aya の寫眞日記

写真をメインにしております。3GB 2006/04/08

履歴稿 北海道似湾編  似湾沢 9の8

2024-10-22 10:39:54 | 履歴稿
IMGR079-05
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾沢 9の8
 
 その翌朝、と言うよりも、その日の朝のことであったが、「義章、浩治さんが来たよ。」と母に呼び起こされた私が、「眠たいのになぁ。」と渋々寝床を這出して、目をこすりながら玄関へ出てみると、「オイ、大丈夫か、兄さんはどうだ。」と、帰ってから顔を洗わずに寝たらしく、ぶす黒い寝不足顔の浩治少年が、私に尋ねた。
 
 「ウン、二人共何んとも無いよ。」と私が答えると、「そうか、そりゃ良かった。俺、どうかなと思って見に来たんだ。」と言って、さもさも安心したと言うように、浩治少年はニコッと笑った。
 
「オイ、それからお前たち二人で何尾釣った。」と浩治少年が、更に尋ねたので私は父に笑われた。
帰宅後の状況をその儘話した。すると「そうか、釣るのは三十尾位づつ釣ったのか、転んだ時に流したのは惜しかったなぁ。」と言ってから「義潔さんが五尾、お前が六尾、すると二人で十一尾しか無かったと言う訳だなぁ、ウム」と、浩治少年が唸った所へ、台所で朝食の準備中であった母が顔を出して、「浩治さん、昨日は家の二人が大変お世話になったネ、どうも有難う。」と礼を言えば、「おばさん、嫌だなぁ、俺、家のお母さんにあやまって来いと言われて来たんだよ。
俺が悪かったんだよ。おばさん許してネ。」と言って、浩治少年はピョコンと頭を下げた。
 
 
 
IMGR079-06
 
 「でもネおばさん、俺はネェ、義潔さん達二人がヤマベを釣る呼吸を知らないものだから、俺や保のようにどんどん釣れなかったんだよ、だからもう少し多く釣らしてやろうと思って居るうちに上流へ登り過ぎてしまったんだよ。」と、頭を掻きながら、浩治少年は今一度頭をピョコンと下げた。
 
 「保はどうしたかな、よし、これから行って見よう。」と浩治少年が玄関を出たので、私も彼はどうして居るかな、と思ったので、急いで下駄をつっかけて浩治少年の後について行った。
 
 その時の保君は、起きたばかりのところであったが、彼の魚籃にも矢張り蓋が無かったので、相当数のヤマベを渓流へ流したらしかったのだが、彼の魚籃は私達兄弟の魚籃とは違って、口の狭い胴の太い大形であって底が深かった関係か、魚籃には未だ五十尾程のヤマベが残って居たと言って居た。
 
 
 
IMGR079-08
 
 「そうか、お前のは五十尾程残って居たのか、義章さん達はなぁ、二人分合わせて十一尾しか残って居なかったんだとよ。」と言って、浩治少年は帰って行ったが、「そうか、お前達十一尾しか無かったんか、俺の家ではあまりヤマベ食わないんだ、少しやるから持って行けよ。「」と言って、保君は台所の流しの上から魚籃を持って来て、「いいから、いいから。」と言って遠慮をする私の手に大きいの選んで、十尾のヤマベを持たした。
 
 「オイ、すまんなぁ、どうも有難う。」と礼を言って私は帰ったのだが、その時家には池田さんのおばさんが来て居た。
 
 母がお茶でもと言って勧めていたが、私が帰ると間も無くおばさんは帰って行った。
 
 
 
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履歴稿 北海道似湾編  似湾沢 9の7

2024-10-22 10:35:42 | 履歴稿
IMGR079-02
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾沢 9の7
 
 浩治少年のお母さんは、勿論そうしたことが心配であったから、閑一さんを起こしたものであったが、その閑一さんにそう言われた時には、生きた心地はしなかったそうであった。
 
 表へ出た閑一さんは、「お母さん、浩治の奴とんでもないことをしでかしたぞ、あれご覧よ、隣りの家も、義章さんの家も、未だ起きて居るではないか。」と言って、やがては有明の灯となろうやもしれない洋燈の灯が、窓からそのにぶい光を闇に吸わせて居るのを指さして、お母さんをおろおろさせたそうであった。
 
