猫好きエンジニアの呟き

車好き、猫好きのエンジニア『シン・レオ(元あうでぃ猫)』の日記です
食べ歩記、ドライブ写真、神社仏閣、植物写真など

冨士山下宮 小室浅間神社

2009年11月23日 15時32分21秒 | 神社・仏閣


の続きです。

新倉浅間神社に続いて行ったのは、


です。


 

ここの神社を訪ねたのは二度目だと思います。

新倉山を下りて直ぐの場所にあります。

ちょうど、七五三のお参りに家族連れが訪れていました。


社伝によると第五十代桓武天皇の延暦十二年、

征夷大将軍坂上田村麿が東征の折り、

此の地より、冨士の山容を拝し戦捷を祈請、

数々の苦難・災いを断ち、四年にして大勝のうちにその功業を収めたので

時に大同二年(皇紀一四六七年・西暦八〇七年)、社殿を草創したという。

 当神社の社号は、最も古い記録では「宮」と記され、

時代が下り、近隣各村で浅間神社が祀られるようになると

「下宮浅間神社」「富士下宮浅間宮」と呼称されていましたが、

明治期に入り現在の「小室浅間神社」と改称されるようになりました。

 「小室(御室)」とは、そこに神霊が常在するの意だそうです。




 

御神木の桂の木です。



 

南北朝時代、鎌倉で討たれた、

大塔の宮・護良親王(もりよししんのう/もりながしんのう)(後醍醐天皇の皇子)の御首級を

雛鶴姫が負って落ちのび、この地に葬ったという言い伝えがあるそうです。



 



小室浅間神社では、

毎年9月19日の例大祭に流鏑馬(やぶさめ)が行われます。

武士が武技練磨のため、騎馬で狩衣装を着け矢で的を射る流鏑馬とは異なり、

神事として神社に奉納される行事だそうです。


春の播種期に里に降りた祭神が、秋、富士山二合目の山宮に帰るとされ、

その秋祭りに流鏑馬を奉納し、翌旬再び里に降りるまでの間、

争いや火事などがないように祈願し、

馬の馳せた蹄跡による吉凶の「馬蹄占い」は

世襲の「占人」の存在とともにこの神事を著名なものにしている。


 


その流鏑馬の神馬がここで飼われています。

全部で三頭、

とても人懐っこいお馬さんたちでした。


 

人を見ると近寄ってくる、懐こいお馬さんたち。

 

首を撫でてあげると喜びます。


 


 

とても可愛いです。




 

帰り道の、浅間神社の参道から見た富士山です。

昔の人もここから富士山を眺めながら

富士山を目指して歩いていたんでしょうか。


 

山中湖まで来て、ちょっと休憩しました。

夕日をバックにした神々しい富士山の姿が拝めました。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。