鮎太郎のラストファイト

 鮎釣りを始めてから36年が過ぎました。
北は新潟、南は熊本まで機会がある度に遠征しています。
今期も行くぞー!!

2019 4月7日(日) 思えば 47年前・・・

2019-04-08 03:00:05 | 日記

 書きながら気が付いたのですが、4月7日 47年前 昭和47年と
4と7が続いていました。(特に問題はありません)

思えば、我が人生で最大となるかも知れない事項が昭和47年にありました。

 7月20日の夕刻、、入院中の母親の見舞いが終わって帰る際、病床の中の
母親が 「水に気を付けや・・・」と言って私を見送ってくれました。
折しも当日は、朝から雨が降り続き、当時居た大東市付近に戻ってくる頃には
住道駅付近や寝屋川沿いはタイヤが半分浸かる程にあちこちで浸水していました。

 自宅で夜明け前に、ピチャピチャと言う音で目を覚ましたのを覚えています。
何と、玄関の靴やスリッパが泥水に浮いていたのです。
その後水かさが増し、床上15cm程になったころ 危険を感じ、妹を背負って
60cmほど浸かった道を歩いて向かいの家に避難させてもらいました。
昼頃には、ヘリコプターが上空を舞って報道写真を撮っていました。
「これでは、大阪は全滅やろな!」 と思っていたのは、飯盛山の傍に自宅が
あったせいです。
なんと何と、浸かっていたのは我が家付近だけだったのです。これが後に名付け
られた 『大東水害』だったのでした。

 その後、間もなく 権現川の北側に広大な池が掘られ、大緑地帯が出来たのです。
大阪外環状線を大東から寝屋川市へ向かって走るとき 1kmは続く桜並木は
満開になっていました。
40年前に子供連れで、ザリガニ取りに行った事も懐かしい思い出です。

その 『深北緑地』に、37歳の三男坊夫婦と老夫婦で花見に訪れました。
大池の表面は塞がれ、野球場やテニスコートになっていました。
桜並木の土手の中は、桜の木は数えるほどで ペテンに会ったようでした。
最も、この緑地は大水の際の『遊水池』となる地で、桜は不要の様です。

 しばし、息子夫婦の作ってくれた『花見弁当』で舌鼓を打ち、楽しいひと時を
過ごしました。 

       
  桜並木の外は外環状線       入口は花園           美味しかった花見弁当