 「浩治の奴は熊に殺られても仕方ないが、他の三人に間違いがあったら申訳が無いぞ、隣りは老人と病人(多盛老人の後妻の夫人は病臥中であった)だしなぁ、よし、俺義章さんの所へ行って相談してくる。」と言って閑一さんが、私の家を訪れたそうであった、そうして父に「義章さん、弟の奴が悪いんだけど、どうなって居るか。私はこれから行ってきます。」と言ったので、「そんなら私も一緒に行く。」と言って父は、その正面には鷹の羽の打つがえと言う家紋を描いた祖先伝来の弓張提灯を持ち出して、私達兄弟を不埒な奴つと呟きながら、閑一さん母子に連れだったのだったのだ、と言うことであった。
 
 
 
IMGR079-03
 
 池田さんの家の前で浩治少年とそのお母さんに別れた私達父子、そして閑一さんに保君と言った五人は、学校の坂を登ったのであったが、その道々「熊の咆哮を聞かなかったか。」と閑一さんに聞かれたので、その咆哮の恐ろしかったこと、また幾度も転倒しながら暗闇の渓流を泣面で歩いたこと等を話しながら歩いた。
 
 そうした私達五人は、多盛老人の家の前から「爺さん、保帰ったよ。」と閑一さんが声を掛けると、老人と保君のお母さんが周章てて出て来た。
 
 私は、「馬鹿野郎。」とか、何んとか言って、保君が叱られるのでは無いかと密かに心配をして居たのだが、結果は意外と「オオ保、よく帰って来たなぁ。」ととても喜んで居た。
 
 其処で閑一さんとも別れて私達は、家に帰ったのであったが、待ちわびて居た母は、涙を流して喜んで居たが、その時の母の顔が、今も私の目に浮かんで見える。
 
 
 
IMGR079-04
 
 それは私達兄弟が、井戸端で足を洗って台所で手や顔を洗って茶の間へ這入った時のことであったが、「お前達は二人で何尾位釣ったんだ。」と父に問われたので、早速私は台所の流しの上に置いた魚籃を持って来て中を覗いたのだが、その瞬間私は思わず「オヤッ」と驚声をあげた。
 
 私自身としては、少なくとも三十尾は釣ったと思って居たヤマベが、魚籃の中には僅か六尾しか這入って居なかった。
 
 「変だな、確か三十尾位は釣った筈なんだけどなぁ、只の六尾しか這入って居ないや。」と私が呟くと、「何、六尾しか這入って居ないって。」と言って、兄も急いで自分の魚籃を覗いたのだが、その兄の魚籃にもヤマベは五尾しか這入って居なかった。
 
 私達兄弟には、その原因がすぐ判った、と言うことは、私達の魚籃には蓋が無かったので、幾度か水苔に足を滑らして転倒した時に、ヤマベを渓流へ流してしまったのであった。
 
 「何んだお前達、今までかかって二人でたったの十一尾か。」と、父に笑われたのであったが、私達も熊の咆哮に怯えて、無我夢中で渓流を歩いて居た時には、ヤマベのことなど全然念頭に無かったのだが、無事に帰り着いてみると、「ウム、残念なことしたなぁ。」と今更のように、渓流へ流したヤマベの数を惜む二人であった。
 


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履歴稿 北海道似湾編  似湾沢9の6

2024-10-22 10:18:11 | 履歴稿
IMGR078-23
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾沢9の6
 
 私達が渡船場に着いた時には、渡守の家の灯は消えて居て、既に寝静まって居た。
 
 「オイ保、お前オヤンヂ(愛奴の大人を和人はそう呼んだ)を起こせよ」と浩治少年に言われた保君は、戸閉りはして無かったので、簡単に玄関を這入って「オヤンヂ」と一声叫
ぶと、そのオヤンヂの渡守は早速起きてきてくれた。
 
 その時の渡守は、五十五、六歳の合愛奴であったが、その渡守隣が灯した二分芯洋燈の明りに、肩までの総髪は白く光って居た。
 
「何だお前達か、随分遅かったなぁ。俺はな、お前達が沢の奥さ行って熊に殺られたのでは無いかと心配して居たんだぞ、そしてよ、若しお前達が朝まで帰ってこなければ、お前達の家さ知らせに行こうと思っていたんだぞ。」と言って、早々に私達を向岸へ渡してくれた。
 
 
 
IMGR078-22
 
 私達が神社の前から右に曲がって、浩治少年の家に近づいた時に提灯の灯が三つ学校の坂を降りて来るのが見えた。
 「オイ、あの提灯は屹度俺達を迎えに来た提灯だぞ。あまり遅くなったんだから、俺達は皆叱られるぞ、でも仕方ないもんなぁ、俺達はあまり釣りに夢中になり過ぎたもんなぁ、だから皆で謝るべよ。」と浩治少年が言い終わったかと思うと、「浩治」と提灯の一つが大噶をした。
 
