなる男:「灼熱の勇者」

2015-11-25 | バッド・ベティカー



 バッド・ベティカー「灼熱の勇者」(1955年)


 「美女と闘牛士」の徒弟関係に潜在していた父と息子の葛藤をめぐるメロドラマがここでは文字どおりに演じられる。(「ロデオ・カントリー」は潜在的なカインとアベルの物語だ)。

 ビロードのような黒地のバックにピンクの文字でクレジットが現れる。ずいぶん以前に最初に見たときから耳に染み着いているキティ・ホワイトによるテーマ曲。「グラディエーター」のハンス・ジマーがこのテーマを借用しているらしい。

 闘牛場での事故の夢にうなされるアンソニー・クインが『霧の中の逃走』のニナ・フォックのように叫び声をあげて跳ね起きる。杖をついた付き人が入ってきて、試合の衣裳を選んでいる。「今日はそれは着ない」とマタドール。「夢で着ていたのはこの服ですね」と付き人。真相を言い当てられ、ぎくりとするクイン。付き人はかつて試合中クインの身替わりになって負傷、闘牛士としてのキャリアを断念したらしいことがほのめかされる。

 国民的英雄クインはこれがデビューとなる新米マタドール(マヌエル・ロハス)とのタッグマッチをまえに教会に願掛けに出向くが、実子であるパートナーに凶兆が出たのをおそれ、試合をボイコットして身をくらます。富豪のグリンコでグルーピーのモーリン・オハラ(合掌)がかれを実家に匿う。散歩中にスコールに襲われた二人は濡れ鼠となって馬小屋に逃げ込む。オハラのグリーンのブラウスは肌に密着し、クインはシャツの前がはだけて腹の古傷が剥き出しになる。古傷を指でなぞるオハラ。クインはかのじょをかきいだき、熱烈な接吻をあたえる。『静かなる男』のほのかなエロスがいわばぐっとラテンふうで濃厚に再現される。




 平原に乗馬に出て、売られる前の闘牛の群をオハラに見せるクイン。牛に襲われるオハラを助けようと敷物(?)を使って手練の牛さばきを疲労するクイン。「早く逃げろ」。「いや。その牛さばきをもっと見たいわ」。

 クインが親子関係の真相を告げにレストランに息子を訪ねて行く場面はおもわず頬がゆるむ好シーンだ。スープを啜る息子のテーブルに歩み寄り、空いた椅子の背を抱えこんで座るクイン。「座ってください」と息子。気まずそうに腰を浮かし、ふたたび同じ姿勢で座り込む父。「何か飲むか」。「スープを飲んでます」。「ああそうか。じゃ、おれにもスープ」とウェイターにまたも気まずい顔の父。「おまえはおれの息子だ」「知っています」。ぽかんとする父。平然とスープを啜りつづける息子。「いいかげんにスープを啜るのをやめろ!」と切れる父。一瞬の沈黙。父子の顔にどちらからともなく笑いが萌す。つぎの瞬間にはしっかり抱き合っている二人。

 闘牛シーンはラストだけだが、カルロス・アルーザがテクニカル・アドヴァイザーとしてクレジットされており、かの地のマエストロたちが出演しているようだ。

 キャストはほかにリチャード・デニング(オハラをめぐるクインのライバル)、ローラ・アルブライト。過去にクインとのいわくがあるらしい女性闘牛士(ロレイン・シャネル)。脚本はベティカーとチャールズ・ラング。撮影はのちの西部劇でタッグを組むことになるルシエン・バラッド。シネスコだが、かつて発売されていたディスクは画質が最悪なうえに無惨にトリミングされている。(だから半分しかこの映画を見ていない。)

 メキシコとトレロにたいするベティカーの信仰心が垣間見れる。どうみても失敗作だが、駄作扱いされているのが歯がゆい。