鮎太郎のラストファイト

 鮎釣りを始めてから36年が過ぎました。
北は新潟、南は熊本まで機会がある度に遠征しています。
今期も行くぞー!!

2019 4月28日(日) 解禁間近 有田川

2019-04-28 18:42:24 | 釣り

 解禁間近に迫った有田川に行って来ました。
毎年行われる若鮎倶楽部の『鮎見会』」に参加するためでした。

 川見を行うため、花園から入りました。
瀬切れしそうな箇所もあり、目に余る渇水状況です。
下流に行く事により、少しずつ流れが見えて来ました。

          
    流れが細い板尾大橋下流       こんなダム見た事ない        中でも良かった岩野河橋

 11時に『花の公園』に着くと、既に皆さんは集まっておられ 殿の調理も始まっていました。
串カツに、焼き鳥・キムチ・焼きそば・焼肉 その他、毎年 新たな料理が出て来ます。
料理のプロとは言え、BQで違った料理を出すのは至難の業ではないのでしょうか?
1時間も経つと もうお腹もキンキン。後は皆さんとの鮎談義は、果てしなく続きました。

 明日からの雨が問題です。
去年の台風以降 まともな増水は無かったと言います。 ドッと出て、川を洗い流してほしい
気もしますが、半年待った解禁も竿を出してみたい気もしています。



2019 4月24日(水) 富栖の里 3回目の訪問

2019-04-25 10:43:56 | 健康・病気

 朝から大粒の雨が降っていました。 渇水の有田川でもしっかり降ってもらいたい処です。

 午前8時過ぎに姫路城の駐車場に車を入れ、大手門から城内に入って行きました。
両足を痛がっていた家人は、さすがに行きたくは無かろうと高を括っていましたが、何と
何と 歩くは歩く。 「もう 止めて 里へ行こう・・・!」と言っても聞く持たず。
とうとう料金所前まで到着しました。
「開園時間 9時」と聞き、富栖の里の10時訪問に間に合わず、入城は諦めました。
 ( 私は、ほーッとしたのが本音 )

 市内から山へ向かって1時間。 停滞も味わいながら10時過ぎに事務所到着です。
昨日と同じメニューをこなして、「早く帰りたい・・!」 と内心思いつつも 家人に
付き合って午後の5時前まで頑張りました。
家人曰く 「横になると、即 イビキ! しかも猛烈なイビキ!」 とか。
しかし、3度目に入った時は もう寝る気にはなれません。


        
   大手門から天守閣         雄大な天守閣           林田川沿い 名残りの八重桜

 【 感想 】

ラドン浴を経験して、健康な私には影響は有りませんでした。(体の中ではあったかも・・)
家人は一時は楽になった様でしたが、ほかの所も痛くなったと言う話。
妻の痛さには、効き目は無かったのかも・・・?


2019 4月23日(火) 富栖の里 2回目の訪問

2019-04-25 07:28:26 | 健康・病気

 ゆっくり目に出ると、近畿道の門真付近からの停滞に巻き込まれて、到着が30分ほど
遅れました。

 『富栖の里』の事務所に入ると、健康状態や血圧・脈拍・血流等を記入して、入浴料
( 坑道ランド浴 ) と昼食代を券売機で払って準備が済みました。

 戦前に鉱山は閉山となったものの、最近になって自然環境の中で『癒しの空間』での
ラドン浴に利用されるようになって来たと聞きました。
坑道の中は、温風で30度程度の風が回って、その上にミスト状になった霧が乗って
いるのです。
薄暗い坑道を数十mも進むと、頑丈な扉を二度、三度と開け閉めして幾つも並べている
ベッドの一つに横たわるのです。
1時間半寝て 2~30分休憩し(その間昼食も・・)、又 1時間半と寝る繰り返しです。
3度もランド浴をして、その後に本当の入浴をして帰る時間は午後の5時前になります。
十分に寝たのですが、気だるい心地で鉱山跡を出ました。


        
    事務所              坑道前は揖保川源流       ライトアップされた姫路城

 姫路市内に降りて来て姫路城のライトアップを見物。
城内見物は明日に回して、宿泊は姫路市内で・・・。 


2019 4月9日(火) 334km 走って来ました

2019-04-10 07:19:39 | 旅行記

 先日、毎日新聞に載っていた 『坑道ラドン浴 富栖の里』を見て検討していました。

 一昨年、東北一周旅行をした際、秋田県の玉川温泉に行かなかった事が気に掛かって
いました。多くの疾病に効果があると言う、岩盤浴のラドン温泉に是非行って見たく
思っていました。
 そんな中で、ラドンの記事を見て興味を持っていました。
折しも、ここの処の家人の強行軍が気になっていました。 スキー旅行から帰ってから
4日間の孫との遊び、家人の友人との花見ツアー等で身体が悲鳴を上げていた様です。
「足が痛い! 鉛のように重い!」 の声を聴いていたのです。

