Negative Space

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双子の映画:『按摩と女』と『簪』

2012-07-26 | 清水宏
 清水宏の『按摩と女』(1938)と『簪』(1941)。

 言わずと知れた巨匠の名作。この二本には共通点が多い。というか、ほとんど双子の作品と言ってよいくらい。

 『簪』は井伏鱒二の原作を清水が脚色したもの。脚色にあたり、『按摩と女』の要素が大幅に持ち込まれたのだろう。

 坂本武、日守新一は、両方の作品に顔を出している。

 東京から小さな温泉町にわけありで身を落ち着けにきた女を、それぞれ高峰三枝子と田中絹代が演じている。

 ふたりとも、同じように東京からきている逗留客に恋心に似た淡い感情を抱く。

 旅先で幸運なアクシデントのように芽生える感情。東京にいたとしたら、たとえ同じ男に対してであろうともけっして抱かなかったであろう感情だ。女はやがて東京にもどり、このときの感情もあわただしい日々のあわいにうもれてしまうのだろう。

 清水宏は、はっきり自覚されることのないこのような淡い感情をすくいとるのがとてもうまい。おおらかさの一方でのこの繊細さが清水作品の魅力であろう。

 オープニングは、山道を歩いてくる旅の人をとらえた同じような後退移動。

 歩くことについての映画だ。人生の跛行についての映画である。

 ゆったりしたロングショット主体の清水作品でなんどか不意にインサートされる足のアップにはっとする。

 『簪』でリハビリする笠智衆のアクロバティックな跛行も、按摩さんたちの歩行のコレオグラフィーも、ユーモラスでありながら、ふかい悲哀をやどしている。

 『按摩と女』のどこまでも淡く、しかも心を引き裂くようなラスト。思いがけない前進移動は、いってみれば盲目の人の視点ショットだろうか。

 めあきの目は欺けても、みえない目は欺けない。按摩は女にそんなふうにさとす。

 ほかの客が帰ってしまい、さびれた山中の温泉宿にとりのこされたヒロインが、同じような番傘をさして同じような細い渡り板をつたって川をわたる同じような俯瞰ショット。

 ほかにもスティール写真のようにうつくしいいくつかのショット。

 若き日の佐分利信。