読書と映画をめぐるプロムナード

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「日本の美」を描いた巨匠・溝口健二

2006-08-24 21:43:20 | 映画監督
表題をこう書いたが、溝口健二の作品は一度も観たことがない、と思う。今年は彼の没後50年、今日はその命日だ。黒澤明、小津安二郎とともに日本映画の三大巨匠の一人にあげられながら、下記に記すように脚光を浴びることは少なかった。単純化して一言でいうと、「重い」からのようだ。

「溝口は監督生活34年で約90本を完成させたが、現存するものは30数本のみ。形式と妥協を嫌う独特の美意識と映像感覚に支えられた数多くの傑作は、見事なまでに娯楽性と芸術性が融合し、それまでの映画の作り方を一変させてしまう」。

「しかし、溝口が描いた世界は、特別なものではなく、今日見直されている普遍的な“日本の美”そのものであった。そんな溝口作品が、トリュフォー、ゴダールをはじめとする世界の映画作家たちに多大なる影響を与え、今なお観る者に新鮮な感動を与え続けたのである」。(Web.mizoken)

溝口 健二(1898年5月16日 - 1956年8月24日)は東京都出身の日本の映画監督。「女性を主人公に据えた情緒的な作品が多い。ジャン=リュック・ゴダールに影響を与えたことでも知られた。小学校卒業後、神戸又新日報社に図案係として勤務。1920年日活向島撮影所に入る。 関東大震災後、京都撮影所に移る。 1925年、愛人に剃刀で襲われる傷害事件を起こし、以後女性をテーマにした作品に独特の感覚を発揮するようになる。 1934年永田雅一の第一映画社に参加、大映成立後は専属に」。

「黒澤明、小津安二郎、木下恵介、成瀬巳喜男らと並び称される日本映画の巨匠でありながら、近年は前記4者に比してその名が語られる機会が乏しかった。しかし2006年は没後50年に当たり、2003年の小津生誕100周年、2005年の成瀬生誕100周年同様DVD BOXのリリースや名画座での回顧展が企画されており、再評価が待たれる」。(フリー百科事典)

「映画監督 溝口健二」(四方田犬彦 編/新曜社刊)からその「重さ」の一因を探ることができる。

「こと日本に関するかぎり、溝口に関して近年ほとんど見るべき研究なされていなかったことを、われわれは認めなければならない。その理由はいくつか考えられる。溝口の主題と文体、政治的イデオロギーは、一見したところとりとめのないまでに多様であって、小津的な達観のとも、黒澤的明快とも無縁である」。

「なるほど溝口ではひとつの主題が選ばれるが、それはつねに憎悪と愛のいり混じる両義的な扱いのもとに描かれることになる。小津が軽妙な散文精神と戯れているとき、溝口は重々しい韻文をもって、メロドラマとメロドラマの批判との間を往還していた」。

「黒澤が戦後いち早く『わが青春に悔なし』で過去との訣別を果たしたとき、溝口は新しく台頭してきた戦後民主主義のイデオロギーを真正面から受け止めようとして、危うげな拘泥を続けていた。こうした両義的かつ多義的なあり方に加えて研究を困難にしているのは、彼の全作品のおよそ3分の一にすぎない三二本しか、フィルムが現存していないという、如何ともしがたい事実である」。(「溝口健二生誕百年によせて」より)


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