ブロードウェイよりディスクが発売されているベティカーの貴重な初期ノワール作品、4連発!!
「ミステリアスな一夜」(1944年)はスラップスティックふうもしくはタンタンふうノワール。闇のなかで女性のたなごころが水中花のようにひろげられ、なかから妖しい輝きを放つ宝石がすがたをあらわす。さいごに宝石は合歓のように握りしめられる掌のなかにふたたびすがたを消す。シュルレアリスムの香りも豊かな上々のタイトルバック。監督のクレジットはオスカー・ベティカーJr.。
宝石盗難事件の捜査に元大泥棒の主人公(とそのトトふう相棒)がむりやり協力させられる。
ベティカー流のノワールを貫くユーモアとミソジニーがこの処女作にすでに色濃く刻印されている。いけ好かない女性記者。兄を尻に敷く電話交換手。ガムを噛みながらガムを売る低能な女店員。マネキンのふりをするチンピラ……。
「消えた陪審員」(1944年)。闇夜の衝突事故の短いプロローグのあと、ダイナーで朝食をとる小太りの編集長。かれのもとをおんでてフリーになったばかりの事件記者が入ってきて朗々とじぶんの素性を店主と観客に話してきかせるオペレッタふうオープニング。
冤罪で死刑になりかけた男が釈放後に陪審員を一人ひとり殺していく。主人公は元陪審員の一人である女性にお熱になる。この女性とルームメイトの女性の関係にはほのかにレズビアン的な香りがただよう。
手袋は「ミステリアスな一夜」でも使われた小道具。犯人が影絵に興ずる場面とサウナ殺人(未遂)の場面がたのしい。ラストは同じダイナーの朝食の場面。編集長のショットで幕。
「霧の中の逃走」(1945年)。サンフランシスコ・ベイ・ブリッジのロングショット。霧のあいだから女の姿が現れる。ニナ・フォック(「巴里のアメリカ人」)。背後をしきりと気にしている。欄干に近寄る女。自殺志願者と疑った警官に呼び止められる(IMDBのトリビアによれば、自殺の名所はゴールデンゲイト・ブリッジのはず)。女の前に車が止まり、かのじょは殺人劇を目の当たりにする。悲鳴。これは戦争神経症のかのじょのみた外傷夢。悲鳴を聞いてたまたま駆けつけた男(オットー・クルーガー)は夢に出てきた男であった……。
対日戦争をバックに霧と闇のなかをスパイたちが暗躍する夢幻的スリラーだが、やはり全篇ユーモアが支配する(省エネ設計ゆえ肝心なところが聞き取れない盗聴機、etc.)。
主役のカップルが「ガス室」に閉じこめられるクライマックスシーンはヒッチコックふうのサスペンスが冴えわたる「メタ映画」。その場(時計屋)にたまたまルーペを見つけたクルーガーは、ニナ・フォックに化粧用ペンシルを借りてそのレンズに Hail Japan と殴り書きし、充満してきたガスに引火する危険を犯してライターを点火、レンズを裏返して反転した文字をライターの炎で時計屋のウィンドーに投影する。ウィンドーに浮かび上がるプロパガンダの文字。発見した通行人が反日感情に駆られてウィンドーを破壊し、かれらは難を逃れる。
ちなみにこの場面は「ミステリアスな一夜」で囚われの主人公が火に包まれる場面、および「消えた陪審員」で主人公がサウナで窒息死させられそうになる場面の反復といえる。
ちらっと出演しているシェリー・ウィンタースをみつけよう(簡単)。
「閉ざされた扉の陰」(1948年)で閉所恐怖のオブセッションは極まる。精神病院に身を隠した悪徳判事を見つけ出すために恋人の記者(ミネリのミュージカル作品で知られるルシール・ブレマー)にそそのかされた野心家のリチャード・カールソンが入院患者を装って病院に潜入する。病棟内のバロック的な描写をふくめ、まさにフラーの「ショック集団」を先駆ける作品。ラストのハッピーエンドには「かれは恋に狂ってしまった」というやくたいもないオチがつく。
「ミステリアスな一夜」「消えた陪審員」につづいて放火の場面がある。この炎がやがて「Ride Lonesome」のラストで炎上する大木に繋がるのだ。
看護婦役でキャサリーン・フリーマン。