 その大噶に吃驚をした私が、その提灯の人を見ると、その人は浩治少年のお母さんであった。
 その時、浩治少年がおどおどした声で「ウン」と返辞をすると、「この馬鹿者、今何時だと思って居るんだ、似湾沢と言う所はお前が一番良く知って居る癖になんだ。」とお母さんはきつく浩治少年を叱った。
 
 
 
IMGR078-24
 
 この三つの提灯は、浩治少年のお母さんと、兄さんの閑一さんと言って私の家の前にある郵便局の事務員をして居た人と、私の父であった。
 私の父や、浩治少年のお母さん、そして兄さんと言う三人が、提灯を提げて学校の坂を降って来た原因は、あまりにも私達の帰りが遅いので浩治少年のお母さんが、当時二十歳と言う若さであった閑一さんが起居をして居た郵便局の宿直室へ行って、既に寝て居た閑一さんを呼び起してから、私達四人が似湾沢へヤマベ釣に行って未だ帰らないのだが、途中で何か間違いが起きたのではなかろうかと、相談に行ったのだそうであった。
 
 
 
IMGR078-18
 
 すると、その時の閑一さんが、「何、未だ帰って来ないって。」と言って、枕もとの時計を見ると時計の針が既に午前の零時を少少過ぎて居たので、「お母さん、こりゃ大変なことになったよ、似湾沢の奥へ行くと、熊が棲んで居て沢へは時々出てくるんだそうだからなぁ。兎も角俺はこれから迎えに行ってくる。」と言って、早速曲備付の提灯を点して素足で飛び出したのだそうであった。



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履歴稿 北海道似湾編  似湾沢 9の5

2024-10-22 10:13:39 | 履歴稿
IMGR078-15
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾沢 9の5
 
 それがどれほど下流へ戻ったかと言うことは、夢中で歩いて居た私には判らなかったのだが、突然、右側の密林から私達が恐れて居た熊がウオッウオッと、咆哮をし始めた。
 
 そうした熊の咆哮は、必ず木霊してその物凄い、そして無気味な餘韻を渓谷に残すので、この咆哮を聞く度に、私達四人は「また咆えたぞ。」と言って兢々として居たものであった。
 
 熊の咆哮に、戦々兢々として歩く私達であったから、先頭を歩く者は沢の中に転がって居る木の根株にも熊かと怯え、後方を歩く者はピチャピチャと浅瀬を踏む自分達の足音にも、熊が後から襲うのではないかと怯えろ状態であったから、誰からともなく順番を決めることになって、「オイ、今度はお前が先頭の番だぞ」と言うように交代をしあって、下流へ下流へと四人が必死になって歩いたものであった。
 
 
 
IMGR078-14
 
 それもどれ程の所まで下ったのかと言うことは判らなかったのだが、私達を戦慄させた熊の咆哮も次第に遠のいて、無気味な梟の鳴き声もいつしか消えたのだが、渓流の水苔に足を滑らして幾度となく転倒をした四人は、その全身が濡鼠になったばかりではなくて、岸の木の枝や柴木に顔と言わず手足と言わず、容赦なく引掻れて居たので、見るも無慚な姿になって居たのだから、誰一人として声を出す者もなく、四人はひたむきに歩き続けたものであった。
 
 「オイ皆、十間橋に着いたぞ。」と、その時先頭を歩いて居た浩治少年が大声で叫んだ。
 
 それまで、只無我夢中でひたむきに歩いて居た私達は、その大声で叫んだ浩治少年の声に、ハッと意識を呼び戻してホッとしたものであった。
 
 「オイ、俺達は帰れたな。」と言って保君が、私の肩を叩いたが、「そうだ、俺達は帰れたんだ、そしてそれは確かなことなんだ。見ろよ、そこに十間橋があるじゃないか。」と、思った途端に歓喜の涙が私の頬を濡らして居た。
 
 
 
IMGR078-17
 
 漸く辿り着いたのではあったが、その十間橋から渡船場への道は、もう此処まで帰れば大丈夫と言う安心感が、その咆哮に溪谷で戦いた熊の脅威もそして無気味な梟の啼き声も、今は遠い過去の思出と言った感懐になったものか、私達の四人は、「オイ、熊の咆声もの凄かったな。」とか「梟って奴、薄気味の悪い奴だな」と、無雑作に話しを交わしながら歩いた。
 
