鮎太郎のラストファイト

 鮎釣りを始めてから36年が過ぎました。
北は新潟、南は熊本まで機会がある度に遠征しています。
今期も行くぞー!!

2018 1月5日(金) 今年も宜しくお願い致します

2018-01-05 16:26:50 | 日記


  (イラストはネットの画像をお借りしました)

 今年も宜しくお願いいたします。
年末から来ていた子供達も、今日の午前中に帰って行きました。
来て嬉し、帰って嬉しの孫たちも今年一年元気に過ごしてほしいものです。

そんな中、訃報がありました。 我が書道の師が召されました。

思い起こせば・・・
その『書道』の師には50年ほど前に勤務先の主任として仕えていました。
 24歳のころ実業団のサッカー試合の中、膝を蹴られて皿を骨折(膝蓋骨骨折)
しました。
入院治療中に整形外科部長曰く 「膝は90度ぐらいしか曲がりませんよ・・」
と言う話。それならばと、座って出来る趣味等は無いものかと捜しました。
みんなと遊ぶ『麻雀』 それに『書道』でした。
(蛇足ながら・・・ 曲がらない膝は1年後には正座が出来るぐらい回復していました)
渡りに船とばかりに、同じ担当の主任が日展入選の書の先生でした。
入門依頼はしたものの 「お前みたいに フラフラした者には入門はさせない」 
と言う事で半年ばかり許可は下りませんでした。
やっとの事で『弟子』を許され、時間のある限り練習に打ち込みました。
 10年ほどが経過して、次男は小学低学年。土曜日毎、私と一緒に先生の自宅で
(自宅は書道教室) 親は筆・子は鉛筆で習っていました。
しかし、先生の自宅が島本町に移ってからは、訪問の数が減って来て 40歳に
なるころには残念ながら無くなっていました。
それからは、数年に一度訪問するぐらいでしたが、鮎のシーズンには宅配に掛ける
事は忘れませんでした。
 その先生が、60代に脳溢血で倒れられ、体の不自由な中でも何とか筆を持つまで
回復された時には我が事のように喜んだものでした。
80代にはガンに侵され、手術で回復され、デイサービスで行かれた施設でも書を
教えられていました。
 今日、86歳で人生を終えられ永遠の旅に出られた『負けない人生』には私も
見習いたいと心に命じました。
 仲人もしてもらい、夫婦そろって心の師と思っていました。

 別れは辛いものです。
鮎友のT氏。 わが師のU先生。

 『生者必滅会者定離』のことわざが有りますが、早い別れは辛いものです。