朝からラッシュの時間の電車に乗って、自宅から1時間半ほど掛かって会場に着きました。
前回の混雑の倍増するような人の出だしでした。
既に5回目の家人の案内は的確で、入場時もスムースに入っていけました。
東西南北、何処にどの国のパビリオンがあるか、又 面白い国は何処なのか、家人に
任しっぱなしで とても楽な(体はしんどい!) 万博回遊です。
予約が家人とは1時間違いの入場で、待つ間に予約不要の各国パビリオンを見て回りました。
家人が入場してから二人でウロウロ・・・
30分程待って『インドネシア館』。地元の舞踊を横目で見ながら入場してジャングルを
回って、珍しい展示物も見て来ました。
東ゲートの先 大矢根リングから ガンダム像 我が自身を撮影
高い昼食 この館は6月3日まで アバター作成 未来の通信
昼時になって、どこで食べようかと迷って「大阪の名の通った店に入ろうか?」と彼女に
問うと、「海外旅行をしないのだから、よその国の料理を食べよう・・」との意見で 結局
『タイ国』の料理を食べる事になりました。
何処の国の食事も、高い事 この上なしです。
あちらこちらパビリオンを回って、予約していた日本の『電力館』とフリーで観れる『総務省館』
は、印象に残ったパビリオンでした。
『Beyond 5G』と名を打った、次世代の情報通信基盤で未来社会を見据えた展示物には
興味が注がれました。
次回の訪問は、最終迄居残ってみたいものです。
今日の歩数計 = 約 15.000歩
解禁しても中々良い条件には至らず、自宅でウジウジしている今日この頃ですが・・・
昨日、TV番組の『鶴瓶ちゃんとサワコちゃん』で、中尾ミエさんがゲストとして出ておられました。
彼女の話の中に、「知人・友人が亡くなって行く。そんな中で『楽しかったね ジャーね バーイバイ』と
気持ちの良い別れをした」友人が居ました」と言っておられました。
そんな中、私もここ数年 多くの別れがありました。コロナに掛かって逝ってしまった、友人や知人の中で
60年近く付き合って来た男友達が、最後の言葉も無く逝ってしまった事が残念極まりなく心残っています。
心残りの無い人生を終えるため、何か仕残した事は無いだろうかと考える機会を、あの番組は教えてくれました。
余り 素晴らしい事柄が浮かんで来ませんが、小さなどうでも良い思いが浮かんできます。
『健康寿命』と言う言葉がよく巷(ちまた)では聞かれますが、中々ついては行けません。
石川堤(つつみ)を一時間足らずをダラダラ歩くぐらいは運動とは言い難いものです。
特にここ数年、体力の衰えを感じずにはいられません。昨年、2回も川で流されてしまいました。九頭竜川では
ライフジャケットを着ていますが、やはり気の緩みで足を滑らせていたのです。今年は有田川でも深場のある
釣り場では着ける事にしました。
コロナ禍前のスキー旅行では数㎞のコースでは止まる事が少なかったのですが、今年の岐阜のスキー旅行では、
「こければ骨折」と思えば 突っ込んで滑れず、何度も休息を取る始末でした。
我が父親は100歳で逝ったのでしたが、90歳過ぎまで『バス旅行』を楽しんでいました。処が、そのバス旅行を
止めたのが 「年寄り扱いされる!」と言うのが理由だった様です。幾つになっても若者扱いを望んでいたのかも・・?
さて 私も最近、年寄り扱いされる機会が多く発生しています。電車に乗ると座席を譲られるし、スーパーの
セルフレジーに入ると係り員が傍に来て手助けされるし、^何かに付けて気に掛けてもらっています。
果して親父は、この気遣いが気に入らなかったのではなかったのか・・?
時に私も、「年寄り扱いしやがって!」と思った事も多々ありました。
色々と他愛もない話になりましたが、元気のままで長生きしたいものです。
今回の万博は、すべて家人任せ訪問でした。
11時入場予約と言う事で、自宅を9時半に出ました。
上の太子→近鉄南大阪線→地下鉄御堂筋線→地下鉄中央線→舞洲と乗り継ぎ
1時間少々で着きました。只、本町・舞洲間は超満員状態でした。
55年前のEXPO70の際は、心ワクワク ドキドキの万博だったのを
思い出していました。
この歳になると感激は今一つだったのも、多くの経験をして 又、多くの情報も
先取していたせいの為だったのかも??
10数館の国々のパビリオンを見て回り、予約が取れなかったパビリオンは
今回訪問せずに、待ち時間の少ない館を選んで並びました。
家人は、世界各国の食べ物を食べたいとの事でしたが、結局 大阪の出店の食事
で昼食を済ませました。(残念!)
夕刻6時ごろで引き上げる事としたころには、もう二人ともクタクタで 果たして
家にたどり着けるか心配になっていました。
自宅到着時間は午后の9時半・・・ 12時間の万博詣となりました。
歩数計 = 18.500歩
2016年9月に萱(かや)の木を切り倒して、残して置いた枝で 又々
玉網を作りました。
鮎の遡上がニュースに上がった頃から作り始めて、ここに出来上がりました。
干していた枝 皮を剥いで 輪を繋ぐ
カシューで保護 網を張って完成 天井から吊
昨年の4月初めにも玉網を作っていました。
2016年に手ごろな萱の枝を型に縛り付け、それから何年も干し続けていました。
そうして、思い立った際 玉網を作っていました。
細かい歪みのある枝を、湯気にさらして歪みを直していくのです。 これ以上
曲げたら折れてしまうぎりぎりまで反らして行くのです。
そうして今まで 10数本の玉網が出来あがり、自分で使ったり 鮎友にあげたり
して来ましたが、中々満足の行った品物は出来て来ていませんでした。
先日、日本の平均寿命が発表されていましたが、男子は 81歳と数か月との事で
小生なんぞ あと3年ほどです。
未だ 4本ほどベランダの片隅に干していますが、果して命ある内 すべてを作り
終える事が出来るかと心細く思える日もあります。
今期は、今回出来上がった玉網でシーズンを過ごしたいと思っています。
解禁日まで あと1ト月。その間 怪我などしない様に心がけて行きます。
皆様のご多幸を心より お祈り申し上げます
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
お断り
花は多すぎた様です。 梅の花は、咲くのが遅くなり一部造花です。