 その溪谷を歩いた時には、私同様泣面で必死になって歩いた筈の浩治少年もそして兄も保君も、すっかり元気づいて、「お前、何回転んだのよ。」とか、「お前が木の枝に打つかった時の悲鳴は半泣だったぞ。」等と言い合ってはドッと笑声が飛び出す私達四人であった。
 


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履歴稿 北海道似湾編  似湾沢 9の4

2024-10-22 10:08:39 | 履歴稿
IMGR078-22
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾沢 9の4
 
 沢は上流へ登るに従って幅が狭まっていたが、流れが速くなって居たので、溪流の瀨瀬らぎは、ともすれば私達の話から声を奪うことがあった。
 
 また、その両岸には、楢、楓、桂と言った類の雑木が、連抱の大樹となって、うっ蒼と原始の儘の姿で林立して居るので、強い真夏の陽射しも、その葉裏を縫って、渓流に糸を垂れて居る私達の所までは届かなかった。
 
 私達四人は、家を出る時から皆が素足であったのだが、その素足でピチャピチャとその溪流をヤマベを釣りながら上流へ歩くのであったが、幾度も沢の岸から岸へ横断をして居た連抱の風倒木を乗り越えて遡らなければならなかった。
 
 その時の四人の少年の中には、時計を持って居る者は一人も居なかったのだが、その当時の世相としては当然のことであった。
 
 したがって、その時の私達が時刻を知ろうとする唯一のものは、太陽であった。
しかし、両岸の原始林がその太陽の位置を遮ぎって居るので、私達にはその時刻を知ると言う意識は全く無かった。
 
 私達兄弟にも、漸く慣れた釣りの技巧で、どうにか保君や浩治少年の域に近づいたので、時の過ぎるのも忘れて、上流へ上流へと夢中になって釣り進んだものであった。
 
 
 
IMGR078-23
 
 ヤマベは、上流へ登れば登る程良く釣れた、したがって、技巧と呼吸の妙に拙ない私達兄弟にも、その釣り上げる数が、次第に多くなって居た。
 
 勿論、保君や浩治少年は私達兄弟の倍数以上を巧みに釣りあげて居た。
 
 盛んに餌へ跳ねてくるヤマベ釣りに夢中になって居た私達四人は、もう誰一人として話し合う者とて無く、只両岸のうっ蒼と茂った密林の何処からともなく、ホウ、ホウと聞こえてくる山鳩の鳴き声と、一段と激しくなった瀬瀬らぎの音以外には、静寂そのものと言う、溪谷の情景であった。
 
 私達四人は、更に上流へ遡ったものであったが、急に四辺がスーッと暗くなったので、「オイ保君よ、急に四辺が暗くなったがこれどうしたのよ。」と、私は彼に尋ねた。
すると、その時浩治少年が慌てた声で、「しまった。」と、私達が吃驚する程の大声で叫んだ。
 
 「オイ保よ、もう日が暮れたんだぞ、俺達早く帰らんと大変なことになるぞ。」と言ってから、「さぁ、あんた達、釣りを止めて早く竿をちゃんとしな。」と、私達兄弟を促して、テングスを釣竿に巻かした。
 
 
 
IMGR078-20
 
 その時、弘治少年が私達に聞かせた話では、知決辺の道が峠になって居る山脈に陽が沈んだので、四辺が急に暗くなったので、と言うことであった。
そうして夜ともなれば、この沢には熊が出没すると言うことであった。
 
 私達は早々に帰り始めたのだが、益々度を増す闇色に遡った時には、「何糞、これしきの高さ。」と、威勢良く乗超えた風倒木も帰りには超すことの容易ならぬ障害物であった。
 
 ひたむきに足を早めた私達四人は、水苔に足を滑らせて水中に転倒をする者、沢へ突き出て居る木の枝に顔を叩かれて、「キャッ」と悲鳴をあげる者が続出して、実に惨めなありさまであった。
 
 そうした状態の私達四人は、熊に対する恐怖に戦いながらピチャピチャと浅瀬を踏んで下流へ急いだものであったが、釣りに夢中になって登った時には、爽やかな音律で私達の心を弾ませた溪流の瀬瀬らぎも、闇黒の密林から聞こえてくる梟の鳴き声と共に今は、無気味なものに感じて居た私達は、両岸に林立する老樹の葉鳴りにも怯えたものであった。
 
 
 
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