なんていうか世の中にはしっかり因果応報っちゅうのがあって、いままでしてきたことのせいで痛手を受けるわけで…。でもそれで人生損しているわけではないんだよなぁ。
『あのときあんなことしなきゃぁなぁ』『ああしておけばよかった』みたいなことを思ってもねぇ、いまさら何か取り返せるわけでもないから。でもまぁ、自分なりにそういう失われたものに対してそれはそれと片づけてしまって、まだこれから作っていける・変えていけることをするしかないわなぁ。
と、なんとなく思ったことを今日はつぶやいていく迷惑行為をしていこうと思うんです。こうしてま今日も徳を下げていきます。
例えばの話、「飲み会やります」といってひとが集まるコミニティとそうでないコミニティというのは確実にあって、そこの差が何かを最近すこし考えることがあって、前者はやはりそれ自体が他の要素(予定や金銭、場所)なんかを圧倒するメリットがあるんでしょうなぁ。
ただですが、盛り上がるコミニティとひとがあつまるコミニティがいつも一致するわけじゃないですよね。けして一緒に集まって楽しいからだけではなくて、集まることが目的というのもあるでしょうなぁ。
そこで。今回の部活の式典について考えてたわけです。僕がこの式典に何を思っているかは別として、皆(私が知るすべてのOB)にとって部活の求心力ってこんなにもないものなのかって驚いたんですよ。ここまで各々の気持ちの中で義理の働かないコミュニティなんだろうなぁと。
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そもそものこの式典の意義とかを話し出すと色々差支えあるのでそこは無視しますが、僕は今回のこれが部活にかかわる最後だと決めているし『やれることはやるか』といつも通り振る舞っているわけで、僕の大学4年間はほとんどはあの部活だったのであのコミュニティに対する恩義・義理があるから。
あれを通じて知り合った人とのつながりだったり、知識だったり経験がいまの自分のなかに生きているから。ね、『いっそなくなればいいのに』とも思うのだけど『ないよりはあった方がいい』と思うし、それがあるということだけ得られる恩恵もあると思うので、僕は『やれることはやろう』と思うわけです。
それは別に大学の部活だけに限ったことではないのであれですが、そういう自分が通過してきたコミュニティをむげに手放してはいけないと思うんですね。今接している世界だけがすべてではなくて、どれが大事とかでもなくて。それをなくしてしまったら何が残るのか僕にはわからないしね。
まぁそれを基準に考えるのは違うんで置いておきますが、そこで僕が疑問に思うのは、じゃあ一般の人たちはなにを大事に生きているんだろうかと思ったんですね。今接している世界が危機的な状況であるのか。それとも今まで生きてきたすべての世界が無価値なのか。
すくなくとも部活のコミニティは無価値なんだろうなぁと。それの原因はなんなのかを考えたんです。1つはOB会が無価値。これは間違いなくあるんだろうなぁ。僕も価値はないと思う。できれば今後接触したくないという思いは皆同じく抱いている…
僕も残念なことにOB会のためになにかしたいという気持ちはこれまで湧いたことはない。現在も会議に参加すればこちらを歓迎する気持ちもなければ振る舞いもないし、閉じた世界が無限に広がっている体質は昔から変わらない。
「なんでそんなところに行くのか」と周囲から困り顔で言われますが、怖いもの見たさとOBの全員が全員そういう人間じゃないのも知っているし、良くしてくれるひとたちもいるから僕は僕にできることをしようとそのひとたちのために思うんです。
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いまの指導部にしたってOB会にしたって、僕が行っても「ご苦労様」の一言すら言わない人たちがざらにいるわけで、そんなコミュニティに何の意味があるんですか?という同世代の気持ちはわかる。僕もそこはいまだに好きになれないし、今後も好きになれる気がしない。
まぁそれはともかくとして、それでもなお僕にとっての部活に対する思い入れがあるので、僕は僕なりの参加するマインドでいればいいなと思うわけです。そういうひとたちや雰囲気に迎合する必要はないと思うし、もちろんここでそれを批判する必要もないのは自覚しているところです。
まぁその話はおいておくとして、きっとライフスタイルの違いは大きいと思うところがあります。僕らの世代は組織に対しての忠義とか皆無だし、なにかの組織に属しているから付き合うということを大事にしない生き方をする。これは大きいと思う。
ようは自分にとってそのひと個人が大事かどうかという選択を常にしている。そういう世代である。今抱えている世界さえ守れればそれでいいんだと思えるんだろうなぁ。自分と自分の好きなものさえ守られればそれでいい。対岸の火事が自分にさえ降りかからなければそれでいい。賢明な生き方。
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僕にはあまり実感がわかないのであれですが、それで守られる世界の価値ってなんなのかさっぱりわからないし、ある意味ではものすごい現実志向か未来志向なのかと解釈はしますが賞賛まではしない…と思います。
自分の通ってきた過去が黒歴史ならともかく、たとえそうであったとしても今さらそれを良いも悪いもなく消化できる年齢な気がしてきたんだなぁ最近。例えば小学校だって中学だって高校だっていかに恵まれない時間だったとしても、それを否定してしまったらその時間をすべて失ってしまう気がするんだね。
「ああ、この関係は切ろう」とかを繰り返していくと、他との関係が絶たれるのは幸いだけれども、それによって自分すら殺しているような気がしてねぇ…あの人とは絶交とか簡単にできるけど、その人との付き合ってきた時間をも失ってしまう気がするんですなぁ
まぁだからいくら向こうがこちらに興味がなかろうと、そんなこと僕には関係がなくて、それはこうもいえて、どんなに皆が部活に興味がなくても僕には関係がなく、僕は僕にできることをしようと思うだけだなぁと思うんです。
つい数か月前はいろんなことがあって『めんどくせぇなぁ』と思って『すべてを持っては生きていけない』と感じて切っていくこともうまく生きるコツなんだと思っていましたが、それは違うなぁと思ったんですな、最近。
これまで僕が知り合ってきたひとたちの中にどれだけ終わってしまった人間がいたとしてもそれを見捨てることはしないと思ったし、僕ができることは工面してなにかしてあげようと思うんだね…見返りはないだろうけど。