 場所を捜していると、富栖の里の横を『林田川』と言う小川が流れていたのです。
なんと 『揖保川』の支流の一本の源流部だったのです。

 早朝 6時半に太子の自宅を出発して、西名阪から近畿道へ出て中国道を走り、一路
山崎ICへと向かいました。
ICを出ると直ぐに揖保川が見えました。上流数キロにあった『揖保川漁協』に寄って
状況(遡上や川相、林田川の事)を漁協の職員さんに聞きました。 丁寧に対応して
もらって、「これは、揖保川に来なくては・・・」と思いながら川見をしながら、次の
目的地の富栖の里へ向かいました。 

        
    揖保川漁協            漁協前の本流           支流 林田川

 国道から山道に入ると、今にも土砂崩れの起きそうな小道を走り、やっと抜け切ると
広い駐車場がありました。多くの車を見て何故か一安心(?)したのでした。
昭和の中期まで掘っていた鉱山が閉鎖され、その坑道がラドン浴に変身したのは ここ
十数年の事だそうです。
 二人分の利用料等払って、浴衣に着替え坑道入口へと案内してもらいました。
初めての経験に緊張しながら、ミストの霧状のトンネルを入って行きました。
既に多くの人が 、霧にけむるベットに静かに横たわってラドン浴を味わっておられました。
1時間半眠って、2~30分休憩を3回繰り返し、夕刻4時過ぎまで過ごしました。

        
    富栖の里 入口          坑道入口            坑道内は霧状で写らない

「痛かった足元が、何となく楽になった」と言う家人は 一泊して次の日もラドン浴する
つもりだったようでしたが、連続しての入浴は疲れそうなので、今日の処は帰る事に
しました。
近々、再訪問したいものです。

 山崎ICまでは 150kmでしたが、帰宅時のメータは334km。久しぶりの
長距離運転は、これからの鮎釣りの予行演習になりました。


2019 4月7日(日) 思えば 47年前・・・

2019-04-08 03:00:05 | 日記

 書きながら気が付いたのですが、4月7日 47年前 昭和47年と
4と7が続いていました。(特に問題はありません)

思えば、我が人生で最大となるかも知れない事項が昭和47年にありました。

 7月20日の夕刻、、入院中の母親の見舞いが終わって帰る際、病床の中の
母親が 「水に気を付けや・・・」と言って私を見送ってくれました。
折しも当日は、朝から雨が降り続き、当時居た大東市付近に戻ってくる頃には
住道駅付近や寝屋川沿いはタイヤが半分浸かる程にあちこちで浸水していました。

 自宅で夜明け前に、ピチャピチャと言う音で目を覚ましたのを覚えています。
何と、玄関の靴やスリッパが泥水に浮いていたのです。
その後水かさが増し、床上15cm程になったころ 危険を感じ、妹を背負って
60cmほど浸かった道を歩いて向かいの家に避難させてもらいました。
昼頃には、ヘリコプターが上空を舞って報道写真を撮っていました。
「これでは、大阪は全滅やろな!」 と思っていたのは、飯盛山の傍に自宅が
あったせいです。
なんと何と、浸かっていたのは我が家付近だけだったのです。これが後に名付け
られた 『大東水害』だったのでした。

 その後、間もなく 権現川の北側に広大な池が掘られ、大緑地帯が出来たのです。
大阪外環状線を大東から寝屋川市へ向かって走るとき 1kmは続く桜並木は
満開になっていました。
40年前に子供連れで、ザリガニ取りに行った事も懐かしい思い出です。

その 『深北緑地』に、37歳の三男坊夫婦と老夫婦で花見に訪れました。
大池の表面は塞がれ、野球場やテニスコートになっていました。
桜並木の土手の中は、桜の木は数えるほどで ペテンに会ったようでした。
最も、この緑地は大水の際の『遊水池』となる地で、桜は不要の様です。

 しばし、息子夫婦の作ってくれた『花見弁当』で舌鼓を打ち、楽しいひと時を
過ごしました。 

       
  桜並木の外は外環状線       入口は花園           美味しかった花見弁当